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それぞれの思惑

「んー?」


 シェイク・キャンディハートの小鼻がピクンと反応する。

 墟街地きょがいちの瓦礫に腰掛け、腰まで届く金色の髪を吹き荒ぶ風に任せながら、もくもくとシュークリームをパクついている。

 猫のように背伸びをしつつ、感じ取った気配の方向へと目線をやった。


「うわ……、うっざ」


 甘いものを食べたことによる幸せそうな顔が一転、表情を歪めて不快感を露わにしつつ、手の中のシュークリームに勢いよくかぶりついた。


「んもー、口の周りにクリームが付いてるわよ」

「とって」

「全くもう、女の子ならハンカチくらい持ち歩きなさいよ」


 母親のようにシェイクの口許をハンカチで拭うのは、筋骨隆々の大男であるマッカム。

 坊主頭にサングラス、黒いレザーパンツに加え、裸の上半身が纏うのはサスペンダー。

 シェイクの身長に合わせて腰を屈めれば、筋肉で引き締まった見事な尻が突き出される。


 口を拭かれたシェイクはマッカムが付けるサスペンダーをみょーんと引っ張り、ばちーんと即座に手を放していた。


「ちょっと!? 痛いじゃないの! お肌が傷ついたらどーしてくれるのよ!」

「じゃあ体でお絵かきするね」

「じゃあの意味が分から――痛っ!? 爪で引っ掻いてアタシの身体に絵を描くのはやめなさい!」


 ガリガリガリ。

 抗議もむなしく、マッカムの脇腹に奇妙な形のミミズ腫れが形成されていく。


「……なあにこれ、ティッシュ?」

「シュークリームだっつのばーか! てゆーかもう無いの?」

「無いわよもう!」


 オカマのヒステリーが墟街地に響いた。


「それにしてもロゼの言った通りね。例の男の子、本当に覚醒しちゃったわよ」

「たいしたことないっつーの。ロゼも何考えてるか全然分かんないし。ま、生意気なバカはソッコー潰してやる」

「まーたウォルフに蹴られちゃうわよ?」

「うっさいオカマ! あー、あんたが余計なこと言うから、またお腹痛くなってきちゃったじゃない!」

「アタシに言われてもねえ。まあロゼの命令は聞いときなさい、彼らはまだ必要らしいから」


 ふんだ! と鼻息を荒くしたシェイクが小石を放り、電信柱を瓦解させた。

 自分を痛めつけた狼男に対し、憎々しげに呪詛を吐く。


「ウォルフのやつ、絶対いつか殺してやる……! 何様のつもりだっつのあのバカ」

「気持ちは分かるけどやめときなさい。あのワンちゃんにはロゼも一目いちもく……というか距離を置いてるしね」

「……」


 その言葉の意味が痛いほどに分かるシェイクは顔を顰めて舌打ちをした。

 見据えるマッカムが嘆息しつつ口を開く。


「そもそもアンタが命令違反をしたのが原因だし。そう思うわよねえチェルシー?」

「…………」


 マッカムに促された少女、チェルシー・クレメンティーナは答えない。

 沈黙と共に示されるチェルシーの意思は、中身入りのシュークリームの袋の端が握られることによって発する、ガサッという不遜な音であった。


 しかし、その態度はシェイクにとっては鼻に付く行為に他ならない。


「なに怒ってんのチェルシー。そもそもあんたのためにやってることなんだけど」

「その点では感謝してます。ですが、ロゼの指示には従わなければいけない。わたしもこれについてはウォルフと同意見です」

「だからあの女グチャグチャにしよーと思ったのを止めたわけー? チェルシーが良い子なのは分かるけどさー、もっとパーッとしようよ。……あ、まさか学校通ったからあいつらのこと好きになっちゃったり? なわけないよねー、にゃはははははははっ!」

