そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)vol,03 < chapter.1 >
魔法の王国ネーディルランド。そこは魔女王ヴィヴィアンを君主とする、世界最大の王制国家である。
国土面積世界一。肥沃な大地と広大な海から産出される農林、水産、鉱物資源は量・質ともに他国の平均水準を大きく上回る。食料自給率は百パーセント以上。魔法学、科学双方で世界最高の水準を誇り、他の追随を許さない。
食い扶持は十二分。国民の教育は行き届き、王侯貴族でなくとも安全で清潔な生活が保障された幸せな王国。
そんな国を見て、他国の人間が考えることはひとつしかない。
戦争し、土地と資源を奪い取ろう。
この『幸せな王国』は、常に周辺国からの軍事的圧力にさらされている。しかし、そんな状況に置かれて五百余年。ネーディルランドは建国以来、一度たりとも国境線を侵されていない。それはなぜかと問われれば、答えはいたって明快だ。こちらの軍事力が、はるかに勝っているためである。
世界最高の産業技術を有するということは、それらの軍事転用も容易ということ。各分野の研究者を総動員して、ありとあらゆる兵器を開発。敵対するすべての勢力を虫けら同然に叩き潰してきたのだ。
圧倒的破壊力による敵性勢力の殲滅。五百年以上に渡ってそれを実行してきたのは、この物語の主人公、マルコ・ファレルが所属する『王立騎士団』である。
国家の防衛及び治安維持を担う軍事組織、王立騎士団。十二の方面軍と五つの特殊部隊からなるこの組織に、『特務』と呼ばれる者たちが存在する。彼らは女王直属の特定案件専任チーム。全方面軍から選抜されたトップエリートのみで構成され、そのリーダーは女王への謁見および後宮への立ち入りが許可されている。
近衛隊長ですら立ち入れない男子禁制の後宮内で、女王や女官たちと直に言葉を交わせるただ一人の男。その男の名はサイト・ベイカー。ベイカー男爵家の長男にして、国内屈指の剣術の達人。これまでに諸々の軍事作戦に参加し、数多の功績を上げた英雄的人物である。
しかしその外見は、『男らしさ』とは縁もゆかりもない姿であるのだが――。
六月中旬、セントラルシティは短い雨季を迎えていた。
「あー、また雨かよー。やだなぁ、湿度高くて……」
茶髪の青年がそうぼやく。彼はキャスター付きの事務椅子に後ろ向きに座り、お気に入りの出窓に頬杖をついている。
ガラスの向こう側を絶え間なく通過する雨粒。それをうんざりとした表情で眺め、幾度となくため息を吐く。
「嫌なんだよなぁ。ただでさえ換毛期であっちこっち痒いのに。北部じゃ雨季なんかなかったっつーの……」
言いながら、青年はボリボリと体を掻き毟る。
彼は人狼族のロドニー・ハドソン。今は人間のような外見だが、気分次第で獣、もしくは半獣の姿をとることもある。全身毛むくじゃらの動物系種族には、雨季の湿度は辛いらしい。
人狼族の換毛期は冬から春、春から夏、夏から秋・冬毛への三回。冬毛が一斉に抜け落ちる春、冬毛を生やすために大量の食事が必要となる秋はよく知られているが、六月の換毛期はあまり知られていない。ロドニーのような『北方系の狼』はこの季節に春毛が抜け落ち、夏用のこざっぱりしたスタイルに変化するのである。
「ほんと、マルコはいいよなぁ~。換毛期無いんだろぉ~? 何その体質ぅ~……」
呼びかけられた金髪の青年は、作成中の書類から視線を上げて、呆れた顔で答える。
「私だけが生え変わらないような言い方をしないでください。動物系種族でも、もともと換毛期が無い方も多いではないですか」
「そうそれ。そこがずるい。この痒さを知らないとか、マジずるい」
「ずるいと言われましても……ならばロドニーさん。冬に何枚も重ね着しなくては生きていけない人間の苦労はお分かりいただけますか? 私には自前の防寒具が無いのです。雪に降られて、衣服が濡れたらそれまでなのですよ? 着替えの持ち合わせがなければ凍死は確実ですが?」
「あ、それ不便だな。雪山で余計な荷物なんか持ちたくねえもんな……」
