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自業自得

 シェイク・キャンディハートの精神は限界だった。

 単なる玩具としか思っていなかった八城大和の覚醒は、彼女の絶対的な自信とプライドを著しく傷付けた。


 辺りを見渡せば、赤々と点在する死体の海。

 第三ビナーが創造した大アルカナの天使はそのほとんどが肉叢ししむらと消え果てた。

 混乱と焦燥を加速させるシェイクにとってはこれが決定打である。

 地上への疑問は解決せぬままに、彼女は改めて目線を大和に動かしていた。


「ハッ……ァ…………、ち、くしょう……!」


 こんなヤツに、こんなヤツに……!

 砕かんというほどに強く歯軋りし、目を剥いたシェイクが光輪を明滅させて右手に神力を集中させるが、


「――イギッ!?」


 突如発生した爆風により掻き消される。

 どうしてだと動揺するシェイクであるが、遅れてようやく理解した。それは八城大和が迸発させた、台風めいた神気の圧に他ならない。


「ァ…………」


 戦慄き、涙ぐんで滲む視界に大和の莫大な神威が飛び込むと、僅かながらに存在したシェイクの意志は今度こそ粉々に打ち砕かれた。

 焦燥は絶望に。磨耗した心はあらゆる誉れを滑り落とし、剥き出しの神経よろしく触れるだけで彼女の自我を崩壊させる。


 誰しもが自分に見惚れ、羨望の眼差しを向けた後に豚の如く命を乞うと。

 そんなものはメッキに過ぎなかったのだ。今やそれが剥がれて錆びついた神気は羽虫すら寄ってこない。


「あ……ぁ」


 荘厳さすら覚える神気を感じ、シェイクは思い知ったのだ。

 所詮狩られるのは自分の方と。端役なのは自分なのだと。

 極限まで追い込まれ、光を浴びる主演女優はとうとう奈落へと呑み込まれた。


「……八年前だ」

「ひっ!?」


 八城大和が言葉を発するだけで、中てられたシェイクは反射的に身体を縮める。

 それを見やりながら、大和は続きを話し始めた。


「八年前、俺の親父は妖魔なんかよりよほど恐ろしい存在を始末しなきゃならんと言って墟街地へと向かった。隠れて後を付けたが、そこで見たのが死体の山で嗤う小さな天使だったよ」

「――」

「当時の俺は戦慄したね。四、五歳のガキがまるで全能の神かなんかに映ったさ。俺の中じゃ絶対的な存在である親父を赤子扱いにして一方的に殺したんだからな」


 自嘲するように鼻を鳴らし、改めて大和はシェイクを視界に入れた。


「そしてぶん捕られたのかどうか知らねえが、親父が扱っていたはずの神様は変わり果てた様子でこの黄泉にいた。うすうす勘付いてるかもしれねえが、迦具土だよ。お前当時のこと覚えてるか?」

「…………っ」


 喘鳴しつつ、小さく首を振ったシェイクを見て、「だろうな」と苦笑する大和。


「まあ俺にとっちゃ因縁の仇ってわけだ。極めつけはこないだの出来事だ、成長はしてたが一発でお前と分かったし、何よりあいつ(美琴)を殺してくれやがったからな、全身が沸騰したぜ。この手でぶっ殺さねえと気が済まねえ……!」

「ぁ……ぅ……」

「ってよ。……正直、さっきまではそう思ってた」


 張り詰めた双眸から幾分か力を抜き、けれど依然シェイクを射竦めたままで大和は続ける。


「そうやって年下のガキが縮こまって怯えてるのを見てるとよ、どうにも気持ちが萎えるんだよ」

「ハッ。かっこ……つけちゃってさ……! ただの、おくびょーもんじゃない……!」


 シェイクの反論に、「かもな」と返してから、大和は周囲の天使の死体を眺め見た。


「けどよ、俺ぁこんな世界が大嫌いだ。眩暈がして吐きたくなる」


 肉を斬り、血や臓物が飛び散って、悲鳴や命乞いが木霊するそんな世界。


「お前は俺を偽善者扱いしたけどよ、そもそも単純に自分がそういうもんを見たくねえってだけのことだ。言ってみりゃ自分本位な考えさ。グロいもんは苦手なもんでね」

「……」


 閉口するシェイクに、大和は視線鋭く睨み付ける。


「だが、お前はこういう世界を創り続けてきやがったんだ。何人も何人も何人も……。本人とその遺族の人生や尊厳を、ヘラヘラとぶっ潰してきやがったんだよてめえは! ざけやがって……! 親父とおふくろだけじゃ飽き足らず、美琴まで……てめえ……ッ!」