「…………」

「ちょっとシェイク――」


 割り込もうとしたマッカムに「いいんです」とチェルシーは制止する。


「べつに……好きとかそういう間柄ではありませんでしたよ。間者スパイとしてクラスメートを演じただけ。それだけです。……ああ、でも」


『なんで……? どうして?』

『お前の顔なんか……見たくねえや……』


「当たり前のことだけど、最後に思いきり嫌われちゃった、かなぁ……」


 それはとても儚い笑みだった。

 思いに耽るように半分だけまぶたを閉じ、そのまま景色と同化するかのような薄い気配。


「……」


 シェイクの舌打ちが小さく鳴った。

 触れれば砕ける薄氷の如きチェルシーに、容赦の無い墟街地の突風と瘴気が喰いかかる。

 が、微動だにせずそれらを掻き消した彼女はシュークリームをシェイクに投げ渡していた。


「あげます、それ。ここの空気は合わないので、わたしはこれで」


 言い放って姿を消したチェルシーに対し、口をへの字にしたシェイクは乱暴にシュークリームの袋を破っていた。


「なんだっつーの! どいつもこいつもうっざいなあ! 良い子ぶっちゃって気持ち悪っ!」


 一口で頬張り、ゴミになった袋を地面に投げつける。マッカムがその袋を拾いつつ静かに言った。


「ずいぶんと気落ちしてたわねチェルシー。食欲も無かったし」

「はあー? あいつがムスッとしてたり、小食なのはいつものことじゃん」

「……もしかしたらチェルシーにも、大笑いしたりご飯を横取りする相手がいるかもね」

「きゃははははははっ! 想像できないしキモいってそんなの!」


 座りつつ、両方のサンダルの裏をバシバシと叩き合わせたシェイクが爆笑を上げる。

 それを見やったマッカムに「ちょっとは慎みを持ったら?」と呆れられるが、


「バッカじゃないの?」


 酷薄な宣告だった。


「あたしはめんどくさいことが大っきらいなの。我慢とか自制とか意味分かんない。好きなだけ殺して殺して殺しまくれば良いじゃん。あたしらは選ばれた存在、天使なんだよ」

「驕りは禁物よ? 雷の彼に足を掬われないようになさい」


 真剣味を帯びたマッカムに、しかしシェイクは歪んだ嗤いを返していた。


「じょーだん? あんなザコ、あたしの蛆の餌になるのがオチよ。ま、その前におもしろい仕掛けをしといたけどさ。チェルシーはもーっと怒っちゃうかもしれないけど、今のあいつはちょっとうざいからちょうど良いや」

