そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)vol,03 < chapter.6 >
気を失ったマルコの傍らにデカラビアがいた。
何を語るでもなく静かに寄り添い、慈しむように頬を撫でる。
イヴの試作品。
始祖になれなかった者。
創造主を恨み、堕ちていてもおかしくない。
けれど彼女はそうならなかった。肉体は朽ち果てても、彼女の心は彼女のまま、今なおこの地に残されている。
人の目に映らぬ実体無き存在。その姿は、監視者の目には美しい乙女に見えている。
「……其方は、ヒトの心を解するのだな?」
オオカミの声に、デカラビアはくすりと笑う。
「それはどうであろう」
「……分からぬのか?」
「分かると言えば分かるし、分からぬものと言えば、それもまた正しい」
「……どういう意味か?」
「ヒトは、ヒトという一つの種ではあっても、貴殿のように単一の存在では無い。ひとつひとつの個体が、それぞれに考え行動するもの。心の形は一つずつ違う」
「違う? 違うものが、なぜ群れを成し、共にある?」
「違うからこそ、共にあるのだ。ヒトは万能ではない。自分にできないことは、それができる他の誰かを頼る。そしてまた、自身も誰かに頼られる。それがヒトという生命だ」
「……助け合い、というものか?」
「そうだ。貴殿がしたことと同様にな」
「我が……何か、しただろうか?」
「ああ、したさ。してくれたとも。ありがとう。私には、このヒトの子が負う怪我を軽減してやることしかできなかった。こんなに綺麗に直してくれて……本当に、どうもありがとう、オオカミナオシ」
「……万物の監視。修正と削除。それが我の使命だ。我はただ、与えられた役目にしたがったまでのこと……」
困惑気味に話すオオカミに、乙女がそっと手を伸ばす。
純白の被毛を優しく撫で、抱き寄せて、頬に口づける。
「それでも、貴殿には礼を言う。ありがとう。貴殿のおかげで私は救われた」
「我が其方を救った? 何のことだ?」
「この街のことだ。私がしたことは、すべて余計なおせっかいだった。運勢など操作せずとも、ヒトは知恵と勇気を以って困難を克服できる。もうそれだけの進化を遂げていた。見ろ。彼らを」
細い指先がすっと示したその先。
神々の『眼』はすべての障害物を透過し、奮闘する三人の姿を見る。
「やった! やりましたよ隊長! 広場の排水完了です!」
「そうか! じゃあ、もうやめても……」
「広場だけです! 円形劇場はまだですから!」
「えええぇぇぇーっ! い、いや、もう、気力が……」
電源ケーブルの端子部分を持たされたベイカーは、かれこれ十分以上放電を続けている。雷獣ならではの自家発電方法なのだが、一定出力で延々と魔力の放出を続ける作業は体力、気力ともに消耗が激しい。
下がる一方のモチベーション。底をつきかけたスタミナ。それに伴い落ちる発電量。
電圧計を見ていたロドニーがベイカーを励ます。
「隊長ファイト! 隊長ならできます! 俺たちの隊長は、この程度の水溜まりも排水できないような軟弱者じゃありません!」
「う、うう……部下の励ましが重い……トニー! 何でもいいから、俺の元気が出そうな単語を連呼しててくれ!」
「了解です! おっぱい!」
「おっぱい!」
「おっぱい!」
「く……駄目だ! 俺はロドニーほどおっぱい属性ではない! なにかこう、もっと、シチュエーション的にグッとくるエモい感じのことを……!」
「ミニスカ女子高生!」
「白衣のナース!」
「豊満美熟女!」
「もっと詳しく!」
「放課後の教室、二人っきりのドキドキ居残り勉強!」
「深夜の病室、院長には内緒のエロエロお手当て!」
「主人に言えない秘密の昼下がり、禁断の掃除機オナニー!」
「なんだそれは!? 最後のが気になりすぎるぞ!」
「今度ダビングします!」
「だからファイト!」
「がんばって!」
「うん俺頑張る! あははははは!」
蓄積していく疲労のせいで、なにやらテンションがおかしい。本人はこれでも真面目に頑張っているつもりなのだが、第三者目線ではただの阿呆だ。
「隊長、いい感じです! さっきより発電量上がってますよ!」
「フハハハハ! そうか! そうだとも! さすが俺! この水溜まりめ! 貴様なぞ下水管に叩き落として、ジャクソン湾のモズクにしてくれるわーっ!」
