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第十二話 景信山に着いたら山ご飯

 登山において距離をこなすことは重要だ。

 別に速く歩かなくてもいい。

 より長い距離を長い時間をかけて山道を歩く。

 持久力こそが問われる。

 これは端的により高く難易度の高い山ほど長時間歩行を強いられるからだ。


 例えば富士山。

 一番よく知られているのは山梨県側の富士吉田口から登るルートだ。

 この富士吉田口は5合目にあたり、10合目の山頂目指してひたすら登る。

 山頂までそこそこ健脚の人間でも5時間はかかるだろう。

 ざっくり各合目間の部分に1時間かかると思えばいい。

「なあんだ、5時間歩けば着くのか」と簡単に思ってはならない。


 "そもそも日常生活で1時間連続で歩くかな"


 堂所山手前を通り過ぎた。

 この辺りは別にビューポイントではない。

 けれど春霞がかった都内の街並みが見えた。

 木立の間からちらちら見えるだけだが、山の中ならこんなものだ。

 暖まってきた体を実感する。

 小さな段差を乗り越えながら、歩行について考えてみる。


 "滅多に歩かないでしょ。よっぽど意図的に歩かない限りは"


 最寄り駅から家まで約10〜15分歩けばいい方じゃないか。

 スーパーに買い物に行く時も似たようなものだろう。

 1日トータルで考えれば1時間歩くとしても、連続ではやらない。

 つまり大多数の人間はそもそも1時間連続で歩く習慣が無い。

 そういう体になっていない。

 なのでいきなり富士山に登ろうとしても無理が生じる。


「でもあんなにたくさんの人が富士山に登っているよ?」と思う人もいるだろう。

 確かにその通り。

 だが途中でギブアップする人も多いのだ。

 そういうニュースが表立って取り上げられないだけだ。

 まして富士山の場合、単に歩くだけでは頂上まで辿り着かない。

 ザックの重さが体にかかる。

 標高が高いので酸素濃度も薄くなっている。

 そして寒い。

 風が強ければ更に難易度は上がる。

 体力的な負荷だけを考えれば、富士山に登るのは相当厳しい部類に入る。

「富士山は簡単に登れるよ」というのは技術的な難易度は低いよ、というだけのことだと思う。


 "ああ、駄目だ。歩くことについて考えていたんだ"


 そうだった。

 単調な歩行テンポで思考が散漫になっていた。

 富士山に登るのは実は大変という話じゃない。

 必要なのは意図的に歩かないと駄目だということだ。

 もし僕が夏の北アルプスをやるつもりなら絶対に必要だ。

 脚力、そして全身の持久力を要求される。

 その2つを鍛えたければ長距離の縦走はもってこいという話だ。

 この陣馬山〜高尾山の縦走はトレーニングとしてもかなりいい。

 長距離縦走の初歩としてうってつけだ。

 登山道は整備され安全性も高い。

 途中の峠で下りればエスケープルートも確保されている。

 さらに眺望も良い。

 都内からのアクセスも考慮すれば、まずはここからと言える。

 トータル歩行時間でおそらく6時間前後かな。

 休憩を考慮すればプラス1時間。

 これくらい歩ければ十分だろう。


 別に3〜4時間程度の山行でも体力は上がる。

 やらないよりは全然いい。

 けれど僕が見据えているのはその先だ。

 近郊の日帰りハイクだけじゃない。

 夏の北アルプスなどを考えれば、それだけでは足りない。

 この陣馬山〜高尾山の縦走くらいは必要だ。

 その程度には本気でやってみる気だった。


 "三ッ瀬ならもっとやっているだろう"


 あいつは別格か。

 ヨーロッパの山でクライマーしてるくらいだもんな。

 何気に日本人の中ではトップクラスの登攀技術があるんじゃないか?

