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望むなら、平穏


ある週の日曜日、西園寺家の三兄弟と東谷家の三姉妹は、揃ってお出かけをした。行き先は遊園地。

お出かけの理由は長女・牡丹がみんなで遊びに行きたい、と言ったからで、場所の理由は次女・桜がジェットコースターに乗りたいと請うたからだ。


警察官の傑兄ちゃんとスポーツインストラクターの護兄ちゃんのお休みの日は重ならない。けれどもふたりは何とかスケジュールを調整し、日曜日のお出かけと相成ったわけである。



遊園地で、次女・桜は異様に張り切っていた。彼女は遊園地が大好きなのだ。それはもう、履歴書の趣味の欄に絶叫マシーンに乗ること、と書き込めるくらいだ。

アタシ、三女・椿はというと、じつはジェットコースターが苦手だったりする。あの浮遊感というか、生命力がぎりぎりになる感覚と言うか、あれがどうにも苦手である。


しかし、次女・桜は当然のようにジェットコースターの列に並び、アタシ、三女・椿はひとりで喚き立てていた。



「マジ無理! 絶対無理! 何でもするから勘弁してえ!」


こちとら必死なわけだが、それを見た次女・桜はニコニコしていた。


「大丈夫よ、椿。怖くないわよ。楽しいだけ」


「ジェットコースターなんて一瞬じゃねえか。乗ったらもう終わりだよ」


次女・桜の独りよがりすぎる言い分に、次男・護も尻馬に乗る。嫌だ、と叫ぼうとしたところで、実際そうしたのは三男・学だった。


「ぼくもやだ! 無理だよ、こんなの!」



どうやら学も絶叫マシーンが苦手のようだ。アタシはなんだか味方を得た気分になって、学とひしと抱き合った。


「学! 無理よね、超無理よね!」

「無理だよお! 椿ちゃーん!」


泣き喚く三女と三男に目をやって、長女・牡丹は「まあどうしましょう」などと言っていた。

どうしましょうもこうしましょうもないだろう。無理なものは無理だ。

そう主張するアタシと学である。すると、次女・桜がころころ笑った。


「もう、可愛いわねえ、ふたりとも。でももう、チケット買っちゃったんだから」あんたが勝手に買ってきたんだろうが!


アタシは精一杯の恨みを込めてそう考えた。学も同じことを思ったらしい。「だったら」と、口を開く。



「傑兄ちゃんでも護兄ちゃんでも、どっちだっていいから隣に座って」


三男のその言葉に、四人の兄と姉は顔を見合わせた。



抱き合って震える末っ子を眺めて、長女・牡丹が長男・傑の袖を引く。

「傑さん、お願い。椿の隣に座ってあげて」


次女・桜も次男・護に懇願する。

「護くん、学くんと一緒に乗ってあげて」


ね、お願い。ふたり揃ったその言葉に、傑と護は頭をかいて、「仕方ねえなあ」と同時に言った。



そうして、嬉々として最前列に乗り込む姉たちを、アタシは三列目から驚愕の思いで眺めていた。全く理解できない。こんな恐ろしげなものに、お金を払って乗るだなんて。



結局ふたりのお願いどおり、一列目に牡丹と桜、二列目に護と学、そして三列目に傑兄ちゃんとアタシ、という意味不明なペアが出来上がってしまった。



「いいか、椿」

シートベルトを下ろしながら、傑兄ちゃんが声をかける。


「一番上まで行ったら、とりあえず叫べ。それから、そのまま叫んだままでいろ」

そうすれば怖くない、と笑顔で言われ、アタシは素直に頷いた。


「なんか、ごめんね?」アタシもシートベルトを下ろしながら、傑兄ちゃんに謝る。


「何が?」

「ほんとは、牡丹姉ちゃんと乗りたかったでしょ?」


アタシが言うと、傑兄ちゃんは「なんだ、そんなこと」と、ちょっと笑った。


「気にするな。嫌々引き受けたわけじゃない」


「ありがと」


そう小さく呟いたアタシの声を掻き消すように、前の列では学が護に抱きついている。


「絶対離さないでよ!? 護兄ちゃん、終わるまでこのままでいてよ!?」


分かった分かった、と、呆れ半分の次男・護である。弟たちを眺めて、傑兄ちゃんは吹き出した。そして、「ほら」と左手を差し出す。


「終わるまで握っててやる。俺が隣にいるんだから安心しろ」



うん、と呟いて握ったその手は、ことのほか温かかった。




ブザーが鳴る。胸がドキドキしている。隣の傑兄ちゃんを盗み見た。涼しそうな横顔。心臓が大きく動き、そしてそのまま早鐘を打つ。


これは吊橋現象だ、と、アタシは自分に言い聞かせた。

極限状態での胸の鼓動を恋のときめきと勘違いする、あの心理状態に違いない。

それからコースターはゆっくりと上り、かと思うと音速と勘違いするほどのスピードで駆け下りていった。恐怖のあまり、アタシにはその時の記憶があんまりない。だけど、左手。


