東谷 椿の長い一日
とんとん拍子とはこのことだ。
アタシ、三女椿は祝福の嵐の中、そんなことを考えていた。台風の目たる長女を眺めて、にじんだ視界でぼんやり思う。
牡丹姉ちゃんは、ウェディングドレスがよく似合う。
今日、いきなり言われたわけじゃない。ずっと前から分かっていたことだ。準備もずいぶん手伝った。入籍は、ひと月前に済ませている。それなのに、アタシの目元は乾かない。
傑兄ちゃんと牡丹姉ちゃんの鳴らすウェディングベルを、叩き壊す勇気もないくせに。
結婚という二文字が、アタシの気持ちを曇らせた。皮肉にも、空模様は素晴らしい。
入籍イコール結婚なのか、挙式イコール結婚なのか、アタシにはよく分からない。
たったひとつ分かっているのは、この期に及んで傑兄ちゃんが大好きだっていう事実だけ。
白い婚礼衣装の傑兄ちゃんは、アタシのことをペンペン草と笑った意地悪な奴とは、似ても似つかない。
神様に誓う愛の言葉も、柔らかく落とす誓いのキスも、何もかもが、優しい微笑みに彩られていた。
今日は朝から大変だったなあと、アタシは現実逃避ぎみに考える。
太陽昇ってるんですかってくらいの早朝から叩き起こされて、桜姉ちゃんとお揃いで買ったドレスなんて着ちゃってさ。嫌味を込めて柄タイツでも履いてやろうかと思ったけれど、結局やめた。
それは傑兄ちゃんと手を取り合って笑う牡丹姉ちゃんが、いつもよりずっと可愛く見えたから。
敵わないと、痛切に感じた。
ライバルですらないくせに。
家族写真でアタシは笑えていたのか、本当言うと自信がない。
親類縁者や友人たちにごまんとカメラを向けられて、傑兄ちゃんは牡丹姉ちゃんを引き寄せて、レンズに笑顔を向けていた。
1度だけアタシも引っ張りこまれてピースする。その時牡丹姉ちゃんは他の友達と撮影していた。
きっとこれが、人生最初で最後の、傑兄ちゃんとのツーショット。
その時だけは、笑顔だったと確信している。
まるで幸福の絶頂みたいな顔をして、花嫁さんのふりをして。
虚しかったけど、嬉しかった。
傑兄ちゃんの後輩って人が寄って来て、「カレシいますか?」なんて尋ねられた。
周りの友達も悪ノリして、「彼どうですか」なんてお勧めしてくる。
「お前なんかにやれるか、俺の妹だぞ」
傑兄ちゃんはそう言って、意地悪そうに微笑んだ。アタシは笑顔で言い返す。
「優しそうな方でいらっしゃいますのね。まあ、何のお話でしたかしら。よく考えてみますわ」
そう小首を傾げるアタシに、傑兄ちゃんはゲラゲラ笑った。「椿も言うようになったな」なんて、当たり前じゃないか。
「伊達にお嬢様に囲まれてないんだよ」
こんなところで役に立つなんて、まったく茶番もいいとこだ。
披露宴で、もう一度ふたりは愛を誓った。この日のために帰国した母の隣で、次女はひたすら泣いている。それが何だかおかしくて、アタシは桜姉ちゃんをからかった。
「何言ってるの。椿だって泣いてるじゃない」
「それは…」と、アタシは言葉に窮す。牡丹姉ちゃんの声が聞こえる。
「大好きな傑さんと結婚できて、幸せです」
それを耳に入れながら、アタシは、
「牡丹姉ちゃんが、あんまり綺麗なんだもん」
と言い訳した。
「本当に、世界で1番幸せです」
その声は潤いを持っていて、壇上の牡丹姉ちゃんも、泣いているのだと気がついた。
涙の種類は、正反対にも関わらず。
二次会に出て欲しいという牡丹姉ちゃんの誘いを断って、アタシは西園寺家に帰ることにした。
アタシの隣には、当たり前みたいに学がいる。
「椿」
ドレス姿のままで、牡丹姉ちゃんは踵を返すアタシに声をかけた。
「私、今、幸せよ。椿にも幸せが来ますように」
ありがとうとお礼を言って、気持ちが溢れ出る前に顔を背けた。
こんなにも『幸せ』な、終末。
予想が出来ていただけに、アタシの涙は止まらなかった。
17年間生きてきて、1番長い1日だった。
学は何も言わないで、アタシのそばにいてくれる。
護兄ちゃんと桜姉ちゃんも、これで兄妹になっちゃったんだな。
そう思うと愛し愛されるふたりがなんだか可哀相ではあったけど、この悲しみの中で他人を思いやる余裕なんか、これっぽっちも残ってなかった。
「椿ちゃん」
泣いているアタシを学が呼んだ。アタシはそれに答えずに、「ねえ学」と声をかける。
「アタシ、ほんとに好きだったんだよ」
うん、と学は相槌を打つ。
「ほんとに、世界で1番、好きだったんだよ」
それは今でも変わらなくて、きっとこれからも変わらない、17歳のアタシの真実。
声に出せたらどんなにいいか。
人目もはばからずに叫ぶことが出来たらどんなにいいか。
今日の二人を目の当たりにしても、想いを曲げるなんてことは出来ない。
傑兄ちゃん、大好きです。
東谷 椿は、西園寺傑が大好きです。
そんな言葉は虚空に消えて、意味を持たない。
それが分かっているから悲しかった。
そばにいたいと望むのは、この上ない罪だと知っていたから。