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第15話 私の恋人は憧れの小説家

私――花園美咲の勤めている出版社の小説コンテストに入賞し、書籍の出版デビューを間近に控えた高校生作家、松井光一くんの担当編集になってから、私は頻繁に松井くんの自宅を訪れるようになった。

松井くんの小説は戦国時代がテーマの一つになっているので、異世界ファンタジーとはいえある程度の時代考証が必要になってくる。

どうも松井くんはネットで調べた情報を鵜呑みにしていたらしく、間違った知識もあったので、私は引きこもりの彼の代わりに図書館で資料を借りてきては松井くんの部屋で一緒に文献を漁ったりしていた。

「やっぱり、ネットで得た知識だけじゃダメなんですね……」

「ネットは誰でも情報を書き込める分、真偽がわからないところもあるの。できれば、きちんと編集者や有識者が裏付けをとった書籍で調べたほうがいいですよ」

「花園さんにもお手数かけてるし、反省してます……」

「ああ、それはいいの。これも私の仕事のうちですから」

私は笑ってひらひら手をふる。

「松井くんは外に出られないんでしょう? その分は私が手足になるし、松井くんは執筆に専念できればいいんじゃないかしら?」

「……僕、花園さんのご厚意に甘えてませんか?」

「そんなことないわよ」

申し訳無さそうにしょぼんとする松井くんに、彼の飼い猫がすり寄ってきた。

「あっ、こら、ブルーノ! ダメだよ、本に近づいちゃ」

松井くんはブルーノと呼んだ猫を抱き上げて資料から遠ざける。図書館で借りた本に爪でも立てられたら大変だ。

「ブルーノっていうのね、その猫」

「ロシアンブルーだから……ちょっと安直すぎましたかね?」

「ううん、わかりやすくていいと思う」

それから、松井くんはブルーノについて話してくれた。

「僕が引きこもりになる前、学校の帰り道でブルーノを見つけたんです。寒空の下、たった一匹で段ボール箱の中で震えてる子猫を見たら、ほっとけなくなっちゃって……」

「ご家族が迎え入れてくれてよかったわね」

なんだかほっこりする話だ。

「でもブルーノを拾ったすぐあとに、僕、いじめのターゲットにされて……」

「それで学校に行けなくなっちゃったのね。ひどい話だわ!」

私は感情移入してむかっ腹が立った。

「いじめって平仮名だから軽く見られがちだけど、漢字で『虐め』って書くのよね。立派な虐待で、犯罪よ。そんな奴らを処罰もせず野放しにしてる学校なんか、行かなくていいわよ!」

私の言葉に、松井くんは目を丸くしていた。

「……ありがとうございます、花園さん。でも、僕が根暗だから……」

「そんなの、『ムシャクシャしたから』って理由で人を殺したり物を盗むのと同じよ。人が人を虐めていい理由なんてありません。松井くんはそんなこと気に病まなくていいのよ」

「……はい」

松井くんは泣かなかったが、少しだけ、ぐす、と鼻をすする音がした。

「……花園さんは、優しいですね。僕みたいな暗い奴とも普通に話してくれて……」

「松井くんは大切な作家さんだもの。小説家になって『先生』って呼ばれるくらい偉くなって、松井くんを虐めた奴らを見返してやりましょう!」

私はぐっと握りこぶしを作る。

まあそもそも、虐めをするような野蛮な人種が本を読むかは甚だ疑問ではあるのだが、問題はそこではない。

私は松井くんに自信をつけてほしいのだ。

こんな面白い物語が作れる逸材なのに自信がないなんてもったいない。

「……花園さんって、彼氏とかいますか? あ、これ、セクハラになっちゃうかな」

「彼氏はいないけど彼女ならいるよ」

「…………え?」

私の言葉に、松井くんはキョトンとする。

「バイセクシャルっていうのかな、男の人も好きだけど、今付き合ってるのは女の人」

まさか担当してる女流作家とは言えないけど。

「あ……そうなんですね……」

松井くんは肩を落としてしょぼんとしていた。

私の頭の中で、袖野先生が勝ち誇った笑みを浮かべていた。

――私の恋人は、担当している女流作家、袖野白雪である。

恋愛感情を理解することに成功した彼女は、ますます繊細で甘くて少し切なさもある、よりリアリティのある恋愛小説を書けるようになり、以前よりもさらに小説の売上や評判がうなぎのぼりであった。「作者は恋愛でもしているのでは?」などという噂が広まっているが、まあ私という恋人がいるので事実である。

