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第9話 先生と二度目のデート、そして……

「先生、お出かけしませんか?」

新米編集者である私――花園美咲は、担当している作家、袖野白雪をデート――いや、外出に誘った。

この頃の私は、先生を積極的に外に誘うようになった。

家に閉じこもってばかりでは、もともと恋愛感情の理解できない恋愛小説家である袖野先生の想像力もいずれは枯渇してしまう。

たまには外に出て、カップルでも観察すれば先生もいつかは恋愛感情が理解できるかもしれないし、理解できなくてもネタとして小説を書く際の一助にはなるはずだ。

「あら、美咲さんからデートのお誘いなんて嬉しい」

「で、でででデートじゃないですし」

「ふふ」

動揺する私を、闇色の瞳を細めて笑う袖野先生。先生にはからかわれてばかりだ。悔しい。

「では、ちょっとシャワーを浴びてきますね。流石に今の状態では外に出られませんし」

そう言って、先生はパソコンの画面を閉じて立ち上がる。

――こんな絶世の美女がお風呂に入らない日があるなんて聞いたら、読者の皆さんは驚くかもしれない。

しかし、事実である。袖野先生は小説の執筆に集中するあまり、食事もお風呂も忘れてしまうのだ。自分のお腹が空いている事に気づかず、私が家を訪問したら家の中で行き倒れのような状態になっていたこともある。アレは本当に焦った……。

というわけで、先生の生活介助も私の仕事のひとつになっていた。……私はまだ新米編集者で、袖野先生以外に担当している作家もいないけど、いずれは複数の作家を担当することになるだろう。その時、袖野先生は大丈夫なんだろうか……、と一抹の不安を抱えないでもない。

とにかく、私は先生の外出の準備をのんびり待っているところだ。

シャワーを浴びて、ドライヤーをかけて、和服から洋服に着替えて……となると、結構時間はかかってしまうが、まあ今はまだ朝だ。時間はたっぷりある。

私は今日の予定を確認しながら、完璧なエスコートを頭の中でシミュレートしていたのであった。


袖野先生と手を繋いで、まず目指した目的地は美術館。

現在、この美術館では恋愛をテーマにした絵画が展示される特別展示企画が開催されているらしい、という情報をキャッチして、迷わずデートの予定に組み込んだ。

有名無名問わず、様々な画家が手掛けた絵画が壁に並べられているのを、二人で眺める。

異性愛も同性愛も分け隔てなく展示されているのを見ると、この国のジェンダー観も随分変わったものだ、と実感する。

芸術作品とはいえ、裸の絵が展示されているとちょっと羞恥心がないでもないけど。

「ふむ……男性同士の恋愛を描いた小説、というのも面白そうですね」

「うーん、男性同士って女性同士よりも何故か受けが悪いんですよね」

まあ、腐女子ならともかく男性ウケはあんまり良くないよね……。

「そうですね。そもそもわたくし、女性の恋愛感情すら理解できないのですから男性同士となるともはや未知の領域ですし」

どうやら冗談のつもりで言っただけらしい。

「ところで先生、いかがでしょうか? こういう恋愛を描いた絵を見て、なにか感じるところはありますか?」

「……うーん。正直なところ、絵画を見るだけでは恋愛の機微はよくわかりませんね」

「そうですか……」

私はちょっとしょんぼりする。

まあ、少女漫画を読んでも資料としてしか捉えられない先生のことだから、予想はしてたけど。

「しかし、美咲さんのお心遣いは嬉しいですよ。こうして、様々な形の恋愛があるということを知ることは出来ましたし」

先生はとりなすように笑う。

「それに、絵を見ているとインスピレーションが湧いてきます。今すぐ家に戻って執筆に取り掛かりたいくらいです」

「えっ!? もう帰っちゃうんですか!? まだデート始まったばかりですよ!?」

先生の言葉に、私は目を剥く。

「ふふ、冗談ですよ。美咲さんが考えてくれたデートプランを途中でやめてしまうのも勿体ないですしね。しかし、インスピレーションが湧いたのは事実なので、少しお時間いただいてもよろしいですか?」

