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第十四話 夏の北アルプスへ

 梅雨が明けると一気に暑くなる。

 毎年のことながらうんざりだ。

 ニュースでは毎日「熱中症に注意してください」とアナウンスされる。

 35℃以上が当たり前って狂ってるだろ。

 これも地球温暖化の影響だろうか。


「ぐったりするね」


「まったくですねえ」


 後輩は机に突っ伏している。

 いくら昼休みとは言っても女子力が低すぎないか。

 顔に机の跡がつきそうだ。

 いや、僕が心配する筋合いではないか。

 しかしだ。

 冷房は適温に保たれているはずなのに、何故だろう。

 一向に快適な気がしない。

 窓ガラス越しに差し込む陽射しのせいだろうか。

 暴力的な眩しさが今は恨めしい。

 椅子に倒れ込むように座る。

 駄目だ、夏バテだ。


「うちら環境政策課ですけどこの暑さには無力ですねー」


「地球温暖化に対抗できるような政策は市レベルじゃ無理だろ。せいぜい街路樹を増やすとかその程度だ」


「くぅ、早く冬になりませんかね。気温が下がってくれるなら悪魔に魂売りますよ、私は」


「冬になったらなったで寒い、起きれないと言うんだろうな、君は」


 チクリと皮肉っておく。

 でも後輩は「それの何が悪いんですか、松田さん。寒いと起きれないのは人の世の真理ですよ」と真顔で反論してきた。

 駄目だ、強い。

 それどころか反撃された。


「松田さんこそいつまで管理職試験受けない気ですか。適齢期過ぎちゃいますよ」


「僕の試験は関係ないだろ。それに結婚みたいに言うなよ」


「じゃあついでに結婚もいつされるんでしょうか。男性にも婚期があるんですよ。このままじゃバージンロード歩かないまま人生終わっちゃいますけど?」


「僕が花嫁みたいな誤解を招く表現はよせ」


「いえ、花婿も一緒に歩くから間違いではないです〜」


 それは分かるけどさ。

 普通バージンロードを歩くって花嫁を連想するだろ。

 案の定「まあ松田さんは女装しても似合いそうではありますよね。顔が女顔ですからね」とのたまってきた。

 くそ、人が気にしていることを。

「ふん、言ってろ」とそっぽを向いてやる。

 何を話していたんだったか。

 そうだ、とにかく暑くてたまらないという話だ。


「避暑だな」


「え、社長か役員ですか?」


「それは秘書。誰がボケろと言った」


「いえ、今のは素です。で、ヒショって何ですか」


「暑さを避けるために涼しい場所へ行くやつだよ」


 そこまで言うと分かったらしい。

 後輩は目を輝かせた。


「軽井沢や北海道などのリゾート地ですね!? あっ、でも私はどちらかというと海派でして。沖縄なんかいいなあと思ってるんですよね、はい」


「あ、そう。僕は山派なので意見が分かれましたね。ご自由にどうぞ」


「山派ってあれですか。ピアノとかバイクとか作っている会社の」


「それはヤマハだろ。静岡県浜松市に本社があるって知ってる? いや、そういうボケもいいから」


 頭痛がしてきた。

 僕の言うのは夏山だ。

 つまり。


「夏は高い山に登れば涼しいって話だよ」


「結局登山かあ。ほんとに最近打ち込んでますよね」


「それなりにね」


 7月上旬。

 蝉の鳴き声もかしましい真夏日。

 暑さで参りながらも、僕は夏山に行く計画を立てていた。

 後輩は「お土産よろしくです」とちゃっかりしていた。

 そういえば彼女は登山は始めたのだろうか。


† † †


 夏こそ夏山である。

 いや、何を当たり前なことをと叱られそうだけど。

 本当に夏は登山のハイシーズンだ。

 いわゆる名峰と呼ばれる高山は登山者の憧れだ。

 ただし高い山ほどハイシーズンは短い。

 理由は簡単。

 雪が残りやすいからだ。


 標高が高い。

 高い場所は寒い。

 寒いと雪が降る。

 一般登山者が歩く登山道は雪で閉ざされてしまう。