「隊長! モズクじゃなくて藻屑です! モズクは美味しいほう!」
「うるさい! もう何だっていいっ! ああっ! 電力供給公社だ! なにもかもあいつらのせいだっ! 変電所の屋根くらいさっさと葺き替えておけばよかったものをっ! 何が建築遺産だ! 旧時代の建造物なんてすべて匠のリフォームを必要としてしまえばいいんだっ! リノベーション万歳っ! あーっはっはっはっはっ!」
「すっげ! 隊長マジすげえ発電量! 排水ポンプ稼働率九割超えてますよ! あと五分くらいで排水作業終わります! あともう少し頑張ってください!」
「ファイト!」
「がんば!」
「あと少し!」
「うおおおぉぉぉーっ! 世界よ! その目に焼き付けろ! これが! 俺の! クリーンエネルギーだあああぁぁぁーっ!」
発電者のメンタルヘルスがどうであれ、排水作業は順調に進んだ。
そう、この街は電源さえ入っていれば設計上は何の問題もなく、ほぼ自動で排水作業が行われる。住宅が未完成で街が街として稼働していないからこそ、今このようなトラブルが発生しているのだ。
デカラビアは人の運勢を操作しただけ。住宅局の担当者や設計士、建設業者らの心の中までは覗き見ていない。
人間たちはとっくの昔に気付いていた。
山を切り崩したら地下水の流れが変わる。土壌の保水限界量は著しく低下し、いつかは洪水や土砂崩れが発生することになる。何の対策も講じないでいたら、確実に人的被害が出てしまうだろう。
だからこそ、造成地全体のレイアウトを変更したのだ。
他の造成地であれば住宅が置かれるべき一番奥まったエリアを、あえて商業区画に設定。その地下に巨大な遊水池を造り、景観を犠牲にしてでも大規模下水処理場と複数の排水ポンプを建設した。
稼働する排水ポンプを見て、デカラビアは申し訳なさそうに首を横に振った。
「私は……本当に、とんでもない大馬鹿者だな。良かれと思ってしていたことは、人間たちの苦労を台無しにすることでしかなかった。彼らには私の加護などいらない。育て上げた技術力で、未知のことに挑戦する勇気で、仲間と助け合うことで……人間たちの力だけで、もうこの世界を生きてゆける……」
その言葉に、今度はオオカミが首を横に振った。
「いいや。デカラビア、それは違う。其方の加護があればこそ、誰一人、命を落とさずにいられた」
「慰めは結構だ」
「慰め? それは我には理解できぬものだ」
「ならば、なんだ?」
「事実を述べたのである。我も礼を言おう。ありがとう、デカラビア。其方がこの地を守り続けていてくれたことで、玄武は今日まで眠りの中にいた。この地の平穏が守られていなければ、玄武は、もっと早く目覚めていた。人の進化が追い付かぬうちに目覚め、すべての文明を水底に沈めていたであろう」
オオカミはもう一度、ベイカーたちに目をやった。
進化した人間たち。彼らのおかげで玄武は救われた。誰一人殺めず、神のままでいられた。
今はまだマルコの『内』に抱かれて泣いているが、オオカミには分かる。
玄武はじきに泣き止む。
この人間の傍は、心地好い暖かさだから。
ヒトとは異なる精神構造であるため、オオカミナオシに愛は理解できない。しかし、その熱を感じることはできる。
その身を焦がし、焼き尽くすほどの愛は熱すぎる。
怒りや嫉妬は居心地が悪い。
悲しみや苦しみは、ひどく寒い。
一番心地好いのは、優しい者の傍だ。
マルコの心の温度は、かつての玄武とそっくりだった。このぬくもりに包まれていれば、きっと玄武も、元の自分を取り戻すに違いない。
「……オオカミ。見ているだけか? 人はこういう時、こうするものだ」
デカラビアはもう一度、マルコの頬を、髪を、胸を――幼子を見守る母のように、優しく撫でてやる。
「……?」
オオカミはデカラビアに言われるがまま、マルコの頬に触れた。
柔らかい。
自身が器とする人狼よりも、ずっと脆い。
不完全でか弱い生き物。
それがヒトだ。
それが子供だ。
分かっていた。
分かっていたからこそ、守ろうとしていたのに――。
「……そうか。我は間違えたのだな。我が守るべきは、玄武の神格などではなく……」
「神格とは、創造主より与えられし力、すなわち『役割』の大きさ。創世という重責を離れたあのお方は、それ相応の神格に落ち着くべきではあるまいか?」
