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川釣り

 澄み渡る空はどこまでも晴れやかであった。

 燦々さんさんと降り注ぐ日光が深緑に活力を与え、また川の水面みなもを美しく映えさせる。

 青葉の匂い、水のせせらぎ、踏みしめる大地からは力強い息吹が感じ取れた。


「うわぁー……っ」


 思わず感嘆の意を漏らした美琴は目を輝かせて景色を見やる。


「電車で数本のところにこんな場所があったなんて……」

「気に入ってもらえてなによりだ。標高は大したことないが、言わば穴場的スポットさ」


 ふふんと、得意げな曹玲ツァオリンが満足気に鼻を鳴らす。

 だが一方で、超不満顔の大和がふてくされながら「……おい」と声を掛けた。


「何だ貴様その顔は。景観が腐るだろ」

「うるせえ! よくもまあ人にこんだけの荷物持たせてさわやかな顔ができるもんだな!」


 吠える大和には大量の荷物がこんもりと押し付けられていた。

 胸も背中も巨大なリュックで覆われた間抜けな姿。おまけに両手も荷物で完全に塞がっている。


 荷物持ちじゃんけんしよーぜー! といった小学生のノリである。

 もっとも曹玲の場合は、あの電柱までではなく、あの山までな! という具合だ。完全無欠のイジメであった。


「そう腐るな。お前がじゃんけんに負けたのが悪い」

「じゃんけんっつったって、てめー親指おっ立てて『爆弾』なんて反則したじゃねーか!」

「貴様が『ピストル』を使うからだ」

「…………」


 ぐうの音も出なかった。


 しかし思い出すのは周囲の視線だった。特に電車内。

 パシリと化した大和へ痛々しいまでに突き刺さってくるそれら。憐れみだったり、同情だったり、指さして笑われたり。

 いたいけな少女の純粋な「ママ、この人かわいそう」という言葉には目頭が熱くなった。


『大丈夫だ、隣にいてやる』


 という曹玲の励ましがなければ心が折れていたかもしれない。

 まあ曹玲がいなければこんなことにはなっていなかったのですが。


「憂鬱だ……」

「そう落ち込むなよ大和ー。俺なんかこんなに元気だぜ!」

「やかましい! 人の頭の上でバサバサ羽ばたくな鬱陶しい! だいたいてめーが乗っかってたから注目度が跳ね上がったんだよ!」

「やっぱ大和の頭は止まり心地が良いぜー。髪の毛突っついて良いか?」

「人の話聞いてんのか虫でも突いてろクソガラス!」


 眉間の皺がすごいことになっていた。さわやかさの欠片もない。

 と、そこで曹玲がパンと手を叩いた。


「よし、そういうわけでテントを張ったらさっそく釣りに取り掛かる」

「何がそういうわけなんだ……」

「釣竿は大和が持っている。釣り糸とリールは……大和が持っている。ええと、餌は……」

「俺が持ってんだよいちいち顎先に指当てて思案顔するなよムカつくから」

「うむ、ちょっと量が多くてグロテスクだがびっくりするなよ」

「んなもんでいちいち驚くかよアホが」


 毒づきながら荷物を下ろし、クーラーボックスをパカッと開ける大和。


 ンゾゾゾゾゾゾゾゾゾ!!