アタシの右手に重ねられた傑兄ちゃんの左手の感触は、アタシの記憶に刻み込まれたままだった。



ジェットコースターでふらふらになったアタシを見て、次男・護は笑っていた。次女・桜はさすがに申し訳なく思ったらしい。

「今度は椿の好きなのに乗ろうね」

と、取り繕うように微笑んできた。


それでアタシが指差したのは、お化け屋敷である。桜姉ちゃんはそれを見て、顔面蒼白になっていた。「桜姉ちゃん、アタシの好きなのでいいって、言ってくれたよね?」

アタシの質問に反論できない次女・桜は、半泣きのまま頷いた。


不安そうな学の肩を叩いてやる。

「見てよ、学。お化け屋敷の入り口」


アタシの言葉に顔を上げた学は、それを見てあっと声を上げた。


「なあんだ、部室の扉だあ。ぼく、これなら平気だよ」


でしょ? なんて言いながら、アタシは改めて、美術部顧問の趣味の悪さに舌を巻いた。

お化け屋敷の入り口も、ロダンの「地獄の門」だったのだ。お化け屋敷と一緒って、どうなんだ? そうは思ったけれども、まあこれは好都合。結果オーライ。アタシは笑顔で長女・牡丹に声をかけた。


「牡丹姉ちゃんは傑兄ちゃんと入りなよ。学、行こっ!」


駆け出すアタシを追いかけながら、学も声を張り上げる。


「護兄ちゃーん! 桜ちゃんのこと、ちゃんと守ってあげなきゃだめだよーっ!」



それをバックミュージックに、アタシはこっそり安心していた。よしよし、ドキドキしてないぞ。やっぱりさっきのときめきっぽい奴は、ただの吊橋効果だったんだ。



豆粒かってくらい小さなペンライトを渡されて、アタシと学は真っ暗なお化け屋敷に踏み込んだ。

「このお化け屋敷、お化けが追いかけてくるんだって」

学はそんな説明を、ちょっと震えた声でアタシにしてくる。へえ、と相槌を打ったその直後、後ろからギイと嫌な音がした。そうっと振り向くアタシ、三女・椿と三男・学。


見ると、白衣を着たやせぎすの幽霊が、壁から出てくるところだった。


ぎゃあ、とふたり叫んで同時に走る。お化け屋敷の中は入り組んでいて、くねくねした曲がり道があったり階段があったりと、逃げ回るには少々不便だ。

おまけにお化けは歩いているのに、走っているアタシたちをどこまででも追いかけてきた。時には先回りしていたりもする。

もう走れない、と立ち止まったところで、アタシは隣で息を切らす学に声をかけた。



「ねえ、学。あのお化けさ、新堂先生にちょっと似てない?」

「何言ってんだよ、椿ちゃん!」


予想に反して、学は大いに憤慨した。


「新堂先生はもっと上品だよ! もっと知的で、もっと情緒的な人だよ!」


「あんた、本当に新堂先生のこと好きなのね・・・・・・」


あまりの剣幕に、やっとのことで言い返すアタシである。学がもう一言、何か言おうと口を開いたその瞬間、アタシたちは肩を叩かれビクリと跳ねた。


いっせーの、で振り向くと、そこにはお化けが立っていた。



「わあーっ!!」


同時に、叫ぶ。そして同時に走って逃げた。

しばらく逃げ続けていると、通路の向こうがぼんやり明るい。出口だ、と、一気に安堵する。


「やったね」なんて笑いながら出口に向かうと、その瞬間無数の手がアタシたちを捕らえ、恐ろしくも愉快な感じでお化け屋敷は終了した。



「ああ、怖かったあ。でも面白かったね」

アタシは学に笑いかける。学も笑いながら賛同したが、次の瞬間にはどうしてだか怒り出した。


「椿ちゃん、さっきの続きだけど、あんなお化け、新堂先生には全然似てない!」


「そうお? 痩せっぽちなとことか、ふらふらしてるとことかそっくりじゃん」


アタシはそう言い返す。しかし学は、あくまでも否定的だった。


「全然似てないよ! だって先生は・・・・・・」


そこで学の声は小さくなる。彼は俯いて、そしてぽつりと呟いた。



