第21話 過激なファイティング
共同生活十日目の夕刻。
私はトモちゃんと一緒に、アパート近くの図書館に向かった。
「やあ、エミさん。こんにちは。そちらが川島くんの娘さん? あんまり似てないね」
すでに拝田刑事が図書館前のベンチに座って待っていた。
「拝田さん、今回はほんとにありがとうございました。ところで川島刑事は……?」
「ちょっと遅れるみたいなんだ。川島君今忙しいからね。でも安心して、絶対に来るって言っていたから」
「そうですか、わかりました。トモちゃん、座って待っていよう」
私とトモちゃんは拝田刑事の隣に座り、川島刑事を待つことにした。ベンチに座り、ふと前を見ると、真っ赤な夕陽が浮かんでいた。少し高台にあるこの図書館前のベンチから見える町並みはありきたりな風景だった。でも、そんなありきたりの町並みに夕陽の赤色が差し込むと、なんだかいつもと違う町並みに見えた。
この広大な景色を一瞬で『赤』という強烈な色に染めてしまう夕日。私もこの夕日のように、彼の心を私色一色に染めることができたらなぁ……。
私はそんなことを考えながら、川島刑事が来るのを待った。
「拝田先輩、いったいなんの用なんですか! 私は今『新潟ビル崩壊事件』の捜査で忙しいんですよ!!」
三十分くらい経った頃、テレビ越しに何度も見たことのある川島刑事が少し怒った様子でやって来た。
「これからまた会議があるんですから手短…………なんで友子がここにいるんだ?」
川島刑事はハトが豆鉄砲食らったような顔をして驚いていた。しかし、さすがわ敏腕刑事。すぐに状況を理解し、いつもの凛々しい顔に戻った。
「……拝田先輩、あなたという人は相変わらずお節介な人ですね」
「褒めても何も出ないぞ」
「褒めていません! 皮肉を言っているんです!」
拝田刑事は「ハハハ」と笑っていた。
「友子……」
川島刑事は急にトモちゃんの方を向き、名前を呼んだ。私は思わず手に汗握った。
「悪いが今はお前にかまっている暇は無い。とりあえず、何で家出したお前がここにいるのか知らんが、そういったことも含めてまた今度家でゆっくり話し合おう」
川島刑事は一方的に話すと背を向け、トモちゃんの話も聞かずに帰ろうとした。
「パパ待って! パパ! 私の話を聞いて! 『また今度』じゃダメなの。今じゃなきゃダメなの!」
トモちゃんは川島刑事の背中に向かって必至に叫んだ。しかし、川島刑事は振り返らず、どんどん遠ざかっていった。
「うぅ……パパぁ……」
ついにトモちゃんは泣き出した。それでも川島刑事は立ち止まろうとしなかった。川島パパ、いくら忙しいからってそれは酷いんじゃないの!?
私は最初、トモちゃんと川島パパのやり取りに口を一切挟まないつもりだった。私が間に入ってはいけないと思っていたから。でも、もう我慢できない。私はベンチから立ち上がり、川島刑事の背中にドロップキックの一つでもお見舞いしてやろうと思い、屈伸運動をして走り出そうとした。
しかし、すぐに拝田刑事に止められた。拝田さん! あんたも所詮刑事か! 血も涙も無い国家の犬か!
私の中で拝田刑事の株が大暴落を起こしたとき、拝田刑事が口を開いた。
「川島!! 『いつでも弱者の見方であれ、女子供を泣かせるな』と何度も口スッパク言い聞かせただろ! もう忘れちまったのか!」
拝田刑事の怒鳴り声を聞いて、川島刑事はようやく立ち止まった。そして振り返り、拝田さんに負けないくらいの大声で怒鳴った。
「いつまでもそんなことばっかり言っているからあんたは出世しないんだよ! 拝田さん、俺はたくさんの人を守りたいんだ! 例え目の前で泣いている子供を犠牲にすることになっても!」
普段の冷静な顔からは想像できないような怒り顔を川島刑事はしていた。
「お前が守りたいのは人じゃねぇだろ! 自分の地位や権力だろうが! いつからそんなつまんねぇ男になったんだこのやろう!」
先に手を出したのは拝田刑事だった。初老とはいえ、体重の乗った右ストレートには、まだかなりの威力があった。
「うるせぇ! あんたは現実を見ていないんだ。地位がないと弱者を守れないんだよ! 権力がないと何もできないんだよ!」
すぐに川島刑事も殴り返した。川島刑事の口もとにはすでに薄っすら血が滲んでいた。
「うらぁ!」
「おらぁ!」
大人の男性刑事二人の喧嘩は、いつぞやのへぼサラリーマンとへぼミュージシャンの喧嘩と違って荒々しく、血生臭いものであった。
「うらぁ!」
「おらぁ!」
二人の目は完全に血走っていて、正直怖くて、何もできなかった。警察を呼ぼうにも喧嘩をしている張本人たちが刑事なのだから、どうしようもなかった。せめてトモちゃんだけでもこの場から非難させよう、そう思ったが
「うぅううう……」
トモちゃんは相変わらず泣き崩れていて、抱えて連れ出すのは無理だった。…………よし! あきらめよう! こんな過激なファイティング見られるチャンスなんてそうそうないんだ。せっかくだから楽しもう! レッツポジティブシンキング!!!!
