第三十一話 気安い友達の貴女
4号館の裏にはカフェがある。
図書館の反対側だ。
昔は喫茶室と言われていたらしい。
レトロな雰囲気はランプのシェードぐらいにしか残っていないけれど。
入ってみると他にも何組か先客がいた。
僕らと同じように雨宿り目的だろう。
「傘持ってきた?」「いや、忘れた」という定番の台詞が聞こえてきた。
「しかし珍しいね。小泉と図書館で会うなんて」
「うん。部活じゃないところではあまり顔を合わせないからね」
席に着きながら話す。
僕はコーヒー、小泉はレモンティー。
学生プライスなので安い。
時間潰しには最適だ。
「そうだね」と僕は相槌を打つ。
「僕らの代も六人全員学部違うからな。部活以外の顔ってあんまり知らないよね」
「3年の2学期という大学生活終盤に言うことじゃないよ、松田君」
「それはその通りだな」
「大学生って高校までと違うよね。同期って言ってもクラスのまとまりみたいなものが無いとの。担任の先生とかいないし」
「あー、分かる。選択した授業ごとに細切れな人間関係が幾つもある感じ」
「そう、それ。部活やサークル、バイトの分も組み合わさって、皆それぞれ違う」
「高校まではクラスと部活で皆大体同じだったよな。それに比べるとバラエティに富んでる」
「オリジナリティが増す分、全体で特定のカラーを示すものは薄れるよね。より個にクローズアップしたというか」
とりとめもないことを話し合う。
小泉とは会話のテンポが合うのだろう。
心地よい。
そこで頼んだ飲み物が来た。
暖かいコーヒーがこの天候にはありがたい。
さすがに味にどうこう言う気は無い。
「普通のコーヒーがこの値段で飲めるだけ恵まれている」と僕は小さく笑った。
小泉も頬を緩める。
「話す場所として機能するというだけでこのカフェは十分だよ。仮にこの紅茶がティーバッグのものだとしても」
そこで一旦言葉を切った。
ティーカップからは白く湯気が立ち上っている。
「私は文句言う気は......いや、さすがにティーバッグはちょっと無いかな」
「文句言うわけだ」
「陰でこそっとね。ふふ、冗談だけど」
そう言って小泉はレモンティーを一口飲んだ。
「あー、うん。前言撤回。例えティーバッグでも文句言わない。暖かい飲み物というだけで助かる」
「同感」
僕もコーヒーを啜る。
そもそも違いの分かる男ではないので、これで十分だ。
ふと疑問が浮かんだ。
大人になったら違いが分かるようになるのだろうか。
大人という単語が近い将来を考えさせた。
小泉と視線が合った。
僕の方から切り出した。
「小泉は普通に就職するんだっけ」
「うん、そのつもり。農学部だから院もかんがえたんだけどね。もういいかなーって。だからそろそろ就職活動だよ」
「リクルートスーツ買った?」
「バッチリです。ああ、ついに社会人デビューかあってスーツに袖通した時に思っちゃった」
「まだ入り口にも立っていないのでは」
「っ、厳しいなぁ。そりゃ内定取るまでは大きなこと言えないけどさぁ」
「悪い。でも小泉のリクルートスーツって想像つかない。登山の時のウェアと部活時のジャージしか印象になくて」
「酷くないですか!? フツーの服装もしてるよ、普段は。今もほら、別におしゃれじゃないかもしれないけど〜」
「印象がってだけだよ。今の服、よく似合ってると思う」
「どのあたりが?」
うわ、めんどくさい質問きたぞ。
慎重に、無難に行こう。
「モスグリーンのセーターがすらっとした体型を引き立てて、より知的にスマートに見せている――と思います」
「うん、合格。でも私以外の女の子だとその言い方、セクハラだって言う子もいるかも」
「ど、どのあたりがでしょうか」
「すらっとしたって胸が小さいってことかーと苛々する女の子が存在する可能性」
「ええ、面倒くさいな。だから女の子を褒めるのって難しいんだよ」
