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それは初恋という名の悔恨


久しぶりに足を踏み入れた西園寺家に、アタシ、三女・椿は唖然としていた。


門から先に、家が見えない。



東谷家まで迎えに来たロールスロイスの中で、これはもうギャグなんだな、と失笑を漏らす。


だってそうだろう。今までは、貧乏なアパートに四人がぎゅうぎゅう詰めで暮らしていたのだ。それなのに、新しいお家は門から先に公園が広がっているなんて。



しかし、長女・牡丹は微笑んでいた。



「久しぶりに来たけれど、大きなお宅ねえ。なんだか気後れしちゃうわね、桜、椿」


気後れどころの話じゃないだろうと思うアタシであるが、次女・桜はそれに続いた。



「ほんとに。あら、見て。薔薇のアーチよ。なんて素敵」




薔薇のアーチィ?!




車窓から無意味に拾い庭を眺めると、そこには次女・桜の言うとおり薔薇のアーチが。


よくよく見ると、ドーベルマンが数頭佇み、湖と見紛うばかりのでかい池。


そのほとりに立つマリア像の足元で、天使が数人まどろんでいる。



一体全体、どんな悪事を働けば、こんな豪邸に住めるのか。



嫌疑の眼差しで庭を眺めるアタシ、三女・椿である。

植物好きの次女・桜はその傍らで、延々と続く薔薇畑に溜め息をついていた。



「本当に、何て素敵なお庭かしら。薔薇の園だなんて、まるで不思議の国のアリスみたい」・・・・・・、だとしたら、へんくつ女王はここの長男だ。





誰の趣味だこの庭は、と、アタシ、三女・椿が呆れる横で、長女・牡丹と次女・桜は、ただ感嘆の息を漏らしていた。





「大変お待たせいたしました」


ロールスロイスがゆっくりと止まり、運転手のおじさんがそう言った。


見上げた建物に、東谷家三姉妹は息を呑む。



城か、ここは。




そうしていると、運転手のおじさんが降りる前に、車のドアが開けられた。


どうぞ、と言って手を差し伸べたのは、西園寺家長男、西園寺傑さいおんじ すぐるその人だった。



長女・牡丹がその手を握る。そうしているのは姉なのに、アタシはひとりでどぎまぎしていた。



「ようこそ、東谷家のお嬢さん。西園寺家を代表して、歓迎します」


ロールスロイスを降りたアタシたちに、長男・傑はそう微笑んだ。


長女・牡丹がゆったりした動作で頭を下げる。



「傑さん、突然ごめんなさい。姉妹三人、ご厄介になります」



そのリアクションの何が面白いのか、長男・傑は声を立てて笑う。



「相変わらず堅苦しいな、牡丹」


自分だって堅苦しさ百パーセントの挨拶をしてきたくせに、長男・傑はそう言った。

しかしそれで緊張が解けたのか、長女・牡丹も恥ずかしそうに少し笑う。「だって、お家はこんなに大きくて、お庭はこんなに広くって。それに、それに傑さんが・・・・・・」


「俺が?」


「・・・・・・、こんなに素敵になってるんだもの」

長男・傑はぽかんとして、それから優しげな顔で微笑んだ。


「俺も驚いた」


そうでしょう、と、牡丹は言う。


「突然こんなことになって、傑さんが驚くのも無理ないわ」


そうじゃないんだけどな、と長男・傑が呟いたところで、巨大な板チョコみたいな扉が開き、短髪の男が顔を出した。



「おい、兄貴。いつまで外で喋ってんだよ」


「護」



出てきたのは、そう、西園寺家次男、西園寺護さいおんじ まもるである。




すっげえ筋肉、とアタシがぼんやり眺めていると、次男・護はアタシを普通にスルーして、まっすぐ次女・桜に目をやった。


「桜!」


「護くん?」


見ると、次女・桜は目をまん丸くして、次男・護を見つめていた。