 山小屋も雪の季節は閉鎖される。

 何より雪山の難易度は無雪状態とは比較にならない。

 だから高い山は夏に登りましょう。

 こういうロジックだ。

 その証拠に春が終わった頃、書店に行ってみればいい。

 登山のガイドブックには「夏山の季節到来! 今年こそ登りたい北アルプス!」というフレーズが踊っているから。

 かく言う僕も当然夏は高山狙いである。

 登山的な意味でも避暑的な意味でも重要だ。 

 どこを登るかは計画している。

 準備も万端。

 時期は7月下旬の3連休に定めた。


 場所は北アルプス。

 燕岳〜大天井岳〜常念岳の縦走。

 予定では2泊3日。

 一般的にパノラマ銀座と呼ばれる人気のコースだ。

 標高は燕岳が2763メートル、大天井岳が2922メートル、常念岳が2857メートル。

 これらの高峰の稜線をひたすらに歩く。

 基礎的な体力は必要だが、技術的に難しくはない。

 登山を再開して半年弱、体が慣れてきた実感はある。

 久しぶりの北アルプスを楽しみたいということもあった。

 酷暑の都心の喧騒から離れ、涼やかな風が舞う標高3000メートル近辺へ。

 登山者ならその魅惑的な響きには抗い難い。

 もちろん僕も抵抗しなかった。



 待ちに待ったその日が来た。

 前日に半休を取り、長野県の松本まで移動。

 その日は松本で宿泊した。

 翌朝の動き出しは日も登らない頃からだ。

 JR大糸線に乗り穂高駅へ。

 ここまで来ると北アルプスの山々がぐっと迫ってくる。

 それでもまだ登山口までには距離がある。

 穂高駅から定期バスに乗ること約1時間。

 終点の中房温泉で降りてようやく登山口に着く。

 バス停の名前の割には乗客は登山者ばかりだ。

 大型のザックをかついでおり、パッと見た限りでは物々しい。

 いや、僕も他人のことは言えないな。

 今回は1度はテント泊をするため、テントやポールも持ってきている。

 使っているザックに外付けのアタッチメントを取り付け、そこに収納する方法だ。

 日帰り登山とは装備から違う。

 大掛かりだがその分だけ得るものも大きい。


 "よし"


 バスを見送り、ぐっと伸びをする。

 時刻は8時20分。

 もう少し早めにスタート出来ればと思うが、こればかりは仕方ない。

 登山口近くには駐車場もある。

 車でアクセス出来る人は既に結構な地点まで登っているだろう。

 まあいいさ。

 僕は僕なりに登っていくだけだ。

 燕岳を見上げる。

 山頂はまったく見えない。

 燕岳の山頂は独特だ。

 白砂と岩、灌木が占めており、色合いが美しい。

 最後に登ってからもう何年も経つ。

 あれをもう一度見に行けるんだ。

 今はまだ届かない。

 けれどあとはここから登るだけだ。


 "行くか"


 登山口からして既に標高1400メートル。

 夏の早朝ということもあり、まだ暑くはない。

 爽やかな空気の中、僕は広葉樹の立ち並ぶ山道へと足を踏み入れた。

 遅いペースでは話にならない。

 速すぎてもバテるだろう。

 体と相談しながらちょうどいいスピードで。

 一歩一歩、久しぶりの北アルプスの土を踏む。

 今回、登山靴も新調しておいた。

 高山対応の足首をきちっと覆うハイカットだ。

 靴底も固めに仕上げられており、長時間歩行にも耐えられる。

 まだこの登り始めから中腹くらいまでは柔らかめの靴底でも問題ないとは思う。

 だが、そこから上は山道に岩が多くなってくる。

 靴底も靴全体も頑丈でなければ足が疲れてくる。

 何よりハイカットモデルだと履いた時の気合いの乗りが違う。

 いかにもな登山靴っぽい見た目は単純にかっこいい。


 子供っぽいって?

 うん、自覚はしている。

 でも趣味は楽しいのが一番だからね。

 見た目から入って気分がノッてくればそれに越したことはない。

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