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平和と邪悪な影

『突如として再び昇った太陽を尊ぶように、皆さん総出で空を見上げておいでです。また、謎の生物も忽然と姿を消して――』


 リモコンを置き、ギシッと椅子にもたれ掛かった大和がぼやいた。


「どのチャンネルも同じことやってんな」

「そりゃまあそーでしょ。パニックってレベルじゃないもの」

美琴おめーのせいでなー。ケッケケのケ」


 美琴の頭上を旋回し、今どんな気持ちとおちょくる八咫烏やたがらす

 二秒後にはハエのように叩き落とされていた。


「ケー! 痛えな痛えな! これがどーなっても良いのかよー!」

「あぁッ!? あたしのスマホ!」


 三本足でむんずと掴んだ美琴のスマートフォンを、ぷんすか怒った八咫烏がこれ見よがしに掲げてみせる。

 返しなさいよ! と迫り来る手をサッサと躱すと、ニヤケ面浮かべて美琴に言った。


「見ぃーたぜぇー? 大和とのやり取りばーっか残ってるのはなーんでかなー?」

「こ、こここ、この鳥ィ!!」


 カアアーッと、一瞬で顔面を真っ赤にした美琴がオレンジの髪を跳ねさせつつ、ムキーッ! と立ち上がり、八咫烏を捕まえようと躍起になった。


「そーいやさっきも違和感無くここの掃除や洗いもんしてたなー」

「そ、それはだって放っとくと汚いから……!」


 パタパタッと、再び美琴に近付いた八咫烏が耳打ちする。


「好きなんだぁー?」

「さ、刺してやる! 刺して焼いて食べてやるっ!」

「ケケケー」


 その黒い鳥は完全に美琴をバカにした様子で飛び回っていたが、


「ええい、うるさいぞ」


 と、あっさりと曹玲ツァオリンに捕獲されてしまう。

 羽根の先っぽの方をむんずと掴まれ、ぶら下がった状態でジタバタともがいている。


「な、なあ曹玲? せめてもっとしっかりと捕まえてくれねえ? この体勢辛いんだけど」

「……」

「ちょっと聞いてる!? 羽根が! 羽根が抜けるんだって! いいか、これはお前ら人間で例えると髪の毛だけで持ち上げられてんのと変わら――」


 ブチイッ!