私は完全に頭の許容量を超えた事態を前にあきらめることを選択した。
「うぉおおおら!!」
いいぞ! ナイス川島! 今のはポイント高いぞ。
「ぐらぁああああ!!!」
おお! 拝田もいいぞ! 今のフックは相当効いているみたいだぞ!
……そんな感じで二人の男は数十分殴りあった。そして、夕陽が水平線に完全に沈んだ時、ついに決着の刻を向かえた。
「おら!!」
「ドスン!!!」
「ぐぅうう……」
最後に見事な一本背負いを決めたのは、拝田刑事だった。
「ジョー! 立つんだジョー!!」
完全にエキサイティングしていた私は、仰向けになって倒れている川島刑事に向かってそんなエールを送った。しかし、川島刑事は立ち上がろうとはしなかった。
「はぁ、はぁ、はぁ……先輩は徒手格闘技よりも柔道の方が得意でしたよね? はぁ、はぁ……なんで、最初から投げ技使わなかったんですか?」
「バカやろう、後輩に本気出すバカがいるかよ」
鬼のような形相で争っていた二人の顔が、いつの間にか笑顔になっていた。これが噂の『喧嘩したら仲良くなる』という男の友情か!? いまいち理解できないな。
「娘の話くらい、聞いてやんな」
拝田刑事は優しい口調でそう言うと川島刑事の手を取り、起こしてあげた。
「……ほんとは、怖かったんです。娘の口から私の聞きたくない言葉が出てくるのが。これでも刑事ですからね、娘の様子を見ていたら、なんとなくわかるんですよ」
川島刑事は拝田刑事の肩に手をかけて立ち上がり、本音を独り言のように呟いた。
「友子、今日はパパと一緒にホテルに泊まろう。ほら、行くぞ」
川島刑事はそう言うとすっかり泣き疲れているトモちゃんを軽々と持ち上げ、おんぶした。
「うん、わかった」
トモちゃんは鼻を啜りながら子供のようなかわいい声で頷いた。
「おいおい、スーツに鼻水つけないでくれよな」
川島パパは刑事の顔ではなく、父親の顔で笑っていた。トモちゃん、良かったね。これで無事に赤ちゃんのこと、パパと話し合えるね。私は目頭が熱くなって、思わず泣きそうになった。でも、「今泣いたら化粧崩れちゃう」と思った私は泣くのを必至に我慢した。しかし、「夕陽も落ちて暗くなってきたから誰にも見えないかな」と思い直し、結局泣いた。
「友子ちゃん、その男は器のでかい男だ。どんな話でもちゃんと受け止めてくれる強い男だ。だから、安心して話し合いなさい」
拝田刑事は最後にそう言って川島親子を見送ると、「イテテテ」と呟きながらその場に腰を下ろした。
「大丈夫ですか?」
私はすぐに拝田刑事のもとに駆け寄った。このとき、私の中で拝田刑事の株が急上昇していたことは言うまでも無い。
「いやぁ、見苦しいところを見せてしまいましたね。いやはや、この年で喧嘩なんかするものじゃないですね……イデデ!」
拝田刑事はアザだらけの顔で笑っていた。
「そうですね。でも、かっこよかったですよ。特に最後の一本背負いはお見事でした」
私が拝田刑事とそんな雑談をしていると、気の弱そうな図書館の職員らしき男に声をかけられた。
「あの……もう喧嘩終わりましたか? 一応ここ図書館の前なんで、もうやめてくださいね。他の利用者の方に迷惑ですし。そもそも、今どき喧嘩なんてはやらないと思いますよ。しかも良い大人が。今回は警察呼びませんでしたけど、こんどまた喧嘩するようでしたら警察に連絡しますからね。それに……」
気の弱そうな図書館職員がネチネチネチネチと私達に文句のようなお説教をしてきた。私達は図書館前でうるさくしたことを反省し、深く頭を下げて陳謝した。
これが、トモちゃんとの暫しの『別れ』だった。