「だって先生は、あんなふうに、ぼくのこと追いかけてなんて来てくれない」


アタシはなんだかすっかり困ってしまって、学を見た。学は恥ずかしそうにアタシに顔を向ける。


「・・・・・・今の、ちょっとイタイ?」

「うん。大分イタイ」


アタシの言葉に、学は「椿ちゃんの性悪!」なんて言いながら、それでも笑顔だった。



ひとしきり笑った後、学は心配そうに出口を見やる。

「兄ちゃんたち、遅いね」

「桜姉ちゃんが気絶でもしてんのかな」

「桜ちゃん、そんなにお化け屋敷駄目なの?」

学の問いかけに、アタシは溜め息をついて頷いた。


「全然、駄目。ちょっと意地悪してやろうと思っただけなんだけど、やりすぎたかなあ」


アタシの心配をよそに、学は「大丈夫だよ」と笑う。


「護兄ちゃんがなんとかするよ」

「桜姉ちゃん足めっちゃ遅いから、護兄ちゃん絶対大変だと思うんだけど」

「じゃあ護兄ちゃんさ、桜ちゃんのこと、抱えて走ってるんじゃない?」


まっさかあ、なんて笑い飛ばした。けれども息を切らして出てきた次男・護は、その腕に次女・桜を、しっかりと抱いていたのだった。


その光景にはさすがに唖然とする、アタシ、三女・椿と三男・学である。そんなアタシたちに気がついた次男・護が、次女・桜の背中をとんとんと叩いた。


「桜、もう終わったぞ。目ぇ開けろ。椿と学がこっち見てんぞ?」それを聞いて、桜姉ちゃんは恥ずかしそうに離れる。護兄ちゃんは、自分から言い出したくせに、なんだかちょっと残念そう。そんなふたりをからかいながら、アタシたちは長男長女ペアを待っていた。


「あ、傑兄ちゃんたちだ!」

学がいち早く指をさす。


牡丹姉ちゃんと一緒に出てきた傑兄ちゃんは、意地悪そうに笑って弟妹たちに目を向けた。


「おっ、桜、気絶しなかったんだな?」

「うん、大丈夫。護くんが私のこと、抱っこして走ってくれたから」


嬉しそうに報告する、次女・桜である。次男・護は顔を赤らめて、「馬鹿! ばらすなよ!」なんて言っていた。


そのやり取りに、長男・傑は楽しそうに声を立てて笑った。

「なんだ、気絶しそうだったのは護のほうか」

なんて言って、護兄ちゃんに怒鳴られていた。


アタシ、三女・椿はというと、そんな言い争いは全く耳に入っていなかった。自分の視線の先に気がついて、アタシはひとりでうろたえる。


傑兄ちゃんの大きな左手は、牡丹姉ちゃんの小さな右手と固く固く結ばれていて、離れる気配は全くなかった。


そんなことにうろたえている自分にうろたえた。さっきから何なんだろう、と、アタシは今日一日を振り返る。

ジェットコースターに乗った時からおかしかった。そう閃いて、そして、それは違うと瞬時に感じた。


ここ最近、アタシはずっとおかしかったんだ。そう、あの日、大丈夫だって、傑兄ちゃんに言われた時あたりから。




それからコーヒーカップに乗って、護兄ちゃんが回しすぎたために桜姉ちゃんの気分が悪くなったり、嫌がる傑兄ちゃんを無理やりメリーゴーラウンドに押し込んだし、観覧車に六人で乗り込もうとして、係員さんに止められたりした。


楽しかった、と、思う。


結局三組に分かれるしかなかった観覧車の中で、アタシはひたすら学の話に耳を傾けていた。「気がついたら、もう先生のこと、好きだったんだよ」

と、学は言った。


「最初は勘違いだと思ったんだ。だって、好きって気づく前、ぼくは先生と一緒に絵を見てたんだもん。その絵があんまり綺麗で、ぼくはすごくドキドキしてて。だから、そのせいだって思ってたんだよ」


どうやって勘違いではないことに気がついたのか、と尋ねるあたしに、学は景色を眺めながらぼつぼつと語った。


「先生と離れると、寂しかったから。部活の時間が待ち遠しくて、部活に出たら出たで、今度は帰りたくなくなって。先生のこと、もっと知りたいって思ったんだ。それで、ぼくのことも知って欲しいって思うようになったんだよ」