しかし、私が松井くんの担当編集を兼任するようになってから、同居している私の帰りが遅くなり、先生は若干不機嫌であった。

私は先生と一緒にひとつ屋根の下で暮らせるだけでも幸せなのだが、先生は意外と嫉妬深い性格らしく「同じ空間にいられなければ意味がない」と拗ねていた。

そんな先生の意外な一面を見られることすら、私には嬉しいのだけれど。

「そうだよなあ……花園さん、優しいから、付き合ってる人くらいいるよなあ……」

松井くんは落ち込んだ様子で呟く。

「仮に私に恋人がいなかったとしても、松井くんとは付き合えなかったと思うな」

「……それは、僕が子供だからですか?」

「高校生に手を出すわけにはいかないでしょう?」

「それはまあ、そうなんですけど……」

松井くんは口を尖らせる。

「あーあ、早く大人になりたいなあ」

「あと数年もすればあっという間に成人でしょう?」

私は苦笑いをした。

「それに、私は今お付き合いしてる人が大好きだから、やっぱり松井くんとは付き合えないわ」

「……花園さんにそこまで言わせるその女の人は幸せ者ですね」

そうだろうか。

そうだったらいい。

なんだか早く袖野先生と暮らす家に帰りたくなってきた。

あの家で、きっと先生は私の帰りを待っている。

今日は朝から松井くんの家にいたので、お母様がご馳走してくれるお昼ごはんを固辞して正午に御暇することにした。

まだ太陽は頭上に昇っていた。

ブルーノに本で爪とぎされないように、図書館で借りた資料はすべて私が持ち帰ることにした。張り切って借りすぎたせいでトートバッグに詰め込んだそれは重く肩に食い込むが、苦には思わない。

出版社に連絡して、袖野先生の様子を見るという名目で直帰させてもらうことにした。

お昼時に家に帰れるなんて滅多にないので、私は浮足立った気持ちで家路を急ぐ。

先生はちゃんとお昼ごはんを食べているだろうか。それともまだ執筆中だろうか。

早く、会いたい。

思うことはそれだけだった。


袖野先生の家の玄関を合鍵で開け、足音を立てないようにそっと抜き足差し足忍び足。

先生はやはりお昼も食べずにパソコンに向かい合っていた。

「先生」

私は背後から先生を抱きしめる。

「あら、今日は随分お帰りが早いですね」

先生は予想外に驚く様子を見せなかった。

「先生がちゃんと食べてるか、心配になっちゃって。会社に連絡して直帰してきました」

「……これから食べようかと思っていたところです」

明らかに嘘である。絶対忘れてたぞこの人。

しかし、私はその言葉を飲み込み、

「じゃあ、お昼ごはん作りますね」

と立ち上がろうとした。

そもそも冷蔵庫に朝作っておいたお惣菜があるから、それを食べるように指示していたのだが。

立ち上がろうとした私の手を、先生の細く白い手がギュッと握った。

「先生?」

「……わたくしは、おかしくなってしまいました」

私の手を握ったまま、袖野先生はうつむく。

「今までわたくしは独りでも平気だったのに……家に美咲さんがいなくて、一人の部屋は寂しくて……」

「先生……」

「まるで、子供に戻った気分です。小さい頃のわたくしは孤独だった。……美咲さんには、随分迷惑をかけてしまっていますが……」

「先生、大丈夫ですよ」

今度は真正面から、ぎゅうっと先生を抱きしめる。

「迷惑だなんて思いません。私は先生が憧れで、大好きなんですから。先生は一人なんかじゃないですよ」

「……じゃあ、松井くんの担当、降りてくださいますか?」

「それは私の一存では決められません」

私は苦笑する。

結局のところ、先生は松井くんに嫉妬しているのだ。

「……仕方ないですね。編集長に抗議の電話をかけても取り合っていただけませんでしたし」

抗議の電話、したんかい。

先生の行動力には眼を見張るものがある。

「美咲さんのキャリアアップのためには、複数の作家さんを担当するのも必要なことだと逆にお叱りを受けてしまいましたし……仕方ないんですよね……」

「先生に寂しい思いをさせてしまいたいへん申し訳ありません」

私は先生の艶のある髪を指で梳く。指の間から、髪がさらり、と滑り落ちていく。

「しかし、私は一瞬たりとも先生を忘れたことはありません」

私は、先生の肩にかかったゆるいみつあみを手ですくい上げて口づける。

まるで口説き文句だ、と自分でも思った。

「……美咲さんは女たらしですね」

ぷいっとそっぽを向いた先生の耳が赤い。

「先生にしかこんなことしませんよ? そもそも私が好きになった女の人は後にも先にも先生だけですし」

「どうだか」

しかし、先生もそれは承知しているようだった。

私はそっぽを向いたままの先生の耳に口を近づける。

「だから、先生。心配しなくていいんですよ。私は先生以外の人のことは考えてませんから」

そっと囁くと、先生がビクッと震えた。

どうやら耳は弱いらしい。いいことを知った。

「――じゃ、お昼にしましょうか、先生。流石にお腹すいたでしょ」

私は立ち上がって、今度こそ台所に向かった。

……初期の頃は妖艶な先生に翻弄されっぱなしだったが、同居を始めてからは先生の可愛い一面も見えてきて、立場が逆転している気がする。

私は上機嫌でお昼ご飯の準備にとりかかるのであった。


〈続く〉

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