「護くん・・・・・・、ほんとに護くん?」


そう繰り返す次女・桜に、次男・護は口角を上げる。



「当たり前だろ。偽者が出てきてどうするんだよ」


「だって、護くん、なんだかすごく、男らしくなってるんだもの」



そんな感想を漏らした桜に、護は意地悪そうににやりと笑った。


「何だよ、それ」


そして今度は頬を染める。


「そういうお前だって・・・・・・」

「え?」

「・・・・・・何でもねぇ」


そっぽを向く次男・護。それを見て、長男・傑が弟の胸をとんと叩いた。


「なに照れてんだ、お前」


「別に、そんなんじゃねえよ」


手を振り払った弟に笑って、長男・傑は「おっと」と声を上げた。


「悪かったな、立ち話させて。大したことない家だけど、上がってくれ」



それでアタシたち三人が、すっかり恐縮したのは言うまでもない。





「最上階だと眺めがいいけど、不便だからな。三階の客間を空けたから、好きに使ってくれていい」



長男・傑のそんな台詞に、長女・牡丹は頭を下げて、次女・桜はお礼を言った。そしてアタシ、三女・椿は唖然とする。一体全体何階建てなんだ、この家は。




あてがわれたそれぞれの部屋に荷物を置いて、東谷家三姉妹は長女・牡丹の部屋に集まった。


「本当に、夢みたい・・・・・・」


冗談みたいなふっかふかのベッドに顔をうずめて、長女・牡丹が呟いた。

それを聞いて、次女・桜がクスクス笑う。


「夢みたいなのは、傑お兄ちゃんがあんなに素敵になってたことでしょ?」


ハッと上げた長女・牡丹の顔には、はっきり図星と書いてあった。


「そ、それは・・・・・・。桜だって、護さんに見惚れてたじゃないの」


言い返されて、次女・桜はぽっと顔を赤らめて俯いた。だって、と、言い訳を始める。「だって、護くんがあんなに男らしくなってたなんて、全然思ってなかったもの・・・・・・」



それからふたりは揃って頬を染めるなり、アタシに向かって口々にまくし立てた。


「ねえ、椿だって、傑さんがあんなに素敵で、驚いたわよね?」

「ねえ椿、護くん、かっこいいなあって、椿だって思ったでしょ?」


「ア、アタシは・・・・・・」


「椿、どうしよう。傑さん、あんなに素敵になっちゃって」

「椿、さっきの私、変じゃなかった? 護くん、私のこと変に思ったかしら」



どもる三女に長女と次女は詰め寄った。

ふたりの質問攻めから逃げるべく、アタシ三女・椿は立ち上がる。


「ア、アタシ、お風呂の場所とか、聞いてくる!」


「え? ちょっと、椿、待ちなさい」



ふたり揃った制止の声を振り切って、アタシは長女の部屋を飛び出した。



やたら幅のある螺旋階段を駆け下りる。たどり着いた大広間で途方にくれていると、たくさんあるドアのひとつが少し開いていて、そこから声が漏れてきた。


「チェック」

「何だってそんなにぽんぽん取れんだよ!」


傑と護だ。


そうっと覗くと、ふたりはチェスボードを挟んでいた。


「言ったろ? お前はビショップを遊ばせすぎてる。それに、クイーンを動かすのが遅すぎ」

「女を矢面に立たせる趣味ねえよ」


お前なあ、と呆れた声を出した長男・傑をちらりと見て、次男・護は溜め息をついた。



「なあ、兄貴」

「ん?」

「あいつら、今日からここに住むんだよな?」


「・・・・・・ふーん」


ニヤニヤと笑う長男・傑に、次男・護は頬を赤く染めながら「何だよ」と文句を言った。


「桜、可愛くなってたな。同じ屋根の下なんて、考えただけで理性が吹っ飛んでいきそうか?」「ば、馬鹿言ってんじゃねえよ。兄貴だって、牡丹ちゃん見て、内心どぎまぎしてやがったくせに!」


