①休日
湿った空気、足元を撫でる冷たい風、視界は霧でぼやけ、鼻をつく臭気が思わず呼吸を躊躇わせる。
相田はいつの間にか濡れていた自分の両手を視界に入れた。
―――赤。
まるでペンキ缶に手を突っ込んだかのような液体が両手を染め、手首に沿って這い、雫を垂らしている。
「………くそ」
全速力で走り終えたかのように、息を切らしていた。
相田の視界の先にあるのは見慣れた天井だった。
シーツから出した両手は汗ばんでいたものの、何色にも染まってはいない事を確認して安堵する。
「………いい加減にしてくれ」
両手で顔を覆った。
二日に一回は似たような夢を見ている。前回は笑いながらゴブリン達を追いかけ回し、次々と小さな背中を切り裂いていた。その前は、自分の失態で仲間が死んでいく夢だった。
ようやく呼吸が落ち着いてくる。胸の鼓動も、随分と落ち着いてきた。
相田はベットから起き上がり、昨夜のうちに汲んでおいた桶の中の水をすくい、顔を濡らす。そして着ていたシャツで顔を拭くと大きく息を吐き出した。
悪夢にうなされる原因は分かっている。
ゴブリンとの戦い。肉を断ち、血を浴び、命を奪い合った異常な時間。相田は蛮族を切った感触が忘れられず、命の重みに悩まされ続けていた。
「―――っ!」
思わず息を飲んで飛び退けた。水の入った桶が机から落ち、木床に水が撒かれる。
一瞬、水の色が赤く見えた。
だが、床の上で踊る桶の周りの水に、色はついていなかった。
相田は膝をつき、机を掴みながら体を預ける。
「もう、勘弁してくれ」
―――初陣から一か月。
相田は訓練を続けるも、あの力は未だ自由に扱えず、発動する条件も未だ曖昧なまま。
訓練そのものは嫌いではなかった。むしろ相田は自分でも驚く程に積極的であった。シリアやザイアスと組み手を行っている間は、悪夢について考える必要も余裕なく、また少しでも仲間に追いつこうと必死になれた。
今日は十日ぶりの休暇である。万人が望む貴重な日であるが、今の間には不安の方が大きかった。
「出かけるとするか」
一人になるべきではない。
相田は着替えを済ませると、予定通り日課のランニングを行いがてら王都の中心へと向かった。




