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涙の味のお米  作者: ストレッサー将軍
第3章 『別れ』
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第23話 幸せな絵


 共同生活十二日目。

 この日、私とミセスブラウンとトモちゃんは、まさきくんが置いて行った川端夫妻の似顔絵を届けるために病院に向かった。


「ミセスブラウンは二日酔い、大丈夫なんですか?」


 私はまだ酒臭いミセスブラウンのことを少し煙たく思っていた。


「あれ? もしかして私まだ酒臭い? ごめんねぇ。昨日しこたま酒のんだからさ。まだ少し酒残ってんのよ」


 ミセスブラウンは妙に高いテンションでヘラヘラ笑っていた。



 昨日夜は大変だった。半田さんが急に「酒飲むぞ!」と言って、みんなで酒盛りをすることになったのだ。私はとてもそんな気分にはなれなかったのでトモちゃんと一緒に烏龍茶を飲んだ。そんな私達を尻目にミセスブラウンと半田さん、高畑さん、トーマスの四人は飲めや歌えやの大盛り上がりだった。

 この四人も最近色々なことがあって鬱憤がたまっていたのだろうと思い、私はしょうがないという気持ちで四人に付き合った。

 その結果、今朝は私とトモちゃんとミセスブラウン以外はグロッキー状態だった。


「それにしても、ブラウンさんはお酒強いんですね。昨日あれだけ飲んだのに」


「ふん、あれくらいでグロッキーになる男達が情けないのよ」


 ミセスブラウンは酒臭い鼻息をフンフン鳴らしていた。




 そんなこんなで病院に到着し、私とエミちゃんは川端夫妻のいる病室へと向かった。ミセスブラウンは先に担当医にあいさつをして来ると言い、医師の元へと向かった。


「ブラウンさんって、意外に常識人ですよね」


 トモちゃんはそう言っていたが、私は違うと思っていた。ミセスブラウンはイケメンの医者に会いたかっただけだ! 私はそう推測していた。


「安二郎さん、つる子さん、こんにち……わ?」


 病室の扉を開けて、私は困惑した。病室には知らない人がいた。


「すいません、間違えました……」


 私は病室を間違えたと思い、すぐに部屋を出て表札を確認した。


「302号室であっているよね?」


「はい、確かこの病室だったと思うんですけど……。病室変わったんですかね?」


 私たちが困惑していると、ミセスブランが地響きをたてて走ってきた。


「大変! 大変よ! 川端夫妻、違う病院に移動したって!」


「え! ほんとですか!?」


「マジよマジ! 何でも、癌専門の病院に移動したらしいのよ」


「……そんなぁ」


 私はサヨナラも言わずに川端夫妻が違う病院に行ってしまったことを悲しく思った。やっぱり川端夫妻にとって私はただの他人でしかなく、親しく思っていたのは私だけだったのかと思うと、余計に悲しかった。


「どこの病院に移ったんですか?」


 トモちゃんもまた、憤りを感じているようだった。


「それが、『私たちに教えないで欲しい』と言われたらしくて、あのイケメンのお医者様は教えてくれなかったわ。詰め寄っても『守秘義務ですので……』の一点張りだったわ」


「そうです……か……」


 私たち三人は落胆した。


「じゃあ、せめてまさきくんが残した似顔絵だけでも渡してもらえるように頼みに行きましょうよ」


 トモちゃんが無理に明るい口調でそう言った。


「……そうだね。この似顔絵を見たら川端夫妻もきっと元気になるものね」


 私はまさきくんが描いた、笑っている川端夫妻の絵を見て「何て幸せな絵だろう」と思った。これだけは渡さないとダメだ、そう強く思った。


「わかった。私が渡しておくから。その絵かしなさい」


 そう言うとミセスブラウンは私の手からむしり取るように絵を奪った。


「ちょ、ちょっと」


 私の制止を振り払い、ミセスブラウンはイケメンの医者の所へと走って行った。そんなにイケメンと話したいのか! このデブ! イケメンのお医者様はお前のことなんか女として見てねぇぞ! 

 私は心の中でミセスブラウンに悪口を言った。


 なんだか残念な形になってしまったけど、これが川端安二郎さんと川端つる子さんとの『別れ』だった。





 私達は十二時前には病院を出て、アパートに戻った。アパートに戻るとまだ半田さんと高畑さんが居間で寝ていた。


「酒クサ!」


 アパートには異様な臭いが漂っていた。外から帰ってきたばかりなので敏感にその臭いを感じ取ることができた。ふと、半田さんを見ると、カツラがずれていた。


「半田さん! いつまで寝てるんですか! 仕事はどうしたんですか?」


 私は半田さんの頭を蹴飛ばし、カツラの位置を直してあげた。


「イデ! ……もっと優しく起こせよなぁ……」


 半田さんはゆっくりと起き上がり、ダルそうに欠伸をした。


「半田さん、今日仕事は?」


「……大丈夫、当分は仕事休むから」


「え!? どういうことですか?」


 あんなに仕事熱心だった半田さんが何故?


