①アリアスの村
「ありがとうございました、またお越し下さい。」
爪楊枝代わりの細い枝を咥えて出て行く旅人を、笑顔で見送る。
アリアスの村の中にある『森と湖』と呼ばれる木造の宿屋は二階を宿屋に、一階を食堂とした造りになっており、食堂は宿泊客以外にも開放していた。
作られた笑顔のまま頭を下げていた青年は、両開きのドアに付いている鈴の音で客が出て行った事を確認すると、体を起こすやすぐに溜息をついて客が使っていたテーブルまで足を運ぶ。
「取り敢えずは、一区切りか」
テーブルの上で皿底と同じ円を描いているソース、テーブルとその下の床に散乱していたサラダの残骸。青年は左手で野菜を拾いながら、右手でテーブルを乾きかけた布巾で拭き取る。さらに膝を曲げて床の野菜くすを丁寧に手の中で包むと、青年は立ち上がって複数の食器を大きいものから重ねていった。
食器を重ねる音が食堂に良く響く。この時間帯は食べ終えて帰る客の方が多く、先程の客が最後まで居座っていた最後の一人であった。
食器を運びながら厨房に向かう途中で、村の鐘が昼と夕方の間を告げている。
元居た世界のバイト先で見てきた、昼のピークを過ぎたかのような急な静寂。この光景を、青年は三ヶ月経ってようやく取り戻す事が出来た。
青年は重ねた食器を厨房の奥にある洗い場へと運ぶと、それらを無駄のない精錬された動きと最小限の水の消費で洗い終えていく。
「相変わらず早いな」
青年の後ろから声を掛けてきたのは、この宿の店主であるコレードであった。
褐色の肌と黒いザンギリ頭の髪、激戦とも言える湘南の夏を毎年生き残る海の家の主人並みに筋肉質な体付きだが、彼の肌は焼けたのではなく生まれつきのものである。
青年は大男の声に驚く事もなく、いつものように、濡れた手を目の前のタオルで拭いてから振り向いた。
「えぇ、以前も似た様な仕事をしていたので」
この言葉も随分と使ってきた。
「ショーゴー、お父さーん!」
二人の会話を挟む様に、少女の明るい声が食堂から厨房へと届けられる。
それを聞いた二人は、眉と肩を上げた。
「さてさて、うちのうるさい子猫が呼んでいるぞ」
「そうですね。早く行かないと引っかかれます」
その言葉に、それは困るとコレードが笑いながら青年の肩を何度も叩き、そのまま背中を押すように歩き始めた。