求めた少女
「いやー、なんつーかもー、あたしも何がなんだか分かんなくてさー……」
後頭部を掻き、困ったようにあははと笑う彼女に案内された屋敷は古めかしくも、大変立派なものだ。
案内されつつ、数日ぶりだというのに大和は懐かしさを反芻する。
明るく笑うその声が、
ころころ変わるその表情が、
お日様のような暖かいオレンジの髪の色が――
記憶の中の神崎美琴そのものであったから。
廊下を歩き、横目に見える場所には大きな竈のある厨が存在している。ここでは何を食べているのだろうと思っていると、「おーい、こっちこっち」と声が掛かる。
彼女に言われるまま後に続く。着物を纏ったその後ろ姿は、腰まで伸びるオレンジの髪を何も結わずに躍らせている、久々に目にした髪型だ。
やがて、畳の匂いが広がる和室に通された。
「ここは?」
「一応あたしの部屋、ってことになってる。あ、大和に座布団出してあげて」
部屋の中に控えていた涅色の髪を伸ばし放題にした下女にそう声を掛けるオレンジ髪の彼女。
対する少女はこくりと頷き、その顔を隠した乱れ髪を揺らしつつ、ゆっくりとした動作で大和に座布団を用意して席に案内した。
どうも、と少女に礼を言う。会釈を返した下女はまたもゆっくりと、背中を丸めるようにして再び部屋の隅へと戻った。
大和はちゃぶ台を挟んでオレンジ髪の彼女の対面に腰掛ける。
「あーっと……。こ、こんなこと聞くのも変な気がするが、げ、元気だったか?」
「元気なわけねーでしょ……」
「そっすよね……」
ジト目でこちらを見やってくるため、必然的に大和は委縮してしまう。
如才無くその場を修繕させようと、辺りを見渡して会話の糸口を掴もうとする。
「この屋敷は誰のものなんだ?」
「偉い人のものでさ、たまたまあたしがこの辺に堕ちてきたからってんで、住まわせてくれてるんだ。これってあたしが可愛いからかな、でへへー」
「よく言うぜ」
鼻で笑った。「なんだよー!」という声が返ってくる。
そして、切り替えるように表情を改め、声のトーンを重くした彼女が続けた。
「さっき……竈があった昔ながらの台所を見てたでしょ?」
「ああ」
「近付いちゃ、だめだよ……?」
眦を決し、見据えてくる彼女の重圧に、大和は一滴の汗を流す。
固唾を呑み込んで見つめ返すと、「いや、べつに変な物があったり、脅かそうとしてるわけじゃなくてさ」と続けて、
「黄泉の食べ物はね? 黄泉の人たちが食べるものなの」
「……」
あはは、と。困ったように今度は頬を掻いておずおずと続けてくる。
「あの、さ。どうやったかは知らないけど、あたしを連れ戻しにきてくれたんでしょ?」
「まあな、ちょっと無茶してこっちに来た。べつに死んだわけじゃねえ」
「だね。死人特有の気配が無いもの。えへへ……、大和、優しいからね……」
顔をカクッと傾け、目尻に涙を浮かべて苦笑する。
「でも、でもね……。もうあたしは帰ることができないの」
「……あ?」
それはどういうことだと大和が聞き返す。
「黄泉で作られた料理を、食べちゃったから。もうあたしはここの住人になっちゃったの……」
正座をしたまま膝をギュウッと握りしめて俯き、肩を小刻みに揺らしていた。
シンと静まり返った和室の中で、彼女の嗚咽が僅かに響く。
それは一瞬のようで、しかし延々と続いているかのような時間であった。
「だから、さ……。あんただけでも、逃げて……。ここはとっても危険な――」
「関係ねえよ」
「……え?」
「知らねえよそんなもん。つーかそんな理屈ならここから無理やり引っ張り出して、地上の食い物突っ込んでやりゃあ元通りだろ」
放埓な物言いに、しかし彼女は口を真一文字に結んで震えだす。
「……バ、バカじゃないのあんた? そんな屁理屈が……」
「うるっせえな、黄泉の法なんざ知ったことかよ。さっさと帰ろうや」
その言葉に、「バカだねあんた……」と微笑んでから立ち上がる。
「うん、分かったよ。ありがと大和。でも、ちょっとだけ待ってて。何とか黄泉の王様に地上に帰るための許可を貰ってくるから」
「要らねえだろ、わざわざそんなもん」
「これだけは黄泉にいる以上、絶対のルールなんだよ。王様にだけは逆らってはいけないの。下手したら大和まで永久に閉じ込められちゃう。ごめん、分かって?」
「……わーったよ」
舌打ちし、浮かしかけた腰を再び座布団に沈める大和。
そして彼女は王に謁見するために部屋の奥へと足を運び、そこの襖を開け放った。
だが――
「ねえ、大和」
和室から出ていく寸前、彼女は突如として振り返る。
その、何にも縛っていないオレンジ色の長い髪を躍らせて。
「ここで待っててね? 王様に会うわけだから、あたし着替えとかもしなくちゃいけないからさ」
「…………」
だから、
絶対に、
こっちを、
「――覗かないようにしてね?」
その両目を剥くように、オレンジ髪の彼女は大和に向かって言い聞かせた。
向けられた視線を流すが如く、大和は目を瞑ってただ一言、
「ああ、分かったよ」
と、返していた。
「あははっ! あたしの裸なんて見ようとしたら、蹴り潰しちゃうからね」
「え、どこを……?」
「バーカ。……あ、痛ぅ」
「おい、どうした?」
急に身体を丸めて痛みを訴える彼女に思わず声を掛ける。
「いや、さっきも言ったけど、食べちゃった黄泉のものはあたしには合わなくってさ。ちょっとお腹痛いんだよ……」
「大丈夫かよ?」
「なんとか、ね。いいからこっちには来ないでよ」
言い残し、やや乱暴ぎみに奥の部屋へと歩むと同時に襖を閉めた。
パタン、と。やけに耳に残るその音が室内に反響した。
見届けた大和はフウッと息をつき、座った姿勢のまま両手を後ろについて軽く伸びをする。
そのまま数分。木造の天井と壁、漆黒で塗られた家具や小物を何気なく見やりながら呼吸を整える。
それから意を決したように立ち上がり、大和は部屋の隅で控えている乱れ髪の下女の許へと近付いて、
「いつまでそうしてんだよ?」
「……え?」
問われ、怯えるように大和を見上げる涅色の髪で顔を隠した少女。
「え、じゃねーだろ」
「あ、あの……、あの……」
「はあ……」
嘆息し、大和は彼女の腕を掴んで強引に立ち上がらせた。
軽い悲鳴と抵抗があったが、そんなものは気にせず告げる。
――帰るぞ、美琴。
その一言で、暴れていた少女の動きが停止する。力が抜け落ちていく。
茫然としながらも、改めて彼女がその顔を大和の方へ向けていた。
視線が――交錯した。
はらりと、少女の髪が目元から離れていたから。
さらけ出されたその顔は、他の誰でもなく、神崎美琴本人そのものだったから。
「ぁ……ぁぁ…………っ」
戦慄いて目に涙を溜める彼女を、逃がさぬよう、壊さぬよう、できるだけ優しい声音で以て大和は告げた。
「おかえり、美琴」




