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涙の味のお米  作者: ストレッサー将軍
第2章 『共生』
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第13話 夕夜、アパートにて


「なんだよ、おっさん!」


「若造が、調子に乗るなよ!」


「アイスルツマヘ。ゲンキデスカワタシハゲンキ……」


「なんだと! この野朗!!」


「なんだ、やるのか若造!!」


「ムスコヨ、パパハオマエニアエナクテサミシイデス……」


 五日目の夕夜。私とトモちゃんとまさきくんが銭湯での湯浴みを終えてアパートに戻ると、半田さんと高畑さんが丸いちゃぶ台を挟んでにらみ合っていた。

 半田さんと高畑さんは今にも殴り合いを始めそうな雰囲気だった。そして、何故かその中央でトーマスが平然と座して手紙を書いていた。


「ちょっと! 何やってるんですか! やめてください!!」


 私はすぐに二人の間に入り、喧嘩の仲裁をしようとした。


「うるせぇ! 女は黙っていろ!!」


「ぎゃ!」


 私は半田さんと高畑さんに突き飛ばされて尻餅をついた。ダメだ、私じゃ止められない。こんなときにミセスブラウンがいてくれたら……。

 今ミセスブラウンは夕飯の買出しに出かけていてアパートにはいなかった。あの巨体なら大人の男二人くらい簡単に押さえ込められただろうに。


「大丈夫ですかエミさん! ちょっと、エミさんに暴力振るうなんて最低よ! 喧嘩するなら外でして!!」


 トモちゃんは私と同じように半田さんと高畑さんの間に入って喧嘩の仲裁をしようとした。


「じゃまだ! どけ!」


「きゃん!」


 トモちゃんも私と同じように突き飛ばされて尻餅をついた。

 ひどい! 私はともかく、か弱いトモちゃんにまで手を上げるなんて! 許せない!! 

 私の怒りは頂点に達した。私は鬼の形相で二人を睨みつけた。


「その……ごめんやりすぎたよ」


「うむ、その、なんだ。すまんな、女性にまで手を上げてしまって。大人気なかった」


 私のにらみが効いたらしく、二人は急におとなしくなった。今も私の恐ろしい顔をみてオドオドしている……? あれ? 二人とも私を見てない。私の顔が怖くて見られないのか……? 不思議に思った私は二人の視線の先を見た。


「痛いよ~もう!」


 二人の視線の先には、トモちゃんのパンツがあった。尻餅をついたトモちゃんは短いスカートから見事にパンツ様を御開帳していたのだ。恐るべしパンツ様! 男の喧嘩を簡単に止めてしまうとは、お見事! パンツは世界を救う! パンツの力で平和な社会をつくろうじゃないか! ……ってこのやろう!


「いつまでもパンツ見てんじゃねぇ! オラ!!」


 私はいつまでもパンツに見惚れているハゲカツラサラリーマンとティッシュ配りのギター野朗を思いっきりぶん殴った。もちろん母の教えの通りパーで。


「ひぃいいい! ごめんなさい!」


「いでぇ! ごめんごめん!」


「とりあえず座れ。そこで正座しろ」


 今度こそ二人は私に畏怖し、私の命令どおり畳の上で綺麗に正座をした。


「ガミガミガミガミ!」


 私は感情のまま二人に説教をしながら、彼のことを、さらには大学祭で行われた『正座耐久レース』のことを思い出していた。




―――彼のことを好きになってから、私はどうやって彼にアプローチすればいいのかわからずにいた。私は基本的に人見知りをしない性格だが、ひとたび惚れてしまうとどうしようもなくシャイになってしまうのだ。すれ違うときに「おはよう」と一言口にするだけでも心臓が破裂しそうになる。

 そんな私は何を思ったか、大学祭の『正座耐久レース』に出場しようと思った。このレースで目立てば、きっと彼も私に注目してくれるに違いないと思ったのだ。私はとてもがんばりやさんなのだが、がんばるベクトルがいつも少しだけ、間違っていたのだ。

 かくして、私は大いに間違ったベクトルを肥大化させ、見事に八時間二十三分という大記録を打ち立てて『正座耐久レース』初代クイーンとなったのだった!

