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奴隷だけど、婚約しました! 自由になったので離反します!

作者: 名録史郎

「神父よ。私と二―ラの婚約を締結してほしい」


 鐘の音が響く中。

 私の愛しの主様であるアルブレトが、神父に懇願しました。


 私はそんな主を見つめ言います。


「本当にいいのですか? アルブレト様、私はこのままでもいいのに……」


「いや、ニーラよ。私は、本当の意味で、君と共に人生を送りたいのだよ」


 私は信じられない思いで、主様を……いえ、旦那様になる人を見つめました。

 私は目頭が熱くなってくるのを感じました。


「私は、あの日、あなたが私を買ってくれた恩を忘れたことはありません」


 私は奴隷。

 暗い鉄格子のなかで、人とも認められないモノとして存在していました。


 だけど、あの日、アルブレトに出会った。

 

「あなたは、私を奴隷としてではなく人として買ってくれました」


 そして、今日アルブレトと結ばれる約束をします。


「私は、あなたと一緒になれて幸せです」


 私は、この気持ちが伝わるようにと心を込めて、アルブレトの少しごつごつした手を握りしめる。


 その様子を優しそうな神父が微笑ましく見ていました。


「アルブレトよ。そのためには二ーラの奴隷紋を解除する必要があるが、本当に良いのか?」


 神父様が、最後の確認をしました。


「はい。お願いします」


 迷いなくアルブレトは返事をした。

 アルブレトの返事を聞き、神父が頷く。


「では、アルブレトと二―ラの正式な婚約を結ぶこととする」

 

 神聖な光が私を包み込みました。

 私の手の甲から、奴隷を表す魔法紋が消えました。


◇◆◇


 その日の夜私はベッドで、主様から旦那様に変わったアルブレトに挨拶しました。


「今日は、疲れましたのでもう寝ますね。おやすみなさい」


「ああ、おやすみ、ニーラ」


 明日から新しい生活が始まります。


 ベッドの中で耳をそばだてて、隣で静かにアルブレトが寝息を立て始めたのを確認してから、部屋をでました。そして、隠しておいた大きなトランクを引っ張り出し、金目のものをどんどん詰め込んでいきます。


 私は、トランクを持って外に出ました。そのまま家にある馬車を奪うと、私は屋敷を脱出しました。


「あっはっは!」


 私は、自分で操る馬車の上で高笑いをあげた。

 こんなに下品に、本性をさらして、笑うのは久しぶりだった。

 5年間、過ごした日々を思えば笑わずにはいられない。


「チョッロ! 転生者とかなんとか言ってたけどさ。奴隷に優しくしただけで、奴隷が恋心とか抱くはずないじゃん」


 私は親に金貨数枚で売られた子供だった。

 貧乏人にとっては、それで何年も生きていくことができる。

 食うに困れば、子供ですら親の食い扶持でしかない。


 そして、売られた子供は、人からモノへと存在を落とす。


 手の甲に魔法の力が刻まれる。

 絶対服従の証。

 主に生殺与奪の権利を与える紋章。


 そして、モノの価値を決めるのは、持ち主。


 アルブレトの目が合った瞬間、恋に落ちたのが分かった。

 私がではない。

 アルブレトがだ。


「10も歳が離れている男なんて好きになれるわけないでしょうに」


 私はそれから、無垢な少女を演じた。

 彼が欲していたのは、労働力でも、性的なものでもなく、恋心だった。


 ことあるごとに自分の本心を騙し、好意を示し続けた。

 

「主様好きです。とか言うだけで、喜んじゃってさ。まじでロリコン、最低……ではないか、手は出してこなかったんだから、ただの間抜けね」


 恋心はなかったけれど、恩義は感じていないわけではなかった。

 5年間、体を求められたことはないし、本当に体を酷使するような労働をさせられたことはない。


「ちょっと、やってることが花嫁修業っぽかっただけね……」


 料理に、掃除に、学問に、魔法。

 生活に必要なものはすべて教えてもらった。


「ほんと奴隷の扱いが分かってないわ。本当に馬鹿ね。知恵付けたら離反するに決まってるでしょうに」


 奴隷の扱いの基本は、余計な知識を身につけさせないことだ。

 もし、主人に見捨てられたら、今よりもっと酷いことになる。

 そう洗脳するのが基本なのに。


「機織りとかまでできるようになっちゃったんだけど」


 手に職までつけさせてどうするのか?

