第22話 デスペアー・フェイス殺人事件
「エミさん! ただいま!」
共同生活十一日目の朝。
飛び切り元気なトモちゃんが帰って来た。
「おかえり」
私は詳しく聞かなかったが、どうやら川島パパとの話し合いはうまくいった様子だった。
「はい、これお土産」
トモちゃんは両手いっぱいのお土産を持ってきていた。
「パパにみんなのことを話したら、これ持って行けってたくさんお土産くれたの。パパ忙しいから今は無理だけど、事態が落ち着いたらあいさつしに来るって。私、パパの新潟での仕事が終わるまで、今までどおりここでお世話になるから。それまでよろしくね」
「わぁ! それは良かった。もしかしたらあれでサヨナラかと思っていたから……」
「あんな血生臭いサヨナラ、私も嫌です」
トモちゃんは笑っていた。私はその笑顔はこれからいくらでも見ることができる数多の笑顔の一つだと思っていた。これから先も、トモちゃんのこんな素敵な笑顔に出会えるのだと思っていた。
「それじゃトモちゃん、あんまり無理しないでね。行ってくるね」
数分間トモちゃんと雑談した後、私は図書館に向かった。実は、拝田刑事と待ち合わせなのだ。昨晩、
『明日手伝って欲しいことがあります。明日の朝、図書館にて待つ』
というあじけない文面のメールが拝田刑事から届いた。正直、気乗りはしなかったがトモちゃんの件で協力してもらった手前、断ることはできなかった。
「やあ、エミさんおはようございます。お待ちしていましたよ」
図書館に入るとすでに奥の勉強机に拝田さんが座っていた。拝田さんの顔はまだ青アザだらけで腫れが引いていない様子だった。
「あ、おはようございます。それで、私は何を手伝えばいいんでしょうか……」
私は刑事の手伝いとは何だ? と昨日から考えていた。どこかの組織に潜入捜査するとか? それとも張り込みの手伝いとか?
私はいろんなことを妄想し、少しワクワクもしていた。
「でわ、早速。まずはこの資料を二階の会議室に運んでください」
「資料?」
よくよく見てみると机の上にたくさんの資料が山積みされていた。
「これを、全部運ぶのですか? 二階に?」
「はい。二階の会議室を借りていますから、そこに運んでください」
この図書館の二階には会議室と名のつくフリースペースがあり、予約を入れれば誰でも借りることができるらしかった。
「はぁ……わかりました……」
私は正直、あまりに地味なお手伝いに少しガッカリしたが、とりあえず言われたとおりに資料を二回に運ぶことにした。
「ふぅー、終わったぁ!!」
二十分後、ようやく全ての資料を会議室に運び終えた。それなりの重量のある資料を何度も階段を往復して運んだため、足腰がかなり疲れた。
「さて、次は……」
拝田刑事は休む間もなく次の指示を出してきた。
「ここにある資料に目を通してもらって、その中の毒薬の名前が書いてあるところにマーカー線を引いてください」
拝田刑事はイスを引き、ここに座れと目で合図した。そして、山のように積まれた資料を指差してそう言った。
「これ全部に目を通すんですか?」
「はい、そうです」
「私、毒薬の名前なんて知りませんよ」
「大丈夫です。ここに『毒物・毒薬物・一般薬の危険な副作用一覧表』を作っておきましたから、これを参照してください」
そう言うと拝田刑事はA4用紙十枚くらいにびっしりと書かれた『毒物・毒薬物・一般薬の危険な副作用一覧表』を渡してくれた。
「それじゃ、お願いします。私は他にやるこがあるので、少し席をはずしますね。夕方までには戻りますから」
そう言うと拝田刑事は会議室から出ていった。
「え、ちょちょっと……。しょうがない、やるかぁ……」
私は観念し、資料を手に取り作業を始めた。私が手にした資料の冒頭には『デスペアー・フェイス殺人事件』という文字が書いてあった。他の資料にもこの文字は多く見受けられた。もしかして、ここにある資料全てがこの事件に関する資料なのだろうか?
