(5)アンネ
様子を見ている限りでは卵の中から完全に出てくるまでは時間がかかりそうだったので、その間に根を操作して道を作っておいた。
雪は降りはじめたばかりでまだまだ積もってはいないとはいえ、それでも高さにすれば二メートル近くの雪は積もっている。
下手に穴をあけると外気が入ってきて、折角一定に保たれている気温が一気に下がってしまう可能性もある。
そのため多少迂回するように道を作って、外と出入りできるようにしておいた。
わざわざ手間暇かけてそんなことをしたのは、シルクかクインに来てもらうためだ。
何となく人型をしている魔物らしいということは顔を見ればわかるのだが、それ以外はどんな姿かたちで出てくるのかは分からない。
ましてや魔物の子供を育てた経験などあるわけもなく、どうすればいいのかを聞くためにも別の者の意見は必要になるはずだ。
それに加えて出てこようとしている魔物は子供らしいので、女性型の魔物のほうがいいだろうと考えたのだ。
そんなことをしているうちに、卵の半分は完全になくなって生まれてこようとしている魔物の姿も既に見ることができるようになっていた。
卵から生まれたからなのかは不明だが、その姿は完全に小さな女の子といった感じで、どういうわけだかきちんとワンピースの服も着ている。
どういう理屈で服まで用意されているのかはわからないが、余計な手間を省けたことは喜ぶべきだろう。
それはともかく見た目はほとんど人と変わらないその女の子の唯一といっていい魔物としての特徴は、頭の上からぴょこんと飛び出ている二本の触覚らしきものだろうか。
何の気なしにステータスで確認したところ、【蟻人(誕生中)】となっていたことから蟻系の魔物であることは間違いないらしい。
蟻系の魔物なのであれば普通の蟻のように複眼になっているのかと思ったのだが、実際にはそんなことはなく時折その大きなつぶらな青い瞳でこちらを見てくることがある。
それを見ればこちらの姿が見えていることはわかるのだが、今はこちらとコミュニケーションをとるよりも卵から脱出(?)することを優先しているらしい。
そんなことをクインに確認してみると、そもそも卵から生まれてくる魔物は皆そうした傾向を持っているようで、とにかく卵の処理が完全に終わらないと話をすることもないだろうという話だった。
女の子の様子を見ていると、その小さな手で卵を砕いて一心不乱に口元に持って行っている。
最初は卵の殻をそのまま食べているのかと思ったのだが、どうやら口の中でかみ砕いているわけではなく、スキルか魔法を使って手の中で分解(?)したものを口から吸収しているらしい。
分解や吸収といった表現になっているのは、口の中に含んでいたり飲み込んでいる様子が見られないためだ。
もしかすると魔力のような見えないエネルギーのような形にして、それを吸収しているのではと予想している。
「――それにしても何でだろう……。同じことを繰り返しているだけなのに、ずっと見ていられるな」
「もしかすると世界樹が感じている母性が主様にも影響を与えているのかもしれませんね」
明らかに笑いをこらえていますといった様子で口元を抑えながらそんなことを言ってきたクインだったが、それに対して俺は特に怒ることもなく首を傾げていた。
「母性……? 世界樹はそんなものも感じるのかね?」
「さて、どうでしょう? そうだとしたら面白いと思ったのですが、案外本当にあるのかもしれませんね」
「まあ、いいや。――それよりも、あの子って眷属なんだよね?」
「それは間違いないでしょう。根元で孵化したからなのかはわかりませんが、明らかに世界樹の魔力を多く生まれ持っているようです」
「そうですわね。このまま成長をすると、もしかすると私たちも超えるかもしれませんわ」
クインに同意するように、シルクもそんなことを言ってきた。
俺自身は眷属たちがそれぞれどれくらい世界樹の魔力を持っているのかはわからないが、眷属たちははっきりと感じ取ることが出来る。
その彼女たちが言うのだから、今誕生した女の子(蟻の子)が相応の魔力を持っているのは間違いないのだろう。
ステータスの眷属欄にはまだ表示がないので今すぐに彼女が眷属だと断定するつもりはないが、どちらにしても眷属として迎え入れる用意は準備万端である。
準眷属候補の鳥系魔物とは対応が全く違うじゃないかと突っ込まれそうだが、異論を認めるつもりはない。
心の中でそんな言い訳をしつつ女の子の動きを見守っていると、卵の殻がほぼなくなっていた。
そして最後のひとかけらをつまむように持ち上げて、先ほどまでと同じように分解→吸収をしたと思った次の瞬間、その女の子がこちらに向かって走ってきた。
「あるじ~」
まだ喋ることと歩くことに慣れていないのか微妙に舌足らずで、トテトテと近寄ってくる姿を見て思わず可愛いと口に出して言いそうになってしまった。
さすがにそれをすると色々な方面からロリ○ン扱いされそうになる(既に遅いという意見は聞こえない)ので何とかこらえたが、近寄ってきた女の子の頭を撫でることは我慢できなかった。
これが母性というものかと内心で恐れつつも、くっつきたがる女の子をどうにか離してから言葉をかける。
「君は、言葉が通じるのかな?」
「今は、すこしだけ~」
「今はということは、いずれはちゃんと話せるようになるのかな?」
「うん!」
元気いっぱいに頷いてきた女の子に、思わず目を細めてまた頭を撫でる。
「あるじ~、なまえ~」
「名前……? ああ、そうか。名前が欲しいのか。そうだなあ…………アンネなんてどうかな?」
実は姿が見えていたときから名前を付ける気満々で、どういうものにするのかはきちんと考えていた。
その名前を口にすると、女の子がニパッとした笑顔を浮かべて頷いた。
「うん! わたし、アンネ!」
「よし。それじゃあ、アンネに決まりだね」
実はこの時点でステータスにしっかりと「蟻人」と表示がされたのだが、アンネのことに気を取られていて全く気付かなかった。
後からその事実に気付くことになるのだが、そもそもステータスに表示されたタイミングはさほど大した問題ではない。
他の眷属たちが同じ眷属だと認めた時点で、たとえステータスに表示されなかったとしても扱いは変わっていなかっただろう。
もっとも無事に(?)表示されたので、全くの杞憂だったことになるのだが。
――とまあ、こんな感じで無事に眷属がまた増えたわけだが、そのあとは外気温の寒さに犬のように喜ぶアンネを連れて行きつつ、他の眷属にもきちんと紹介することができた。
ファイ辺りは生まれてきたのが小さな女の子だったことに驚いていたが、眷属であったことには驚きはなかった。
ラック曰く、世界樹の根元で根に包まれながら孵化してきたのだから当然だろうとのことだ。
ラックのその言葉にそんなものかと頷きつつ、内心ではごく当たり前のようにアンネを受け入れている眷属たちにホッとしていた。
そのアンネは、ルフとミアの子供たちに頬を舐められてキャッキャと笑い声をあげている。
どういう理屈で判断しているのかはわからないが、子眷属たちもきちんとアンネを眷属として認めているらしい。
そんなことを自覚なしに言葉にして呟いてしまったのだが、隣にいたシルクから少し呆れたように「世界樹の魔力の量に決まっていますわ」と言われてしまった。
今まで散々その話をしていたのに、魔狼と戯れているアンネを見てついついそのことを忘れてしまっていた。
そんな自分に恥ずかしさを覚えて、俺は誤魔化すようにそれもそうかと頷くことしかできなかった。