 もうどこでも生きていける。


 本当に呆れてしまう。


 しかもまだ婚約なので、体は清いまま。

 

「というか、結婚まで襲ってこないとか、どんな倫理観なのよ。ありえなくない?」 


 今日はさすがに手を出してくるかと思ったら、普通に寝てしまって拍子抜けだ。

 女より性欲低い男とか聞いたことがない。


 どうやら前の世界が、バカみたいに貞操観念が厳しい世界だったらしい。

 ただし、奴隷がいない世界だったそうだ。


「奴隷制度がなくても、行ってみたいとは思わないけど。なんだかとっても息苦しそうだし」


 アルブレトは、元の世界では誰かに好かれたことはないと言っていた。

 まあ、本当は、こっちの世界でだって、まだ誰かに好かれたことはないのだけれど。


「奴隷紋さえ、消えてしまえばこっちのものよ」


 軛は解き放たれた。

 もう心だけでなく、体も自由。

 どこにだっていける。


「夢は十分見れたでしょう?」


 純粋無垢な少女に恋心を向けられたという夢物語。

 5年間も見せてあげたのだ。もう十分だろう。

 

 今度は私が、自分の心に従い夢を見る番。


「世界をこの目で見るのよ」


 私の冒険が始まった。


◇◆◇


 とはいえ、現実はそれほど甘いものではなかった。

 使い続ければ、いずれ、お金はつきる。

 旅は半年で終えて、元の国から、二つほど離れた国に腰を据えて生活していた。


「まあ、目的もなかったしね」


 魔王を倒す勇者になりたいわけでもないし、大金が手に入るとはいえ命を懸ける冒険者になんてなりたくはない。腹が膨れるわけでもない、綺麗な景色など、数日見れば飽きてしまう。


 私は、大きくはない、店舗つきの中古住宅をなんとか買って、奴隷時代に身につけた機織りを行っていた。


「私は自分の才覚に惚れ惚れするわ」


 腰を据えた場所は、綿などの布の原料となる植物の産地。

 原料は比較的、安めに手に入れることができる。

 私が織った布地も、すぐに人気が出て、すぐに大口の売り先を見つけることができた。


「商売は、順調ね……」


 生活に何一つ支障はない。

 とはいえ、思ったよりしんどかった。


 織物は、売れる品質のものを作れるが、帳簿をつけたり、国に税金を納めたり、商売以外の雑務が多すぎる。


 旅を終えてから、一年とちょっと、走り抜けるように働き続けたが、さすがに限界を感じ始めていた。


「従業員を雇いたいところだけど、怪しい余所の国の女に雇われたいと思う人間はあまりいないだろうし」


 強力な魔法が使える金髪の美女に近づき難いのは、わからないでもない。


 もうあと数年もすれば、近隣住民とも仲良くなれると思うが、労働力は今すぐ欲しい。


 なにかいい案はないかと考える。すると、ピンと閃くものがあった。


「そうだ。私も一人ぐらい奴隷を雇ってみましょうか」


 名案、名案と手を叩きながら、早速奴隷市場に向かった。


◇◆◇


 訪れた奴隷市場は、絶望の懐かしさに溢れていた。

 鉄格子の奥から、恨めしそうに見つめる人の形をしたモノたち。


(可哀想なんて、微塵も思わないわよ? だって私は、元々そっちの人間だもの。そしてあなたたちよりも幸運な人間)


 人の不幸は、蜜の味。

 優越感が身を震わせるほどの高揚を与えてくれる。


「いかがなさいますか?」


 奴隷商は、私を金貨数枚で買い、金貨数十枚で売った男に似ている。もしかしたら本人かもしれない。

 そんな男が私に頭を下げた。


(ん~! 私は商品ではなく、お客様なのね!)


 アルブレトの屋敷を飛び出した時に持ってきた一級品のドレスと装飾品を身につけている。みすぼらしさなど、欠片もない。


 私が元奴隷などとは思うまい。


「どうしようかしら?」


 私は、人の形をしたモノたちを値踏みする。


 檻の中にいたころの経験から、もうすぐ死にそうな奴の気配だとか。

 動けなさそうな奴とか、役に立たなそうな奴とか一目見ただけでわかる。


(あ~、あれはもうだめね)


 やせ細った青年の男。

 多分買い手がいなかったのだろう。

 奴隷商にとって、奴隷が全部売れる必要はない。


 金持ちに10人のうち1人売れれば、利益が出る。

 新鮮なモノを、しっかり仕入れていくのが大切なのだ。


(もうそろそろ処分されるわね)