「仕掛け?」


 問うマッカムに、「そーだよー」と立ち上がったシェイクが天真爛漫に伸びをした。


「――黄泉に堕としたあの女、もうあたしが壊しちゃったもん」







「さて、と」


 天に昇る巨大樹の姿が消失し、代わりに邪気が渦巻く空間が発生していた。

 大地に開いたそれはまるで大口であった。


 蠢く乱流は粘つく唾液のようで、次元を裂き割った影響で発生する雷光は尖りきった犬歯に等しい。

 こっちへ来いと、喰らってやるぞと、その悍ましい亀裂が大和を挑発して離さない。


「……はっ」


 対し、八城大和やしろやまとはその次元の穴を見下すようにめつけた。

 バチバチと、暗闇で明滅するように爆ぜる閃光が、眉間に皺を寄せた大和の顔を幾度も映し出す。

 軽く息をはいてから、紫電の走る右腕を振って、召喚した神を再び自身に内包させた。


 やけに落ち着いている。いや、灼熱する魂をどうにか押さえ込んでいると言った方が正しいか。冷淡とも形容できるその双眸で、大和は曹玲ツァオリンと視線を合わせた。


「ここを通れば黄泉なんだよな。じゃ、ちょっくら行ってくら」

「ああ、だがちょっと待て、良いものをくれてやる。……おい、逃げるな八咫烏やたがらす

「いや俺はちょっとお空に用事が――って痛っ!?」


 大和を制止する曹玲が、肩に止まる八咫烏の尾を一本毟り取っていた。

 彼女はそれを大和に渡すと同時に言い聞かせる。


「大和、今の貴様は以前とは見違えるほどの神気を発している。だが、それでもシェイクには勝てないだろう」

「……」

「目的を見誤るな。神崎美琴を救出したら、とにかく逃げて逃げて、走って逃げろ」


 眉根を寄せる大和に対し、「それでも戦う必要があったのなら」と続け、


「そのときは絶対に引くな。集中し、感じて考え、その研いだ意志を刃にして引っ張り出せ。その羽はお守りだ、持っていけ」

「ああ、すまねえな」


 一転、薄く微笑む大和。

 受け取った八咫烏の尾羽を懐に入れると次元の亀裂に目を向けた。


「私も手伝ってやりたいが、そうはできない理由があってな」

「理由?」

「ああ」


 応対する曹玲の顔面めがけ、突如奇妙な塊が飛び込んでいた。

 が、彼女はそれを難なく掴み、握り潰してそれを「こういうことだ」と大和に見せた。


「……シェイクの蛆、か?」

「そうだ。地上と黄泉との境目であるこの亀裂に、さっそく黄泉の蟲共が殺到している。今現在地上に蔓延る魍魎とは違い、こいつらは人間を餌にするほど凶暴だ。放っておけば死体がネズミ算式に積み上がるだろう」