「……ああ……そうだな。我は、万象を創られた姿のままに修復し続けていた。だが、それではいけなかったのか……」
「ヒトも神も、心を持つ者は皆、時とともに変化する。若ければ若いほど、幼ければ幼いほど、その変化は大きく、他者の予測を裏切る。あのお方は、古の神々の中でも特にお若い方なのではあるまいか?」
「その通り。玄武はすべての創世神の中で最も若い。創造主の手によって生み出され、幾多の生命を創り出した。そして、そこで役目が終わった」
「では、本当に『子供』なのか。己の仕事を、最後まで見届けることはできなかったのだな……」
「我は役目にしたがうことしかできぬ。教えてくれ。それは、『悲しいこと』なのか?」
「……悲しいな。そう、とても悲しいことだ。いくら泣いても、癒えることはない」
「ならば、どうすればいい?」
「笑え」
「……それだけか?」
「ああ、それだけだとも。ただ、それだけのことが難しい。それは一人ではできないことなのだ。誰かがこうして寄り添っていてくれなければ、涙はいつまでだって溢れてくる。これは、自分ではどうにもできないことだ」
「……だから、玄武は……」
一緒にいてほしい。
オオカミは、その言葉の意味をようやく理解した。
「……玄武……玄武、すまなかった。其方は何も、間違っていなかったのだな……。まだ其方に、我の声は届くだろうか。頼む。もう泣き止んでくれ。そして笑ってくれ。あの頃のように、共に世界を見守ろう。ここに在る生命に、加護と希望を与えよう。其方にはそれができる。世界はそれを必要としている。其方は……いや……」
オオカミは頭を振り、言い直す。
「違うな。世界が、ではない。我が、其方を求めている。もう一度、其方の隣で、其方の心を……あの温もりを感じたいのだ。だから、玄武……」
マルコの頬に鼻先を寄せて、オオカミはささやく。
「戻ってきてくれ。我のもとに」
雨が止んだ。
雲も無いのに降り注ぐ不思議な雨。
それが止んだそのあとに、空一面に虹が咲く。
七色に咲き乱れる満開の花天井。
科学でも魔法学でも、この現象を解明することはできない。
なぜならこれは、どんな天変地異でも、どんな自然現象でもない。
古の神の、ただの歓喜の声なのだから。
マルコは唐突に意識を取り戻した。
慌てて上体を起こし、体の状態を確かめる。
怪我はない。健康状態も、何の問題もないように思える。しかし、なのになぜか涙が溢れてくる。
胸の奥がチクチク痛む。
この気持ちは何なのかと考えて、マルコは気が付いた。
これは自分の感情ではない。
「……玄武。悪いことをしてしまったときにはなんと言うか、知っていますか?」
呟くようなマルコの問いに、姿なき者が返事をする。
「……知ってるよ。知ってるけど、でも……」
頭の中に直接響くその声は、マルコにだけ聞こえるものだった。玄武はまだマルコの中にいる。自分の中にいるからこそ、マルコには玄武の気持ちが分かった。
「きちんと謝っていただければ、私は貴方を許します」
「……本当? ボク、キミにすごく酷いこと言ったんだよ……?」
「泣きじゃくる子供の暴言を真に受ける大人はいません」
「……ボクのほうがいっぱい生きてるのに……」
「生憎、私はただの人間ですので。貴方より早く大人になって、年を取って、あっけなく死んでしまう生き物です。貴方がためらっている間に、寿命が尽きてしまうかもしれませんよ?」
「そ……そんなのだめだよ! ちゃんと謝らせて! ごめんなさい! ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい! もう、絶対に悪いことはしません!」
「ならば許します。仲直りしましょう」
「キミを抱きしめていい?」
「はい」
マルコが答えると同時に、マルコの足の上に亀が現れていた。甲羅の全長は四十センチほど。リクガメともウミガメともつかない、どちらでも暮らせそうな形状をしている。尾はやはり蛇なのだが、マルコの指の太さしかなく、ちっとも恐ろしくない。
玄武は長くもない脚で、必死にマルコの太腿にしがみついていた。亀にしてみれば、これでも抱きしめているのかもしれないが――。
「……っぷ……ぷは! あはははは! 玄武、違いますよ! こういう時は、こうです!」
亀を抱き上げて、自分の胸元にしっかりと抱きすくめる。
「はい。これで仲直り」
「……ねえ、キミ、ボクの友達になってくれる?」