「うわキモッ!?」


 ボックスの中には細長い虫のような生物がグネグネと蠢いていた。それもボックス内パンパンに。

 ミミズに似たそれにはいかつい剛毛がモソッと生え、極太の血管が透けて見える。

 それが大量にグネグネ蠕動ぜんどうするのだ。もはやモザイク必須だった。


「ゴカイだ。ここの河口で昨日たくさん捕ってきた」

「捕りすぎだろ! こいつらもいい迷惑だわ!」

「まあそういうな。見ろ、昨日詰め込んで放置していたというのにまだまだ元気だ。ハハッ、人間じゃあこうはいかんぞ」

「この女怖え……」


 からから笑う曹玲を見て戦慄する大和。


「しかし確かに少々捕りすぎたな。余ったら八咫烏にくれてやればいいか」

「ェ……?」


 俺これ食うの……? という鳥の問い掛けに答える者はいなかった。

 と、そこで美琴がふらりとゴカイ入りのクーラーボックスに近付いてきた。


「おいやめとけ、見ねえ方がいい――」

「……じゅるり」

「じゅるり!?」

「――ハッ!? いやいや何でもない何でもないの!」


 よだれを垂らした美琴が慌ててぶんぶんと両手を振る。

 引き気味の大和とは対照的に、曹玲はジッと美琴を見やっていた。


「な、何ですか?」

「ふむ……。いや少々考え事をしていてな」

「……、」


 見つめてくる曹玲に怯み、こくんと固唾を呑み込む美琴。

 大して曹玲は表情を引き締め、真面目な顔のまま溜めて溜めて、


誤解ゴカイよ! とは言わんのか?」


 と。言った。


 突風が吹き荒ぶ。冷たい冷たい風が轟々と。


 煽られ、木にぶつかった羽虫が生涯を終えて地面に落ちた。

 だが、その肉体はやがて土へと帰り、新たな新芽の礎となる。

 命は巡る。とこしえの息吹は果てることなく循環して芽吹くのだ。


「母なる大地とはよく言ったものだな。指先でなぞるだけで、生命の鼓動が聞こえてくるようだ」


 そう、ゆえに世界マルクトは蘇ったのだと、慈母の如き微笑みで締める曹玲。


「……」(大和)

「……」(美琴)

「生命の鼓動が聞こえてくるようだ」


 曹玲は断固として引かなかったそうです。




 河原から離れた地点にテントを張り、そこを拠点に荷物を置いたのちに三人と一羽は道具を持って川へと歩む。


「では釣りを始めるぞ。各自準備はできたか」


 曹玲の問い掛けに、しかし大和と美琴はビミョーな反応だった。


「やる気満々なとこ悪いんだけどよ、そもそもゴカイって海釣りの餌じゃねーの?」

「うん、川で釣るならイクラやミミズとかのが向いてるんじゃないかな」

「――ハッ」

「鼻で笑ったぞこの女……」


 不満そうな大和の声を無視し、「これだから素人は」とやれやれポーズを取る曹玲。


「聞きかじったハンチク知識をひけらかして悦に入っているところ悪いが」

「いやべつに悦に入ってはないんですが……」


 美琴の抗議もなんのその。

 涼しげな表情をした曹玲がゴカイを適当な大きさに千切って針に刺し、水面に向かって竿を振る。そのまま川に逆らわずに餌を流していると、


「そら来た」


 あっさり釣り上げて見せた。

 体長十五センチ程の小柄な淡水魚。


「ウグイだ。魚は雑食性の種も多い。目に付いたものには反応して食いつくものさ。ふふん」

「く……、何かそれっぽいこと言ってやがる……」

「考えてみればアオイソメなんかも日本には生息してないのに、日本の魚はパクつくわね」


 得意満面な曹玲の顔に辟易しつつ、大和と美琴はしぶしぶ準備に取り掛かる。

 だが早速難題にぶち当たった。


「あ~、気色悪いこいつ……」


 ゴカイを前にして大和が心底嫌そうな顔をしていた。

 剛毛を引っ提げてウニョウニョのたくる様子が鳥肌を誘発させる。


「何をしている。貴様、シェイクの蛆に対してそんな反応を示さなかったろう」

「いやあれは状況とかテンションとか色々よ……」

「情けない。神崎はとっくに付け終えたぞ」

「なぬっ!?」


 見やれば、確かに美琴はゴカイを針にぶち通していた。


「いやー。作業だと割り切れば気が楽になりますね」

「うむ、立派だ。これではどちらが女子か分からんな」

「ぐぬぬぬ……!」


 ジト目でバカにされた。

 女にここまで言われては男が廃るというもの。


「や、やったろーじゃねえか!」


 鼻息荒く、クーラーボックスに手を突っ込んだ大和がゴカイを摘まみ上げた。

 見てろコラと、細長いそれと格闘する大和。


 生きの良い餌には魚の食いつきも良くなる。

 だがこのゴカイは少々生きが良すぎた。必死こいて大和から逃れようとするゆえに、その抵抗も激しかった。


 グルグルグルグルンッ!!