「そうでしょう? どんな種族も一長一短なのですから、諦めてください。それに中央の雨季なんて、長くても二週間程度ではありませんか」
「そぉなんだけどよぉ~……痒いよぉ~……」
「まったく、もう……」
呆れて肩をすくめながらも、親愛の眼差しでロドニーを見つめる。
彼はマルコ・ファレル・アスタルテ。女王の実子でありながら、諸事情により子爵家の私生児として育てられた少々特殊な王族である。
ロドニーとマルコは王立騎士団特務部隊に所属している。特務部隊とは、貴族らの犯罪を合法的に取り締まるために組織された特定案件専任チームである。が、しかし。いかに増長しきった貴族のボンボンでも、そうそう頻繁に『やらかす』わけではない。仕事がないときはとことんヒマで、このようにオフィスで燻っていることも多いのだ。
「あーあ、なんかやることねえかな……」
「先日受け持った案件のアフターケアなどいかがです? 今、あの館で売春させられていた女性たちの就労支援として、推薦状を書いているところなのですが」
「そういう面倒臭そうなのはパス! っていうか、マルコが書いたら誰も断れねえじゃん! 王子の推薦状なんておっかねえモン量産すんなよ!」
「いえ、私名義ではありません。あくまでも王立騎士団として、彼女らの身元を保証するだけの文書ですので」
「それ、法学部上がりのマルコだからサラサラ書けるけどよぉ。俺、バリバリの現場組なんだけど……」
「いえいえ、それほど難しい文書ではありませんよ。こちらに公文書用の書式見本一覧がありますから、これを参考にしながら作成すれば簡単です」
「うわぁ~、小せえ字でこんなぎっしり……うぅ、目が痛くなりそう……」
「剣を持って戦うばかりが人助けではありません。頑張りましょう!」
「はあぁ~い、了解でぇ~す……」
王立大学法学部を首席で卒業したエリート王子と、腕力自慢のオオカミオトコである。マルコにとっての『簡単』は、ロドニーにとっての『至難』。五千メートル級の山を日帰り登頂するより難しい。
そんなこんなで、不得手な書類作成業務に従事すること約二時間。オオカミオトコの脳ミソが過労で悲鳴を上げているさなかに、その知らせは舞い込んだ。
オフィスの扉を蹴破る勢いで、小柄な青年が飛び込んできた。
「ロドニー! マルコ! 緊急出動だ!」
「ぃよっしゃあああぁぁぁーっ! 待ってましたあああぁぁぁーっ!」
「何を喜んでいるのですか! 不謹慎ですよ! 隊長、事件の概要は!?」
「あー……相変わらずだな、お前たちの反応は……」
元気小僧と優等生のお約束リアクションに呆れ顔の青年。彼を知らない者ならば、その姿を見ても、声を聞いても、男装した少女と思って疑うことはないだろう。
整いすぎて作り物めいた中性的な顔、華奢な体、アルビノ特有の色彩――どう贔屓目に見ても『男らしい』とも『強そう』とも表現できない彼こそ、このチームのリーダー、特務部隊長サイト・ベイカーである。
愛くるしい美少女風の隊長は、精一杯険しい表情を作って事態を説明する。
「ラプラーズタウンにて、トニー・ウォンが交戦中。敵は最低でも十五名。いずれも戦闘訓練を受けたプロの傭兵と思われる」
「えっ!? ラプラーズに傭兵って、どういうことですか? どっかの貴族の私兵隊が暴動起こしたとか!?」
「いえ、ロドニーさん。あの街は高級住宅地ではありますが、私兵隊を置くような豪邸はなかったはずです」
「あ、そうか。そうだよな。ちょっと裕福な市民向け住宅ばっかりだもんな?」
「隊長、十五名以上の傭兵とはどういうことですか?」
ベイカーは首を横に振って、困り果てた顔を見せた。
「詳細は不明。だが、私兵隊や警備員の起こした暴動でないことは確かだ。なにやらトニーのやつが、本部へ帰投途中に怪しい馬車を発見してしまったらしい。牽制のつもりで声をかけたら交戦状態に突入した、とだけ通信を寄越して……」
「あの、隊長。トニーって何の任務に行ってましたっけ?」
「護衛任務だ。西部で開かれた建築学会に、グリーヴァ教授の護衛として同行していた。教授の自宅がラプラーズタウンだから、家まで送り届けた後に遭遇したのだと思う」
