第四十八話 涸沢からの冬景色
雄大な山々を見ながら登る。
視界が広い。
山道自体がもはやない。
僕の前に広がっているのは雪原と化した涸沢だ。
標高2300メートルとは思えない空間が広がっている。
"まるで山がごそっと抉れたように見える"
確か前も同じ感想を抱いたな。
涸沢は地形的にはカールという地形になる。
氷河が出来た後、その氷河が無くなった跡だ。
アイスクリームをスプーンですくった跡を想像すると分かりやすい。
巨大なお椀状に削られた地形なので、全体的に斜度が緩い。
高山の途中にぽっかりと比較的平らな土地がある。
高山植物も多く、夏には数々の花が咲く。
実に見映えのする風景だ。
ただしその華やかさは夏限定なわけだけど。
「冬の涸沢って初めてですけど、荒涼としていますね」
「巨大な雪の吹き溜まりだからね。規模と標高を別にすればエベレストのベースキャンプと同じ地形だよ」
「こういう大きなカールって珍しいんですよね?」
「日本だとあまりないね。有名どころだとあとは千畳敷カールくらいかな」
根津さんが言うならそうなんだろう。
そもそも大きな氷河が作られる地形条件は限られるし。
ともかくここまでは来た。
奥穂高を見上げる。
Sガレから見た時より大きい。
ぐんと迫りくるような威圧感があった。
あそこへ向かって登るわけだ。
視線を下げ、コースを左に取って進む。
目標地点は涸沢ヒュッテという山小屋だ。
ここで昼ご飯を食べて午後の登攀に備える。
後ろから佐藤さんご夫妻の声が聞こえた。
「ここをスキーで滑り降りたら気持ちいいだろうねえ」
「あなたじゃ骨折するのがオチよ。冗談でもやめてほしいわ」
まさか本気じゃないよね?
でも冗談が言える元気があるなら安心だ。
午後はずっときつい登攀になるから。
予定通り涸沢に着いたのは10時半。
6時にスタートしたので4時間半も動いたわけだ。
休憩込みとはいえ、そこそこ消耗している。
そのため涸沢できちんと昼休みを取る。
涸沢ヒュッテは冬季休業中だけどテラスは使える。
座って登ってきた方を見る。
凍てついた谷が、どん、と視界に飛び込んできた。
見渡す限り生き物の気配はない。
雪、氷、岩が延々と続いている。
よくこんなところ登ってこれたな。
自分で驚きながらラスクをかじった。
砂糖の甘さがありがたい。
火を準備すれば昼でもインスタントスープくらいは飲める。
だけどさすがに面倒くさい。
ザックの中をあさる気にはならなかった。
首を左に巡らせた。
涸沢の反対側には山小屋がもう一軒ある。
向こうは涸沢小屋という名称だ。
涸沢で小屋泊ならこの涸沢ヒュッテか、向こうの涸沢小屋のどちらかとなる。
ハイシーズンには予約争奪戦となるのは必至。
まずその戦いに勝たないといけないのが厳しい。
"静かだ"
夏の涸沢は知っている。
登山者で溢れて賑やかだ。
広いテント場には色とりどりのテントが並ぶ。
見上げれば夏雲、そして奥穂高の山頂が見える。
これでもかとばかりの盛況さに満ちていた。
けれども今は。
僕の目の前の涸沢は冬の中に沈んでいる。
僕達四人以外に人間はいない。
見ていて寂しくなってくる。
いや、風景だけの問題じゃないな。
前に登った時は山岳部の皆がいた。
同学年の六人だけじゃなく、下の学年の部員もいたし。
そうか。
あの時は小泉も生きていたんだな。
このヒュッテでおでん頼んでたっけ、あいつ。
"今は僕だけか"
宏樹も三ッ瀬も。
森下も桜井も。
そして小泉に至ってはこの世にいない。
時間の流れをこういう形で感じるとは。
ザックを引き寄せ、底の方に手を触れた。
堅い感触がある。
小泉の手帳だ。
これを家に置いてくる気にはならなかった。
