自殺は最低だという強制
初めまして。
この文をお読みなる方は、何かお悩みをお持ちですか?
それとも何もなく、ただ開いていましたか?
理由なんて何でもいいです。
まずはご覧いただきありがとうございます。
そして、出会えたことに感謝です。
私は以前、東北にある葬儀社に勤務していました。
そこでは様々な方に出会い、学び、叱咤激励を受けました。
しかし、職業柄様々な「死」とも向き合いました。
今回は「自死」について、記したいと思います。
「自殺は絶対にしてはいけない」
そんな風に誰もが言います。
たとえば「今日死のうとした日は、昨日亡くなった方がどうしても生きていたかった1日である」と。
間違いはないと思います。
大病を患っていた方、不慮の事故に遭遇した方、誰かにか命を奪われた方。
そんな方々にとって、今日という日は何が何でも生きたかったに違いありません。
では、なぜ「自殺」が起こり得るのでしょうか?
答えは単純です。
「それ以外に思いつかなかった」ではないでしょうか?
自殺に行き着くまでに「愛する人に裏切られた」、「過ちを起こしてしまった」、「将来に絶望した」、「逃げ場がなくなった」、「衝動的に全てが嫌になった」など理由は様々かと思います。
時間は違えど、それぞれの人が「自殺」という最終手段に行き着くまでに悩み苦しみ、葛藤があったはずです。
そんな中で「自殺は絶対にいけない」と理由をいくら並べられても納得するのには理由は足らないかと思います。
考えてみてください。
人は悩んだら誰かにか相談したり、解決策を練ったり、諦めてそのままの人生に身を任せるなど、手段はいくらでもあります。
それらを否定してまで、自殺を選ぶのですから相当の覚悟があるのでしょう。
では、そんな方に「自殺はいけない、なぜなら...」と理由を並べるべきでしょうか?
もしくは羽交締めにして押さえて、行動を制限するべきでしょうか?
「気合いが足らん」と説教すべきでしょうか?
答えは「否」であると思います。
それはあくまで、元気な第三者の意見であって、自殺したい当事者にとってはそのレベルを超えているのです。
自殺を選びたい方へ。
まずは自分を褒めてあげてください。
そこまで追い詰められたんです。あなたは頑張りました。
誰よりも頑張って、頑張り尽くして、周りの人がわからないところで本気で頑張って生きていました。
誰にも理解されなくても、一番頑張ったのは自分であると分かっていますよね?
あなたは本気でここまで頑張って生き抜いてきたんです。
自殺はいつでもできます。
飛び降りも、首吊りも、薬の多様接種もいつでもできます。
でも、生きるのは今しかできません。
別にいいんです。1日だけ、1時間だけでも落ち着きませんか?
どうせ今から、もしくは明日から死ぬのです。
今この瞬間くらい息抜きしてもバチは当たりません。
電話がうるさいなら電源を切る、人と関わりたくないなら、思い切って家に閉じ籠るか、いつもは行かない場所に行く。
少し先延ばしにしても、死ぬことはいつでもできます。
だからこそ、今まで頑張った自分に、形はどうあれご褒美あげてもいいじゃないですか。
そこでもし、死ぬのが面倒くさく、少しでも覚えたら延期しませんか?
死ぬのはいつでもできる。生きるのは今しかできない。
追い詰められた先を見届けてから死んでも、悪いのはあなたではありません。
だって、あなたは死のうと思った瞬間から少しでも長生きしました。
それが繰り返されれば、結構長生きするかもしれません。
ちょっとだけ延期して、明日の朝日を見てみませんか?
逃げたっていい、もちろん生きたっていい。
だからこそ、自死を選ぶ前にまずは自分を褒めて尊重してあげてください。
自殺をされた方の周りの関係者は大体こう言います。
「なんで相談してくれなかった」、「こうなるとは思わなかった」、「逃げやがって」、「言いすぎたのか?」、「残された我々はどうすればいい?」、「気づかなくてごめん」と。
もちろん全部が全部ではないです。
しかし、あえて厳しく言わせてください。
そもそも周りがしっかり支えれば自殺は防げたかもしれません。
それが遠くにいる方ならともかく、職場や家族といった近くの人間がなぜ気づかないのですか?
人の心は繊細です。
大丈夫だろう、そんなことないだろう、あいつは臆病だから自殺はしない。
そんな思いはありませんでしたか?
無ければ無いで仕方ありませんが、自殺は1人の責任ではありません。
そこに至る原因を作った全員の責任です。
謝罪しようが、開き直ろうが、多くの香典だそうが命は戻ってきません。
人は、似た人がいても同じ人は存在しません。
全員に心があり、落ち込み方はそれぞれなんです。
人は1人では生きていけません。皆が誰もがそうです。
「自殺は最低の行為」ではなく、追い込まれた人の「手段」なんです。
もし、死なせたく無いのであれば、今からでも付き合い方を変えることをお勧めします。
「自殺は最低だ」
そう思うのであれば、付き合い方変えてみませんか?
もしかしたら、明日死ぬことになっていた人の運命が変わるかもしれません。
「お前のためを思って」という言葉の数々も、全ては独りよがりのただの言葉になっていませんか?
その言葉の数々、「俺は優しくした」と思っても相手にそれが届かないのであれば、ただの暴力と一緒です。
自死を遂げる人も、周りの人も、ほんの少しの「許し」と「尊重」があれば、きっと命のリレーは永遠に続くもの信じています。
せっかく出会えた中なんです。
まずは、明日から変えてみませんか?