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暗い森  作者: 工藤るう子
1/3

前編

 18禁にはいたらないとは思うのですが、グロテスクな表現がありますので、苦手な方はご注意ください。







 深く暗い森の奥、堅固な結界に守られて、魔術師の住む館がある。


 しかし、森の外の村に暮らすひとびとには、結界があろうとなかろうと関係なかった。そこに住まう魔術師を恐れ、決して森には近づこうとしなかったからである。




※ ※ ※




 ――目覚めてはいけない。


 なぜ? やっと、彼に会えるのに。


 ――いけない。


 こんなにも会いたくてたまらないのに。なぜそんなにひどいことを言うんだ。


 ――おまえは、目覚めてはいけないモノなのだ。


 それしかことばを知らないモノマネ鳥が繰り返しているかのようなその声に、無条件に従ういわれなど、ない。


 ――ザンテ。


 恋人の名前を口にする。


 こんなにも会いたくてならないのに。


 愛しいものの名前を、味わうように、口にする。


 あなたに会えるなら、何をなくしてもかまわない。


 だから! 


 からみついてくるモノマネ鳥めいた声を必死になって振り払い、ようやく、メルローズは、長く重怠い眠りから目覚めたのだ。




※ ※ ※




「おそいな」


 魔術師の館である。


 落葉樹はすっかり葉を落とし、さらばえた骨めいた幹をさらしている。晩秋の空気に長いことあたっていたメルローズは、胴震いをした。


 窓の外を眺めながら独り語ちる。


 すらりと丈高い青年の足元に行儀よく腰を下ろした漆黒の大きな犬が、落日の朱を宿した欝金の瞳で彼を見上げる。細長い尾がゆるやかに揺れて床を叩く音が、静かな室内にかすかに響いていた。


 そのごく短毛のしなやかな毛並みを撫でながら、


「今日もひとりか」


 つぶやくのは、本人の意識しない悲しげな声だった。


 西の空は赤く、そう遠くなく夕闇が落ちてくるだろう。


 この館の主人である同居人のザンテは、用があるといって一昨日の朝早くに出かけていった。


 本当なら、昨日の夜には帰ってきているはずだった。


「今日も晩飯、あまっちまうな」


 愛犬を見下ろし、話しかける。


 家事一般をほぼ完璧にこなすことができるメルローズは、ザンテがいないからといって、留守中の食事などに困ることはない。彼が留守でもザンテの分を作ってしまうのは、いつ彼が戻ってきてもいいようにという心遣いだった。


 メルローズがザンテの帰宅を心待ちにするのは、彼の脳裏に刻まれている過去の情景が原因だった。


 過去の情景。


 それは、どことも知れない場所に、縛められている幼い彼自身の姿である。


 夜なのか、漆のような闇を照らすあまたの篝火がはためき、多くの人々が踊り狂っている。人々の影が闇を照らす篝火の中で長く短くゆらゆらと揺れる。


 それを、彼は、数段高い舞台の上から見ていた。


 それが、メルローズの物心ついて一番最初の記憶だった。


 泣くこともできず、本能的な恐怖に苛まれていた。


 殺されるのだ――――と、漠然と思っていたのを覚えている。


 ひとりぼっちで死んでゆく。


 あのひとたちの望みは自分の死なのだ。


 それは、ほんとうに、恐ろしくてならないことだった。でも、どんなに怖くてならなくても、つかれきった幼いからだには、泣く力すら残ってはいなかったのだ。


 そんな彼に、手を差し伸べてくれたのが、長い白銀の髪に欝金の瞳を持った男だった。


 詳細を覚えてはいない。


 思い出す必要はないと、ザンテはメルローズにささやいたのだ。


 そこまで思い出して、メルローズが小さく笑った。


(ずいぶんとでかくて怖く見えたんだがな………)


 しかし、ザンテと名乗った男は、あれから二十年近くが過ぎようというのに、少しも姿形が変わらない。


 今も、あのころの、ままだ。


 二十後半から三十代の男に見える。


「そりゃあ、あいつからしてみれば小さいだろうけど………けど、オレだって背は高い方に入るんだぞ」


 口にしたメルローズの頬が、朱に染まる。


 それは、時々、ザンテが彼をからかうネタであったからだ。


 三日前の夜にも、甘い睦言―――ピロウ・トークとして耳元でささやかれたザンテの声を思い出したのだった。


 思わず頭を振って追い払う。


 甘い記憶は、幸せであっても、落ち着かない。こう、尾てい骨のあたりがもぞもぞと、こそばゆくなるのだ。


 はぁ―――


 ため息がこぼれる。


 ピロウ・トークだとしても、からかわれていることに変わりはない。もとより反論ができないのだから、仕方はないのだが。


 なぜなら、二十二になってからもはずかしいことに、独りの夜が恐ろしくてならないのだ。


 ザンテが外出するだけでがらんと寒々しくなる館の空気や独り寝のベッドは、一番最初の記憶に自分を運んでいきそうで、まんじりともできない。


 今よりももっとその症状がひどかったころの幼いメルローズに、留守番の友としてザンテが与えてくれたのが、今傍らで彼を見上げている漆黒の犬だった。この犬がいるから、独りの夜も、眠ることができる。