「ま、私は気にしないですけど。別に人並みだし〜」
あー、小泉のやつ僕をからかってるな。
わざと胸張って強調してやがる。
相手になるのも大人げない。
「逆セクハラだろ、これ」と流した。
こいつ、僕のことを男と思っていないな。
いや、最初からそうだったか。
待てよ、そもそも何の話をしていたんだっけ。
そうだ。
「就職活動の話をしていたんだ」と軌道修正する。
「そうだった。松田君は民間企業は受けないの?」
「今のところは予定ない。試験に落ちても来年受ける」
「勇気あるなぁ。公務員試験か。私は一発勝負の試験は怖いよ」
「プレッシャーが無いわけじゃないけどさ。一応合格の目安はキープしてるから。模試の成績も悪くないし」
「おお、流石だね。さっきも真面目にやっていたもんね」
「勉強は好きではないけど向いてるのは知っている。中学受験の時と比べたらそこまでしんどくないし」
あれはキツかった。
12歳の未熟な体と精神で毎日毎日机に向かったのだ。
あれに比べれば公務員試験は楽だと思う。
こちらが成長した分が大きい。
コーヒーを飲む。
底の方に最後の一口が残った。
窓の外へと視線を移した。
「こういう機会も無くなるんだろうな」
「え?」
「小泉とこういう風に雑談する機会もってこと。お互い社会人になったら忙しいだろうしね」
「ああ、それは、うん」
何だか歯切れの悪い返事だ。
僕は「どうかした?」と聞いてみた。
「ちょっとね。松田君とも会わなくなるんだなあって想像したら。何だか少し寂しくなった」
「そう? でも新しい生活になったら新しい人間関係が出来るだろうし。悲観し過ぎは良くない」
「クール過ぎでしょう、それはー。目の前にいる友人が寂しがってる時に言わなくてもさー」
「割と本気で寂しいのか」
ちょっと驚いた。
小泉は真顔で頷く。
「男の子で何でも話せる人って中々いないから。私的には激レア属性、SSR」
「ソシャゲのキャラみたいな言い方を」
「そりゃ松田君の言う通り、社会人になったらまた新しい出会いがあるっていうのは分かるよ。学生時代をいつまでも引きずるのはおかしいというのも分かってるつもり。でもそれは卒業した後で実感するわけで」
「今じゃないってことかな」
「うん。少なくとも将来は不確かでまだ分からない。現在の友人関係はリアルに感じられる。その友人に卒業したらこういうのも無くなっちゃうねって言われると、ちょっとね」
小泉はティーカップを人差し指で弾いた。
キン、と高い音が響く。
子供じみた振る舞いは照れ隠しか。
それか、自分のもやもやをごまかすための仕草か。
いや、そういう分析は二の次だな。
とりあえずなだめておこう。
「いや、ごめん。悪気は無かった」
「ううん、大丈夫。松田君に悪意が無いのは知ってるから。そうね、ちょっとアンニュイになっちゃっただけかな。きっと」
フッと小泉が視線を窓の方へ反らした。
釣られて僕も外を見る。
まだ雨は続いていた。
ガラス窓を水滴が伝っていく。
「――この雨のせいかな」
何とも言えない。
駄目だ、こういう時に気の利いた言葉が出てこない。
破れかぶれになって「ケーキでも食べる? 奢るよ」と切り出した。
パッと小泉がこちらを向く。
「え、本当? いいの? 奢ってくれるの?」
「いや、わざとじゃないとはいえ。ちょっと沈ませちゃったみたいだし。1個くらいなら」
「じゃあ遠慮なくごちそうになっちゃおうかなあ〜。いやあ、持つべきものは友達よね〜」
凄いニコニコしている。
よく学校のカフェのケーキくらいでこんなに喜べるな。
安い女と馬鹿にされないか心配だ。
せっかくだ、僕も頼もう。
メニューを見て即決。
「僕はガトーショコラにするけど、小泉は」
「んー、じゃあチーズケーキで。ベイクドね」
「はいはい」
調子がいいよな、こいつ。
けどいいか。
暗い顔されるとこっちがしんどいし。