「装備は? ただの護衛任務じゃ、ひょっとして……」
「防御呪符とナイフ。それだけだ。教授から物々しい警護はやめてほしいとの要望があったため、制服も着用していない。暗器の類も所持していないぞ」
「それで十五人?」
「少なくとも、だ。まったく、あいつは何を考えているのだ。声を掛けるより先に治安維持部隊に連絡しろと、いつもあれだけ……」
「あいつに何言ったって無駄ですよ。脳ミソ全部筋肉なんですから」
「お前に言われたら何の救いもないな。ともかく、二人で行ってくれ。住所は四の二の八。赤煉瓦の家だそうだ。トニーのことだから死んではいないだろうが、数が多い。苦戦しているはずだ。助けてやってくれ」
「了解いたしました」
「はぁ~い。ったく、しょうがねえなぁ……」
ぼやくロドニーの前に、ベイカーは拳を突き出す。
「健闘を」
自分の拳をこつんとぶつけ、ロドニーは笑う。
「ま、こんな状況ですけどね。吉報を待たれよ」
「マルコも、健闘を」
「はい。行ってまいります」
手早く装備を整え、二人はオフィスを後にした。
高級住宅地ラプラーズタウン。貴族専用住宅街のブルーベルタウンと異なり、こちらは身分にかかわらず、金さえあれば誰でも購入できる。自分の店を経営する市民階級の者たちにしてみれば、ここに家を買うことこそ最高の栄誉。成功者の象徴として、一般大衆から一目置かれる存在になれるのだ。
しかし、だからこそ問題も多い。
ある程度稼いだ者が大見得を切って住宅を購入したものの、ほんの数年でローン返済が滞り、土地・家屋・家財道具、一切合切が差し押さえられるケースが後を絶たない。その際、せっかく手に入れた自分の家を手放すまいと悪足搔きすることで、さらなる問題が発生する。
借入先がローンを組んだ銀行のみならば、法に則って破産手続きを済ませれば良い。だが、素直に己の没落を認める者は少ない。たいていの者は「まだチャンスがある」と自分に言い聞かせ、非合法な闇金業者からの融資を受けてしまう。
そういったケースが最悪なのだ。
騎士団が状況を把握できないまま、いつの間にか土地家屋がマフィアの手に渡っている。閑静な高級住宅街のど真ん中にマフィアの拠点の出来上がり。何も知らない近隣住民はごく普通の家族が越してきたものと思い込み、子供たちを遊びに行かせてしまう。
同世代の気安さにつけこみ、若い構成員らが違法薬物や売春を斡旋して回る。そして簡単には抜け出せないよう、証拠写真を撮る。その写真を親に突き付ければ、マフィアは容易に資金集めができる。自分の子供の経歴に傷をつけたくない親は、例外なく口止め料を払うからだ。
どうやらトニーが見つけてしまったのは、そんな住宅から出てきた馬車だったようだ。
住宅街のど真ん中で、派手な怒号が飛び交っている。
「おい、たった一人に何やってやがる! 早く片付けろ!」
「はあっ? 一人じゃねえだろ! さっき裏口もやられたぞ!」
「いいや、一人しかいねえよ! 黒髪の男だろ!?」
「違う! 黒い犬も二頭いる! たぶん軍用だ! 滅茶苦茶強ぇぞ!」
「犬だと!? クソ、麻薬取締局のヤツか!? 動物なんかになに手古摺ってんだ馬鹿野郎ども! さっさと殺せ!」
煉瓦造りの立派な屋敷から立て続けに響くのは、魔弾の発射音である。銃は魔導式であれ火薬式であれ、貴族階級と士族階級の者にしか所有許可が下りない。銃火器を所持している時点で、この連中は自分たちが非合法組織であると自己紹介しているようなものだった。
現場に到着したロドニーらは、通りを挟んだ路地裏から様子を窺う。
「うわ……トニーのやつ、ガチで拠点潰し始めてやがる……」
「ええと……あの、これは一体、どのように戦っているのでしょうか? 構成員の視線が、あちこち泳いでいるようなのですが……」
問題の家は見通しの良い鉄製フェンスに囲まれた庭付きの住宅である。芝生の庭、窓辺に置かれたプランター、すべての部屋の窓に取り付けられた繊細なレースのカーテン。瀟洒で格調高い邸宅は、どう見ても『マフィアの拠点』と呼ぶには不似合いな建物だった。
