(7) 音のない出口
(キリオ視点・一人称)
俺たちは取調室に座っていた。
天井の隙間から、空調の風がヒュウヒュウと音を立てていた。
アシュリーは俺の向かい、両手をポケットに突っ込み、
椅子にもたれかかってドアを睨んでいる。
――まるで「もう帰っていいよな?」って顔だった。
雷蔵さんはまだ戻ってこない。
一応、今は安全。
だが同時に――閉じ込められている。
俺はスマホの画面を見つめた。
一番上に、あのメッセージがまだ残っている。
【誰にも言わないで。今夜十時、ひとりで練習部屋に来て。待ってる。】
ヒラリー――
いや、ヒラリーのスマホを使った「誰か」からのメッセージ。
頭の中に浮かぶのは、ただ一つの光景。
ヒラリーがどこかに捕らわれていて、
俺だけが、彼女を「解放する鍵」だということ。
「一人で行くつもり?」
アシュリーが低い声で聞いてきた。
俺は一秒だけ迷ったが、否定しなかった。
「顔に書いてあるよ。」
アシュリーは俺を一瞥して、早口で言った。
「何考えてるか、バレバレ。あんた、自分だけで全部背負おうとすんな。」
「ヒラリーは、“ひとりで”って……」
「本当にヒラリーが送ったんなら、あんたがひとりでことくらい、わかってる。」
俺は彼女の目を見つめ、低く言った。
「お前まで巻き込みたくない。」
アシュリーは眉をひそめ、唇をきゅっと引き結んだ。
「もうとっくに巻き込まれてんの、わかってる?」
「あたしの方が、あんたより先に“あの音”を聞いたんだよ。
“開門”の意味も、あんたより先に知った。」
「守りたいって気持ちは分かる。でも、あたしは……
あんたたちが傷つくのを見たくないだけ。」
俺は口をつぐんだ。
アシュリーは椅子から立ち上がり、
ドアの方へ歩き、廊下をチラリと覗いた。
「あたしが騒ぎを起こす。受付の連中を引きつけるから。
その間に、裏口から抜けろ。」
「出たら――あたしのことは気にすんな。
あんたは、先にヒラリーを探しに行け。」
俺も立ち上がり、彼女の隣に並んだ。
壁に背を預ける、この感じは……
昔、家の玄関先でこっそり酒を飲んでた時を思い出す。
俺は低く問うた。
「……俺を、信じるか?」
アシュリーはすぐには答えなかった。
天井の蛍光灯を見上げ、ひとつ、パチンと瞬いた。
「……兄ちゃんが最初に弾いた旋律、
今でも、忘れてない。」
俺はほんの少しだけ、肩の力を抜いて、うなずいた。
「行くわ。」
アシュリーはぎゅっと拳を握った。
「……じゃあ、行けよ。
――うだうだしてる暇ないから。」
──
俺は警察署の裏手にある非常階段へ向かった。
静かにドアを閉めると、
そこには、俺一人の足音だけが響いていた。
何がこの扉の向こうに待っているのか分からない。
だが一つだけ、はっきりしている。
今夜、行かなきゃならない。
──子供の頃の家、屋根裏の練習部屋。
手のひらには汗が滲み、
耳の奥がほんのり熱を帯びる。
空気が、何かを呼び覚まそうとしていた。
俺が一段目を踏み出したとき、
スマホが再び光った。
――通知はなかった。
だが、心は知っている。
誰かが、俺を待っているのだ。