 体力だって相当なものだろう。

 邪魔な枝を片手で払う。

 三ッ瀬のことは頭の片隅に追いやった。

 自分のコンディションは悪くない。

 少し足が重くなってきたけど普通だろう。

 小さな登りを一気に超えた。

 南の方を見る。

 丹沢の山々が新緑に染まっていた。

 そのうち向こうの方も登ることになるのだろうか。

 丹沢でも有名な塔ノ岳は標高1491メートルある。

 そこそこ高いし人気の山だ。

 そうだな。

 候補に加えてみようかな。

 こうして他の山を考えられるのもまだまだ体力に余裕があるからだ。 

 完全にへばってしまうと頭は全く働かない。

 うん、行ける。


「よし」


 小さく呟き、ドリンクを二口飲んだ。

 太陽はまだまだ高く、陽射しも強い。

 喉が乾く前に水分補給しておく方がいい。

 そろそろお腹も空いてきた。

 景信山までは遠くないだろう。

 あと少し頑張って歩こうか。


† † †


 景信山に着いたのは午後1時ジャストだった。

 結構山頂には人が多い。

 高尾山と陣馬山のちょうど中間辺りにある山だ。

 標高は727メートル。

 小仏バス停から最短距離で登るルートが一番楽だろう。

 高尾山ほどたくさんの人は来ないため、適度な登山気分が味わえる。

 茶屋が二軒あるのもポイントだ。

 ここで蕎麦を食べて帰る人も多い。

 ただ僕の場合は自分で作るんだけど。


 景信山の山頂にはいくつもテーブルと椅子がある。

 木製のテーブルは風雪にさらされ、中々に味がある。

 空いている一卓を使わせてもらうことにした。

 ザックからバーナーを取り出す。

 卓の中央に置き、ガス缶を取り付ける。

 この手順もすっかり慣れた。

 メスティンに薄く油を引いた。

 バーナーに点火し、メスティンをその上に置く。

 パチ、と油がはねたタイミングで白ご飯を投入した。

 家からタッパーに入れて持参してきたものだ。

 夏場なら腐るのが怖いけど、この季節ならまだ大丈夫。

 ご飯の水分と油がかち合った

 ジュッという音だけでも食欲を増進させる。

 でもここからが調理の本番だ。


 "スピード勝負だ"


 勢いよく放り込んだのはカットベーコンと玉ねぎだ。

 どちらも家ですでに切ってある。

 ベーコンの油がご飯と玉ねぎに溶けていく。

 音が弾けた。

 山の緑の中でのクッキングは楽しい。

 数分炒めた後で仕上げの味付けだ。

 持ってきた鶏ガラスープの顆粒を上からふりかけた。

 淡い黄色がご飯の白色に乗る。

 食材の水分で顆粒が溶けていくのが見えた。

 ご飯は白いままでも食べられる。

 でも登山の時は少し物足りなく感じる。

 多少味付けされていた方が僕の好みだ。

 スプーンでがちゃがちゃとメスティンの中をかき回す。

 凝った調理も食材も要らない。

 山ご飯はこれくらいシンプルな方がいい。

 ものの数分で出来上がった。


 ベーコンと玉ねぎの炒飯は昔から好きだ。

 お店で食べる中華料理店だともう少し凝っている。

 味付けもラードを使ったりして濃い目に仕上げている。

 卵、ネギ、チャーシューなどをふんだんに使った炒飯が多いだろうか。

 けれどそれは普段食べればいいわけで。

 登山の際はまた別だ。

「いただきます」と手を合わせさっそく食べる。

 調理に使ったスプーンがそのまま食器となる。

 3口ほど一気にかきこんだ。

 体がエネルギーを欲している。


 "うん、悪くない"


 鶏ガラスープによる優しい味付けが効いている。

 炒めた玉ねぎの自然な甘さがベーコンと絡んでいた。

 適度なボリュームがあり食べやすい。

 麺類もいいけど今日はご飯ものの気分だったんだ。

 熱いうちに口の中に放り込む。

 塩気が疲れた体に染みた。

 半分ほど食べたところでようやく景色を見る気になった。

 空腹過ぎて作るのと食べるのに夢中になっていた。

 座ったまま景信山の山頂から辺りを見回した。

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