8・騎士様と二人③
ジェラルドが重たそうな木の扉を開けてくれる。
「うわぁ……っ」
ここって海辺の街だったんだ!
部屋に入って最初に目に入ったのは、バルコニーの向こうに見える海だった。
ここから海辺までは少し距離はありそうだが、橙色の夕日が水面にキラキラと反射していているのが見える。とても綺麗だ。
思わずバルコニーに駆け寄った私に、ジェラルドは口元に手を当ててくすりと笑った。
「海、お好きなんですか?」
ジェラルドの声に私ははっと我に返る。
え、ちょ、恥ずかしい。
子どもっぽいのは見た目だけで十分なのに、行動まで子どもみたいなことをしてしまった。
「いや、あの、その……私の住んでいたところは、海が近くになくて……」
私は顔に熱がのぼるのを感じながらも、言い訳のようなことを口にする。
しかし、ジェラルドは特に気にしたそぶりもなく、得心したように頷いた。
「ああ、でしたら珍しいですよね。この国は、東・西・南の三方面を海に囲まれている小国なんです」
「へえー……」
ジェラルドが机の上にあったメモ用紙に、さらさらと地形を描いてくれた。へぇ。北側は別の国があるんだ。私の世界のイタリアみたいな感じだろうか。
「この国は小国な上に水災害に見舞われることが多いのですが、創世神ルーチェ様のご加護をいただいているおかげで人命に対する被害は少ないのですよ」
「なるほど……」
歴史の授業はあまり好きではないが、ジェラルドから聞くこの国の話はとても面白い。
全く知らないからこそだろうか。それとも、ジェラルドの説明が上手だからか。
「過去、幾度か他国との戦争もありましたが、ルーチェ様の御加護により、勝利を収めることができたそうです」
「……なんか、ルーチェ様ってすごいですね」
ルーチェ様が災害や戦争から守ってくれている?
神様が存在していることが、ごく自然に受け入れられている?
この世界では、あの神様はそれほどまでに信仰されているということだろうか。
私はいたって普通の日本人だ。
家は仏教徒だが、正月には神社にお参りもする。クリスマスにはケーキを食べるし、ハロウィンには仮装だってする。私は特に一つの宗教に対する信仰心が強いわけではない、一般的な人間だ。
神様がいるかどうかなんてわからない。だから、存在を信じきるつもりも、真っ向から否定するつもりもない。
だが、この国の国民にとっては違うのだろう。
あんなふざけた神様でも、信じられている。
それだけはすごいと思った。
「ええ、ルーチェ様は素晴らしい神様です。ですが……」
「ん……?」
途中で止まったジェラルドの声に、ふと私は顔を上げる。
見上げれば至近距離で目があって、その思わぬ近さにどきりと私の心臓が跳ねた。
え、ちょ、近……。
よくよく今の状況を思い返せば、私はメモを見るために机に手をついて身を乗り出していた。
ジェラルドはメモを書くために机の前に立っているわけだから、必然的に距離が近くなるわけで……。
「ルーチェ様に選ばれた神子様も、十分素晴らしいお方です」
にこりと目を細めて、眩しいものを見るような表情で見つめられる。
ジェラルドに他意はないと分かっていても、私だって年頃の乙女だ。イケメンに微笑まれればときめいてしまう。
「あ、ありがとう……?」
どうにかこうにか絞り出したお礼の言葉は、自分でも驚くほどふわふわとしたものだった。
あ。
そうして言ってしまってから気づく。
うっかり敬語を忘れてタメ口で返してしまった、ということに。
「ご、ごごごごめんなさい! 敬語忘れてました!」
慌てて頭を下げた私に、ジェラルドは目を丸くしていた。
あああ、呆れかえっているんですね⁉︎ この小娘うっかり敬語を忘れたこと今気付いたのか、ってことですね⁉︎
「ど、どうされましたか、神子様。敬語? あなたは謝るようなことを何もしておられませんよ?」
ジェラルドは本気で戸惑ったような様子を見せる。
い、いやいや。16の小娘が明らかに年上の人にタメ口で話すなんて、普通に考えておかしいですから。
「だって、ジェラルドは私より年上じゃないですか」
「それはまあ、確かに俺はあなたより年上だと思いますけど」
「ちなみにおいくつで……?」
「21です」
ほらーーーー! 5つも年上じゃん!
「ですが、俺はあなたの騎士です。そしてあなたは神の遣い。俺に敬語を使う必要はありません」
内心頭を抱えた私に、ジェラルドは穏やかな声でゆっくりと言った。
そう言われても、どうしても気になってしまうものだ。
「で、でも」
「慣れてください」
にっこり。
なおも言い募ろうとした私の言葉は、ジェラルドの有無を言わさぬ笑顔に封じられた。
「はい……」
意外にもこの騎士様、押しが強い……。