白薔薇姫は思い出す
(ああ、わたしはここで終わるのね…)
考えれば、必然とも言えることだった。シャルロット・フォン・ルーベンスは薄暗い部屋で浅く嘲笑する。
シャルロットは歴史あるルーベンス王国の第一王女。そして、隣国の第二皇子であるアルフォンソの婚約者でもあった。
そう、あった。過去形である。
(全部全部、彼女に取られてしまった)
全ては聖女の血を持つという、今や第二王女になった男爵令嬢が原因だった。
柔らかな桃色の髪、大きな青い瞳は小動物のようでとても愛らしい。くるくると変わる表情はとても素直で、魑魅魍魎の貴族社会にとって新鮮なものだった。それ故に惹かれた貴人も少なくない。シャルロットの元婚約者であったアルフォンソもその一人だった。
『シャルロット。君との婚約を破棄させてほしい』
『どうしてですか、アルフォンソ様!?わたしは貴方に見合うために、散々努力してきましたのに…!』
『すまない、でも彼女を愛してしまったんだ…』
口では謝罪しながらも、明確に敵意を持ってこちらを睨みつけてくる皇子。その背中に隠れるようにして怯えたようにシャルロットの方を見ていた少女は、微かに笑っていた。
(信じられない…!!)
今や第二王女となった彼女には身分の差などない。シャルロットは恐ろしかった。まるで知っていたかのように彼の悩みを解決し、彼だけでなく多数の高位貴族を魅了した彼女が。
そして最後にシャルロットを嘲笑った、可愛らしい顔に似合わない醜い笑みが。
シャルロットは彼女にどうしても拭いきれない違和感と不快感を持っていた。王家に入れるのも反対だった。しかし驚くことに、両親である両陛下も貴族も彼女を迎え入れることに好意的だったのだ。
『あの者を王家に入れるのは反対です!!あの者を入れたら最後、この国は滅亡するわ!』
『シャルロット、よさないか。最近のお前は変だ。なぜそうも頑なに嫌がる?』
『そうよシャルロット。いい加減現実を見なさい。貴女は何に囚われているの?』
わからない。しかしシャルロットには確信があった。彼女を入れたらきっと酷いことになる。シャルロットは抵抗し、叫び散らしーーやがて、部屋に軟禁された。
身に覚えのない罪だった。シャルロットは彼女を襲うため暴漢を差し向けたということになっていた。
…そして今日、父から新たな婚約者の釣書が渡された。
『シャルロット、お前は三ヶ月後に彼に嫁ぐことになった。用意をしておけ』
(違うのですお父様!お願い、信じてーー)
渡された釣書の人物は、金だけはあるものの後ろ暗い噂の多い太って脂ぎった人だった。何度も再婚して、今も後妻が何人もいる好色爺。
既に城下での噂は酷いことになっていた。あることないこと吹き込まれて、シャルロットは今や、無理矢理に婚姻を迫り義妹を虐げた恐ろしい醜女ということにされていた。
シャルロットは絶望した。
(死んでしまいましょう。こんな男に嫁ぐなら死んでしまったほうがマシです。せめて、清い身体で逝きたい…どうせわたしが死んでも、悲しむ人なんていないもの)
シャルロットは部屋の奥の棚にある小瓶を取った。苦しむ間もなく逝ってしまうという自害用の毒。当時侍女に教えられた時は『使わないわよ』と笑い飛ばしていたが、まさか使うことになるとは。
(…さようなら、お父様、お母様。愛しいアルフォンソ様。お幸せに)
そう毒を飲み干してーー
(…え?)
