不器用な彼女は夜を厭う
――この街の夜は嫌いだ。
暗く、冷たく、絶望的な孤独感に包まれて――私は今日も、何かから逃れるように目を閉じる。
現から夢へと堕ちていく中で、どこからか懐かしいきみの声がした。
『不器用な彼女は夜を厭う』/未来屋 環
「――前から言ってるでしょ。ひとりぼっちで泣いていたら、悲しい気持ちは加速するんだ」
ここはどこなんだろう。
周囲を見渡しても、なにもない。
まっしろな世界が、ただただ広がるばかりだ。
「だからさ」
その圧倒的な白の中で、きみだけが確かな存在として、私に語りかけてくる。
「あなたが泣くほど辛い時には、ちゃんと俺に教えてよ」
思い返してみれば、確かに昔はそんなことがあったように思う。
近所の上級生にいじめられた時も、同じクラスの女子達と喧嘩した時も、受験勉強が辛くて逃げ出したくなった時だって――きみはいつも、泣いている私の傍にいた。
たまにはひとりになりたい時もあるし、そもそもそんな弱っている姿を見られたくないのだけれど、頑なにきみは私の傍を離れないのだ。
「で、返事は?」
焦れたようなきみの声がする。顔を上げると、きみは心配そうな眼差しで私を見つめていた。
「――私、もう大人なんだけど」
努めて冷静な声で綴った言葉に、きみは顔を顰める。
「大人が泣いちゃいけないなんて、誰が決めたの?」
そう言われると、何とも言い返しようがない。
でも、私はもう大人で、きみとは離れた所にいて、もう何年も逢っていなくて。
きみを好きだと言っている子は昔から沢山いて、きっと隣には素敵な恋人がいるはずで。
――だから、どんなに仕事が辛くても、ふとした時に理不尽な目に遭っても、心を許せる人が誰もいなくても。
私はひとりで強く生きていかなければならないと――そう決めたはずなのに。
「――じゃあ、私がきみに連絡しなきゃいけないなんて、誰が決めたの?」
敢えて攻撃的な言い方をして、私はきみに背を向ける。
それ以上、きみの声が私を追いかけてくることはなかった。
――本当は
きみの優しさがとにかく愛しいし、
ただ黙って頭を撫でてくれた、そのぬくもりが懐かしくて
私はそれこそ、泣きたくなってしまうのだけれど
こんな意地っ張りな私に、きみの優しさをひとりじめする権利はないのだ。
気付けば、私の両目からは、ぽろぽろとあたたかい雫が零れていた。
***
――鈴の音が響く。
それが自分の携帯電話の着信音だと気付き、私は慌てて飛び起きた。
ベッドの傍らに置かれた時計を見ると、午前1時。
こんな時間に電話をしてくる不届き者にぴんと思い当たり、私は電話に出た。
「――もしもし?」
電話の向こうから聞こえてきたのは、やはりきみの声だった。
何年振りかに聴くはずなのに、全く遠く感じないのは、先程夢の中でその声を聴いたからだろうか。
小さく跳ねた気持ちに気付かれないように、私はできる限り不機嫌そうな声を作る。
「……何? いきなりこんな時間に電話してきて」
すると、突拍子もない言葉が返ってきた。
「今、泣いてなかった?」
「――はぁ??」
心の底から、声が洩れ出る。
それが、何年か振りに、夜中に電話してきて訊くことなのか。
「別に……フツーに寝てたけど」
「……えっと、あのさ――」
きみは少しの沈黙を挟んで、こう言った。
「――今、夢の中であなたが泣いていたから」
私は思わず言葉を喪う。
きみは言葉を選ぶように、ぽつりぽつりと続けた。
「連絡はないけど、ずっと元気にしてると思ってた。きっとあなたは忙しいだろうから、俺から電話するのも迷惑だし。でも――数年振りに夢に出て来たと思ったら、あなたが泣いていたから。もし本当に泣いていたら、ひとりぼっちにしちゃいけないと思って」
きみから紡がれる言葉が、少しずつ私の心の頑なさを溶かしていく。
――そうだった。
そのまっすぐな優しさに、私はどれだけ救われてきただろう。
何年か振りに触れたきみのぬくもりに、私はまだ言葉を見付けられずにいた。
「――あ、俺のこと、バカだと思った?」
慌てたような声に、思わず私は吹き出す。
「……ちょっとね」
あれだけ嫌だったはずの夜の闇が、何だかいつもよりあたたかく感じられるのは、気の所為じゃない。
私はきみに気付かれないように、目に滲んだ雫をそっと拭った。
(了)
先週投稿した作品が結構重ためだったので、同じく電話をキーアイテムに、さらっと読める作品を書いてみました。
好きなひとから夜中に電話がかかってきたらドキドキしちゃいますね。