「うるさい。何だってお前は余計なところで勘を働かせるんだ」


そう言いながら、長男・傑も頬が赤い。アタシ、三女・椿は、なんだかすっかり呆れてしまった。


なんだ、お前ら。早速カップル成立か。



「俺は勘がいいんだよ」

と、言った次男・護に溜め息をついて、ふと目線をこちらに向けた傑が、覗き見るアタシに気がついた。



「おう、ぺんぺん草。どうした、迷子か?」


牡丹姉ちゃんに対するのと、何て違い。

アタシはむっとして言い返した。


「ぺんぺん草じゃないもん。椿だもん。えーっと、そのう、お風呂の場所とかを訊きにきました」


姉にもした言い訳を、ここでも披露するアタシである。ああ、ワンパターンだとこっそり嘆くアタシに気づかず、ふたりはぽかんとアタシを見ていた。


「風呂って・・・・・・、部屋に備え付けてあっただろ?」

「へっ?」


今度はこっちがぽかんとする番だ。風呂は全室備え付け?!


「ギャグだ・・・・・・」


呟いたアタシに次男・護は不思議そうな顔をして、長男・傑は少し笑った。


「椿、本当はどうしたんだ?」

「え?」

「お前がそんな事に気がつかないとは思えない。訊きに来るなら、牡丹か桜だろ?」


うぐっ、鋭い。っていうか、アタシも気がついちゃいなかったんだけど、それはまあ訂正する必要はないだろう。昔から頭脳明晰な長男・傑にごまかしはきかない。仕方がない、と、アタシ、三女・椿は観念した。



「・・・・・・お姉ちゃんたちが、傑兄ちゃんと護兄ちゃんのこと、うるさく言うから逃げてきた」


「え?」


驚きの声はふたり同時だ。そしてこれまたふたり揃って、

「何て言ってた?」



長男・傑はアタシのことをまっすぐ見つめ、次男・護はほんの少しそっぽを向くようにして、ふたりの顔は赤かった。

瓜二つなその風情。それを見て、アタシ、三女・椿は、初恋の相手がこのふたりだったことを思い出していた。





傑兄ちゃんは昔から頭が良くて、いろんなことを知っていた。それは秘密の暗号みたいで、聞くたびアタシは、いつも特別な気分になっていた。

この暗号の謎が解けたら、世界は変わると信じていた。


護兄ちゃんはちっちゃい頃からスポーツ万能で、運動に分類されるものなら何でもこなした。西園寺家にあった大きな大きな木の上に、逞しい腕でアタシを引っ張り上げてくれた。



つまり、子供ってそうなんだよね、と、アタシは今、冷めた気持ちで考える。


自分よりちょっと物知りなら、世界一の天才少年かと錯覚してさ。

小学生の頃の男の価値って、いかに足が速いかじゃない?



そういうわけで、小さい頃のアタシってば、ふたりの間をウロチョロ、ウロチョロ。

初恋がいきなり二股なんて、と、アタシはなんだかふて腐れた気分になって成長したふたりをじっと眺めた。



「教えてあげない」


アタシが言うと、傑と護は、「生意気」と豪快に笑う。



「もうちょっと女の子らしくなってるかと思ったら、椿だけは変わってないな」

と、長男・傑。


「可愛げのねえおんなに育ちやがって」

と、次男・護。


ふーんだ、ほっといてよ、なんて拗ねてみせながら、アタシの中に渦巻いているのは、確かな後悔。


アタシって、男を見る目がなかったんだわ。


確かに顔は整ってるさ。確かにいい身体してると思うよ。

おまけに嫌味なくらいの金持ちで、百人が百人、羨むだろう色男ですよ。


だけどねえ、と、アタシは溜め息と共に母を恨む。


アタシに対するこの態度。姉たちに対するのと、なんて違い。


アタシの頭を小突くふたりを見上げながら、アタシはひどく、うろたえていた。


だって、腹立たしいと感じているのに、心のどこかではこの扱いに、なんだか安心していたんだから。

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