③箱入り娘(物理)
街の明かりも国境の壁の松明も届かない静かな森の中。相田は王と二人きりになった。
「………何故、自分が交渉に行く事を広めるように指示したのですか?」
向こうにその気がなくとも、空気を読めない『ならず者』達が、王を襲う危険性が高まる。相田は眉をひそめてグランバル王を見上げる。
王は片目を吊り上げ、組んだ腕のまま指を一本立てた。
「何、簡単な事だ。余自身が来る事を聞いたカデリア王国の民達の反応を知る為だ。ならず者達など、貴様の相手にもなるまい」
仮に、王がカデリア領内で危険に晒された時、カデリアの民達が戸惑うのならば、少なくともこの戦争に国民達が批判的である事が分かる。逆に良くやったと賛同する反応が強ければ、民達もまた戦争を望んでいる事になる。グランバル王は順を追って相田に説明した。
「なるべくなら、そんな反応は見なくても成功させたいですね」
「無論だ。そもそも、これは余の身に何かが起きる事が前提だからな。余とて、命は惜しい」
王が自嘲気味に笑う。
相田もその笑みに軽く付き合うと、野営の準備に取り掛かった。
一人で野営の準備というのも、存外と大変なのである。
むしろあり得ない。
天幕の張り付け、竈代わりの焚き火作りとその木材の調達、食事の調理、侵入者対策としての簡易罠の設置と、その数は両手の指ではとても足りない。
だがウィンフォス王国の最高権力者に手伝えと言う訳にもいかず、相田はガーネットの右足についていた木箱の蓋を取り外し、中から天幕の布やそれを縛る為の太い紐を取り出した。
「おりょ? いつの間にあっちの木箱を開けたんだっけ?」
太い足で気が付かなかったが、相田が体をずらすと既に左足の木箱が外され、中身も空になっていた。
「………おぉ! オッサン凄いな!」
聞こえてはいけない声が聞こえてきた。
「わははは。焚き火くらい余でも起こせるわ、これでも小さい頃は、父上と狩りに出かけてだな―――」
相田が振り向くと、既に焚き火が王の手によって完成していた。
そしてその隣で国王の肩を叩き、オッサン呼ばわりしている白兎の背中が見える。
「どわぁーーーーっ!」
持っていた荷物が手から全て零れ落ち、相田の背中が真っすぐに伸びた。
『ご主人様、天幕の布をお借りしますね』
「あ、あぁ………いや、いやいやコルティ! それよりもあいつを何とかしてくれ、不敬罪で殺されかねな………って、ぎゃぉぉぉぉぉぉぉっ!」
相田は連続して背筋が伸びた。
『どうかされましたか?』
メイド服を着た小麦色の猫亜人が、大きな瞳で相田の顔を覗き込むように首を傾げる。
「どうかしましたじゃぬぁぁいっ! 何でおんねん!」
無意識に飛び出る関西弁。
『約束したではありませんか。ずっとお傍にいさせていただくと』
「ぐむむぅ」
相田の顎にしわが集まっていく。
コルティに目を細くして睨まれ、相田は視線を正面に置けなくなった。
『夜中にあれだけドタバタと家の中で動いておいて、誰にも気付かれないとでも? 気が付かなかったのはフォーネ位ですよ』
置いて行けば、走って隣国まで追いかけてきそうだったから連れてきたと、彼女が腰に手を当てて口を尖らせる。
「………黙って行って、済まなかった」
バレた以上、謝るしかなかった。相田は頭の後ろに右手を置き、肩の力を落とす。
『ご主人様のお気持ちは分かりますが、置いて行かれる者達の気持ちも汲んでください』
「………はい」
またしても自分勝手な優しさを押し付けてしまった。相田は大きく息を吐き、コルティに天幕の設置を頼む。
「ししょー! 焚き火の枝を取る為に、ちょっと木を倒してくるね!」
フォーネが手を振りながら走り抜けていった。
「森を燃やすつもりか! そんなにいらん! 地面の枝を拾うだけでいいからっ!」
声が届かなかったのか、理解できなかったのか。数分もしない内に、地響きと同時に木材が軋む音が響いた。