 ほんの少しだけ、胸が痛む気がしたが、気のせいだと思い込んだ。


(この国では、合法だしね……)


 どんな人間でも、幸せになれるほど、世界は優しくはない。


 子供が出来るか出来ないかなど、人の意志でコントロール出来るものではなく、食べていけなくなれば、口減らしする必要がある。


 みな飢えて死んで不幸になるよりは、断然いい。


 幸福な側にまわれるのならば。


(ふふふ、今は私が幸福側の人間よ)


 私も役に立ちそうもない人間を奴隷にして一緒に不幸になってあげるほど、お人よしではない。

 どうせ買えたとしても、一人が限界なのだ。


「おすすめあるかしら?」


 私は、選びきれず、奴隷商の男に尋ねた。


「彼などどうですか? 先月仕入れてきたばかりです」


 私は、奴隷商が指さした牢屋の隅で、ちいさくなっている少年を見つけた。

 少年は膝を抱えて、希望など何もないような暗い瞳で私を見つめ返してきた。


 ちょうど私が奴隷になった歳と同じぐらいの少年。

 少し灰色がかった髪は艶がよく、健康状態も良さそう。

 顔立ちもよく、大きくなればいい男になりそうだった。目の保養にも良いだろう。


(まあ、私は、アルブレトみたいに奴隷に入れ込んで、扱いに失敗したりしないわ)


「彼にするわ」


 私は、玩具でも選ぶように少年を指さした。


◇◆◇  


「僕は、何をすればいいんでしょうか?」


 家に連れてきた、男の子は早速そんなことを言った。


「えーと、まずは名前を教えて頂戴」


「クイルです」


 クイルは、声変わり前の綺麗な声で答えた。


「クイルね。私は、二―ラよ」


「はい。二―ラ様」


(ん~! 様呼び。いいわね!)


 いっきに偉い人物になった気がする。

 支配欲求が、満たされるのを感じた。


(これだけで、奴隷買ってよかったわ)


 もはや、美形の少年に、崇められるだけで、幸せだった。


(初日から、こき使ってあげようと思ってたけれど、やめてあげますか)


 それに、奴隷紋があるとはいえ、恨まれるのは得策ではない。

 最低限、あの檻を出れてよかったと思わせないと、しっかり働かないだろう。


 私は、アルブレトにされてうれしかったことを思い出した。


「まずは、お腹いっぱいご飯を食べましょう」


「えっ?」


 クイルは、信じられないものを見る目で私を見つめてくる。


(いいわね。その反応、自分がしたもの。懐かしいわ)


「そこに座っていなさい」


 私は、アルブレトに初めて会った日の記憶をたどり、あったかいリンゴのパイを焼いてあげることにした。


 香ばしいパイ生地に包まれたリンゴのパイは、黄金色に焼き上がり、甘い香りがキッチン中に広がります。


 私が一口食べてみせると、物欲しそうな目で私を見る。


 彼の前にパイを置いても、よだれをこぼしそうになるものの、手にとったりはしなかった。

 

(へぇー。ちゃんとしつけられているのね)

 

「食べていいわよ」


 私がそう言うと、待ってましたと言わんばかりに、動物が餌に飛びつくかのように勢いよくパイに手を伸ばすと、口を大きく開けてパイにかぶりつく。


「おいしいです」


「そう、よかったわ」


 そのあともクイルは、夢中になって、リスのように頬ばっり続ける。


「ふふふ」


 そんな彼を見て、私も自然と笑みが零れた。


(恋心はなかったけれど、あの日私もお腹いっぱいに食べれて嬉しかったかしら)


 この身が思った以上に、優しい幸せに満ち足りていたのだと、ようやく気づいた。


◇◆◇


 私は、クイルに機織りの仕方を数日かけて丁寧に教えた。

 クイルは、物覚えがいい。

 予定していた量は、昼を少し過ぎたころには終わっていた。


「今日のお仕事はお終いね」


「まだ日はくれていません」


 彼からしたら、こんなに早く仕事が終わるのは違和感があるのだろう。

 

(まあ、やる気があるのなら、まだ頑張らせてもいいけど、早く終わったからといって仕事の量を増やすと今後さぼるようになるかもしれないし)


 根拠は、自分だ。

 アルブレトに頼まれた仕事は、いつものんびりやっていた。


 とはいえ、暇にさせるわけにはいかない。


「お仕事は、お終いだけど、まだやることはあるわ」


「夜伽の相手でしょうか」


「……」


 まあ、普通そうよね。

 奴隷として買われるとき、夜伽の相手ができなければ、処分されるとならった。

 

