②家族の食卓
「二人とも遅い! ご飯食べちゃうよ?」
お気に入りの白いワンピースを着た褐色肌の少女は、食事が乗ったテーブルの番人の様に立ち、腰に手を当てて待っていた。肩までかかる母親譲りの赤毛のポニーテールが、少女の手でくるりと回り、彼女の背中に隠される。
「ごめん、ごめん」
青年は拝む様に片手を顔の前で軽く揺らすと、汚れた前掛けを他のテーブルの椅子にかけ、自分の椅子を引いた。
「さぁ………リールも早く座らないと。二人が食べられないでしょう?」
先に腰掛けていた少女の母親であるアルトが、娘のリールに一言呟く。
「はーぃ」
リールは元気よく跳ねながら自分の椅子に腰掛けた。
そして青年を除く三人が静かに目を瞑る。
食事前のお祈り。彼女達は数秒の沈黙で、青年は静かに両手を合わせ、食事が取れる事に感謝を示す。
青年は日常レベルの会話とある程度の文字を身に付ける事が出来ていた。
小学校から数えて十年以上英語に触れてきても、未だに外国人と満足に話す事が出来なかった事を考えると、人は必要に迫られて初めて必死になれるのだと、青年は自分でも驚く程に日常で困る事が少なくなっていた。
「しかし、アイダ君が来てから、かれこれ三ヶ月になるのか」
父親のコレードは、野菜が入った木の器から均等に人数分の平皿に分け、アイダと呼ばれた青年にその皿を手渡す。
「いきなりどうしたんですか、おじさん」
『すみません』と野菜の入った皿を受け取ると、テーブル中央に置いてある甘酸っぱい白いドレッシングを手に取り、軽く逆さまにしてから蓋を開ける。
「いやぁ、随分と言葉やら文字が通じるようになったと思ってね」
コレードは全員に野菜を配り終えると、自分の野菜に辛味の強い香辛料を振りかけた。
「お母さんの教え方が上手だからだよ。ね?」
リールは回ってきた野菜の皿を受け取り、そのまま正面に座るアイダの前に置く。
森の中で遭難している時に、この家族に救われ、以来居候しながら働いてきたこの三ヶ月。アイダは時間を見つけては彼女の母親であるアルトから言葉や文字、この国の文化や風習等を教わってきた。彼女が結婚する前は故郷で教鞭をとっていたとの事で、その教え方は小学生に平仮名や足し算を教える様に丁寧であった。
「アイダ君の物覚えがいいからよ。後は日常的に会話をして慣れていくだけね」
アルトはそう言いながら、アイダの前に置かれたリールの皿を持ち主の前へと戻す。娘の苦い顔を見て、アルトとアイダがくすりと笑った。
アイダが自分の置かれた状況を話せるレベルになれたのは、この世界に来てから二ヶ月が過ぎた頃であった。
『オレ、来た、違う世界』
まだぎこちなく、しかし単語の羅列に過ぎない言葉と単純な絵を使って必死に説明するアイダの話を、この家族は真剣に耳を傾け、そして疑う事なく頷き、信じてくれた。
その時の孤独から解放されたかのような嬉しさと涙の重さを、生涯忘れる事はないだろう。アイダにとって、それ程の瞬間であった。