先生が他の生徒と口きくだけで、腹立ってたまんないんだよ、などと付け足して、学の話は終わった。それとほぼ同時に、ゴンドラが地上にさしかかる。


「兄ちゃんたちには、内緒ね」


悪戯っぽく微笑む学は、なんだかすごく、綺麗だった。





帰り道、長男・傑が運転する車の中で、アタシ、三女・椿は必死になって眠気と格闘しているところだった。

傑兄ちゃんも疲れてんのに、寝るのはなんだか申し訳ないなあ、なんて考えていたためだ。


それは、助手席に座る長女・牡丹も同じだったらしい。さっきからしきりにすぐる兄ちゃんに話しかけていて、そのおかげでアタシも寝ないですんでいた。


そんな涙ぐましい努力を末娘がしているとは露知らず、アタシの隣では学が爆睡している。三列シートの真ん中で、次女と次男も眠りこけていた。



「傑さん、今日は本当にありがとう」


牡丹姉ちゃんの声が聞こえる。それに笑って、

「俺も今日は息抜きが出来たからちょうど良かった」なんて返す、傑兄ちゃんの声も。


「警察なんて、大変よね」


そう呟いた牡丹姉ちゃんがふと声の調子を変えて、「みんな、寝ちゃった?」と、こちらを向いた。


アタシは何でか分からないけど、とっさに目をつぶって寝た振りを決め込む。誰からも返事がないことを返答ととった牡丹姉ちゃんは、小さな声で傑兄ちゃんを呼んだ。


「ねえ、傑さん。さっきのこと、本当?」


さっきのことって、何だ?


アタシは続きが知りたくて、だけど知るのがすごく怖くって、目を開けるべきかどうか、しばらく迷った。その間にも牡丹姉ちゃんの話は続く。


「私、なんだか信じられなくて。だって、だって傑さんは・・・・・・」


「俺がお前に、そんな冗談言うと思うか?」


「従兄妹だわ」


「法的には問題ない」


ぴしゃりと言い切った傑兄ちゃんの声を聞きながら、アタシは雲行きの怪しさを感じていた。


「でも、だけど・・・・・・」

「牡丹」


溜め息と共に押し出された長女の名前に、アタシは飛び上がりそうなほどの恐怖を感じた。その持ち主は、アタシではないくせに。



「俺はお前の気持ちが知りたいと言ったはずだぞ? お前が気にしてる家のこととか、そんなもんに興味ないんだ」厳しい口調のまま、傑兄ちゃんはそう言った。


聞きたくない、と、瞬時に思う。


今すぐにでも目を開けて、起きているとふたりに伝えてしまいたい。そしてそのまま、この会話をなかったことにしてしまいたい。


けれどもアタシの両瞼は、アタシの意志に反して糊付けされたようにぴったり塞がったままだった。心臓がまた、ドキドキする。それは先ほどとは打って変わり、不吉な予感を伴っていた。


この想いの意味に、気づきたくないと強く願った。




「好きです」


ようやく発した長女・牡丹の呟きは、聞き取れないくらい小さかった。


「傑さんのこと、好き。大好き。ずっとずっと、傑さんのことが大好きです」


「俺も。俺も好きだ、牡丹。ずっと、お前のことを想ってた」



ああ、と、アタシは心の中で小さく嘆く。

聞きたくなかった。気づいていたけれど、アタシは鈍感なままでいたかった。


ふたりに感づかれないように、そっと瞼を押し上げた。信号待ちで止まった隙に、傑兄ちゃんの上体が牡丹姉ちゃんに向かって倒れ込む。


その唇の行く先は、決して知りたくなどないというのに。





気づいたら、好きになってた。学の言葉が蘇る。

好きになってた。気づいたら、アタシ、傑兄ちゃんのこと、こんなにも好きになっていた。でも、もう、遅い。


運転席と助手席で交わされる恋人たちの会話を聞きながら、アタシはひどく後悔していた。


気づかなければ良かったのだ。姉妹で同じ人が好きだなんて、そんな馬鹿馬鹿しい事実になど、気づかなければ良かった。


言えない、と、そう思う。きっとこの事実を公表できない。もしも願いが叶うなら、アタシはこのまま、平穏な日常を生きていたいから。


そうないものねだりをしたのが、アタシ、東谷椿十六歳の春のお話。

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