 女とはいえ、目の前に可愛らしい男の子がいれば、そんな気持ちがほんの少しないわけではない。

 

「あなたみたいな子供に欲情するわけないでしょう?」


 私は、強がってそういった。


「次はお料理を学びましょうか」 


「料理ですか?」


「おいしいご飯を食べれば幸せな気持ちになれるでしょう?それにいつまでも、主である私に作らせるつもりではないでしょうね?」


「も、申し訳ありませんニーラ様」


「じゃあ、一緒に作りましょう」


「一緒にですか?」


「もちろんよ。あなたは、いきなり私を満足させることが出来る料理が作れるの?」


「いえ……」


 私は、エプロンをつけながらクイルを台所につれていって、野菜を渡す。


「じゃあ、まずはそこの野菜を切ってちょうだい」


 私がそう頼むと、包丁をおっかなびっくり握ろうとする。


「ああ、もう危なっかしいわね!」


 機織りはあんなに器用にするのに、料理はどうやら苦手らしい。 


「私が切るから、クイルは野菜を洗ってちょうだい」


「すみません」


「謝らなくていいわよ。誰にだって苦手なことはあるし、ゆっくり慣れたらいいわ」


 思わず、そう言ってから幻聴が聞こえてきた。

 

『謝らなくていいよ、誰にだって苦手なことはあるから、ゆっくり慣れたらいいよ』


 アルブレトの染み入るような優しい声。


(今では何でもできるけど、私だって昔はなんにもできなかったわね……)


 自分より数倍は、出来がいいクイルを見ながら、

 優しく思い出の中で響くアルベルトの声が、ほんの少しだけ懐かしくなった。

  

◇◆◇


 それから数年の月日が流れたある日。


「行ってきます」


「行ってらっしゃい」


 私は、クイルを見送った。


「スクスクと大きくなっちゃってさ」


 クイルは、爽やかな青年になっていた。

 その分私も歳をとってるということ。

 未だに結婚できていない。


「はあ、なかなかいい出会いはないものね」


 まるでなかったわけではないが、どうしてもクイルとの比較になってしまい踏ん切りがつかなかったというのが正直なところ。


「奴隷を飼うと結婚出来ないっていうのは、本当ね……」


 ぼんやりと考え事をしながら、店番をしていると、

 眼鏡をして、口に髭を蓄えた常連の男性がやってきた。


「やあ、二―ラさん」


「はい。いらっしゃいませ」


 私は、精一杯営業スマイルをして見せる。


「今日も綺麗だね」


「またまた冗談が上手ですね」


 口ではそう言いながらも、


(ん~! まだまだ私の美貌も健在ね!)


 心は小躍りしていた。


 男性はいつも買って行ってくれる布地を抱えると、お金を置いていってくれる。 


「ありがとうございます」


 私は、男性にお礼を言った。

 

 心からの感謝だ。

 美貌を褒められたからではない。

 まとまったお金が入ったからだ。


(今日はご馳走ね)