突如記憶が巡りだす。これを走馬灯と言うならば可笑しい。なぜならシャルロットにはそんな記憶はないのだから。
黒髪の女性が楽しげに薄い画面を見つめている。その画面には可愛らしく微笑む桃色の髪の少女。
『これでルート全部制覇っと!あー…大変だった。アルフォンソルート鬼畜すぎ』
黒髪女性は溜息をつきながら伸びをした。ハッピーエンドを飾る華々しい音楽。女性は満足と不満が織り交じったような複雑な表情をしている。
『はー…でもちょっと可哀想だよね、シャルロット。切ないわー。虐めとかあったけど、ただアルフォンソのこと好きだっただけだし、ねぇ?』
彼女は画面を指先でツンッと叩く。
『仕方ないか。乙女ゲームの悪役だものね、シャルロット』
「ーーゲホッ、げほっげほっ」
私は躊躇わなかった。指を口に突っ込んで、液体を吐き出す。酸っぱい匂いが口中に広がったけど、そんなのは気にしない。
洗面台に行って、近くの机に置いてあった水差しから水を注ぎ、飲む。吐く。その繰り返し。やがて胃の中が空っぽになった頃、ようやく私は顔を上げることができた。
鏡に映る天使のような相貌。豊かな淡い金髪は緩く巻かれ、エメラルドグリーンの瞳は深く吸い込まれそう。頬はこけているものの、その美しさは損なわれていない。可憐でありながらも何処か大人っぽさのある、危うい美貌の少女。
ーー私は乾いた笑い声を上げた。
「…ありゃあ、私シャルロットじゃん」
わたしはシャルロットだった。17年間シャルロットとして生きてきた。
そして生前ーー私はしがないOLだった。何処にでもいる平凡で愚鈍で、流された末にブラック企業に就職してそのまま使い潰された、馬鹿な女。
「うーん、ゲーム通りなら死んでる筈なんだけど…そこはバグかな。運が良かったのかも」
ペタペタと顔のあちこちを触りながら私は呟く。なぜかわからないけど、私は前世の乙女ゲームの世界に転生したらしい。そしてそれを受け入れている。不思議なほどに。
「シャルロットは…いない、か。じゃあ私がシャルロットの身体を乗っ取ったって考え方が一番しっくりくるね」
毒と一緒にシャルロットの人格は消え去ってしまったらしい。あるのは記憶のみで、中身は完全に私だけ。百パーセント私だ。ちょっと申し訳ない気もする。
そんなこんなで手をグーパーしてる間にも少しずつシャルロットの記憶と私の記憶が混じって融合していく。いずれ馴染んで私のものになるだろう。シャルロットの記憶を思い返してーー私は思わず顔をしかめた。
「えっ、私転生してあんな事故物件と結婚するの?嘘でしょ。絶対嫌なんだけど。そりゃあシャルロットが嫌気さしてもしょうがないよ」
あの人は駄目だよ。前世でも見ないくらいにアブナイ要素が揃ってるもん。チビデブハゲでエロジジイで性格も超級に悪い奴が次の婚約者なんて、私不運すぎない?
そう記憶を遡りながら頭をよぎったのは、あのピンク髪のヒロイン。
「あいつ絶対転生者だよね」
しかも性格悪い奴。こっちの絶望する顔見て笑ってたもんな。はい、中身悪役確定。
ちらりと鏡を見る。儚げな少女。さすが、ヒロインが来るまでは『白薔薇姫』と呼ばれたほどの容姿だ。
「ごめんね。シャルロット」
『わたし』は毒と一緒に消えていったけど、可哀想に『私』が身体を乗っ取ってしまった。憐れで虐めるという考えも持たなかった悲劇の彼女。でも、私は違う。
シャルロットの記憶を反芻する。転生電波ヒロイン。自分の責務も分かっていない馬鹿皇子。腐敗した国の王家と貴族。無責任に喚く弱者気取りの国民達。
私の座右の銘は『やられたらやり返す』だ。
…さて、今世の方針が決まった。
全部ムカつく。苛つく。今の私はシャルロット。あの仕打ちは全て私にされたも同然。存分にやってやりましょう。
「でも今この身体は私のものだし、いいよね?別に好き勝手にやっても」
当然ながら、シャルロットの返事はない。やっぱり消えてしまったようだ。まあ、止められてもやるんだ
けどね。
私は笑う。白薔薇姫の名に相応しい、輝かしい美貌を使って。
「『ざまぁ』しましょうか」
暗い部屋の中、鏡の私は前のシャルロットでも見たことのないほど無邪気に微笑んでいた。