「ええ、もちろん」
「マルコって呼んでいい?」
「どうぞ」
「じゃあボクのこと、ゲンちゃんって呼んで!」
「ゲンちゃん?」
「うん! ボク、ゲンちゃん! マルコ、ボク、キミを守護するって決めた! これからよろしくね!」
「……私を、ですか? いいのでしょうか、神様を独り占めしてしまって……」
「いいんだよ! だって、ボクがそう決めたんだもん! ボクはキミがいい!」
「そう……ですか? では、ゲンちゃん、どうぞよろしく」
「うん! ばっちり守ってあげるよ! 任せといてよ!」
人語を話すゴキゲンな亀。どう見てもそれ以上のモノには見えない神は、マルコに抱きかかえられ、騎士団本部に持ち帰られた。
生真面目な王子が『拾得物』として野生動物保護報告書を作成した話は、特務部隊史上最大の珍事として、その後しばらく酒席の語り草にされたという。
それから三日後のことである。大雨と大規模停電に見舞われた中央市内も、ようやく落ち着きを取り戻しつつあった。冠水した道路や水没した地下施設の復旧作業は続けられているものの、もうあと数日もすれば完全復旧できる見通しだ。
人類は進化した。
文明を発展させ、知識を蓄え、技術を磨いた。
古代文明で多くの死者を出した災害も、今の人類なら耐えられる。たとえ街が壊れても、すぐに修復してみせる。かつては何十年もかかった復興も、今ならほんの数年で成し遂げる。
人間は強い。
しかし神にその事実を見せつけた人間たちは、今、新たな問題に直面していた。
「……玄武、写真に撮られてたんですか?」
「ああ、そのようだ。丘の向こう側でも別の宅地造成工事を行っていたのだが、そこの作業員が撮影したらしい」
ベイカーが机上に広げた新聞には、問題の写真と派手な見出しが躍っていた。
「大雨の原因判明か!? 謎の巨大カメ現る! ……って、もうこれ、まるっきり怪獣扱いですね……」
報じているのは一社ではない。国内の主要新聞社はほぼすべて、一面にこのニュースを取り上げている。これではもう、何をどう誤魔化すわけにもいかない。
ロドニーは頭をぼりぼり掻く。
ベイカーも頭を掻き乱し、忌々しげに話す。
「困ったことに、お前たちがあの造成地に向かう様子も目撃されている。そうと知っていれば、あんな発表はしなかったのに……」
昨日、ベイカーは自ら記者会見を行い、あの造成地で発生していた『怪奇現象』の解決と工事再開を発表してしまった。内容についてはかなりいい加減にねつ造し、『造成地奥の丘に埋まっていた古代遺跡の呪詛によるもの』と説明したのだが――。
「丘からゲンちゃん出てくるトコ、連写されちゃってますね。一枚だけなら合成写真って言い張れたのに……」
「私が《防御結界》を張っている姿も撮られていますね……遠すぎて、顔は写っていませんが……」
「うちの制服で金髪ロン毛なんて、マルコとレインしかいねえじゃん? で、レインは冠水地域で住民の避難誘導してたわけだし……全然誤魔化せねえよな……」
「どこの新聞社も、私たちが怪獣退治をおこなった前提で記事を作成していますね……」
「まあ、ここに写ってる火柱も、トニーが撃った《冥王の祝砲》だって特定されてるしな。あんな大技使って『怪獣退治なんてやってません』とか言えるわけねえし……」
「言ったところで、信じてもらえませんよ……」
「クソ……こんなにいい写真があるなら、もっとうちの活躍を前面に押し出すストーリーをねつ造したのに……それでついでに、ショッピングモールの宣伝も……」
「隊長、公務中に実家の商売宣伝しちゃダメですって」
「公務員法違反になってしまいますよ?」
「ああ、分かっている。分かっているが……もったいない! こんな絶好のチャンスに店の宣伝ができないなんて!」
「ところで、隊長が出資されたのはどのようなお店なのでしょう? ご領地のアンテナショップでしょうか?」
「いや、ランジェリーショップだ」
「ランジェリーショップ」
「テーマは肉食女子の戦装束」
「戦装束」
「勝負下着の一段上、狙った男を確実に仕留める『超必殺技』のような、攻めて攻めて攻めまくるセクシー路線を狙った店で……ん? どうしたマルコ、何を俯いているのだ? どこか具合でも悪いのか?」
「い、いえ……少々、想定外のお答えだったもので……」
「つーか隊長、なんでそんなもん出店しようと思ったんです? 隊長だったら絶対焼き肉屋やると思ったのに」