 ……後に知ったことだけど、彼は学祭に参加していなかった。基本的にこういうお祭りは好きではないのだと。

 レース後、私はがんばるベクトルを間違えたと思い、後悔しながら痺れる足で一人、帰宅した―――




「……で、喧嘩の原因は何?」


 過去の思い出に区切りをつけて少し冷静になった私は二人の喧嘩の原因を尋ねた。


「このおっさんが悪いんだよ。俺の魂の歌をバカにしたんだ!」


 高畑さんが隣の半田さんをにらみつけた。その目は赤く充血していた。


「私は仕事帰りで疲れていたんだ。そんな中あんなうるさい歌を聴かされる私の身にもなってみろ!」


 半田さんも負けじと高畑さんをにらみ返した。その目は黒く淀んでいた。


「何だと!」


「うわ! 何すんだこのやろう!」


 高畑さんは正座しながら上半身だけで半田さんに掴みかかった。


「ちょっと! やめなさい!」


 私は町中に響く程の大声で二人を制止した。


「今のは先に手を出した高畑さんが悪い」


「バシン!」


「いでぇ!」


 私はパーで高畑さんの頭を叩いた。ふと、横目で半田さんを見ると、カツラがずれていた。


「バシン!」


「痛! 何で私まで!?」


「……喧嘩両成敗です」


 私は半田さんの頭を叩き、周りにばれない様にカツラの位置を直してあげた。


「……俺の歌を悪く言うのは、別にいい。好評だけを聞いていてもいい曲はつくれない。悪評も聞くべきだとは思っている。でも……」


 少し涙目の高畑さんはくすぶる感情を抑えることができなかったらしく、震える声で話しを続けた。


「でも、このおっさんは俺の見てくれだけで、“うるさい歌だ”と決め付けた。それが許せなかったんだ。俺の歌を悪く言うなら、せめてちゃんと俺の歌を聴いてからにしろよ!」


 高畑さんは熱い心をぶちまけるように訴えた。


「……なるほど、だいたい喧嘩の原因はわかりました。そこまで言うなら聴きましょうよ、高畑さんの歌。ね、半田さんいいでしょ?」


 半田さんは渋々頷いた。そのとき、再びカツラがずれた。


「バシン!」


「いたぁ! 何で叩くんですか!? 今私頷きましたよね?」


「態度が悪かった……様な気が……した……」


 私は再び半田さんの頭を叩き、周りにばれない様にカツラの位置を直してあげた。


「それじゃあ高畑さん、歌聴かせてください」


「よし! まかせろ!」


 高畑さんはそう言うと準備を始めた。私と半田さんとまさきくんとトモちゃんとトーマスはちゃぶ台をどけて、高畑さんが演奏できるスペースを確保した。


「パチパチパチパチ!」


 準備を終えた高畑さんは拍手の中、少し照れた表情でギターを掻き鳴らし、歌い始めた。












 数分後、高畑さんは最後のストロークを振り下ろし、演奏を終えた。


「…………」


 数秒の沈黙がアパートの一室に漂った。


「パチパチパチパチ!」


 その沈黙を破ったのは、はちきれんばかりの拍手だった。


「すごい! 私感動した!!」


「お兄ちゃんカッコイイ!!」


「スゴイデスネ、ワタシアナタノウタスキデス」


 トモちゃんとまさきくんとトーマスはすぐに高畑さんのそばに駆け寄り、称賛の言葉を浴びせた。


「…………」


半田さんは少し悔しいような表情で黙っていた。ちなみに私はあまりに感動して泣いていた。高畑さんが歌ったのは失恋ソングで、今の私には痛過ぎるほどに沁みる曲だった。


「……悪かったよ」


 うるさい中、半田さんがボソッと呟いた。


「今、何て言いました?」


 私が少しニヤニヤしながら尋ねると、半田さんは少しムッとした表情をした。


「ふん、俺は間違ってなかったぞ! ガチャガチャしていてうるさい歌だった。……でも、いい歌だったよ。それだけは認めてやるよ」


 半田さんは強気な態度でそう言うと「風呂行って来る」と、独り言の様に呟き、着替えも持たずにアパートを出て行った。





 それから数分後、両手に食材を抱えたミセスブラウンと川端夫妻が帰って来た。


「スーパーでたまたま川端夫妻に出会ってね、ついでにお茶してきたら遅くなっちゃったわ。ごめんね。すぐに夕飯の仕度するわね。川端夫妻も荷物持たせてごめんなさいね。あとは私がやるから、居間で休んでいて」


 そう言うとミセスブラウンは豚足のような腕を巧みに使い、わずか二十分ほどで大量の御馳走を作り上げた。その一連の所作はまるで魔法のようだった。おそらく、この料理には食べたらカエルになってしまう呪いがかけられているに違いない。


「ちょっとエミちゃん、料理運んでちょうだい」


「あ、はーい」


 私はミセスブラウンに言われるがまま、いそいそと料理をちゃぶ台に運んだ。


「エミさん、私も手伝います」


「あんたわいいから、座ってな。台所狭いんだから、これ以上増えたら邪魔よ」


 料理運びの手伝いをしようとしたトモちゃんの申し出をミセスブラウンがピシャリと断った。


「え……でも」


 行き場のないやる気を持てあまし、トモちゃんは困ってしまった。オドオドするトモちゃん、かわいい!