うつむき、視線を足元に落とした。
保温ボトルから紅茶をすすった。
じわりと喉の奥に熱が広がる。
その熱を胸の奥に封じ込める。
"センチメンタルになるなよ、松田直人"
自分で自分に言い聞かせた。
背後から根津さんの「そろそろ行きましょう」という声が聞こえた。
涸沢は奥穂高と北穂高に登るベースキャンプだ。
ここで両穂高のルートが分かれる。
涸沢小屋の方から登れば北穂高へ。
涸沢ヒュッテの方から登れば奥穂高へ。
僕達は当然後者のルートだ。
そしてここからはロープを使う。
合わせてヘルメットもかぶった。
「ペアの組み合わせは私と松田さん、佐藤さん達で行きましょう」
根津さんの意見に異論は無い。
ハーネスを装備して、そこにロープを結ぶ。
僕と根津さんがロープで繋がれている形になった。
佐藤さんご夫妻も同じ形だ。
ロープを使うメリットは滑落防止だ。
どちらかが落ちても片方が残っていれば落ちずに済む。
ただし人間が力で踏ん張ってもしれている。
なのでアンカーという中間地点を確保する。
残っている人とアンカーで落下の衝撃を分散するわけだ。
この登り方をきちんと守れば滑落事故のリスクは大幅に減る。
ただし、このロープとアンカーを使う登り方は時間がかかる。
普通は使わない。
"つまりそれだけ危険度が高い登攀だ"
分かっているから誰も口に出さない。
それだけのことだ。
標高2300メートルの涸沢から標高3100メートルの奥穂高山頂直下まで。
標高差800メートル。
この登攀ルートの半分を占めるのがザイテングラートだ。
急斜面の岩場の難所たるザイテングラート。
ここは支尾根といって主な尾根から枝分かれした尾根道になる。
奥穂攻略の要点はここと山頂への最後の登りの2ヶ所。
軽い気持ちでは挑めない。
勝負どころだ。
時刻は午前11時。
根津さんの言う通りにペアを組んだ。
まずはザイテングラートの取付きまで登ることになる。
根津さんがリーダーとして先に立つ。
僕がフォロワーで後。
まず根津さんが登っていく。
この辺りもそこそこ傾斜が厳しい。
時々ピッケルも併用して着実に登る。
ロープは長く取っているのでまだ余裕がある。
途中で一度、スノーアンカーを雪に突き立てた。
もし僕が滑落しそうになってもあれが衝撃を減少させてくれる。
約30メートル進んだところで根津さんが止まった。
一つ頷き、僕が歩き出す。
"この辺りでも万が一はあり得る"
雪だけならまだいい。
積雪の下に氷の層が潜んでいることもある。
アイゼンの歯を噛ませても、バランスを崩せば倒れかねない。
慎重に、だけどリズミカルに。
スノーアンカーまで辿り着いたので回収していく。
根津さんはピッケルを雪に突き立てていた。
セルフビレイ、つまり自分自身の体勢確保だ。
そこまで苦労せずに追い付いた。
「こんな感じで進んでいきましょう。ちょっと時間はかかるが安全第一で」
「はい」
異論は無い
堅実な作戦だ。
背後を見る。
佐藤さんご夫妻も同じようにして登ってきた。
こちらも足取りはしっかりしている。
僕も負けていられないな。
その時だった。
「!?」
切り裂くような突風に見舞われた。
思わずうめき声が漏れる。
危うくバランスを崩しかけた。
膝を落としてピッケルを雪に突き立てる。
何とか倒れ込むことだけは回避。
焦った。
今日は風が弱かっただけに驚いた。
「大丈夫です」と手を挙げて合図する。
皆も特に問題は無いようだ。
"天候が崩れる兆しか?"
ただの突発的な風か。
それとも午後に荒れ模様になるのか。
どちらにしても用心して登るしかなさそうだ。
ザイテングラートを避けて通るルートなど無いのだから。




