第12話 銭湯にて
共同生活四日目、虫の音が鳴り響く月夜。私とトモちゃんとミセスブラウンとまさきくんの四人は並んで歩き、近くの銭湯へと向かった。
「おやおや、みなさん。お先です」
道すがら、先に銭湯での湯浴みを終えた川端夫妻とすれ違った。川端夫妻は今年で結婚生活四十年目だが、いつも一緒にいて、手をつないで、いちゃいちゃしている。まさかこんな老夫婦を羨ましいと思うなんて……。私は硬く握られた二人の手を見ながら、たった一度だけ彼の手を握ることができたときのことを思い出した。
―――あれはとても素敵で、とても甘美な瞬間だった。今でも鮮明に思い出せる。そう、私が何も無いところで躓き、「ほげぇえええ~」と奇声を上げて顔面から前のめりに倒れた時のこと。周りの人が大爆笑する中、彼だけが優しく「大丈夫?」と私に声をかけ、手を差し伸べてくれた。私の手と彼の手が触れたとき、時間がゆっくりと流れた。動きがスローモーションになった。私は恋する乙女の表情でゆっくりと頭をあげた。王子様、そのまま私の唇を奪っても良いのですよ! そんなことすら考えていた。
「ぷ、ぷあははははははは!!!」
彼は鼻から流血している私の顔を見て大爆笑した―――
そんなことを思い出している間に、私達は銭湯に到着した。
「まさきくん、一人で大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ」
「じゃあ、もしまさきくんの方が先に上がるようだったら、そこの休憩室で牛乳でも飲んで待っていてね」
「うん、わかった。じゃあ百円頂戴!」
このガキ、ちゃっかりしてやがる。
「はい、どうぞ」
私の手から百円玉をむしり取ったまさきくんはさっさと男湯の方へと走って行った。
「ちっ!」
私は軽く舌打ちをした。
「エミさん。そんな怖い顔しているとシワ増えますよ」
えぇー! 私まだ二十二歳なのに~。ヒドイ!!
「さあさあ、早くお風呂に入ってストレス解消しましょうよ! 私、エミさんの背中流しますよ」
そう言うとトモちゃんは無邪気に私の手を引っ張って女湯へと向かった。
「そうね、早く入りましょう。もう私汗だくよ」
私とトモちゃんに続いて、ミセスブラウンも古びた銭湯の床をミシミシ言わしながら女湯の脱衣所に進入した。
実はミセスブラウンを銭湯に誘ったのは私だ。何故誘ったかって? ……だってトモちゃんすごく細いんだもの! 私と比べられたらどうすんのよ! 少しでも細く見られたいのよ、私だって! これだけ太ったミセスブラウンの横にいれば私も少しは細く見えるでしょ!? コンチクショウ!! ……やけくそとはまさにこのことだろう。私は身をもって実感した。
「さぁ! 準備完了です。私先に入ってまーす」
気がつくとトモちゃんは少し大きめのバスタオルでお腹から陰部にかけて隠しているだけで、あとはスッポンポンだった。ワオ! おっぱいでか! 足細! オシリ小さ! 肌ツルツル! 全体的に華奢! ……若いってスバラシイデスネ。思わず語尾がトーマスみたいになってしまった。
「うぅううう……」
私はトモちゃんのナイスバデエーに怖気づき、なかなか服を脱げなった。
「あんた服脱ぐのにどんだけ時間かけるつもり? 私も先に入らせてもらうわよ」
私の隣を、トドが横切った。
「よし! さっさと脱ごう! お風呂に入ろう!」
私はミセスブラウンの醜い肉体から服を脱ぐ勇気を貰った。
「ふぁああ、きもちぃ……」
大浴場で足を伸ばす。今日一日の疲れが浴場のお湯とともに排水溝から流れて出ていくような気がした。
「それにしても、トモちゃんいい体しているよね~。ほんと、羨ましい」
私は羨望の眼差しでトモちゃんの体を見回した。
「そんなことないですよー。私だって、スタイルに自信ないんですよ。特にお腹は見せられません!」
トモちゃん、あんたそれ以上痩せてどうするつもり? それ以上痩せたら死んじゃうよ? もっと食べなさい。そしてもっと太れ! コンチクショウ!!