たった一つの事件にこれだけの資料があることに私は驚いた。
「はぁー……疲れた。それにしても、この事件はいったい……」
私は黙々と作業を続け、気がつくと午後三時を過ぎていた。最初のうちは資料の文面などほとんど気にせず、機械的に毒物の名前だけを探して線を引いていた。それでも、数を重ねるとなんとなく『デスペアー・フェイス殺人事件』の輪郭がおぼろげに見えてきた。
『デスペアー・フェイス殺人事件』、日本語訳すると『絶望の顔殺人事件』。この事件は今から二十年も前に起きた事件で、未解決のまますでに迷宮入りしていた。
この事件には唯一つ共通点があった。それは、被害者はみな『絶望した顔』で死んでいたということだった。
普通、どのような死に方でも死人の顔は筋肉が緩むので穏やかな顔になるそうだ。しかし、この事件の被害者はみな、死ぬ前の絶望があまりにも強く、死後もその顔が変わることはなかったという。それ以外は被害者の性別や年齢、場所や次期、殺害方法や死因など、全てにおいて決定的な共通点が見当たらなかったという。その事件性から、確実に同じ犯人によって行われた犯行は九件とされているが、おそらく二桁を超える人が実際には犠牲になっているとされている。また、たまたま絶望した顔で死んだ人が複数いただけで、この事件に共通の犯人などいないのではないかという見解もあり、当時の捜査は難航した……。
これが『デスペアー・フェイス殺人事件』の概要だった。
私は『デスペアー・フェイス殺人事件』について考えながら少し休憩をとり、再び作業を始めた。
「うげぇ! 何これ!?」
休憩後私が目にした資料には死体の写真もあり、途中気分を害しながらも作業を続けた。私が見た写真に写っていた死体の顔は確かに『絶望』していた。肉体だけではなく心まで死んでいる、そんな顔だった。
「エミさん、お疲れ様です。終わりましたか?」
午後五時を少し過ぎた頃、ようやく拝田刑事が会議室に戻ってきた。
「終わるわけ無いじゃないですか! こんなにたくさんの資料!」
私は少し怒り口調で怒鳴った。すると、
「あのー……ここは図書館なのでお静かに……この前も言いましたよね?」
すぐに気の弱そうな男性職員が会議室にやって来て、ネチネチネチネチネチネチと注意してきた。胸糞悪かった。
「……ほんと気をつけてくださいね。お願いしますよ」
数分後、ようやく気の弱そうな男性職員は会議室から出て行った。
「あの男、絶対に童貞ですね」
拝田刑事は気の弱そうな男性職員がいなくなったのを確認するとそんな悪口を呟いた。私も拝田刑事の意見に激しく賛成した。
「ところで、どれくらい終わりましたか?」
「あぁ、えーっと三分の二くらいですかね」
私はチェック済みの資料の山を指差して答えた。
「おお、素晴らしいです。一日でこれだけできれば上出来ですよ」
拝田刑事は私に労いの言葉をくれた。
「ところで『デスペアー・フェイス殺人事件』って、いったい……」
私は以前に『デスペアー・フェイス殺人事件』の話をした時の拝田刑事の怖い顔を思い出し、少し躊躇しながらたずねた。
「……そうですね、少しお話しましょうか。『デスペアー・フェイス殺人事件』について」
拝田刑事の顔つきが変わった。以前見せた顔より怖くはなかったが、それでもその瞳からは強い怒気が感じられ、私は少し緊張した。
「エミさんもこれだけの資料に目を通したのなら、だいたいの内容はもうわかっていますよね?」
私は拝田さんの目を直接見ることができず、わざと視線を外す様に頷いた。
「この事件は、その名の通り被害者がみな絶望の顔で死んでいたという共通点を持つ事件の総称です。そして、今からおよそ二十年前、私が京都警視庁に勤務していたときに担当していた事件なんです。当時、京都では九人が犠牲になりました。その内の一人は、私の息子でした」
拝田刑事は強く下唇を噛んでいて、真紅の血が滲んでいた。