「ああ、そちらにも共同出資という形で参加しているぞ。だが、いつも同じような企画ばかりやっていたのでは面白くないだろう? たまには思い切って、一風変わったことをやってみようと思ってな」
「いやいや、思い切りすぎですって。つーか騎士団の会見場でそんなおパンティー屋さんの宣伝したら団長に殺されますから」
「注目度は高いと思うのだが……」
「高すぎて悪目立ちパターンですよ、それ」
「う~む……ブランドイメージに傷が付くことは避けねばならんか……」
「で、隊長? なんかもう、中途半端に隠しておけない感じになってますけど……どの辺まで回答OKにしときます? 一応指針決めておかないと、マスコミに囲まれたとき対応間違えるヤツ出てきますよ?」
「そうだな……指針は必要か……」
騎士団本部前には大勢の記者が張り込んでいる。本部の正門から出てくる職員なら、誰かれ構わずマイクを向けているような状況だ。特務部隊の活動を知っているのは騎士団長、副団長、総務部と車両管理部の数名、情報部職員。今のところ、マスコミからは上手く逃げ回っている。だが、そのうち一人では対処不能な囲まれ方をするかもしれない。対応と回答をマニュアル化する必要がある。
「では……トニーが怪獣退治をしたということでまとめてしまおうか。神だの何だのと、わけのわからんオカルト情報を発信するわけにもいかんしな」
「じゃあ、街の被害が最小限に抑えられたのはマルコのおかげってことで」
「そうだな。都合のいい写真もあることだし」
「あの、ですが、私が結界を張っていたのは最初だけで……」
「細かいことは気にするな。嘘も方便というものだ。世の中には、発表したくてもできない情報が山ほどある」
「そうだぜマルコ。正直に全部公表しちまったら、それ、危険な生き物だから始末しろって言われちまうだろ?」
ロドニーの視線の先には、オフィスの床をのこのこと歩き回る玄武の姿がある。
特務部隊オフィスが気に入ってしまったのか、日中はマルコと一緒に出勤し、ああして室内を散歩する。ただの動物ではないので、変な場所に入り込むことも、排泄物で書類を汚損することもない。オフィスのマスコット的存在として、このまま放っておく方向で全隊員の意見が一致した。
「確かに……ありのままを説明したら、危険生物以外の何物でもありませんね……」
機嫌を損ねて泣き出したら、世界規模の異常気象に見舞われるのだ。『異界の神』などという胡散臭い説明を信じる者はごく少数だろうが、何らかの脅威とみなす意見が多数派となることは間違いない。
「では、怪獣退治はトニーさん、街の防衛は私、ロドニーさんと、ロドニーさんの要請で現場に駆け付けた隊長が処理場を稼働させて洪水を回避した、という筋書きですね?」
「つーかそれしかないですよね?」
「ああ、それしかないな。よし、とりあえず団長に報告しに行こう。この筋でOKが出たら、広報課のほうから一般向けの発表を行ってもらう。それでいいよな?」
「異論なーし!」
「私も賛成です」
「それでは、俺は団長室に行ってくる。そのまま広報課と情報部のほうにも顔を出してくるから、午前中は戻らないと思う。応援要請等の通信は副隊長のほうに回してくれ」
「了解です」
「行ってらっしゃいませ」
立ち上がったベイカーは、玄武の甲羅をポンポンと優しく叩いてからオフィスを出て行った。
玄武は嬉しそうに目を細める。すっかり『みんなのペット』である。
ベイカーがいなくなってから、マルコはずっと気になっていたことを尋ねた。
「あの、ロドニーさん。気絶している間のことは、何も覚えていらっしゃらないのですよね?」
「ん? おう。なんだかわかんねーけど、たまにあるんだよな。すっげー強いモンスターと戦ってるときとか、今回みてえに神様とか精霊とか、わけ分かんねー話が絡むときには……」
「そう……ですか……」
「なあ、俺が気絶してる間に、なんかあったのか? 隊長もトニーも、やけに俺のこと心配してたんだけど……」
「ええと、それは……」
それは貴方が、神をも殺す『監視者』の器だからです。
そんなことは言えない。本人が何も知らず、気付かずにいるということは、本人に知られると不都合があるということだ。それはおそらく、ロドニーを守るために必要な措置で――。
(内緒だよ? 絶対絶対、内緒にしてね?)