「…………っ」


 激情と共に天之尾羽張の剣先がシェイクに向いてカタカタ震え、反射的にシェイクは両手で顔を隠すようにして更に縮こまる。


「……視点が変わって少しは分かったかよ。命の有難みってもんがよ。そもそもてめえ……一体何のために人間殺しやがんだよ」

「そ……んなこと……」


 シェイクは答えられない。


 息をするのと同じように虐殺行為を働いてきた彼女である。

 シェイクにとって殺しとは、甘いものを頬張ることと何ら変わりはない。

 今更になって理由の説明などできはしないのだ。


「う、うぅ……!」


 けれど、極限状態の彼女は己への保身からどうにかそれを絞り出そうと言葉を探した。


「ッ――!?」


 そう、それはつまり、心の底から大和に屈したことに他ならない。

 ゆえに、それは起きた。


「――――」


 バギン! と。

 シェイクの頭上の光輪が突如として砕け散る。


「――ィィ――――ギィァ――ァァァ――――――ッ!!」


 声にならない悲鳴を上げながらくずおれるシェイクを尻目に、黄泉の世界が痙攣でも起こしたように収縮し始めた。


「――美琴ォ!」


 瞬間、大和は獣の如き俊敏さで振り返って跳躍。

 驚く美琴を小脇に抱え、即座に岩山の上へと避難した。


「な……なんなの? 何が起こるっていうの?」

「分かんねえ……。だがこれは相当ヤバそうだ」


 見下ろす先のシェイクは、頭を抱えて悲痛な叫びを上げている。

 そして、同時に呪うような声が大和たちの耳朶に届いた。


 許さん、ゆるさン、ユるサンと……。


「嫌だッ! あっ! ああッ! やめろッ! やめろォォオオオォァッ!!」


 弾け飛ぶように狂乱するシェイク。

 充血した双眸からは決壊したが如く涙が溢れ、苦悶に満ちた表情に普段の可愛らしさは欠片たりとも見当たらない。


 その様相に圧倒されて動けない大和が、ある違和感を目端に捉えていた。

 周囲の景色に、天地を問わずところどころ半透明の隆起が発生していたのだ。

 それらは徐々に徐々に、やがてパンパンになるまで膨れ上がり、遂に破裂する。

 巨大なかさぶたでも引き毟ったように、そこから綯い交ぜになった黄泉の概念が一斉に噴出した。


「……っ」

「ひ……」


 絶句する大和と美琴。


 邪悪な噴火はまさに呪いの具現であった。

 渦巻き、滞留し、射殺すが如く対象を睨み付けている。

 その、相手とは……。


「やめろ……! やめろやめろ来るな来るなふざけんなァッ!!」


 青ざめた顔で金髪を振り乱しながら、必死に拒絶の声を上げるシェイクがいた。


「どうなってん……だよ……」


 予想だにしない状況を目の当たりにし、唖然とした表情で漏らす大和。


 とにかく理解が追い付かなかった。

 シェイクの光輪が砕けた瞬間、この黄泉の空気が一変したことは肌で感じ取っている。

 それは所謂、術者の力が尽きたがゆえに能力が解け、黄泉の世界が元の様子に戻ったのだと最初は思っていた。

 だが、これは違う。そのような生易しいモノなどとは決して。


「やめろおまえらーッ! あ、あたしの言うことが聞けないっていうの!?」


 絶叫を続けるシェイクの元へ、ジリジリと憤怒と怨嗟の塊が迫りゆく。


 シェイク・キャンディハートは天才児であり強者であった。

 生まれ持った類まれなる才能は天を駆けるに相応しく、ゆえに第十マルクトのセフィラに認められて天使へと転生した。

 幼童でありながらも世界を掌握するその神気は掛け値なしに素晴らしいものであり、成長と共にますます磨きが掛かっていった。


 けれど、シェイクは己の力の方向性を見誤ってしまった。

 彼女の資質、そして魅力とは他と一線を画した愛くるしさに他ならない。

 あらゆるものを魅了して、おいでおいで一緒にいこうよと手を差し伸べるアイドル性。つまりは皆に好かれる世界の女神になることこそが、シェイクが最も輝きを放つ道であったのだ。