「うん、私一人で大丈夫だから、トモちゃんは座って待っていて」


 私はオドオドするトモちゃんをかばう様にそう言った。


「そうですかぁ……わかりました」


 トモちゃんは顔をハリセンボンの様にぷくぅーっと膨らませ、おとなしく座った。


「ほら! エミちゃんさっさと運んで頂戴」


「はい!」


 私はアサリの香りが食欲をそそる味噌スープをこぼさない様気を付けて運んだ。


「あ~あ! 違うわよ! それは川端さんの味噌汁! ……違う! 安二郎さんの方よ! つる子さんの味噌汁はこっち!」


 ミセスブラウンはウインナーの様に太い唇をプルプル震わせ、軽い怒鳴り声で私に細かい指示を出してきた。


「同じ味噌汁なんだから、どっちでもいいじゃないですか」


 私は唇を尖らせながら独り言のように抗議した。


「違うのよ! 一人一人微妙に味付けとか具材の切り方とかを変えてんのよ!」


「え!? ほんとに!?」


 私は僅か二十分程の調理時間でそんな細かい心配りを料理に反映させることなど不可能だと思った。その前に、この図太い女(心も体も)が一人一人の嗜好を尊重しようという思いやりの感情を持っているはずがないと思った。


「ほんとよ! ……エミちゃんは甘い卵焼きが好きよね? それも半熟は絶対にダメ。少し焦げるくらいまでしっかりと火を通してないとダメ。そうでしょ?」


 ……当たっている。さすが占い師。そんな細かい嗜好まで言い当てるとわ。このとき、私の背中に悪寒が走った。


「わかったらさっさと運んで頂戴。これはトモちゃんの所に運んで」


「はい! 了解しました」




 数分後、私の労力によりちゃぶ台の上に山のような御馳走が並んだ。腹ペコになっていた私たちはすぐにその御馳走を囲んで座り、食事を始めた。


「ミセスブラウンはモグモグ高畑さんの歌モグモグ聞いたことありモグか?」


 私は回鍋肉をほう張りながら話した。


「ちょっと、あんた食べながらしゃべるのやめなさいよ。ったく……歌? 聴いたことないわよ。何? あんたたち聴いたの?」


「うん! お兄ちゃんすごく歌うまいんだよ! かっこいいんだよ!!」


 まさきくんは目をキラキラさせ、口から米を飛ばしながら熱弁した。私は飛散した米が私のテリトリーに入ってこない様に両手でガードした。まさきくん、汚いわよ。


「へぇー。いいわね。私も聴きたかったわ」


 ミセスブラウンは四杯目のごはんをお椀に盛りながら、まさきくんの熱弁に答えた。

 おい! いったいどれだけ食うつもりだよ! それ以上太ったら死ぬぞ! 私はそんなことを思いながら負けじと三杯目のご飯をお椀に盛った。


「ブラウンさんも聴いてくれよ! 三日後、ライブがあるんだ。よかったら来てくれよ。最高にクレイジーなショーにするからよ!」


 みんなにチヤホヤされて少し上機嫌な様子の高畑さんが米粒を飛ばしながら言った。今日の天気は晴れ時々米粒だな……。私はそんなことを考えながら、お椀を頭の上まで持ち上げて飛散する米粒から非難させた。


「あらそう? それじゃあお呼ばれしようかしら。ライブなんて何年ぶりかしら。昔はよく行ったなぁ……」


 ミセスブラウンは物思いにふけっている様子だったが、その間、食事の手を休めることはなかった。


「ミセスブラウンが……ライブ……ぷぷぷっ!」


 私はミセスブラウンのお肉がリズムに合わせて上下に揺れる様を想像し、思わず口から米粒を吹き出した。


「エミねえちゃん、汚い」


 まさきくん、あんたに言われたくないよ! そう思いながら私は自らぶちまけた米粒を粛々と片づけた。


「よかったらみんなも来てくれよ! 今日はギター演奏だけだったけど、バンド演奏だともっとすげーからさ! 他の曲も聴いてもらいたいし」


「イイデスネェ~。ワタシイキタイデス」


「僕も行きたい!」


「私も!」


「私達みたいな年寄りでも、大丈夫かねぇ~」


 かくして、私たちは三日後の高畑さんのライブに行くこととなった。


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