⑧誰かに必要とされる事
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洞窟からの帰り道、相田はリールの家を訪ねた。
『アルトの森と湖』
東西南北の大通りが交差する、一等地の中の一等地にある宿屋兼酒場である。
「いらっしゃいませ! って、何だショーゴじゃん」
「あぁ、ただいま。リール」
ほぼ満席で繁盛している時間帯に入って来た相田は、肩を狭めながら小さく掌を見せた。
宿の主人の娘であるリールは、赤いポニーテールの髪を揺らしながらカウンターへと向かう。そしていつも荷物置き場にしていたカウンター端にある椅子の上の荷物を片付け、相田を招待した。
「何か食べてく?」
頼んでもいないホットミルクに蜂蜜を少し混ぜたジョッキが置かれる。冒険者や傭兵が集まる酒場において、ミルクは冷やかしの対象であるのだが、ここのハニーミルクは疲労回復、酔い覚ましにすこぶる効果があり、仕事明けや宴会後の大人達にとって欠かせない飲み物であった。
「いや、顔を出しただけなんだが………っておじさん」
カウンター越しからリールの父親であるコレードが、サラダの入った木のボウルを有無を言わさず、相田の前に置いてきた。
「酒場に入ってミルクだけじゃ、馬鹿にされるぞ? 野菜くらい食ってけ」
「う、ういっす」
サラダにはコレード特製の香辛料豊富なオニオンソースが、既にかけられている。白米が進む程に旨いのだが、とにかく辛い。
相田は木のフォークで野菜を頬張り、汗をかきながら限界を迎えると甘いミルクを喉の奥へと流し込む。口の中はさながら甘さと辛さの陣取り合戦が勃発していた。
だが旨い。とにかく懐かしく、旨い。
「そういえば、この前ロデリウスさんが来てたよ」
「お、ちゃんと塩をまいてやったか?」
カウンター越しに食器を拭くリールが『塩は高級品だからもったいない』と笑っている。
彼女の母親は蛮族との戦争に巻き込まれ、既にこの世にはいない。母親の死から、まだ二か月しか経っていないが、彼女は彼女なりに笑顔を見せ、懸命に店を手伝う事で負の感情から乗り越えようとしていた。さらには一緒に暮らす事が出来ず、戦いに手を染めなければならない相田の立場を少しでも理解しようと明るい笑顔を振りまいている。
以前のような家族としての距離感は薄れてしまったが、それでも相田はリールとの間に兄妹のような温かさを今でも感じる事ができていた。
相田もリールも、この短い時間が何よりも貴重であった。
食事を終えた相田は、リールと共に裏庭に赴き、彼女の母親であるアルトの墓石に向かって手を合わせる。
店越しに大通りから聞こえてくる雑多な音を背に、相田が大きく息を吸う。
「実はまた仕事が入ってね………しばらく留守にする事になりそうだ」
「………そっか。ショーゴも大変だね」
仕事の話をすると、リールは決まってどこか寂しそうな顔を空に向ける。
「大変なのは、リールの仕事だって変わらないさ」
どの仕事でもそれなりに大変だと誤魔化した。
「大丈夫。必ず戻って来るさ………今までもそうだったろう?」
「………うん」
リールが相田の胸に飛び込む。まだ幼い彼女の赤い髪を撫で、相田は自分を待ってくれる人がいる事、自分を必要としてくれる人がいる事を再認識する。
小さい頃から『良い人』と言われ続けてきた相田にとって、相手に認められる事は存在意義にも関わる重要な要因であった。




