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EP3. 旅立ちの予感

泰地は、週末に出会ったクワンにまた会えるかもしれないという期待を胸に、急ぎ足であのカフェに向かう。しかし、店内に彼女の姿は見当たらず、一瞬がっかりする泰地。しかし偶然にも後ろに並んでいたクワンと再び出会う。馬好きという共通点でさらに距離を縮めた二人は、ソンクランの連休にカンチャナブリで落ち合う約束をする二人だったー

 週明けの館内会議での発表を無事終えた泰地は、一人で大使館内にある職員用の食堂でそそくさと昼食を済ませ、週末にクワンと出会った例のカフェに足早に向かった。


 都会のオアシスとはよく言ったもので、灼熱の南国の太陽が照り付け、車の渋滞で息が詰まりそうな通りからカフェのドアを開けて一歩入ると、空調がこれでもかというくらいに効いている。泰地はカウンターの前で額の汗を手で拭いながら広い店内を見渡した。店員も一緒に泰地の目の方向を追って指を差した。


 「あちらの席が空いています。ご注文は何にされますか?」


 この界隈では人気のあるカフェだが、席が空いていないと踵を返して帰ってしまう客も多いので、スタッフは客のために空席を見つけてくれようとする。今日は昼食時とあって、幸い少し空席があったのだが、泰地はむしろそこにクワンの姿がなかったことが残念でならなかった。


 「今日は来ないのかな…」


 独り言のように呟いて踵を返すとその時、いつの間にか後ろに並んでいたクワンとぶつかりそうになった。


 「あ、ごめんなさい!」


 咄嗟に泰地は日本語でそう言って頭を下げた。


 「あら、またあなた!」


 「ああ、すみません、いや、またお会いしましたね」


 泰地は顔を上げ、偶然に出会ったような言い方をした。


 「あなたもよく来るのですね。私、このカフェの雰囲気が好きなのよ」


 そう言ってクワンはカウンターへ進み、いつもの抹茶ラテを注文した。先ほどの店員が泰地をにやりと見て、空席を指差し、ピースサインのように二本指を上げながら、お二人ならあそこです、というように無言でエールを送っているように見える。


 クワンはこの日一人でやってきた。急ぎの仕事があるのだろうか、抹茶ラテを受け取ると店を出ようとした。


 「あ、あの、よかったらあの席にご一緒しませんか?先日の旅の話もお訊ねしたいので…」


 泰地は何年振りかの女性への誘いの言葉を発した。日本語ではなかなか言えないような台詞も英語にすると意外とストレートに言えたりする。クワンに断られ、さっさと店を出ていくのではないかと少し不安になった。


 「あなたも旅が好きなんですね。じゃ、あそこに座りましょうか?」


 クワンは気さくな調子で返事をした。先ほどの店員は慌てて泰地に向けていたピースサインを下し、「どうぞ」という手振りで案内した。クワンは広い店内をすたすたと歩いてテーブルに着き、抹茶ラテをポンと置いて言った。


 「来月のソンクランの連休に旅行に出かけようと思ってるの…」


 「ソンクランかぁ…」


 タイには四月の中旬にソンクランというタイの暦の正月がある。日本で言う正月三が日にあたり、タイ国民にとっては重要な正月になるのだが、実際タイ人は西暦の一月の新年も祝い、タイには華僑と呼ばれる中国系のタイ人も多く、春節と呼ばれる旧暦の中国正月も祝ってしまう。年に三度の『正月』を体験できるのである。


 タイの正月のソンクランは日本のゴールデンウィークのような大型連休になり、タイ全土が正月気分に浸り、『水かけ祭り』として世界的に有名な水を掛け合う一大イベントの期間でもある。元々は新年を家族親戚でお祝いしたり、お寺へ詣で仏像へ水を掛けお清めをしたりする期間であったが、現在では海外のメディアなどでは水の掛け合いをする『水かけ祭り』と紹介され、海外からの旅行者が集まるエリアでは、水の掛け合いに大砲のような水鉄砲や水タンクを背負いながら見ず知らずの人に水を撃ちまくる人々で賑わう。


