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向日葵になりたくて


護兄ちゃんがどんな言葉で桜姉ちゃんに思いを伝えたかなんて、アタシ、三女・椿には知る由もない。だけど、桜姉ちゃんからの返事はすぐに分かった。だってあの運動オンチの権化とも言える桜姉ちゃんが、護兄ちゃんと走るためにスポーツウェアを買ってきたんだから。


そんなある日、夕食の席でのこと。次男・護は、「桜と付き合ってます」宣言をした。全員揃って、一瞬止まる。次女・桜は顔を赤くさせて俯き、長女・牡丹はにこやかに祝福した。長男・傑は呆れたような溜め息をつく。

「報告が遅い」

だ、そうだ。そう言われて、護兄ちゃんは口を尖らせた。


「なんだよ。兄貴だって、牡丹ちゃんとのこと黙ってるくせに」


ぎょっとして護兄ちゃんを見たのは牡丹姉ちゃんだけだ。傑兄ちゃんは自信たっぷりに口角を上げる。

「そうだな、言ってなかった。付き合ってるよ」


さらりと普通に言われたことが、逆にずきんと胸に響いた。大々的に公表してくれたほうが、まだよかった。「牡丹とのことだけど」くらいの前置きが欲しかったのにと、アタシは知らず、俯いてしまう。


「ごちそう、さまです」


アタシはそう呟いて席を立った。これ以上あの空気の中にいたら絶対酸欠になってしまう。



部屋のベッドに寝転んで、枕に顔をうずめながらぼんやりした。涙腺が緩まないことに、ひどく安堵する。

分厚い扉がノックされた。出たくないと感じて無視を決め込む。扉が開く気配はしたけれども、アタシはそのままの姿勢で身動きひとつしなかった。



「椿ちゃん」


入ってきたのは学だった。そっと枕から顔を上げて学を見ると、彼はトレーを持っていた。カクテルグラスがふたつ、仲良く並んでいる。


「デザート持ってきたよ」


一緒に食べよう、と笑顔で言って、学はベッドサイドに腰を下ろした。

デザートのシャーベットを無言で食べる。しばらくの間、サクサクという軽快な音だけが部屋に響いた。


「ねえ、椿ちゃん」


空になったカクテルグラスを押しやって、学はおずおずと口を開く。


「どうかしたの? 大丈夫?」


「どうもしないし、大丈夫だよ」


アタシはそう言い返したけれども、そんなはずがなかった。それに学は気がついていたんだと思う。「だけど」と呟いて、急に話題を変えたから。


「ぼくさあ、椿ちゃんが羨ましくって」

「羨ましい? アタシが?」


うん、と、学は笑顔で頷く。


「だって椿ちゃん、シャキッとしててかっこいいし、しっかりしてて頭もいいし」


そんなことない、と、思った。アタシはここんとこ、自分でも嫌になるくらいうじうじしていた。それを自覚していたのに、学の瞳はアタシを捕らえる。


「それに、女の子だし」


そう続けた学の顔は、微笑んでいるのにどこか寂しそうだった。


「女の子なんて」


つまんないもんだよ、という言葉は、声に出さずに飲み込んだ。男の子だったらよかったのになんて、アタシは最近思い始めていた。もしもアタシが男の子だったら。傑兄ちゃんのことがどんなに好きでも、この思いを諦めることも出来ただろうに。


アタシの思いなんて知らない学は、「羨ましいよ」と、もう一度言った。


「だってぼくが女の子だったら、絶対新堂先生に告白してた。もし言えなかったとしても、卒業したらって希望も持てた。教師と生徒っていうただそれだけの障害に、酔うことだって出来たのに」


障害に酔うなて、と、アタシはぼんやり考える。

全然、いいもんなんかじゃないんだよ。なまじ自分が女なだけにもしかしたらなんて余計な期待持っちゃって、どうせ苦しいのには変わりがない。


「この間ね」と、学は呟く。


「新堂先生と美術館に行ったんだ。そこに向日葵の絵が飾ってあって、右側から見ても左側から見ても、まっすぐこっちを向いているように見えるんだよ。新堂先生、その絵が大好きだって笑ってた。太陽の気分になれるからって。ねえ、椿ちゃん」


そこで学は一旦言葉を切って、アタシを真正面から見つめた。


「ぼくはその向日葵になりたい。新堂先生がどこにいても、まっすぐ先生を見ていたい」


そう語る学を見つめ返しながら、アタシは漠然と考えていた。アタシなら、その絵を眺める人になりたい。

アタシがどこにいても何をしていても、真正面から傑兄ちゃんに見つめていて欲しい。

小さな望みは叶えられない。それが分かっているから、この願望は、ひどく大それたものに感じられた。


「アタシは太陽になりたいよ」


アタシがそう呟くと、学はにっこり微笑んだ。


「椿ちゃんも恋してるんだね。ねえ、間違ってたら怒ってね。その相手って、傑兄ちゃん?」


「・・・・・・うん」


誰にも言うまいと思っていたのに、気がついたら素直に認める自分がいた。けれど、そうしたことでたがが外れてしまったのか、アタシの口は思うままにまくし立てる。


「ばっかみたいよね。傑兄ちゃんは、牡丹姉ちゃんのもんなのに。お姉ちゃんのカレシを好きになっちゃうなんて、最低すぎて笑っちゃうわよね」

「笑わない」


きっぱりと、学は強く言い切った。


「ぼくはいいと思うんだ。だって心は自由だもん。恋するのにルールなんか、ないもん。好きな気持ちに上下関係なんか、絶対ないって、ぼくは思う」


それを聞いて、嬉しい気持ちと悲しい気持ちが一緒になってアタシを襲った。嬉しい気持ちは、アタシの恋を否定しないでくれたから。悲しい気持ちは、きっと学が、そう考えないことには自分の思いを認めることが出来ないのだろうと、気づいてしまったから。


アタシたちのこの思いは、一体どこへやったら良いのだろう。

学とふたりで夜通し語った。アタシたちの、世間には受け入れてもらえないだろう気持ちについて。

ふたりで一緒にいっぱい笑い、そして涙が枯れるほどたくさん泣いた。


牡丹姉ちゃん、ごめんなさい。アタシは心の中でそっと謝る。牡丹姉ちゃんと愛し合う、傑兄ちゃんに恋してます。


泣き疲れたアタシたちは、結局そのまま一緒に眠った。

これがアタシ、東谷椿十六歳の、夏のお話。

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