第一話 きっと大事件
季節は春、時間は午前九時ぴったり。
風の心地よい外では、スズメがかわいらしい声で鳴いている。
そんな中、俺は我が家でもあり事務所でもあるビルのリビングにいた。
「めっちゃ暇だわ……」
リビングで何をしているかと言うと、腕の補助無しに、頭だけで倒立をしていた。
な…なにを言っているのかわからねーと思ry、そのままの意味である。
床に頭をつき、腕を使わずに逆立ちをしているのだ。
ガチャリ。
と音がしてドアが開く。
中に入ってきたのは買い物袋を手に引っさげたレイだ。こちらは何をしていたのかと言うと見た通り、食材やらなんやらを商店街で買って帰ってきたところだ。
「今戻りまし………何やってるんですか?」
至極真っ当な意見である。
何せ自分でも変なことをしているという自覚はあるし。
変なものを見る目で––実際変なのだが––俺を見ながら、そう質問を口にした。
「え?だって、暇じゃん。依頼人も来ないし、俺の本業にも仕事入ってないしさ」
「いやそういう事じゃなくてですね。何故暇だからといって頭でだけで倒立をする、という思考をしたのかが聞きた……くもないですね。やっぱいいです」
「いいのかよ。まあ説明求められたところで答えられないけどね。何も考えてないし」
「あ、はい。そうですか。 …………暇だったのなら私の代わりに買い物行ってくれても良かったんじゃないですかね?」
「暇だからといって何か働きたい訳じゃないのよね」
「……はぁ」
無駄な時間を使ったとばかりにため息をつき、中がいっぱいのエコバッグをテーブルに置くと、レイはソファに身を投げ出した。
ぼふん、とソファの柔らかいクッションとともに、レイの細い身体が跳ねた。
「暇なら少しは外に出ればいいのに。せっかく桜の綺麗な季節なんですから」
「桜か………そういや今年花見とかやってないな……今度近くの公園にでも行くか?咲楽さんと師匠も誘ってさ」
「ああ、それいいですね。……でもあの人達の動向は依然として知れませんからね。毎回何も言わずにふらっと消えいつの間にか戻ってきてますし。今二人が消えてからどれくらい経ってましたっけ?」
「んー、確か師匠は三週間、咲楽さんが一週間ちょいだったハズよ」
「ふむ、全くいつ帰って来るのやら」
「ま、次どっちかが帰って来たときにでも取っ捕まえて四人揃うまで待てばいいか。……春終わるまでに帰って来るかわからんけど」
「それもそうですね」
行方不明の二人について考えながら、俺は特にそれ以上口を開くこともなく、再び倒立へと集中し始める。
いや、やめないんですかそれ、とレイが口を開こうとした時、
ピ〜ンポ〜ン
と、リビングに軽快なチャイムの音が響き渡った。
「お?なんだろ。宅配便かな?それとも依頼人かな?」
「さあ、どうでしょうね」
「もしも依頼人だとしたらさ、きっとそれなりに大きな事件だと思うんだよね」
「なんでですか?」
「そりゃあ愚問ってもんよ。理由は簡単、記念すべき一話目だからさ!そりゃあもう、解決の難しい大事件が待ってるはずだね!」
「とりあえず最初からメタネタぶち込むのやめて貰えます?」
「あの、実は、猫探しをお願いしたいんです!」
「あぴゃあ」
「即落ち二コマみたいですね」
猫探し。それが依頼の内容だった。
当然、大事件などでは無い一般的な、健全な依頼である。
「……はい、猫探しですねはい。、猫探し…」
「? あの、どうかしたんですか……?」
「ああ、すみません。この馬鹿のことは気にしないでください」
「は、はあ……」
依頼が期待していたものと違ったせいか、露骨にがっかりした表情を出してしまう。
痛い。
レイのゲンコツが頭に炸裂し、ガツン、という割と凶悪な音を響かせた。
痛がる俺を無視して、何事も無かったかのようにレイは依頼人へと向き直る。
「それで、探すのはどのような猫なんですか、矢賀さん」
レイがそう聞くと、矢賀 舞美と名乗った女性は二枚の写真を取り出した。