 クワンは有名ブランドのバッグから例の旅雑誌を取り出し、パラパラとページをめくりながら抹茶ラテのストローを咥えて飲み始めた。泰地は慌てていたので飲み物を注文していなかった。店員がテーブルを通りかかったので慌ててアイスコーヒーを注文した。


 タイへ赴任してからずっと仕事に明け暮れていた泰地にはタイ人の友達が一人もいなかったが、クワンとの会話はまるで旧友と話してるかのように弾んだ。彼女の旅雑誌を見ながら様々な場所について語り合った。


 「その旅雑誌に載っているカンチャナブリのことをお訊ねしたくて…」


 泰地はカンチャナブリという場所に興味を持っていた。


 「ああ、ここですね…」


 クワンは泰地の言葉を遮るように写真のページを広げ、泰地に向けて見せながら説明を始めた。それもそのはず、カンチャナブリはクワンの生まれ故郷であり、実家の両親に会うために毎年ソンクランの時期には帰省しているとのことだった。


 「この辺りにはいくつかキャンプ場があって、近くの滝で泳いだり、川でラフティングやカヌーを楽しめるのよ。それに奇岩の山が多く景色が素晴らしいの」


 説明を聞きながら、写真とクワンの顔を交互に眺めていた泰地は、一枚の写真に目が留まった。


 「鉄道が岩肌を走っていますね、いい景色ですね」


 泰地は大の鉄道ファンだ。大人になってからも飛行機より鉄道の旅を選ぶほどで、学生時代の卒業旅行ではオーストラリア横断鉄道に乗り、東海岸の首都シドニーから西海岸の都市パースまで、三泊四日を列車に乗って旅をするほど鉄道への憧れが強い。


 「アルヒル桟道橋」といえば、クウェー河の支流に沿って、岩壁すれすれに造られた木造の桟道橋のことだ。第二次世界大戦末期に造られた泰緬鉄道の一部で現在ではカンチャナブリ随一の観光名所となり、鉄道ファンや旅好きの撮影スポットとしても知られる。泰地はタイにいる間に一度は乗車してみたいと思っていた。


 「これは泰緬鉄道と言って、古い映画の舞台になった鉄橋があって、ミャンマーの方に続いているの。途中には滝があったり、トレッキングや川沿いにキャンプ場があるのよ」


 クワンはそう言って次の写真を広げた。


 「そして…ここで馬に乗るのよ!」


 人間の背丈ほどのサトウキビ畑が広がる広い場所で、岩肌が剝き出しになった小高い山に囲まれた、まるで西部劇に出てきそうな赤土の景色を馬に乗って駆けている、タイ人の男女のモデルの写真を見せた。


 「キミ、馬に乗れるんだ?」


 興味津々な顔つきで泰地はクワンに尋ねた。


 「乗れるわよ、あなたは?」


 クワンのテンポのいい問いに泰地は少し怯んだが、息を整えながら自分も乗馬が好きだと答えた。旅の話が馬の話に発展し、共通の話題で盛り上がっていると、


 「じゃぁ、話は早いね。いつ行きましょうか?」


 泰地の心がまるで商店街の福引の一等賞の鐘のように鳴り響き、運ばれてきたアイスコーヒーを半分ほど一息で飲み干した。クワンが本気なのか冗談なのか分からず、即答ができず返答に戸惑っていると、


 「じゃぁ、現地で落ち合いましょう。LINEを交換しましょうよ」


 そう言ってクワンは携帯を操作し、現地の乗馬クラブの位置を送ってきた。“初めまして”というタイ語で書かれた馬のイラストも添えて。現地で落ち合う日はソンクラン祭りの連休の初日であった。


 商談成立とばかりにっこり笑ったクワンは仕事に戻ると言い、すっくと席を立った。愛らしい八重歯を見せて少し微笑みながら店を出て行った。泰地は心が拍子を打つように感じながら、ほとんど氷しか残っていないアイスコーヒーを一気に飲み干し、仕事に戻るため店を出た。昼間の太陽はいつの間にか姿を消し、どす黒い雲が都会の汚れた空をさらに暗くして雷鳴が遠くで響いていた…。


(続く)

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