20・神子様の決断
食事を一通り終えると、エミールくんが仏頂面で飲み物を運んできてくれた。
机の上に置かれた可愛らしい花柄のティーカップの中で、紅茶のような琥珀色の液体がきらめいて芳醇な香りを漂わせている。
それを一口含み、私は意を決して口を開いた。
「ニコラス、聞きたいことがあるんだけど……」
私がそう言うと、真面目な話だと感じ取ったのかニコラスは居住まいを正した。
「なんでしょう」
「ニコラスは、神様が消えそうなことを知っていますか……?」
私がそんな話をしてくるとは思ってもいなかったのだろう。ニコラスは一瞬目を丸くした。
「もちろん存じておりますが、神子様はどちらでそれを……?」
少しだけ、声を潜めて言ってくる。
ニコラスがちらりとジェラルドへ目配せすると、ジェラルドはすっとエミールくんの方へ向かっていった。
2人は短く何事かを話すと、エミールくんだけが静かに食堂を出ていく。
――……もしかして他の人に聞かれたらまずい感じ?
私は首をひねりながらも、訝しげなニコラスの質問に答えた。
「え、と……神様から聞きました」
……まずい。
私、別に特定の宗教への信仰心が強くないんだけど、この発言だけ切り取ったらものすごく信者っぽい気がする。
神様から聞きました、とか完全にスピリチュアルな人じゃん。いや事実なんだけども。
私の内心の動揺など知らないニコラスは、目元をやわらげ、うんうんと感動したように何度も頷いた。
「さすが神子様、素晴らしい……! ルーチェ様から直接お聞きになるとは!」
「ええ、本当に。さすがは神子様です」
いつの間にやら私の後ろへ戻ってきていたジェラルドも、ニコラスの言葉に頷いている。
「は、はは……」
対して私はというものの、乾いた笑いをこぼすしかできなかった。
褒め称えられても、私の力ではないからなんとも言えない。
「ここ最近、何者かによってルーチェ様にまじないがかけられた模様で……。ルーチェ様のご加護の力は奪われていくばかり」
「まじない……?」
この異世界、魔法のようなものはないと思っていたが、違うのだろうか。
私が首傾けると、ジェラルドが補足してくれた。
「道具を使った、呪詛のようなものです。術者の命を使うので、この国では禁忌とされています」
なるほど、魔法使いは存在しないが、まじないは存在するのか。両者が似ているようで違うことは、私にも察せられた。
「ルーチェ様のお力を狙うものは定期的に現れるのですが、今回はタチが悪くて……。まだ、術者の居場所が分かっていないのですよ」
ニコラスはどこか悔しそうに目を伏せる。だが、すぐにはっと顔を上げて私の方を見てきた。
なんだか、嫌な予感。
「ああ! 神子様はルーチェ様をお救いするために、この世界へ来られたのですね!」
「い、いや……」
違います。神様のうっかりのせいです。
しかし、目の前のニコラスはテンションが上がっているのか、私の声は届いていないようだった。
「この国は、ルーチェ様のご加護のおかげで発展してきたようなものです。そのルーチェ様のお力が奪われることは国家レベルの危機。それを防ぎ祝福を与えるために神子様を遣わしたということですか……! さすがはルーチェ様!」
なにやら早口で言うと、ニコラスは両手を組んで天を仰いでいる。
……ちょっと待って?
国家レベルの危機……?
ニコラスの口から聞き捨てならない言葉が聞こえて、私はとっさに口を挟んだ。
「あ、あの……神様が力を奪われると、そんなに大変なことになるんですか……?」
「……この国は、周辺諸国に比べてかなりの小国です。軍事力も経済力も、他国に劣る。それがなぜ、長年平和を保っているか……」
ニコラスはそこで一旦言葉を切った。
それを引き継ぐように、ジェラルドが説明を続ける。
「この国は、創世神であるルーチェ様が一番初めに作られた国だと言われています。だからこそ、ルーチェ様からご加護を賜っている。この国の周囲には、ルーチェ様が結界を張られているんですよ」
それはすごい。
つまり、あの神様の力が消えたりしたら、国を守っている結界が消えるということ――?
「それ、は……、神様の力が消えたりしたらまずい、ですね……」
「ええ、まずいです」
ニコラスは深刻な表情をしていた。
私は黙ったまま考える。
なんだか、私だけの問題じゃなくなってきた気がする。
あんの神様、なんでこんな大事なこと言わないのよ。
神様は私に、『この世界を楽しんで、時が来るのを待っていてくれればいい』と言った。
多分だけどあの神様は、自分が消えるのを受け入れる気なんじゃないだろうか。なんとなくだが、そんな気がする。
――私は……、あの神様に消えてほしくない。
この異世界に来て、まだたったの三日。
だけれど、あの神様のことは、なぜだか憎めないのだ。精神とやらが同化してしまったせいもあるのだろうか?
――これは、私の自分勝手な思いなのかな。
『いいや。嬉しいよ』
「っ!」
突如、空気に溶けるように声が響いて、私ははっと顔を上げる。
辺りを軽く見回すと、いつの間にやら私の隣に神様が座っていた。
『僕だって、率先して消えたいと思っているわけではない。……消えたいわけ、ないじゃないか』
ここまできたら隠す必要はないと思っているのか、神様は気持ちを教えてくれた。
その言葉に、私は気持ちが固まった。
私はニコラスの方をじっと見つめる。
「ニコラス。私も、神様を助けたいです」
「神子様……」
ニコラスとジェラルド、そして神様の視線が私へと集中するのが分かる。
神子だとかは関係ない。
神様の力が消えてしまったら困るのは、私も同じなのだ。
自分が元の世界に安心して戻るためにも、憎めない悪友のような存在になってしまった神様のためにも、なにかしたい。
「だけど、私はこの世界の人間じゃないから、まずはこの世界のことを知ることから始めてもいいでしょうか?」
「……ありがとうございます。神子様の力添え、とても心強いです」
『君は、優しい子だな。うっかりぶつかったのが、君でよかった』
聞こえてきた神様の小さな呟き声は、どこか嬉しそうだった。