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第10話 明神先輩の奇計

前回までのあらすじ。

恋愛を理解できない恋愛小説家、袖野白雪とデートという名のお出かけをした担当編集者、花園美咲。

デートの途中、白雪はとうとう恋愛感情を理解することに成功する。

ただし、その恋愛感情を抱いた相手は美咲であった。

同性愛者ではない美咲は白雪の好意を受け取るべきか悩む。

そんな中、編集長に呼び出された美咲は、自分が白雪の担当から外されたことを知り、呆然と立ち尽くすのであった。


「そうか……袖野先生は君を好きになってしまったのか。まあ時間の問題だとは思っていたが」

いつもの居酒屋。

カウンター席でグラスを傾けながら、編集部の先輩、明神風春先輩は呟くように言った。

「ずっと、冗談で言っているんだと思っていました」

今日の私はお酒のペースがいつもより早い。

「いや、きっと袖野先生も冗談のつもりだったんだろう。だからこそ、本当に君を愛していると気づいた時に混乱してしまった」

「で、私を担当から外すように、編集長に連絡した、と?」

「おそらくね。泣きながら電話したくらいだからよっぽど取り乱していたんだろうね」

その時の袖野先生の気持ちを考えると、自分はなんということをしてしまったのだろうと罪悪感が湧く。

「私……袖野先生を受け入れてあげられたら、彼女を傷つけずに済んだのでしょうか」

「いや、かえって傷つくことになったと思うよ」

そうだよね。

私には同性愛に対する理解はあっても、同性を愛することはできない。

ちょうど、恋愛感情を想像することは出来ても、実感がわかなかった頃の袖野先生のように。

「私……こんな形で袖野先生とお別れなんてしたくないです……っ」

私はウーロンハイをグビグビ飲みながらグズグズと涙を流す。

「花園さん、飲みすぎ。少し落ち着いて」

「落ち着けませんよ……もう袖野先生に会えないなんて……」

袖野先生は出不精でなかなか外に出ないし、原稿もデータとして編集部に送信するから出版社には立ち寄らない。つまり袖野先生に会うチャンスはもうない。

しかし、私がそう言うと、明神先輩はわざとらしく咳払いをする。

「ところで、袖野先生の新しい担当編集、実は僕なんだけど」

「えっ?」

「前任である花園さんに仕事の引き継ぎ、教えてほしいんだ。生活介助とか、色々やることがあるんだろう?」

明神先輩が与えてくれたチャンスに、私は大きく首を縦に振るのであった。


翌日。

久しぶりに訪れた袖野先生の純和風の邸宅は、前来たときと変わらずどっしりとした雰囲気がある。まあそんなに時間経ってないので当たり前の話ではあるのだが。

私は明神先輩の背中に隠れて、先輩が玄関の呼び鈴を押す。

カラカラと引き戸が開いて、「はい」と袖野先生が顔を出す。

「こんにちは、新しい担当編集の明神と申します」

「はあ、どうも」

愛想よく挨拶する明神先輩とは対照的に、袖野先生はなんだか心ここにあらずといった感じの浮かない顔だ。

そこへ、明神先輩の背中から私がひょこっと顔を出す。

「ど……どうも……」

「…………」

先生はピシッと固まったのち、無言でカラカラと引き戸を閉め始める。

「アーッ待って! 待ってください先生!」

「お帰りください。まだ心の整理がついておりません」

引き戸の向こうの声が震えている。

「じゃあ、いつ頃心の整理つきそうですか?」

「それは……」

先生は私の思わぬ登場に困惑しているのが見て取れた。

「まあまあ、落ち着いてください、袖野先生」

明神先輩は場違いなほど朗らかに笑う。

「花園さんは単に仕事の引き継ぎに来ただけですよ。ほら、僕、先生との仕事の仕方知りませんし。洗濯とかご飯作ったりするとは聞いてたんですけど詳しいことは知らなくて」

「はあ……そういうことなら……」

袖野先生は渋々といった様子で私達を家に上げてくれた。

執筆部屋でもある和室に先生が座布団を敷き、私と明神先輩は隣り合って、袖野先生と向かい合う形で座った。

「袖野先生、仕事の引き継ぎが終わったらもう花園さんとは会えなくなると思いますので、何か心残りとかあったら今のうちに言っといたほうがいいですよ」

明神先輩は笑顔で残酷なことを言う。

「……ええと、あの……ごめんなさい、美咲さん……突然担当から外されて驚かれたでしょう」

「先生は、怖かったんですよね。私に拒絶されるのが」

私はなるべく優しい口調で語りかける。

「私、女の人を好きになるのは難しいと思いますけど、先生とまだまだ一緒にお仕事したいと思ってますよ」

「……ご迷惑では、ありませんか?」

先生は叱られた子供のように、恐る恐る私の顔を覗き込む。先生のほうが私より歳上なのに、なんだか変な気分だった。

「作家と担当編集は運命共同体でしょう? 迷惑だなんて思いませんよ。袖野白雪先生は今でも私の大好きな憧れの作家さんです」

その言葉を聞いて、先生は感極まったような表情を浮かべた。

「わたくしは……自分勝手な女です。あなたに嫌われるのが怖くて、拒絶される前にこちらから拒絶しようと思った。そんな女でも、傍にいてくださるというのですか?」

「もちろん。私は先生の担当編集ですから!」

私はとびっきりの笑顔を浮かべた。

「おや、新しい担当編集は僕だけど?」

明神先輩は意地悪そうな顔で笑う。

「たとえ明神先輩が相手でも、袖野先生の担当編集の座は渡しませんよ」

私もふざけて張り合うフリをする。

そうすると、袖野先生もおかしそうに笑うのであった。

「――ありがとうございます、美咲さん。明神さん、申し訳ありませんが、担当編集の件はなかったことにしていただけませんか?」

「おや、フラれちゃったな」

明神先輩は肩をすくめて笑う。

「構いませんよ。僕から編集長に伝えておきます。同じ立場の者として、袖野先生のことは応援してあげたいですしね」

「同じ立場?」

袖野先生は首をかしげる。

「僕も同性愛者なんですよ。だから編集長は僕を担当編集に指名したんだと思いますけど」

そう、明神先輩は彼氏持ちのゲイだ。だからこそ、編集長は誰彼構わず「恋愛を教えてくれ」と乞う袖野先生の担当編集にしても大丈夫だと思ったのだろう。

……というか、編集長、明神先輩がゲイだってこと、知ってたんだな……。

「こういうのはね、時間をかけてじっくりと堕とすものなんですよ」

「ほうほう」

「ちょっと、明神先輩! 袖野先生に変なこと吹き込まないでください!」

先生は先生で、真剣な表情でスマホにメモ取ってるし。

「花園さん、君も何度か先生のアタックにドキッとした経験があるんだろう? だったら脈はある。もしかしたら君も自分が知らない性癖があるかもしれないぜ」

明神先輩は、顔を赤くする私にクツクツと笑う。

冗談なのか本気で言ってるのか判断がつかないが、少なくとも袖野先生は本気にしてしまっているらしい。

「つまり、まだチャンスはあると……!?」

「おっと、だからって花園さんが嫌がることを無理やりしてはいけませんよ? あくまで時間をかけてじっくりと、ね」

「せーんーぱーいー?」

袖野先生の邸宅の中に、久方ぶりに笑い声が響き渡ったのであった。


〈続く〉

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