第十三話 城山を経て高尾山へ
東京都内が足元から広がっている。
比喩的に言えばそういう景色だ。
景信山は高尾駅から近い。
そのため山頂から眺めると高尾の街は本当にすぐ近くにある。
そのまま視線をすっと遠くにやれば、自然と東京全体が見える。
絶句するほどの景色というわけじゃない。
けれども親しみやすさがある。
視線を少し南に転じた。
目的地の高尾山が見える。
木々の緑に包まれているため、意外と存在感があった。
忘れがちだけど高尾山も立派な低山なんだよな。
ケーブルカーを使えばハイヒールでも登れるけれどね。
いや、個人的にはハイヒールはさすがに止めた方がいいと思うけど。
こうして見ると東京全体が箱庭みたいだ。
普段生活している場所ってこうなっているんだな。
日の出山の時も思ったけど、こっちの眺望の方がより強く感じる。
景信山の方が都心に近いからかな。
残った炒飯を平らげる。
良い景色を眺めながらのご飯は美味しい。
空腹感が消えていた。
残りの縦走路を歩くだけのエネルギーが充ちている。
よし、そろそろ行くか。
メスティンやバーナーをザックに入れ、山頂を後にする。
山頂にいる登山者達のざわめきがフェードアウトしていった。
再び一人の静けさが僕を包む。
赤茶けた土の下り坂を慎重に進んだ。
このまま行けば小仏峠に差し掛かる。
そこで陣馬山から数えれば縦走路全体の70%くらいか。
後半戦に差し掛かっているのは間違いない。
"行きますか"
ザックの紐を締め直した。
空を見ると青空に一つ、二つと白い雲が浮かんでいる。
杉木立の中を歩く。
足取りは軽い。
他の登山者とすれ違う時に「こんにちは」と挨拶を交わす。
木漏れ日がちらちらと視界に届く。
前後左右、どちらを向いても自然の中にいる。
コンクリートとアスファルトに囲まれている普段とは大違いだ。
登山をすると感覚が鋭敏になると聞いたことがある。
聞いた時はそんなバカなと笑ったけれど、案外本当かもしれない。
ここは人工物の中じゃない。
生命力豊かな土や植物が支配する場所だ。
その場所に影響されれば、人が野生を取り戻すこともあり得るかもしれないな。
例え登山をしている時間だけであっても。
気がつけば小仏峠を通過していた。
明治天皇の巡幸記念碑が立てられている。
こんなところまで来たことがあるのか。
明治の頃ならもっと登山道はきつかったはずなのに。
そんなことを考えながら先を急いだ。
ここからしばらく木の階段が続いた。
ぐいぐいと登っていく。
ああ、そうか。
この階段の先が城山だった。
登り終わってから思い出した。
ここも人が多い。
景信山よりも賑わっているだろう。
標高670メートルの登りやすい山だ。
ここにも茶屋がある。
かき氷がメニューにあり、一種の名物になっていた。
中学生くらいの少年達が「俺、レモンー!」「じゃあイチゴにするわ!」と大きな声をあげている。
微笑ましいな。
その隣ではご年配の夫婦が卓に着いていた。
自分達でコーヒーを淹れてゆっくりと飲んでいる。
いいよね、山で楽しむコーヒー。
空気が綺麗だと香りも引き立つ。
僕もここで小休止しておく。
キャラメルで糖分補給。
ザックは近くの木に立てかけた。
そのまま木に背中を預けた。
見上げると山桜の木だった。
開花時期には淡いピンクの花が咲くけど、今はもう散ってしまっている。
あと2週間早ければ見れたかもしれないな。
いや、別に桜目当ての縦走しているわけじゃないか。
ここからは詰めだ。
城山まで来れば高尾山までは1時間見ておけばいい。
一丁平、もみじ台を順番に通過する。
どちらも縦走路に設けられた展望台だ。
高尾山に登った人が散歩気分で足を伸ばせば着く。
この二箇所では足を止めなかった。
山からの眺望は十分に楽しんだから。
淡々と歩いた。
陽射しも西の方へ傾きつつある。
もみじ台を過ぎた。
高尾山5号路の看板を認めて、その横を通過した。
さすがに疲れた。
息切れこそしないが足にきている。
だがあと少し。
あと少しで。
ほら、馴染み深い高尾山の山頂だ。
ここはいつ来ても人が多い。
高尾山に登るたびにそう思う。
完全に観光地化に成功してしまった山だからね。
登山に一度でも触れる人を増やすためには仕方ないか。
いや、しかし新緑の時期は特に多いな。
紅葉の時期とためを張るんじゃないか。
時刻はもう午後3時を回っている。
そろそろ山を降り始めた方がいい時間だ。
いや、高尾山でこの季節ならまだ安全か。
どちらにせよ、僕はあとは降りるだけだ。
麓まで降りるコースは3つある。
1号路はコンクリート敷きで薬王院などの名所を通る。
いわば表参道だ。
6号路は小さな沢沿いのコースで山道っぽさがある。
稲荷山コースは南側の尾根を通る明るい山道だ。
個人的には6号路が一番好きだな。
水の音を聴きながら歩くのは気分がいい。
けれど今日はシンプルに1号路で下山することにした。
理由は簡単。
縦走のクールダウンだからだ。
"もうひたすら降りるのみ"
頭の中を空っぽにしてただ道なりに歩く。
道の両脇には太い杉の木が並んでいる。
いわゆる参道になっているのだ。
詳しくは知らないけど、高尾山は修験道や山岳信仰の対象となっているらしい。
お正月に多くの参拝客が訪れるのもごく自然なことだ。
ただし普段まったく運動しない人だと、たまに疲労困憊で倒れたりもする。
一応ここも山なんだなという意識くらいはしたほうがいい。
がっつりと登山装備を固める必要はないけどね。
しかし今日はよく歩いたなあ。
さすがに疲れた。
途中の茶店で名物の天狗焼きを買った。
体が糖分を欲しがっているので仕方ない。
パリッと焼かれた皮が香ばしい。
その中の黒豆あんは優しい甘さだ。
これくらいでちょうどいい。
のんびりと1号路をとことこ歩く。
ケーブルカーは使わない。
いや、使ってもいいのだが。
1号路は下っていくと結構急な坂になるのだ。
疲れた状態で下りのトレーニングをしてみようと思った。
危ない箇所はないのでとにかく下りる。
高尾山の杉木立がよく見える箇所に来た。
金毘羅台という場所を通り過ぎた辺りだ。
山の裾野が視界の中を広がっている。
その裾野を杉が隙間なく埋め尽くしていた。
ひたすらに濃い緑色に包まれる。
下りなので速い。
無理にスピードダウンさせると逆にしんどい。
陣馬山〜高尾山の縦走のラストを飾るスパートだ。
タンタンタンと歩みを刻む。
そして間もなく僕は麓についた。
夕暮れまではまだ早いけど、陽射しはオレンジ色になりつつあった。
他の登山客に紛れ、高尾山口の駅へと歩いた。
全部で何キロ歩いただろう。
山頂を結ぶ縦走路だけで10キロ超だ。
それぞれの山の登り下りを加えれば16キロくらいか?
今の自分にはそこそこハードだったな。
うん、でも気持ちのいい疲れだ。
これくらい歩ければ十分か。
いい縦走だったな。
山歩きってこういうものだ。
 