そこに写っていたのは一匹の黒猫。藍色のような、すこし青色がかった綺麗な黒色だった。
「おお、かわいい…というか綺麗な猫ですね……」
殴られた後頭部を擦りながら、写真を手に取って眺めると、俺はそう口にした。
ほう、と思わずため息が出るような綺麗な猫だ。
「まあ、この猫ちゃんは私の飼っている猫という訳ではないんですが……」
「え? そうなんですか?」
「はい。なんというか、ある時仕事を終えて家に帰ったら、元々ウチで飼っている十五匹の中にいつの間にか紛れ込んでいたんです」
「紛れ込……え?十五匹?」
「ええ、はい」
「沢山……というかそんなに飼っていらっしゃるんですか?」
「はい!」
「猫、お好きなんですね––––」
俺がそう言った瞬間、矢賀の目が輝いた。
「それはもう!猫ちゃん達の可愛さと言ったらとどまるところを知りませんから!ぴんと立った三角の耳につぶらな瞳すらりとした首から胴にかけてのラインと脚にゆらゆら揺れる尻尾!特に私が好きなのはモッフモフツヤッツヤの毛並みですね!きちんと手入れがされている毛の触り心地といったらもうそれはまさに天国にいるような気分でして!ああ、もちろん毛並みだけでなく先程挙げたところとかも含めて全部好きですよ⁉︎一匹一匹にそれぞれ長所があって」
「–––ちょ、ちょっとストップ!」
「あ、す、すみません!一人で勝手に盛り上がってしまって……」
俺としては軽い世間話の一環として話を振ったつもりが、どうやら変なスイッチを押してしまったらしい。黙っていたら何時間でも語り続けそうだったので、一旦どうにか勢いを鎮めてもらい、手がかりになりそうな情報を聞き出そうと話を促した。
よほどの猫好きなのか途中途中で猫の豆知識や自分の猫自慢などかなり話が脱線したが、ひと通りの彼女の言い分を要約すると、
・ある日いつの間にか家の中にいた
・その日から一日おき程の間隔で家を訪れるようになった
・そんな日々が二ヶ月ほどつづいたが、一週間程前からパタリと来なくなってしまった
との事だった。
ちなみに家はセキュリティのしっかりしたマンションの七階の一室らしく、どうやって入ってきたかは不明だとの事。窓もしっかりと施錠していたらしい。
「一緒に過ごしてた時間は短かったですが、あの子の事が心配なんです!他の私の猫ちゃんたちも心配そうにしていて、なにか事故に巻き込まれてしまったのかとか考え出したらすごく不安で……!どうかあの子を見つけてください!お願いします!」
矢賀は言葉通り不安そうな表情を浮かべながら早口でそう言った。
それを聞いて、俺はレイと顔を見合わせると、口を開く。
「お任せ下さい。情報は少ないですが、絶対に見つけてみせます。––––そのご依頼、引き受けます!」
「––––とは言ったものの。どーしたもんかね……とりあえず『ふむ…』とかそれっぽい反応しといたけどぶっちゃけほぼ情報無意味だったし」
「そのとりあえず意味ありげな仕草するのやめたらどうなんです」
「えー」
「ま、こういう探し物の依頼はただ行動あるのみですね。文句言ってたって何も解決しませんよ」
「まあもちろんそりゃ分かってるさ。だからこうして地下に向かってるわけだし」
矢賀が帰ったあと、俺達二人は事務所の地下へと歩を進めていた。
階段を下り切ると、薄暗い廊下を直進する。一つ目の扉、二つ目の扉を無視して、足を止めたのは三つ目の扉の前。
扉を押し開け、薄暗い室内に入る。
そこには優に五十を超える、数多のモニターがあり、照明の点いていない部屋をぼんやりと照らしていた。
それらは全て別々の光景を映しており、ある物は町の商店街、ある物は上空から町を見下ろしたもの、またある物は人気のない路地を映していた。
これらは風見市に点在する数々の監視カメラの映像にアクセスし、その映像をリアルタイムで見ることの出来るものだ。