「さてと、ヴィイ、戸締りを確認しに行くか」


 いくら堅固な結界に守られているとはいえ、戸締り用心は留守居の心得その一である。


 ザンテと同じ欝金の瞳を持った黒い犬は、優雅に立ち上がり、メルローズに従った。




※ ※ ※




 突然の目覚めだった。


 あたりは漆黒の闇に閉ざされている。


 背中が、ぞわりと、恐怖に震えた。


「ヴィ……」


 愛犬を呼ぶ声も、かすれてくる。


 ザンテが留守のときだけベッドに上がることが許されている黒い犬を、手で探る。


 探らなければならないこと自体が、既に、おかしい。ザンテ不在の夜はいつも、ヴィイはメルローズに寄り添って眠っていた。


 静かな夜。


 その奥になにかを潜めているかのような、暗い闇。


 やがて目は闇に慣れたものの、克服しきれないでいる過去の恐怖が、みぞおちによみがえってきた。


 震えるからだを両手で抱きしめ、メルローズは、ベッドを抜け出した。


 部屋のドアが開いている。


(部屋から出たんだ)


「ヴィイ?」


 喉が渇いたのだろうかと、ヴィイの餌と水とを常備しているキッチンに向かおうとしたメルローズの足が、ぴたりと止まった。


 悲鳴が聞こえたような気がしたのだ。


「っ」


 もう一度、今度は、より確かな音声だった。


「ヴィイ」


 何があったのだと、はやる鼓動にせかされるまま、メルローズは声のした方向に駆け出していた。


「!」


 ここだろうと目星をつけた部屋のドアを開け、壁のスイッチを探る。居間を人工の光が照らし出す。


 光に馴染んだ、メルローズの大きく見開かれた黒い瞳が映し出したものは、ソファとテーブルとがあるだけの、簡素なまでにもののない居間と、そこにいる五人の人間だった。


 手に手に物騒な得物を持っている男たちに、その場にこわばりつく。


 五対の目が、メルローズに向けられた。


 彼の姿に、男たちの両眼が大きく見開かれてゆく。


「黒だ」


「黒髪」


「黒瞳」


「象牙の肌」


「贄だ」


 男たちの言葉の意味がメルローズにはわからなかった。


 彼の意識はただひたすらに痛いくらいに侵入者たちに向けられていたからだ。しかし、その緊張がふと男たちから逸れたのは、彼により近い床の上に横たわっている、漆黒の毛並みを見出したからだった。


 むき出しの床板を濡らしているのは、ねっとりとした質感の、赤黒い液体。


「ヴィイ!」


 事切れているように見える愛犬の姿に、部屋の情景が、五人の不法侵入者たちのことが、頭から消えうせる。


「はなせっ」


 愛犬に駆け寄り抱き上げようとしたメルローズの腕を男が掴む。それと同じ男が手にするジャックナイフからしたたる赤い液体が、メルローズの目を射た。


「おまえがっ」


 殴りかかろうとして振り上げた腕は、背後から別の男にひねり上げられ、気がつけば、残る三人もメルローズを取り囲むように集まっていた。


 ささやき交わす男たちのぶしつけな視線に、メルローズの全身が鳥肌立つ。


「お宝はどこだ?」


 愛犬を殺しただろう正面の男の声に、メルローズは顔を背けた。


 何のことを言っているのか、わからないわけではなかったが、誰が脅されたくらいでしゃべるだろう。


 ザンテが森と館の周囲に二重に巡らせた結界を抜けてここに来ることができたからには、この中の幾人かは魔術師なのだろう。そうして彼らが求めるお宝といえば、まだ不完全な、エリクシル――賢者の石――に間違いない。


 以前、ザンテが見せてくれた、不思議な石を思い出す。


「賢者の石だ」


 黙りこんでいるメルローズに業を煮やしたのか、


「あるはずだ」


 パジャマの襟元を鷲掴んで、数度乱暴に振りまわす。


 詰まった息に咳き込み、


「知らない」


 それだけを押し出した。


「そんなはずはない」


「知らないものは、知らない」


 顔を背け目を閉じたメルローズは、頬にひやりとしたものを感じ、閉じていた目を開いた。


「なら、少々痛い目をみてもらおう」


 頬にあてられていたのは、血なまぐさい、ジャックナイフだった。


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