「痛っ!?」


 抜け落ちた。床に頭を強打してもんどり打つ。

 一歩ハゲに近付いた哀れな鳥は、半べそかいて逃げ出した。


「全く……あのアホウドリもしょうがないな。ほら、しっかりと持っていろ」

「ううー、ありがとーございますぅ……」


 涙目になっている美琴をやれやれと見つめる曹玲だが、「ところで」と付け加えた。


「見るつもりはなかったんだが、着信が物凄いことになっているな」

「――」


 ピシイッ、と。スマホ片手に硬直する美琴。


「……です」

「え?」

「両親です……。昨夜……というかもう朝方ですけど、帰ったらその、色々と……」

「あー……」


 意を得た曹玲が静かに首肯した。


「さぞかし怒られたろう。なんて言い訳したんだ?」


 まさかちょっと死んでました、なんて言おうものなら両親は卒倒するに違いない。

 だが曹玲の予想とは裏腹に、もにょもにょと美琴は口ごもる。


「怒られたというか、その……、いくら近所とはいえ、連絡の一つも寄こさずに夢中になるなとお母さんは半笑いで……。あ、お父さんは泣いてました」

「……うん?」


 どういう意味だと首を捻る曹玲の肩に、「鈍いなー」ともう回復した八咫烏が止まった。


「つまり嬢ちゃんの親は、嬢ちゃんと大和が――」

「だああ!? いちいち言わんでいいのよこのカラス!」


 慌てふためく美琴を見て、「ああそういうことか」と納得する曹玲。

 そのまま曹玲は視線を動かし、無言でテレビを見ている大和を捉えた。


「貴様……死体愛好家ネクロフィリアだったのか!?」

「ぶっ殺すぞてめえ!? だいたい俺はお前と一緒にいたろうが!」

「知ってるが?」

「ぐ……こいつ絶対殺す……!」


 一転してきょとんとする顔に大和のイラつきは最高潮である。

 我関せずのスタイルで空気になろうとする彼を、そうはさせるかニヤニヤと、クソ過ぎる意地悪な心が透けて見えてなおさらムカついた。

 というかさりげに死体扱いされてる美琴が不憫だった。


 どっかりと椅子に腰掛ける曹玲を見て、なおも大和は不満げに続ける。


「つーかよ、なんで当たり前のように居座ってんだよ」

「んー? まあちょっと待て」


 言って、わしわしとタオルで髪を拭く曹玲。

 その腕が頭の上で動くたびに、Tシャツ越しの見事な双乳がたゆんたゆんと揺れ動く。


「やはりタオルだけじゃ不十分だな。おい大和、後でドライヤー借りるぞ」


 わしわし。


「おーい、聞いているのか?」


 たゆんたゆん。


「…………」


 目の毒だった。

 大和だって思春期の少年である。朝っぱらからこんなものを見せられてはたまらない。

 どうにか視線を動かし、心を落ち着けようとする彼の目に入ったのは美琴の胸だった。


 ちまーん。


「……ふう」


 邪念は去った。落ち着いた。


「なーに人の胸見て気を静めてんのよあんた!?」


 瞑目してお茶を啜る大和に美琴はがうがう吠え立てる。

 それを見た曹玲は頭にタオルを乗っけたまま「ははは」と笑う。


「なーに、そのうち大きくなるさ」

「出たぁ! 持つ者の余裕が!」


 うわーん! と頭を掻き毟る美琴。そのままテーブルに突っ伏してしまった。


「大和よ、あまり女子を虐めるなよ」

「止め刺したのは明らかにお前だろうが……」


 そこで復活した美琴がおずおずと手を挙げた。


「あの……曹玲さんって、大和とはどういう関係なんでしょうか?」

「うむ、良い質問だ」


 言って、曹玲はどこから取り出したのか牛乳パックを口に付けてグッと呷る。

 人んちの牛乳勝手に飲むなよという声をスルーして、彼女は勝ち気な笑みで言った。


「それはキャンプをしながらおいおい話そう」


 は? という声が二人分上がる。速攻で大和が喰って掛かった。


「脈絡も無しに何言ってんだお前? 遂にトチ狂ったか?」

「やれやれ。だからお前は阿呆だと言うんだ」

「……はっ。いつまでもそんな低レベルな挑発に反応してられっかよ」

「ぽんつく太郎が」

「上等だコラァ! てめーのポニー引っこ抜いて落ち武者みたいにしてやんよ!」

「構わんが、代わりに大和の大和を引っこ抜いて貴様を女の子にしてやるが?」

「ま、まあ……暴力はよくないな。うん」


 ヘタレた。

 情けなっ、という美琴の声が虚しく響いた。


「貴様は私をバカにしたが、このキャンプには目的が三つある」


 指を三本立てて、言い聞かせるように曹玲は続ける。


「一つ目はシェイクが消えたことによる自然環境の確認だ」


 シェイク・キャンディハートが保有していた第十マルクトとは世界のセフィラ。

 ゆえに堕天の彼女から解き放たれれば、セフィラは本来の輝きを取り戻すはず。

 つまり、荒れ果て、腐った世界が元通りに回復するということ。それを自然の中で直接感じ取るのだと曹玲は言っている。


「二つ目は大和よ、熊野で話した天使たちの素性や目的、その続きをきっちり教えてやる。……私の過去も含めてな」

「……、」


 真剣味を帯びた曹玲の表情と声音に、我知らず固唾を呑み込む大和。

 そして三つ目の話題に入る際、曹玲は左腕を掲げてみせた。


「こいつは今痛んでいてな。おそらくヒビくらいは入っているだろう」

「……なに?」


 いきなりの発言に戸惑う大和だが、構わず曹玲は続きを話す。


「まあもうすぐ治るだろうし、それは大した問題じゃない。お前が黄泉に行っていた間、ちと連中の下っ端とぶつかり合ってね。これはその時にやられたものだ」

「下っ端だと?」

「ああ。大アルカナの怪天群という二十二体の天使のことだ。そいつらは生命樹セフィロトの天使群とは違ってセフィラも名も持たないが、私に傷を付けたのは十五怪アイン。零を含めれば、上から数えて十六番目のヤツだった」

「……っ」


 二十二のうち十六番。下っ端と呼ばれる連中でも更に下級の存在である。

 それがこの曹玲に手傷を負わせたというのだから、俄かには信じられない。


「正直私も侮っていた。いや、自惚れていたのかな。生命樹セフィロトどころか、その添え物にすらこのザマだからね」


 自嘲して笑う曹玲に、「じゃあ生命樹セフィロトの他に、その大アルカナの天使も相手にしなきゃならないのか」と問う大和であったが、


「いや、その必要は無い」


 と彼女は否定した。

 その言葉に一息つきかけた大和に、曹玲は言ってのける。


「なぜなら、大アルカナはほぼ全滅したからだ。生命樹の一人、第九イェソドによってな」

「あ……?」


 耳を疑った。理解するのに頭が中々追い付いてこない。


「ちょ、ちょっと待てよ。仲間なんだろ? なんでそんな……」

「奴らに一般的な倫理観など皆無さ。問題はそんなことより、たった一人で大アルカナを死滅させた戦闘力にある。その男の名はウォルフ。月を司るセフィラを宿す禽獣だ」

「――」


『似てる! あんたウォルフに似てるわ! あたしの大っ嫌いなあいつにッ!!』


 ドクンと心臓が跳ねた。同時に思い出すのは慌てふためくシェイクの顔で。

 そういえば黄泉の世界で大量の天使の死骸が降ってきたが、あれと関係あるのだろうか。


 下級の天使に手を焼いた曹玲。それより遥かに強いだろう集団を屠った第九の天使。

 一難去ってまた一難。それも今度は更に凶悪な壁となりそうだ。

 気が滅入る――が、


「やるしか……ねえみたいだな」

「ああ。もう一度基礎から鍛え直しだ」


 それがキャンプの一番の目的。

 踏み込んだ以上、もはや引き返すわけにはいかない。

 八城大和は茶を一気に呷り、嚥下した。

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