ロドニーには聞こえないように、玄武がマルコに呼びかけてくる。
マルコは何気ない様子でこう答える。
「かなり無理な体勢で落下したようですので……どこかに後遺症が残ってはいけませんから」
「でも、マルコが治してくれたんだろ? なら大丈夫だって! みんな心配し過ぎだっつーの!」
明るく笑うロドニーに、マルコも笑みを返す。
しかし、胸の中がざわついて仕方がない。
必死に隠そうとする玄武は、悪い嘘を吐くような存在ではない。
オオカミも、与えられた使命を忠実にこなそうとしているだけ。
どちらも悪いものでは無いのに、なぜ、ロドニー本人に自覚させてはいけないのか。
(ゲンちゃん、なぜです? なぜ、ロドニーさんには……)
玄武は心の声で、心底申し訳なさそうに答える。
(ごめんね。マルコにも、それは言えないんだ。これはそういう掟だから……)
神々の掟。自身も法学部を卒業し、ヒトとして、国家としての掟を遵守する身。それぞれの立場で、守るべき法が異なることは重々承知している。だからこそ、マルコはこう呼びかけた。
(ならば、約束してください。その掟によって、ロドニーさんを傷付けることはないと)
(……うん。約束する。大丈夫。きまりを守りさえすれば、器は壊れないようになっているから……)
守れば壊れない。つまり、掟に背けば壊れてしまうのだ。
その『壊れる』という言葉が、どのような事象を指すものかは分からない。けれども、マルコは胸に誓った。
自分の友達は――ロドニー・ハドソンというこの男は、自分が必ず守ってみせると。
マルコの決意を感じ取り、玄武もひそかに、心に誓う。
僕も、マルコを守るよ。
そういう真面目すぎるところ、オオカミにそっくりなんだもん。
二人の胸中など知る由もなく、ロドニーはお気に入りの漫画を手に、いつもの窓辺へ向かう。
あの街の今後も、マスコミ対策も、特務部隊の仕事ではない。特務としての任務は完了した。明日にはまた、彼らは新たな任務に着任することになるだろう。
いつも通りの任務、いつも通りの引き継ぎ、いつも通りの完了報告。
そんな日常に、『みんなのペット』が増えただけ。
マルコはそう気持ちを切り替え、引き出しから書類の束を取り出した。
「さあ、ロドニーさん。暇つぶしの読書をする時間はありませんよ。先日ラプラーズタウンから救出した女性たちの、身元証明書類を作成しましょう。あの中には一年以上監禁されていた女性もいます。彼女には監禁されていた間の経歴がありません。今後、性的被害を受けたことを隠したまま就労するには不利になります。こちらで当たり障りのない『代わりの経歴』を作って差し上げませんと……っと、ロドニーさん? どうされました?」
ロドニーは出窓に突っ伏し、情けない声を上げる。
「俺そういうのホントに苦手なんだってばよぉ~……」
「大丈夫です! こちらに分かりやすい書式見本をご用意いたしました! さあ、がんばって作成しましょう!」
「はああぁ~い、がんばりまああぁ~す……」
これ以上ないくらいヤル気のない返事をして、ロドニーはデスクに戻ってきた。
いつも通りのオフィスのやりとり。
そんな光景を、玄武はにこやかに見守っていた。




