第六話 久しぶりの登山
登山に必要なものは何か。
登山靴などの道具を除けばやはり体力だ。
ザックを背負って斜面を登るというのは結構負荷が大きい運動になる。
歩き方に多少の技術もあるけど根本的には体力がものを言う。
きちんと運動をしている人間であれば夏山なら結構きついルートでも登れてしまう。
冬山は専門の用具の扱いなどが必要になるためまた別ではあるけれど。
今の僕が必要としているのは体力を取り戻すこと。
追い込んで登るスタイルではなくても、ある程度の体力が無いと登山は楽しめない。
もっと言えば極端に体力が低いと危険ですらある。
"社会人になってからはあんまり運動していないからな"
少し反省している。
なのでこうして土曜の早朝に電車に揺られているのだ。
行き先は青梅線の二俣尾駅。
目的はもちろん登山。
この前買った新しい登山靴とザックの初使用となる。
周りを見ると同じような格好の人が多い。
そうだろうな。
土曜の朝7時半過ぎに電車に乗っているって、登山する人か朝帰りの人くらいだ。
たまに部活の格好をした学生もいるけれど。
電車の窓から外を見る。
冬の朝の陽光はまだ弱い。
がたん、がたんと揺られるうちに青梅に着いた。
ここで更に奥多摩までの電車に乗り換える。
同じ青梅線を通るホリデー快速奥多摩という電車があるけど、あれは二俣尾には止まらないからな。
そして個人的には青梅線と言っても青梅から先、終点の奥多摩までは真のローカル線だと思っている。
"最初に乗った時は本当に東京なのかと思ったよ"
ようやく電車が青梅駅を出た。
風景が一気に変わる。
立川〜青梅までもそこそこローカルっぽさはある。
高い建物は少ないし遠くに山や丘陵が見える。
それでも辺鄙な郊外という印象にとどまる。
だけど青梅から先は違う。
線路が山の間を縫うように伸びている。
しかも単線だ。
絵に描いたような田舎の路線と言っても過言ではない。
本数がある程度キープされているのが救いだけれど。
いやでも山を意識する環境の中にある。
自分がこの辺りに住めるだろうかと考えてみた。
即、結論。
難しいだろうな。
見た感じ、ある程度の規模のスーパーや薬局といった店が無さそうだし。
歯医者に行くとしても車で青梅まで出ないと駄目とか、そんな感じかも。
ここは山の為に訪れる場所かな。
埒も無い考えをしている内に目的地が近づいてきた。
電車のスピードが遅くなる。
ザックを掴んで立ち上がった。
「次は二俣尾、二俣尾。お降りの方は車両のドアの開閉ボタンを推してください」
アナウンスが流れ、電車が止まった。
二俣尾で降りたのは僕一人だった。
他の登山者達は御嶽や奥多摩で降りるのだろう。
無人駅の二俣尾を後にして歩き出す。
駅の周りは民家や商店がポツポツとある。
ほどなく大きな橋を渡った。
多摩川の上流域を渡ったことになる。
橋の上から川面を見下ろすと相当高い。
10、いや、15メートル以上はある。
この辺りは夏場ならラフティングを楽しむ人もいるそうだ。
自然豊かという言葉が似合う。
というかそうとしか形容出来ない。
視線を上げた。
前方に山がずんとそびえている。
そのピークはまだ見えない。
あれが今日登るルート、愛宕尾根だ。
この尾根を越えて日の出山に登ると、そこが今日のピークとなる。
日の出山は登山者にとってはポピュラーな山だ。
ケーブルカーで登れる御岳山の隣にそびえている。
標高902メートルという高さも日帰りハイキングとしてはちょうどいい。
山登りの感覚を思い出すため、まずはここから登ることにした。
昔登ったことのあるコースでもあるし、不安はない。
吉川英治記念文学館の手前で道を山側に取る。
道の左右に木々が並ぶ。
進んでいくと神社の鳥居が見えてきた。
苔むした石段を踏み、鳥居をくぐる。
神社の境内で立ち止まった。
愛宕神社の建物――社屋と呼ぶのだろうか、に軽く頭を下げた。
建物の向かって左へと進むと小さな標識を見つけた。
記憶の通りだ。
ここからが登山道だ。
木々が密集する中を細い土の山道が伸びている。
登山靴が枯れ葉を踏んだ。
ガサリと軽い音が鳴る。
「さて、行きますか」
軽く気合を入れて山道へと踏み出した。
† † †
登山靴の靴底が土を噛む。
ぐいと体を持ち上げる。
傾斜した地面に這った木の根を階段のように踏む。
次の一歩。
体に適度な負荷がかかっているのが分かる。
この繰り返しだ。
体が温まってきた。
2月とはいえ日のあたる時間なら体を動かしている限り寒くはない。
今はTシャツの上に長袖のフットサル用のウェアを着ている。
純粋な登山用ではないがスポーツウェアなら概ね用途は同じだ。
これだけだと下山時や帰路で寒い。
そのためザックの中に薄手のダウンとタートルネックのセーターを入れていた。
山を降りた後の電車で風邪をひくことは意外とある。
このあたりの経験は実際やってみないと分からない。
"思ったよりは動けるかな"
山道を進みながら自分の体の調子を測る。
息はまだ上がらない。
先週からランニングを始めた成果か?