「有給だよ。たまった有給はこうやって一度に溜めて発散するんだよ。精子と同じさ。溜めてから一気に出すんだよ」


 半田さんはそんなセクハラ発言をしながら寝室に移動した。


「半田サイテー」


 ミセスブランが半田さんに向かってそう言った。私とトモちゃんも激しく賛成した。


「ところでトーマスは? 見当たらないけど?」


 煩雑とした部屋にトーマスの姿は無かった。


「またどっかほっつき歩いているんでしょ。腹空かしたら帰って来るわよ」


 ミセスブラウンはまるで犬のようにトーマスを扱っていた。


「おい! 何か置手紙みたいのがあったんだけど」


 寝室から半田さんが戻ってきた。


「もしかして、トーマスの? 私たち宛て?」


 私はトーマスも別れを言わずにどこかに行ってしまったのでわと思い、悲しくなった。


「……いや、違うみたいだ。母国の家族への手紙みたいだぞ」


 私達はトーマスが置いていった手紙を見た。


『Dear my wife and my son

sorry,sorry,sorry,sorry,sorry,sorry,sorry,sorry,sorry,sorry,sorry,sorry……

Please forgive me,Please forgive me,Please forgive me,Please forgive me……』


「何だこれは? これが家族に送る手紙か?」


 小さな便箋いっぱいに、まるで塗りつぶすように書かれた「sorry」と「forgive me」の文字。それは愛溢れる家族への手紙とは言いがたく、むしろ何かにおびえているようで、狂気染みていた。


「……ほんとは内緒にしておこうと思ってたんだけど、仕方ないわね」


 意味深なセリフを言うとミセスブラウンは床下収納の扉を開けて、そこから少し大きめの正方形の箱を持ってきた。まさか、その中にヘソクリが!? 私はそんなことを考えてこれから来るであろう精神的ストレスを軽減しようとした。きっとこれは無意識の防衛反応に近かったと思う。


「これ、トーマスが今まで書いた手紙」


 箱の中には二十通くらいの便箋が無造作に置かれていた。


「トーマスに手紙を出してきて欲しいと毎回頼まれてたんだけど、出すたびに戻ってくるのよね。それで、おかしいと思って手紙を開けて見たの。そしたら、その手紙と同じように、異様な内容の手紙ばかりだったわ」


 ミセスブラウンの言うとおり、他の手紙もsorryやRegret,Despair,Apology,forgive meなどの謝罪や負の言葉によって埋め尽くされていた。


「それで、詳しく調べてみたの。そしたら……」


 ミセスブラウンはタラコの様な重い口を開こうとした。そのとき、


「タダイマカエリマシター」


 トーマスが、帰って来た。


「ドウシマシタミナサン? ソンナニコワイカオシテ、エミサンシワフエチャイマスヨ」


 余計なお世話だ! ……と突っ込む気にはなれなかった。


「ちょうどいいわ、トーマスあんたに聞きたいことがあるの。正直に白状しなさい。いいわね?」


 ミセスブラウンは威圧的な態度で話を続けた。


「これ、あんたが書いた手紙」


 ミセスブラウンは便箋の束をトーマスに見せた。

 

「アレレレ? チャントテガミダシテクレテナカッタンデスカ?」


 トーマスは少し怒った口調でそう言った。


「送っても送っても、戻って来るのよ! それで調べたら……あんたの奥さんも、子供も……もう、死んでいるっていうじゃないの……私、ビックリしたわよ! おかげで寿命縮まったじゃないのよ! どうしてくれんの!」


 ミセスブラウンは何故か後半、理不尽にキレた。


「…………」


 トーマスの顔が急に暗くなった。いつものおちゃらけているトーマスは、もうそこにはいなかった。


「sorry……」


 トーマスは小声で「sorry」と呟くと、アパートから走って逃げだした。


 これが、トーマスとの『別れ』だった。






 総勢九人が生活していた小さな部屋。最初は狭くて窮屈だった。けれど、今では四人がいなくなり、だいぶ広くて快適だった。でも、広くなった部屋とは裏腹に、私の心は狭くなった。心は不思議だ。たくさんの人が心の中にいるほうが広くなる。その逆に、一人でいるとどんどん狭くなってしまう。私は多くの別れを経験し、狭くなった心に押しつぶされそうだった。でも、まだがんばれた。踏ん張れた。それは、まだ私の周りには素敵な人達がいてくれたから。それに、私がこれから味わう『絶望』に比べたら、『別れ』などというものは一過性のものであり、たいしたことではなかったから。


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