第19話 お父様、お嬢さんをお嫁にください
私の名前は花園美咲。出版社に入ってそろそろ一年が経つ、まだまだ新米の編集者だ。
私には恋人がいる。――同性の大人気恋愛小説家、袖野白雪だ。
袖野先生とは担当編集に任命されたことをきっかけに出会い、紆余曲折を経て恋人としてお付き合いさせていただいている。
現在の日本の法律では同性間での結婚はできないので、ペアリングを作って絆の証としている。
お互い愛し合っていて、真面目に本気のお付き合いをさせていただいている。
――という趣旨の内容を袖野先生のお父様に伝えると、「……そうか」と額に手を当て、頭が痛いと言いたげなジェスチャーを取られた。
ここは袖野先生のご実家のお屋敷。袖野白雪先生のお父様は国会議員をしており、平たく言うとかなり偉い人だ。
作家デビューと同時に実家を出奔した袖野先生――いや、政治家も「先生」と呼ぶからもうこの際「白雪さん」と呼んでしまおう――白雪さんは、唯一自分の夢を応援してくれた祖父の家に身を隠していたが、ひょんなことから住所を特定され、高城という執事の男に説得されて、現在私と一緒に実家に帰省した、といった感じだ。
その高城は、一言も発さずお父様――彼にとってはご主人様――の傍らに控えている。敵に回る気はないが、味方をする気もない、といった雰囲気である。我関せずを貫いている。
「白雪よ、お前本気でこんな凡庸な女と一緒になるつもりか?」
「お父様、わたくしは既にこの家を捨てた身でございます。わたくしが誰と結ばれようとお父様には関係ないと思いますが」
白雪さんは刺々しい口調で反論する。
「家を捨てた、か。ならば、本来俺が継ぐはずだった親父の遺産――あの家を出ていってもらいたいものだが」
「それは――」
白雪さんは歯噛みをして父親を睨みつける。
「遺言状ではお祖父様の遺産はわたくしが継ぐように書かれていたはずです。あの家はわたくしのものです」
「ふん、家を捨てたと言う割には、自分の権利は主張するわけか」
お父様は鼻を鳴らした。
「そもそもだな、同性同士では世継ぎを産めないではないか」
「わたくしたちは養子でも構わないと思っております。愛情を込めて育てれば血の繋がりなど関係ありません」
「……話にならんな」
はぁ、とお父様はわざとらしくため息をつく。
「お父様。わたくしは血の繋がりがあったお父様とお母様には随分放任されて育ってきました。とても、とても寂しかった」
「仕方ないだろう。今の裕福な暮らしを維持するために、俺が国会でどれだけ頑張ってきたと思っている」
「お父様の頑張りはこう言ってはなんですが空回りしております。いつの時代の話をしているんだ、と言わんばかりの前時代的発想における政策の提案など、ネットで炎上しても文句は言えないでしょう」
「えっ待って、俺ネットで炎上してるの?」
「お父様……スマホくらいは持っておいたほうがよろしいかと」
今度は白雪さんがはぁ、とため息をついた。
お父様はかなりご高齢のようだったので、スマホが上手く扱えないだろうしそもそもネットの世界にも興味がなさそうだった。
袖野一族を「ガラパゴス」と白雪さんが表現したのを思い出す。
「あの~……白雪さんのお父様」
「なんだ?」
私が声をかけると、お父様は鬱陶しそうに睨みつける。
「この際、娘さんをきっかけに、同性愛の婚姻に関する法律を提案してみては? 同性愛者に需要がありますし、ある程度の票田は見込めると思うのですが」
「ふむ、票田。いい響きだな。自分たちが婚姻関係を結びたいという魂胆が見え隠れしていなければもっと良かった」
「ええ、私は白雪さんという素敵な女性と結婚したいのです」
私がニッコリ笑うと、白雪さんは私を見てぽぽぽと顔を赤く染める。
「お父様、お嬢さんを私のお嫁にいただけませんか?」
どストレート、直球勝負。
「女が女を養えるのか。女が女をいざというときに守れるのか?」
いかにも前時代的な考え方に、思わず苦笑を漏らしそうになるのを必死にこらえる。
「私達ふたりとも働いてますし、男が女を守るべきとか、そういう発想はもう過去のものです」
お父様の眉がぴくりと動く。
「俺の考えは古臭いと言いたいのか」
「まあ率直に言えば」
私はお父様に嫌われることを恐れず、あえて正直な感想を言う。
「……クハハハハハハ!」
お父様は豪快に笑った。
「随分豪胆な娘だな。面白い。いいだろう、白雪を持っていけ。どうせ小説もどきを書くしか能のない女だ。作家と編集同士、せいぜい仲良く乳繰り合っていればいいさ」
「ありがとうございます。それではお嬢さんはいただいていきます」
お父様の嫌味なんて気にならない。白雪さんを手に入れた幸せに比べれば。
「まあ、そんなこんなで円満に終わってよかったですね」
「票田をちらつかせたのが大きかったですね。政治家というのは結局、自分の議席を確保するための損得勘定しかありませんから」
政治家のみんながみんなそういうわけではないと思うが、まあ少なくとも白雪さんのお父様はそういう人種だったらしい。
私達は我が家に戻ってリラックスしていた。白雪さんのご実家は緊張感で満ちていたので、やっと緊張の糸が解けた、といったところだ。
結局お父様の跡継ぎになるのはエリート官僚をしているお兄様らしい。……そんな優秀なご兄弟がいるなら、最初からその人に任せればよかったのでは……?
「嫌がらせがしたかっただけなのですよ、父は」
「そうですか? 久々に娘の顔が見たかったんじゃないかな」
「そうでしょうか……」
「真相がわからないものは、とりあえずポジティブに捉えときゃいいんですよ」
私が笑うと、白雪さんもつられて微笑んだ。
「あとは、白雪さんのお父様が同性間の婚姻に関する法律を制定してくれれば、結婚できちゃいますね?」
私は自分の左手を見る。
薬指にはめたペアリングが光を反射して輝いていた。
その左手の甲に、白雪さんが自分の左手を重ねる。
そこにも当然、指輪が光っていて。
まだ結婚はしていないが、私達は確実に絆を結んだのだ、と実感が湧く。
「――ところで、わたくしを嫁にいただいたということは、美咲さんはわたくしの旦那様になりたいということですか?」
「あー……そういうことになるのかな……?」
「納得いきません。わたくしが旦那です」
「いや、便宜上そう言っただけで、女同士で嫁も旦那もないでしょう……」
私達の論争は、結局夜まで続き、その晩はどちらが旦那か『そういうこと』で決めることになるのだが、それはまた別の話である。
〈続く〉
 