先生はそう言って、美術館の展示場の真ん中にあるソファに座り、スマホにタッチペンで何やら書き始める。私も隣に座って、先生の小説の下書き……? なのかな……? を書き終えるのを待つ。

ちらっとスマホを横から覗くと、既に何行も文字が連なっている。既に新作小説の下地はでき始めている、といった感じだ。

「お待たせしました。では、絵画鑑賞の続きと参りましょうか」

先生はロングスカートのポケットにスマホとタッチペンをしまい、ソファから立ち上がる。

その後も、先生は絵画を見てはスマホに何かを書き込む作業を繰り返し、やがて私達は最後の絵画を見終えて美術館を出た。

「先生、いかがでしたか?」

「ええ、だいぶ新作のヒントは得られたかと思います」

「それはよかったです」

袖野先生はとても満喫した様子だった。

「次は電車に乗って少し遠出するんですけど、大丈夫ですか?」

「あら、電車なんて久しぶりですね。ICカードにまだお金チャージされてたかしら……」

どうやら、だいぶ電車はご無沙汰だったらしい。とりあえず駅に向かって、チャージ残額を確認したらまだお金は残っていて二人で安堵した。

月曜日の出勤・通学ラッシュを終えた電車内はガラガラであった。二人で隣り合って座り、しばらく電車に揺られる。

作家業というのはこういう時にいいなと思う。時間に縛られず、自由な時間に電車に乗れる。いや、締切という時間には縛られているのだが、袖野先生は速筆で有名だ。おそらくは修羅場もカンヅメも経験したことがない。小説家としては優秀な方だろう。これで編集者なら誰彼構わず『恋愛を教えて下さい』などと言わなければ、もっと編集者を泣かせずに済むのだが。

そんなことをつらつらと考えていると、目的地のアナウンスが鳴って私達は席を立ち、電車を降りる準備をした。

やってきたのは動物園。独特の獣臭さはあるが、私は動物園は嫌いではない。この動物園に関しては、取材とか関係なくただ私が行きたいから来た、それだけの理由である。

袖野先生も前回のデートで「今度は美咲さんが行きたいところに連れて行ってください」と言っていたので、お言葉に甘えた感じである。

動物園はかなり広く、哺乳類や猛獣、鳥などのテーマに分けて檻が設置されている。別館として爬虫類専用の建物や夜の生き物コーナーなどもある。もちろん子供や女性に大人気のうさぎやアルパカ、ポニーなどに触れ合ったり餌をあげられるコーナーもある。

中でも私は鳥のコーナーが好きだ。美しい鳥たちを色んな角度から余すことなく観察することが出来る。最高。

「見てください先生、白孔雀ですよ!」

「優雅ですね」

先生も鳥コーナーを気に入ってくれたらしく、スマホで鳥の写真を撮っている。

鳥というのは種類や性別にもよるが、大抵はカラフルな色合いをしている個体が多い。

見て楽しく、鳴き声を聞くのも楽しい。……ちょっと鳥の数が多すぎるから、鳴き声はうるさく感じるかも。

平日ということもあって、動物園内も人はまばらである。貸切状態とまでは言わないが、先生と人混みを気にすることなく動物を見て回れるのは嬉しい。

鳥コーナーを存分に堪能して、私達は動物とのふれあいコーナーに来た。

「わ~、うさぎ可愛いな~」

うさぎを抱っこしていると、パシャッとシャッター音がした。見ると、先生がスマホを私に向けている。

「ちょっと先生、勝手に撮らないでくださいよ~」

「ふふ、すみません。うさぎと美咲さんの取り合わせが可愛らしかったものですから」

私は文句を言ったが怒ってはいない。先生もそれを分かっていて可愛らしいなどと言う。

その後も、アルパカやポニーに恐る恐る餌をあげる私を写真に撮ったり、先生も楽しんでくれているようで良かった、と私は安堵する。

先生も「美咲さんの行きたいところに連れて行ってください」とは言っていたが、やはりこういうのは二人とも楽しめるに越したことはない。

昼食をとろうと動物園に併設されている飲食店に入ると、この動物園のマスコットであるペンギンをかたどった焼印が押されているパンケーキの食品サンプルが目に飛び込んできた。