「息子は結婚し、子供が生まれたばかりで、幸せの絶頂でした。そんな息子が、絶望した顔で発見されました。その顔は葬式中も、さらには火葬する直前まで絶望に満ちていました。私は息子の絶望した死に顔を見たとき、復讐を誓ったんです。必ず、犯人を捕まえる、そう誓ったんです。そして、二十年間ずっと捜査を続けてきました。そして、ついに犯人を特定したんです。さらに、その犯人が新潟にいることも」
拝田刑事はそう言うと一枚の写真を私に見せてくれた。
「こいつです。エミさん見たことありませんか?」
拝田刑事が見せてくれた写真には、私の知らない細身の女性が写っていた。私は首を横に振った。
「そうですか……。当時百人近くいた容疑者の中から、ようやくこいつにたどり着いたんですがね。逮捕まではまだまだ時間がかかりそうです。それまで、私の寿命がもてばいいんですがね」
拝田刑事は「ハハハ」と笑っていた。目だけは笑っていなかった。
「…………」
私は何と言葉をかけて良いのかわからず、沈黙した。
「すいませんね、暗い話で。ハハハ」
拝田刑事は私の心中を察したのか、いつもの顔で優しく声をかけてくれた。
「さぁ、今日はもう帰りましょう。本当にありがとうございました。車で来ているので、送っていきましょう」
私は帰り支度をし、お言葉に甘えて拝田さんにアパートまで送ってもらった。
「送っていただきありがとうございました」
私は拝田さんにお礼を言い、アパートに入ろうとした。
「あ、そうだ。エミさん、これどうぞ。今日手伝ってもらったお礼です」
そう言うと拝田さんはかわいらしいネコキャラクターの携帯ストラップを私にくれた。
「わぁ! きゃわいい!!」
私はとてもかわいらしいネコのキャラクターに心を奪われた。
「喜んでもらえましたか? 何でも『にゃんにゃん』という名前のキャラクターらしいですよ。もしよかったら携帯に付けてあげてください。それじゃ」
拝田さんはそう言うと、エンジンを吹かして帰って行った。『にゃんにゃん』か……きゃわいい! 私はすぐに携帯に『にゃんにゃん』を取り付けた。
「あ! 着信が二十件も入っている! ミセスブラウンとトモちゃんからだ……何があったんだろう?」
携帯にストラップをつけるときに、私は着信があったことに気がついた。図書館でマナーモードにしていたから全然気がつかなかった……。私は嫌な予感がしたのですぐにアパートに戻った。
「ただいま……?」
私がアパートのドアを開けると、そこには見知らぬ女性がいた。その女性は小柄で細身の体をしていて、髪は肩よりも長くソバージュヘアーだった。オマケに化粧がむちゃくちゃ濃く、口紅はやけに赤かった。年齢は四十前後に見えた。
「エミちゃん! あんたどこに行っていたの!! 携帯でなさいよ!」
開口一番、ミセスブランに怒られた。
「でも、間に合ってよかったわ。ほら、あんたもお別れの言葉をかけてやんな」
お別れの言葉? 誰に? 私はキョトンとした。
「エミねえちゃん……」
突然、扉の影に隠れていたまさきくんが泣きべそをかきながら私に抱きついてきた。
「え、え!? ちょ、どういうこと! え、ええ!?」
私はわけがわからなかった。
「あんたがいない間に、まさきの母親が来たのよ。そんで、まさきをつれて帰るって。だから、今日でまさきとはお別れよ」
うそ……。私はいつかまさきくんともサヨナラする日が来るとは思っていたが、こんなにもはやくその日が来るとは思っていなかった。
「ほら、まさき帰るよ」
まさきくんの母親らしき女性は無愛想にそう言うと、まさきくんの手を乱暴に引っ張りアパートから出て行った。
「あ、ああ……」
私は何か言わなきゃ! と思い、必至で言葉を探した。
「また! また会おうね!! それまで、それまで元気でね!!」
別れの間際にこんな陳腐な言葉しか思いつかない自分が嫌いだ。私はそんなことを思いながら見えなくなるまでまさきくんに手を振った。まさきくんも服の袖をまくり、私に向かって大きく手を振ってくれた。
これがまさきくんとの『別れ』だった。