いや、一週間で成果が上がるはずないか。
山岳部時代の登山経験を体がまだ覚えているのだろうか。
さすがに昔のことかな。
高尾山程度でもたまに登っていたのが良かったのだろう。
15分ほど登ったところで立ち止まった。
水筒を取り出し一口飲む。
まだ喉は乾いていないが、乾いてからでは遅い。
ザックのポケットから小袋に入れたレーズンを取り出した。
これも口に放り込む。
いわゆる行動食だ。
登山は体のエネルギーを相当使う。
消耗した状態で動けば体が悲鳴をあげてしまう。
ちゃんとした食事とは別にこうした行動食を適当に補給していく。
おやつをちょいちょい食べるようなものだ。
立ち止まっていたのは数分ほどに過ぎなかった。
再び登ることにする。
徐々に高度を上げていく。
山の空気を全身で感じた。
木々の密度が濃い。
人の手がそれほど入っていないのだろう。
奥多摩は杉の植林地として有名だ。
だがこの愛宕山の辺りは広葉樹が多い。
重なった落ち葉を踏む度に豊かな自然を認識する。
人のざわめきや車の騒音、信号の電子音ーーそういった都会の雑音がここにはない。
代わりにあるのは山の気配だけだ。
僕の歩く音も木々や土に吸い込まれていく。
これだ。
この感覚だ。
懐かしさと満足感を覚えた。
樹林帯を歩くのを好まない登山者も多い。
視界が悪いからだ。
だけど僕はこの登り始めが割と好きだ。
山に分け入っているという実感があるからだ。
人も自然の一部であるという陳腐なフレーズが浮かぶ。
だがそのフレーズがすとんと胸に落ちた。
陽光が重なった葉の間を抜けてくる。
その木漏れ日を縫うようにして僕は登る。
登り続ける。
足元に気をつけながらルートを確実に。
基本的には時折表れる標識に従えば問題は無い。
けれども標識が無いところでも分岐に見える道はある。
本来行くべきではないルートだ。
だが妙に踏み跡があったり、比較的に広く見えることもある。
そういう場合、誤ったルートを選ぶことは十分ありえる。
ルートファインディングも登山の重要なスキルの一つだ。
山岳部時代の記憶を掘り起こしながら判断していった。
よし、ここまでは間違っていないだろう。
そう確信したのは目の前に古い神社が見えてきた時だった。
愛宕神社の奥社にあたる。
神社の周りに巡らされた石の柱は黒ずみが目立つ。
年月を感じさせる佇まいだった。
小さな社ではあるけど、よくこんな場所に立てられたと思う。
山岳信仰というのだろうか。
奥社を右に見ながらスルー。
その奥が愛宕山だ。
愛宕山を過ぎれば尾根道となる。
登りも少し緩くなっていたはずだ。
タオルで額の汗を拭った。
水を飲みながら視線を更に山の奥に。
まだ木々が立ち並び、日の出山は見えない。
それでもこの調子なら昼前には着くだろう。
ざっと計算する。
レーズンを何粒か口の中に放り込んだ。