 人間生きている限りお腹がすく。

 なにかを食べたいと願う。

 それが満たされるのは、なによりも幸福。


 奴隷を経験し、満たされなかった経験があるのならなおさら。


「さて、今日は何作りましょうか?」


 エプロンを取り出し、台所に行こうとする前に、お金を金庫にしまうことにした。


「あれ? 帳簿と金額合わないわね……」


 客から受け取ったお金は間違いなかった。

 ということは、クイルが買い出しに持ち出したお金が合わないということ。


「頼めばお小遣いぐらいあげるのに……」


 向こうもそれくらいはわかっているだろう。

 つまり、用途が私に教えられないということ。


「やっぱり野良神父に頼む気かしら?」


 奴隷紋は、神父が使用する聖魔法でしか解除できない。だが世の中には非合法の神父もいる。多額の金を積めば、解除してもらえるという話だった。


 自分だって、奴隷だった時は、それを視野にいれていた。


 クイルだって本心は……。


 私は首を振る。


「まあ、ちょっと多めに持ち出しちゃっただけよね……」 


 それから、私は料理を作って、クイルの帰りを待った。


 時計の針が、静かに家の中に響く。

 日はゆっくりと傾いていた。


「こんなに遅くなることいままでなかったのに」


 作った二人分の料理も無駄になるかもしれない。


「奴隷紋使用しようかしら……でも」


 使用しようとして、発動しなければ確定してしまう。


 心が暗い闇に捕らわれそうになったとき、カラーンと玄関の鐘がなった。


 私が慌てて、玄関に行くと、クイルが不安げな顔で立っていた。


「遅かったわね。心配したのよ」


「すみません。どうしてもニーラ様に渡したいものがあって」


 後ろ手に隠していたものを、私の前につきだした。


 差し出されたものは、真っ赤な美しい薔薇の花束だった。


「二―ラ様、僕は心の底からあなたのことを愛しています」


 私はその言葉に、ぐらりと衝撃を受けた。


「嬉しい。ありがとう」


 思わず、口に出してしまった。


(ああ、私は、本当は)


 心は愛を求めていたのだと知る。


 そして、同時に猜疑心が生まれた。


『アルブレト様、私は心の底からあなたのことを愛しています』


 そして、私が繰り返し続けた嘘だった。


 これは愛なの? 嘘なの?


 過去の自分の幻影が、私自身を苦しめた。

 

◇◆◇

 

「二―ラ様、好きです」

「二―ラ様、愛しています」


 それからというもの、クイルは、私に好意を示すようになった。


 馬鹿な私の心は、その言葉に喜んだ。

 だけど……。


『主様、好きです』

『主様、愛しています』


 嘘を付き続けた自分の過去の幻影が、嘘にきまっていると囁き続ける。


 信じる心を奪っていた。


◇◆◇


 今日は、クイルの成人の日。

 つまり、結婚できる日だ。


 私とクイルは、教会に来ていた。


 婚約……ではない。


 クイルの奴隷紋を解除しにだ。


「二―ラ様、本当にいいんですか? 僕はこのままでもいいのに」


『本当にいいのですか? アルブレト様、私はこのままでもいいのに……』


 まるで私と同じ言葉をクイルは言う。

 優しさにつけこむために、罪悪感を煽る方法だ。


「いいのよ。神父様お願いします」


「あなたたちの仲の良さは、良く知っています。確かに奴隷紋は必要ないでしょう」


 神父は、疑いもせずに、クイルの奴隷紋を解除した。


 私はクイルの顔を見る。


 あの日の私のように、一切の邪念を感じさせない顔をしていた。


◇◆◇


 教会からの帰った家の前で私はクイルに尋ねた。


「あなたの本当の気持ちを聞かせて」


 私の元を離れたいのなら、それを受け入れよう。


「私のこと愛していないというのなら、あなたが旅立つ資金ぐらいなら……」


 私が俯きながら、そう言いかけた時、クイルが遮るように言った。


「僕は、この家を出て行くつもりはない」


「な、なら」


 私は喜び顔をあげた。


 だけど、私の目に飛び込んできたのは、今まで見たことのない邪悪な顔をしたクイルだった。


「この家は、俺のものだ!」


 私は、魔法の発現を感じ取り、その場を飛び退いた。

 私がいましがたまでいた場所に風の魔法が通り過ぎる。


「な、なぜ」


 愛されていないかもしれないとは、思っていた。

 でも、攻撃されるとは思っていなかった。

 今のは確実に殺意がこもった攻撃だった。


「ははは、さすがだな。魔法の腕はおちてないな」


 クイルに酷薄な笑みが浮かぶ。


「ようやく自由だ」


「やっぱり私のこと愛していなかったのね」


「当たり前だろ。お前みたいな、年増の女を好きになる男がいるものか!」


「年増……」


 まだ私は28歳。

 だけど大体の人間が20代前半までに結婚しているこの世界では年増と言われても仕方ないかもしれない。

 それに彼は18歳になったばかり。

 私とは一回りも離れている。


「お前がちゃんと教えてくれたからな。もう魔法耐性もある。再度、奴隷紋は書けないぞ」


「そうね」


 主人と奴隷の関係はいつだって歪だ。


 本当に愛していたのは、

 愛を語る側ではなく

 愛を語らない方……。


「私は、あなたのこと愛していたのよ」


「愛している。愛しているだって? ああ、俺だって何度でも言ってやるさ。本心に嘘ついてでもな」


「資金ならあげる。家を出て行って」


「お前を殺して、俺は自由になる。この家も全部俺のものだ!」


「そんなこと許されるはずが……」


「ああ、どうせお前は、この国の人間じゃない、咎められはしないさ」


「愛は本当だと思ってはいなかった。だけど」


 恩義すら思っていなかったなんて。


 クイルが再度、風の魔法を放とうとする。


「誰があなたに魔法を教えたと思って」


(ファイアランス)


