⑩南へ
「我々はこれより………撤収する」
決断が下る。
相田は木々の隙間から僅かに見える空に向かって目を閉じた。
しかし、デニスは地図に向かって指を向けながら『だが』と続ける。
「撤収前に一度、敵の本拠地に探りを入れる」
続いた言葉に相田はすぐにデニスの顔を見た。
シリア達は地図に視線を固めたまま動かない。
隊長が話を続ける。
「蛮族共の本拠地となっている古城を探り、状況を把握。援軍が到着しておらず、かつポーンの言うように敵の数が少ないのであれば奇襲を行い、先遣隊を殲滅させる」
上手くいけば、蛮族達の援軍が引き返す可能性もある。デニスは一旦会話を切り、相田の顔を一瞬だが見上げた。
「………可能であれば村人を救出する」
地獄の底に吊るされた一本の糸、絹より薄く細い一筋の光が残された。
デニスが全員に確認するように口を開く。
「我々の主力よりも、敵の本隊が到着する方が早い事はほぼ明白だ。この機を逃すと、我が国の領土がさらに侵される恐れがある。だが判断は間違えるな、奇襲を行うのは条件が揃えばの話だ」
「「「了解」」」
全員に目を配ったデニスだったが、どちらかといえばその言葉は相田に向けられたものだった。だが今の相田に不満など言える訳がない。例え蜘蛛の糸以下の細さであっても、現状では十分過ぎる程の希望であった。
相田もデニスの視線に静かに、そして覚悟を決めて頷く。
「各自移動準備。村までは馬で移動するが、そこから先は徒歩だ」
準備といっても相田は特にする事がない。唯々遅れを取るまいと、急いで馬に跨った。
腕時計の短針と長針が、後一時間で真上で重なる。
相田が空を見上げれば、二つの月の大半が欠けている。
夜襲の条件が揃っていた。