「でもほら、“あれ”と比べたらねぇ~。私たちなんてたいしたことないもんねぇ~」
私は気を取り直して、ニヤニヤしながらミセスブラウンを横目で見た。
「ちょっと、あんたたち。聞こえているわよ」
ミセスブラウンは鬼の形相で私とトモちゃんを睨んできた。
「ヒィ! ……私、先上がるね。」
私はトモちゃんを置いて、ミセスブラウンから逃げるように先に浴槽から上がった。
「ちょ、ちょっとエミさん……」
私は振り返ることなく、すぐに脱衣所へと向かった。
「ちょっとトモちゃん、あんたね……」
「……はい、……はいそうです……すいません……」
トモちゃんは完全にミセスブラウンに捕まったようだった。トモちゃん、ごめん! この借りは今度返すから。
私は心の中でトモちゃんに謝りながら女湯を後にして、休憩所へと向かった。
休憩所にはすでにまさきくんがいた。私もそうとうはや風呂だったけど、まさきくんはさらにはやかった。
「まさきくん、お風呂上がるのはやいのね。ちゃんと体洗ったの?」
まさきくんは無言でグッドサインをした。
「あらそう、ならいいんだけど」
私はまさきくんの横に座って一息ついた。
「ところでまさきくん、お風呂上りなのにそんな長袖長ズボン姿で暑くないの? 腕まくりしたら?」
まさきくんは一日中長袖長ズボンスタイルだ。小太りのくせに意外と寒がりなのだろうか?
「これでいい」
まさきくんはそっけなく答えると、私から奪った百円で牛乳を買った。
「あらそう、ならいいんだけど。私もコーヒー牛乳飲もっと」
私は少し大きな独り言を呟いてコーヒー牛乳を買った。
「…………」
私とまさきくんは無言で牛乳瓶のフタを取った。そして、深呼吸をして、静かに合図を待った。
「よーいどん!!」
スタートの合図と同時に私は腰に手を当て、コーヒー牛乳の瓶を逆さにして口に押し当てた。
「グビグビグビグビ!!」
ものすごい勢いで私の喉をコーヒー牛乳が通り抜ける。
この勝負貰ったわ! 私は中学時代あまりの速さに『牛乳速飲みクイーン』と呼ばれた女。そこらの小学生に負けんわ!!
私は余裕をぶっこき、横目でまさきくんの牛乳の残量を確認した。
「にゃに!! ぶほ!! ごほぉ! げほぉ……」
私は思わず叫び、コーヒー牛乳を噴出した。まさきくんの牛乳瓶はすでに空だったのだ。
まさきくん、恐るべし。この『牛乳速飲みクイーン』を倒すとは……世代交代の波がもうこんなに近くに押し寄せていたとはね。
「あははははは!! 鼻から牛乳~♪」
まさきくんは勝利の余韻に浸ることなく、私の顔を指差して笑い始めた。なんと、私の鼻の穴からコーヒー牛乳が飛び出していたのだ。はずい、これははずい! 私はすぐに鼻を拭こうとした。そのとき、
「ハイチーズ」
「カシャ!」
突然カメラを向けられた私は、思わずピースサインでトモちゃんの携帯カメラに写ってしまった。
「トモちゃん、いつ上がったの!? ちょ、ちょっと今のはダメ!! 今の写真はすぐに消してぇええええ!!!」
トモちゃんは小悪魔の様な顔で微笑んだ。
「嫌です。私一人を置いていった罰です」
ひぇええええ~!!! それだけは勘弁してぇええええ~!!!
こうして、共同生活四日目の夜は更けていったのでした。