 心の中で呪文を唱えると、炎の槍を構成しようとして、


 魔法が霧散した。


「えっ?」


 彼の手には、魔法を打ち消すアイテムが握られていた。 それを私に使用したようだった。


「なんで、そんな高価なものを持って」


「ははは、お前は俺があの花を買ってきたと信じていたな。あんなものただの山に生えている雑草だ」


「そんな」


 嬉しくて、購入履歴なんて確認しなかった。確かにあの時期に頑張って山を探せば、手にはいる花だった。


「魔法が使えなければ、お前など非力なただの女だ」

 

 私は地面に押し倒されて、首を掴まれた。

 アイテムの効果は短い。だけど、私の首を折る間ぐらいは、余裕で持つ。


「馬鹿な女だ。お前を殺せば、この家は、俺のもの。俺もお前のように奴隷を雇い好き勝手してやる」


 他国の者が入りやすい国だった。

 逆に言えば、人ひとり増えたり減ったりしたところで、誰かが何かをしてくれる国ではない。


(ああ、これが罰なの)

 

 やられたら、やり返される。 

 それに、恩を仇で返されることもある。


 そう。

 私が、アルブレトに行ったように……。


 私の気道が詰まろうとした瞬間、何者かの影がクイルに体当たりした。


 私はその影に見覚えがあった。


「ア、アルブレト?」


 記憶の中の彼よりも幾分か年を取った。

 それでいて、昔と変わらぬ優しさを伴っていた。


 アルブレトは、私に優しく微笑むと、毅然とした態度でクイルに向き合った。


「クイルといったか。君はもう自由だ。どこへなりともいって、好きに生きるといい。だが、彼女にまだなにかするとすれば、私が、君を許さない」


「くっ。なめるな!」


 クイルが放った風の魔法が、アルブレトの土の魔法に防がれる。アルブレトは、腰につけていた剣を抜いた。


「それとも、なにかな? 君は私と決闘したいのか?」


 アルブレトは剣技も魔法も使える。


 私は剣の才能はなかったので、クイルにも魔法しか教えていない。


 それに、もうアイテムの効果も切れていた。

 私の魔力も戻ってきている。


「くそっ」


 クイルは不利を悟ると、逃げ出すように駆けだした。


 私は、走り去っていくクイルの後姿を見送った。


「あっけないわね」


 8年も一緒にいたのに、酷い別れ方だった。

 だけど、思ったほど、傷ついていない自分がいた。


 多分、彼がここにいるからだろうか。


「久しぶりね。アルブレト」


「ああ」


 なんともぎこちないやり取り。

 何を話せばいいかもわからない。


 いや、でも、アルブレトはどうして私を助けられたのだろう?


「それに、どうしてあなたここにいるの?」


「それは……」


 ポケットからちらりと見えるのは、いつもお得意様がつけていた眼鏡。

 それと、ふさふさの変装用の髭だった。


「もしかして、あの人がアルブレト?」


 生活できるぐらいの布地は、お得意様のあの人がいつも買ってくれていた。


 あの人がアルブレトだとしたら、結局私はアルブレトの優しさに生かされていたのだ。

 見返りすら求められずに。

 他の男とすら生活していたのに。


「アルブレト、もしかして結婚していないの?」


「僕の国では、まだ君と僕は婚約していることになっている」


「あなたの国は、一夫多妻も大丈夫でしょう」


「僕が、愛しているのは君だけだ」


「知ってるでしょう。私は別にあなたのこと愛していないし、現に若い男にうつつを抜かしていて……」


「それでも、僕は、君のことを愛している。これは、僕の気持ちだ」


 なんという男なのだろう。

 本当に馬鹿そのもの。


 私の口からため息が出た。


「よく覚えておきなさい」


「なにを?」


「人は優しくされたぐらいで、他の人を好きにならないわ」


「うん。知ってるよ」


 寂しそうに、アルブレトは答えた。


「でもね。それは一般的な話ってことよ」


「それってどういう?」


「私はね。ものすごく優しくされたら、ころりと好きになってしまうような女ってことよ」


 そう言うと私は、そっとアルブレトの頬に口づけをした。

 人生で初めて心を込めて。


 15年も無駄になるかもしれない、優しさを与え続けた馬鹿な男に。 


「他の女に、そんなことするのは、本当にやめなさいね」

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