「うわぁ、可愛い! 私、これにしようかな」

「ふふ、お昼にパンケーキですか?」

先生はクスクス笑う。

うーん、たしかにお昼ごはんがパンケーキだけじゃ少ないかも。

でも、かといってランチも頼むと今度は多すぎる気がする。

「では、わたくしはカルボナーラを注文しますので、二人でシェアしませんか? わたくし少食なので、あまりお腹に入る気がしないんです」

――少食っていうか、執筆に夢中で絶食してるときもありますけどね。

そうツッコみたかったが、私はあえて我慢した。

そんな感じで、私達は昼食を楽しんだ。

「美味しかったですね、カルボナーラもパンケーキも」

私はスマホで撮ったパンケーキの写真を見てご満悦である。ちなみにカルボナーラのお礼に、先生にも少しだけパンケーキをおすそ分けした。

「ええ、美咲さんとのデート、とても楽しい……」

袖野先生は闇色の目を細めて微笑む。幸せそうな笑顔。なのに、何故かどこか儚げな、悲しみが滲んだ笑みを浮かべている。

「……? 先生、どこかお具合でも悪いんですか?」

「いえ、美咲さんのこと、本当に好きになってしまったかもしれないな、と」

「……それ、って」

本当に好きって、恋愛的な意味で……?

「でも、美咲さんは同性愛者ではないのでしょう? 女同士なんて無理、とおっしゃってましたし」

「それは……」

「……軽率に恋愛感情を知りたい、などと、思うべきではなかったかもしれませんね」

袖野白雪は、とうとう恋愛感情を知ってしまったのだ。

――女性同士、という間柄で。

「恋愛感情というものが、こんなにも胸を締め付けるものだとは思いませんでした」

袖野先生は、幸せそうな笑顔を浮かべているのに、今にも泣きそうな、矛盾が両立した表情を浮かべていた。

「先生……」

私は、どう答えたらいいか分からなかった。

先生の気持ちを受け入れるべきなのか? しかし、私は女性の愛し方など知らない。女性を愛せないのに先生を受け入れても、きっと先生を傷つけてしまうだけだ。

かといって、このまま先生を苦しめたままでいいんだろうか? とも思う。

「……そろそろ帰りましょうか、美咲さん。小説の下地はおかげさまでだいぶ形になってきましたし、このまま家に帰って執筆作業に入ります」

「え、あ、はい……」

まだデートプランの途中だったのだが、先生の有無を言わせない言動と、この雰囲気のままデートを続けてもきっと二人とも楽しめない、と私は判断して、デートを中断して先生の家まで送ることにした。


袖野先生の家の前まで一緒に帰って、玄関前で別れることにした。

「美咲さん、今日はありがとうございました。……なんだか、ごめんなさい」

「いえ……。良かった、と言っていいのか分かりませんけど、先生もやっと恋愛感情を理解できましたし、収穫はあったでしょう」

「そう……ですね。これで恋愛小説もよりリアルに書けると思います」

「それじゃ先生、また」

「ええ。……さようなら、美咲さん」

袖野先生はカラカラと玄関の引き戸を開け、悲しそうな笑顔のまま戸は閉まった。

――今にして思えば、先生から「さようなら」と言われたのは初めてだった。

そのときの私は、気づかなかったのだけれど。


翌日。

編集長に呼び出され、話を聞いた私は衝撃を受けることになる。

「は!? 私を袖野先生の担当から外すって……どうしてですか!? 何も問題を起こしていないのに、そんな、突然……!」

「袖野先生自ら電話で頼んできたんだよ。『これ以上、美咲さんと一緒にいられない』って泣きながら。君、袖野先生に何をしたんだ?」

編集長は事情を知らないながらも、責めるような目で私を見ている、気がした。

私は呆然としながら、袖野先生との突然の別れに立ち尽くしていたのであった。


〈続く〉

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