 だからこそ、曹玲がこの場所から離れるわけにはいかないのだ。


「私はここで雑魚を一掃した後、この穴を再び封印する。黄泉から脱出するときは、向こう側から同じ場所に神気をぶつけて戻ってこい」

「了解。いろいろサンキュな、曹玲」

「気にするな。私とて、太陽の光が恋しいさ。その陽光を求めれば、神崎もそこにいるはずだ。よし、行ってこい! お前の彼女を待たせるのもここまでだ」

「……家族だっつの」


 顔を背けた大和が小さく呟き、それから勢いよく地面の割れ目に飛び込んでいった。

 石を水面に投げ込んだように、狭間から黒い波動が柱となって伸び上がる。


 見届けていた曹玲は苦笑し、八咫烏が「年下茶化すなよなー」と、ちょっかいを入れていた。

 ごまかすように曹玲が大きく息をつく。


「……うーむ、どうにも奴はからかいやすくてな」

「お堅いお前さんが珍しいねえ」

「ま、そんなことはどうでも良い。それより、さっきの雷光……」


 八城大和に雷の神がいるということは聞かされていた。事実、彼は今しがたその神威を迸発させたのだ。


「私は大樹を『割れ』と言ったのだがな……」


 言って、大和が旅立った地点を見据える。

 そこに断ち割られた巨大樹は存在していなかった。

 足元に転がる炭クズを拾うと、それはすぐさま風に溶ける。そのような残骸が辺りにいくつも散らばっているだけ。


 そう、大和の神威はあの大樹を粉々に砕いていたのだ。

 未だにその残滓が夜闇を蝋燭のように照らし、焦げ付く臭いが鼻孔を刺す。


 甚大極まる威力であった。大和の右手から爆発したいかずちは、対象を物の見事に引き裂いていた。飛び火した紫電は数分間辺りの植物を焼き、土の中へと走り去る。

 けれど、その雷は生気となって自然に影響を及ぼし、やがて新芽の息吹が芽生えるだろう。


 雷とは、自然界において様々な現象を引き起こす活力の源だ。

 その轟音と閃光はまさしく神の業に等しく、雷速の稲光は見る者を竦ませる。


「確かに目を見張る威力だが、正直今の奴には有り余る。それに、あれは一体……」


 口を真一文字にして思索する。


 大樹を砕いた青白い閃光に、寸毫だけ赤い稲妻が発生していたことを曹玲は見逃さなかった。

 瞬間的に瞠目し、そして……寒気すら覚えた。

 まさか、大樹を木端微塵にしたのはあの赤い光の仕業だというのか。


「…………」


 手のひらを見やれば、じっとりと汗が滲んでいた。

 舌打ちし、うなじに張り付くポニーテールをサッと払う。


「お前はどう思った、八咫烏」

「眩しさと煩さで目ぇ瞑ってたから知らねー」

「……聞いた私が馬鹿だった」


 はあ、と嘆息する。

 次いで、闇の中から飛来してきた注射器を弾き砕いていた。


「お見事」


 言葉と同時に拍手をして現れる白衣を纏った一人の女性。

 こめかみにKの印を刻み付け、無表情に曹玲に目を向けている。

 だが、つまらん世辞など要らんとばかりに、曹玲はその女性を睥睨した。


「くだらん。天華てんげ玩具おもちゃが何の用だ?」


 大アルカナの怪天群かいてんぐん

 それぞれの至高のセフィラを繋ぐ、二十二の天使が一人。

 その彼女は蠢く穴を見つめて言い放った。


「彼は、黄泉へと旅立ったようですね」

「なに?」

「ロゼネリア様はおっしゃいました。あなたの役目も終わりだと」

「ほう」

「以前のあなたは天使として輝いていらっしゃいました。怜悧で鋭く、研ぎ澄まされた氷のようなあなたはとても美しかった」


 ですが、とロゼネリアの診療所で働いていた女性――カフは続ける。


「今のあなたは腑抜け切ったなまくらです。かつての猛獣の如き双眸は、まるで子猫のようではありませんか。ロゼネリア様とあなたを対のセフィラとして繋いでいた自分が情けなく、恥とすら思えます」

「それで? 一体貴様はどうするつもりだ」


 決まっているでしょうと、カフは諸手を広げて宣告した。


 ――繋錠光輪けいじょうこうりん


 刹那、森に爆風が迸り、洪水のように神気が一帯を浸食する。

 軋み、悲鳴を上げる木々。地面が揺れ、土が粉塵となって巻き上がる。

 同時に黄泉とを繋ぐ亀裂から、大量の瘴気と巨大な蛆が間欠泉の如く噴出した。


 そして、カフの頭上に暗闇を掻き消す白金の輪が顕現されていた。


「あなたを殺害します。私自身、あなたと同じ空気を吸っていることが我慢なりません。天使化したのは、死にゆくあなたを浄化するためのせめてもの慈悲です」

「哀れな奴だ」

「……何を言っているのです? 哀れなのはあなたの方だ。つまらない神に唆され、マッカム様に粛清され、抜け殻に等しい脆弱なあなたに生きる価値は無い!」


 天使化したカフの謗言ぼうげんが曹玲に飛び掛かる。

 だが、曹玲は先ほどから身じろぎ一つしていない。ゆったりと、静かに呼吸を続けるだけだ。


「なんですかその態度は。虚勢を張るのはよしなさい。それとも、恐怖で感覚がおかしく――」

「もういい」


 途絶させる。目を絞ってカフを射竦める。


「ロゼネリアめ、くだらん真似を。とことん狡辛こすからい女狐だ。そんなに私の力が知りたいのなら、とことん刻んでやるさ」

「何……を……」


 異常な重圧であった。漆黒のポニーが怒髪のように天を衝く。

 光輪を呼び出し、天使となったカフがそのプレッシャーで動けない。


「今の私は少々気が立っている。それに、貴様の発する血の臭いがひどく不愉快だ」

「――!?」


 腰を屈めた曹玲が、刀にでもするように左の腰に握った右手を置いていた。

「死ね」と一言。起爆したその神の右手を疾走させた。


 ――帛迎はくげい


 それはもはや神閃しんせん。神による薙ぎ払い。


 悪逆な存在は全て息を呑む間も無く消滅していた。

 地下世界の瘴気や蛆も、光輪を携えた堕天も細胞一つ残っていない。

 静寂が戻った森の中、神気を消した曹玲が吐き捨てる。


「何が繋錠光輪だ。貴様ら模造の天使化など、セフィラを持つ連中に比べれば児戯以下だ」


 だが、と曹玲は眉間にしわを刻む。

 黄泉の主、シェイク・キャンディハートはその第十マルクトのセフィラを有する十天じってんの一人。


「死ぬなよ、大和」


 黒い次元を射抜き、曹玲は静かに感情を零す。


 そして――遠く離れた東京では、ロゼネリア・ヴィルジェーンの唇が吊り上がっていた。

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