「ほんげええぇぇぇぇえええぇええッ!?」


 指先に巻きつくゴカイの反撃。絶叫を上げた大和は鳥肌を立たせまくって身動きが取れなくなった。


「ぎゃあぎゃあとうるさいな……」

「み、耳がキーンとします……」


 女子二人は耳を押さえてげんなりしていた。

 石と化した大和を松の葉でブスッと刺して復活させ、うんざりに曹玲は大和に言い放つ。


「もう餌使うなお前。餌無しで釣れ」

「……んなこと言ったってどうすりゃええねん」

「単純だ。というよりお前には元々やらせようと思っていた釣り方だが」


 言って、曹玲が餌の無い竿を構え、眼光鋭く水面を射抜く。

 大和も美琴もその様子を見て我知らず瞠目していた。先ほどとは集中力の度合いが違う。


「――ふっ」


 呼気を吐き、ビュンと針を放射し着水させて――一拍遅らせ手首を返すと、なんと見事に魚を釣り上げていた。


「すご……っ」

「マジかよ……こいつ人間じゃねえ」


 美琴と大和の驚きを受けた曹玲が、釣った勢いのまま糸を引き寄せる。


「魚に直接針を刺し込むんだ。腹でも尻尾でも構わんが、まあ口が一番確実だろうな」


 そのまま獲物を針から外し、バケツの中へと放り込む。


「無論容易ではないが、それだけ野生のものを相手にするのは良い経験となる」


 気配の消し方、呼吸の読み合い、一瞬の攻防。

 どれも実戦において必要不可欠なものである。

 その手本となる存在が、自然界には有り触れているのだ。


 逆に言えば、


「魚を捉えられん程度では、この先勝ち残ることなど到底できんな」


 見据える先の堕天の軍団は自然界の比ではない。

 シェイクを斃したからといって驕るなよと、暗に諭されたようであった。

 大和は大仰に息を吐き、億劫気に竿を掴む。


「簡単に言ってくれるぜ……」

「……あたしは普通にやろーっと」


 ようやく各々が釣りへと取り掛かる。


 透き通るような川のせせらぎの音と共に、緑の匂いを含んだ風を三人は浴びていた。

 平らな石に腰掛けて、魚の食いつきを待つだけのまどろむような弛緩した空気。

 のんびりとした時間が流れ、そこでおもむろに曹玲が口を開いた。


「約束した通り、色々お前たちに話しておかなければならんことがある。リラックスしたままで良いから耳を向けてくれ」

「ケケッ、俺も付き合うぜー」


 バサバサと八咫烏も寄ってきて、曹玲の肩へと止まっていた。


「天使のこと、世界のこと、私自身のこと……」

「おりゃっ!」


 ジャポーン!


「だークソッ! 全然釣れねえ」

「お前たちも巻き込まれるばかりで、納得するに足る情報を求めているはずだ。……ああそれと神崎よ、私と大和の関係だったかな?」

「……あーっと……はい……お願いしマス……」

「てーい!」


 ドポーン!


「捕れる気がしねえなあ!」

「とは言っても、べつに私たちの間に面白い話などないがな、ふむ……」

「おらあッ!」


 ざぱーん!


「ええいうるさいぞ貴様ッ!」

「お前がやれっつったんだろが!? あ、ちょ!? やめ、すいませんすいません!」


 肩パンはやめてくださいすいませんと、大和が泣きを入れていたところで、


「あ、釣れた」


 美琴はとても珍しい大きな岩魚イワナを釣り上げていた。

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