当たり前だが、町一つにある監視カメラ全てを写すのに必要なモニターの数は五十などではとても足りない。なので普段はランダムに映像を垂れ流しているが、特定のカメラを指定してその映像だけを映すことも出来る。
ちなみに監視カメラへのアクセスはもちろん不正なものである。
俺はモニターの前にある椅子に腰をかけると、頬杖をつき、口の端を釣り上げた。
ふっふっふ。にやり。
こんな事をやっていると次の瞬間、ぱっと室内が明るくなった。部屋の照明が点けられたのだ。
「……クラウディ?人がせっかく『犯罪組織の首領ごっこ』やってるのに雰囲気台無しじゃないか」
『––––なーにをくっっだらない事やっているんですかマスター?ワタシの役目はマスターの仕事を円滑に進める為の支援、そしてそこにそんな下らないごっこ遊びを許容するデータ容量なんてものは存在しないのです。わかったらさっさと仕事を始めて下さい。おら仕事しろ』
「えー。だって薄暗い部屋に大量のモニターがあったらやりたくなるでしょ!首領ごっこ!」
『ならねぇよ』
照明を点け、容赦のない毒を吐いた声の主の名はクラウディ。その正体はこのビルの電子関係全てを取り仕切る、俺が組み上げた人工知能である。
なおクラウディに俺に対する敬意はほとんど無い。
「なあレイ、なんだかクラウディの俺への当たりがキツイように感じるのって気の所為かな?これって人工知能の叛逆ってやつなのでは」
「いや、当たりがキツイなんてそんなの当たり前でしょう。仕事をやる、って言った矢先にこれですからね。叛逆でもなんでもないただの正論ですよ」
「うっわ味方がいねぇ」
仕方ない、とばかりにため息を一つすると、面倒くさがりながらも作業を開始する。
モニターの下にあるキーボードを叩きながらクラウディへと指示を出す。
「えーと……監視カメラF1から50まで、モニター1から順に全部映して。小動物用に設定したフィルタリングかけとくから、猫見つけたら片っ端から写真と照合。八〇%以上の一致でその猫を追跡、後でまとめて再照合するから。あ、言うまでもないと思うけど何も収穫がなかったカメラはどんどん次のの切り替えてっちゃってね。これが貰った写真。読み込んどいて」
『あいー、了解しましたー。……まあ仕事しろ、とは言ったものの実際作業するのはワタシなんですけどね』
まるでため息でも聞こえて来そうな気怠げな声色で返答したAIは、俺の言葉が言い終わるより速く行動を開始した。クラウディは情報処理用の人工知能であり、無論その作業スピードは人間とは比べ物にならない。眺めているうちにどんどんと映像が切り替わっていく。それを眺めていると、レイが話しかけてき()た。
「なんでポイントF付近のカメラから見ていくんです?普通に街の端のAからで良かったんじゃないですか?」
「ん?あーそれね。大した事じゃないよ。矢賀さんの住んでるところがそこら辺って聞いたからさ。ほら、迷子の猫は隔日おきに彼女の家に行ってたらしいじゃん。だったら矢賀さん家の近くにもう一つの拠点的なところがあるんじゃないかな、って思ってね」
「なるほど」
レイが納得がいったのを確認すると、俺は身を翻し、部屋を後にしようと扉へ向かった。
「? どこ行くんですか?」
「クラウディの処理速度でも街全域を確認する事になったら多分一日くらいはかかるだろうから。とりあえず映像の確認はクラウディに任せて、気休め程度かもだけど写真をこれから巡回中の“駆動鎧”達に見せてこようかなって。それで見つけられたら御の字だし」
「ああ、それはいい案ですね」
二人で扉を潜って部屋の外に出ると、来た道を戻りながら俺は隣の相棒へと声をかける。
「さて、明日からは久しぶりに忙しくなるぜ。クラウディが当たりをつけたところを片っ端から脚で現地調査してくから」
「うっわ面倒くさいですねー」
「そういう依頼だから仕方ないさ。鎧達に会ったらとりあえず今日はもう何もせずに寝よう!」
「そうですね、英気を養うとしますか」
そう言って、二人はリビングへと戻っていった。