 だが、シェイクはそれを拒み、唾棄し、そっぽを向いた。

 愛嬌なんて振ってやるかと、なぜこのあたしが媚びる必要があるのかと。

 ふんぞり返り、わがまま極めた彼女は意のままに闊歩できる覇者の道を選んでしまう。


「あ……! あぁぁあ……ッ!」


 それがこの結果である。恐怖と暴力で支配するには、シェイクの手足はあまりにも小さすぎたのだ。


 解放され、反動で爆発する赫怒の情念が一斉に矛先を幼童へと向ける。

 煮詰まった灰汁あくのように、グジュグジュとなおも溢れ出て止まらない。

 瘴気や蛆を始めとした怪異や妖魔が蠢きながら彼女を囲う。


 そこには雷火を横溢させる八色やくさ雷神いかずちと、そして――


「迦具土……」


 大和は見た。

 悲しみに暮れる猛火の神の双眸を。

 縛りや呪いで強要されたとはいえ、破壊活動や悪鬼に等しい振る舞いで、貪婪どんらんな稚児の御機嫌を窺っていた情けなさに染まる眼を。


 ましてその稚児は、あろうことか迦具土の母に擬態し心まで弄んだのだ。

 超級の侮辱である。決して許せないし見逃せない。

 シェイクを睨みつける紅蓮の光はいつしか焦熱の炎と化していた。


「やだぁ! やだやだやだやだ嫌だァッ!!」


 もはや喚き散らすことしかできないシェイクは、獣の群れに放り込まれる子ウサギに等しかった。

 その視界は黒に染まり、滲んで歪んで端から雫が溢れ出る。


「ああぁぁぁああッ! 死にたくないッ! 死にだぐなあぁあぁぁ――――ッ!!」


 かつての主、いや唾棄すべき餓鬼に対し、魑魅魍魎は結束したように一斉に――


「――えぎょェェ!? エぅ――!? ァッ――――っ…………ッ――――――」


 群がり、貪り、喰らっていた。

 餌を囲んだ涅色の塊が蠢くたびに、千切り砕く音が響き、水音と共に下から赤い液体が静かに染み出てくる。


 力無く震える小さな右手がそこから飛び出し、救いを求めるように虚空を切った。

 だが、それに対する慈悲や斟酌は全く無い。

 止めとばかりに、烈火の形相をした焔の神が突貫し、断罪の剣を振り下ろす――


 瞬間、天を衝くほどの火柱が迸っていた。


「…………」


 全身を真っ赤な光に照らされながら、固唾を呑み込んだ大和。

 腕に圧迫感を感じれば、隣にいる美琴がギュッとしがみ付いたまま固まっていた。


 爆炎と煙が霧散したその場所には塵一つ存在しない。

 ただ巨大なクレーターが大口開けて佇んでいただけであった。

 複雑な面持ちで、天之尾羽張を身体へと内包させた大和が静かに呟く。


「……正直変な気分だ。あれだけムカッ腹が立ったヤツなのに、あんな死に方されると気が滅入る。……なんて言うのは卑怯だな。結果的に、俺は言いたいことだけ言って傍観決めて手は汚さなかった」

「んーん」


 大和の言葉に首を振り、絡めた腕を離した美琴はポンと彼の背中を叩いて言った。


「卑怯なわけないじゃん、あんたが」

「……」

「助けてくれてありがと。本当にうれしかったよ」

「ああ。生きててくれてよかった」

「……そういえばあたし、今生きてるんだっけ?」

「安心しろ、肉体も精神も死んじゃいないさ。地上に戻れば元通りだ」

「そかっ。へへ……」


 はにかむ美琴。

 そんな彼女を眺めながら、現世へと戻る道すじを思い描いていた大和が言葉を発しようとした瞬間――


 ベギン! と。耳をつんざく轟音がその場を蹂躙した。


「な――!?」


 前置き無く起きたその現象に大和は息を呑んだ。

 そして美琴も耳を押さえつつ、驚愕の表情で発生源を見やり、


「なに……あれ……?」


 そして瞠目し、足を震わせ戦慄いた。


 空間が、ガラスにでもしたようにひび割れていたのだ。

 それだけではない。グニャリと無理くりに螺旋状に捻じ曲げられており、やがてそれは回転しきった後に真っ黒な乱流となってこちらを見下ろしていた。


「ぐ――ッ!」


 とてつもない磁力と重力。

 まるで宇宙に蔓延るブラックホールである。


 光すら呑み込む超重力場を有するそれに等しいと思わせる乱流は、暗黒の紫電を発しながら黄泉の物質を次々と、さらには次元ごと引き千切るように全てを喰らっていく。


「俺から離れんなよ美琴!」

「う、うん!」


 大和は歯を軋らせる。

 なぜいきなりあんなものが?


 シェイクを失った黄泉がバランスを崩して崩壊を始めたのか、それとも迦具土たちによる高出力のエネルギーが次元を破壊してしまったのか。


 考えていても仕方がない。最優先すべきはこの場からの離脱。せっかく美琴を救出できたというのに、このままでは全てが水の泡となってしまう。

 耐えろ、奔れ、切り抜けろ。脳と心臓に喝を入れて十手先まで算段する。


 が、しかし――


(く――そおおぉぉおおおおッ!!)


 動けないのだ。強烈な暴風によって身動きがまるで取れない。

 足を踏み出すという一手未満の行動すら、今の大和には不可能であった。


「……ッ」


 隣を見据える。

 そこにはやっとの思いで救い出せた大事な少女の姿があった。

 呼吸を感じる。温もりを感じる。間違いなく生きてここにいる。

 神崎美琴は大和を信頼してその身を預け、委ねている。


 信じてるから、と。


「ハッ……」


 その想いを受け、大和は我知らず口の端を上げていた。


「ああ、安心してろ」


 そんな眼を向けられたなら、応えなければ漢じゃない。

 双眸滾らせ神威を燃やし、右手に意識を集中する。


「――ぶっ壊してやる」


 そしてまさに瞬間、大和が神の力を顕現しようとしたときであった。


「やれやれ。無鉄砲にもほどがありますな」

「あ……!」

「お、まえ……は……!」

「ホラこっちこっち。急いでください」


 馴染み深い、人を喰ったようなその表情、その声音。

 肩まで伸びた金髪をハタハタ躍らせながら、チェルシー・クレメンティーナが二人の手を取っていた。

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