なるほど、これがマフィアの『住宅乗っ取り』の現場かと感心するマルコだが、ロドニーに尋ねたとおり、あちこちの窓から身を乗り出す構成員らはそれぞれ全く別の方向を見ている。いや、標的を見失っているといったほうが正しいかもしれない。
ロドニーはその様子を見て、超特大のため息を吐く。
「マルコは、まだトニーと面識ないんだっけ?」
「はい。こちらが外泊するタイミングで帰還されることばかりで……自己紹介もできないままです」
「ま、そういうことはよくあるんだけどさ、うちの隊は。トニーの場合、破壊力が高すぎてセントラルシティでは活動しづらいんだ。ここもそうだけど、どの住宅街も建物が密集してるだろ? 余計な被害を出さないように、地方任務が割り振られることが多い。今はものすごく力を抑えてる感じだな……」
「どのような能力なのですか?」
「分身する」
「え?」
「あいつ、ケルベロス族なんだ。すっげえレアな種族で、東部の山奥に一つ集落があるだけ。聞いたことねえだろ?」
「はい。あの、分身するというのは、幻覚系魔法のことでしょうか?」
「いや、実際に分身できるんだ。三頭の犬に分身して、それぞれが実体を持って個別に戦える。で、そのどれをコアにしても人型に戻れる。分身状態でも魔法が使えて、すべての個体にトニー自身の意識と感覚がある。全部が『本人』だから、連携攻撃にミスはない。腕力は平均的だけど、全力疾走しながらでも人と犬とのフォームチェンジ、分身が可能。とにかく数と速度を活かした多方向攻撃がうまい。それに、三頭のうち一頭でも無事なら、何度でも再生できるし……まあ、なんていうか……」
ロドニーは一旦言葉を切って、重々しく宣言する。
「最強だ。ある意味な」
「なるほど……では、内部の制圧はトニーさんに任せて、我々はあの家から逃げ出そうとする構成員を捕縛すれば良いのですね?」
「いや、逆だ。逃げ出せずにいる連中を救助してやる必要がある」
「どういうことでしょう?」
「見てみろ。あそこ、門の下のほう」
指差された門は、扉が閉ざされている。マルコはてっきり、それが構成員らの手によって閉められたものと思いこんでいた。だが、よく見れば違う。
門の内側に一人、血塗れになって倒れている。逃げ出そうと門に近づいた者だろう。喉笛を噛み切られ、既に事切れていた。
マルコは一瞬で顔色を変えた。
「あれはまるで、獣に襲われたような……」
「獣のような、じゃねえんだ。あいつはケルベロスだからな。獣そのものだぜ。自分の牙で獲物を仕留めることに抵抗がない。でも、まあ、住宅街だから、さすがに皆殺しにする気はないだろうけど……」
と、ロドニーが話している最中に、マルコは勢いよく飛び出していた。
「あ! おいマルコ! 待て!」
「止めないでください! こんなことは許せません! 犯罪者は生かしたまま捕らえ、裁判にかける! それでこそ、文化的な国家のあるべき姿です!」
自身の体に防御魔法《銀の鎧》をかけ、正門へと突っ込んでゆく。
門に鍵は掛けられていない。閂すら下ろされていない状態なのだが、見せしめとして殺された男の死体があることで、誰一人としてここから逃げ出そうとする者はいない。
手入れの行き届いた門扉は、軽く触れただけですんなりとマルコを迎え入れた。
慌てて追いかけてきたロドニーと二人、屋敷の内部へと突入する。
そこはパニック映画さながらの、銃声と悲鳴の世界だった。
敵は一人。ごく普通の服を着た、中肉中背の若い男。それほど大きくもない肩掛け鞄を所持していた以外、武器らしい武器も持っていなかった。
どこにでもいそうな、これといった特徴のない男。
その男一人に、この屋敷は恐怖のどん底に陥れられている。
「な、なんで……なんでこんなことに……クソ! クソオオオォォォーッ」
叫びながら銃を構える男。だが、狙いを定めるより早く、その人影は視界から消えていた。
「……へっ?」
間の抜けた声を上げながら、男は真後ろに引き倒される。
「鈍間だな」
仰向けに倒れた瞬間、そう言う男の顔を見た気がする。だが次の瞬間には、それは人ではなくなっていた。
「あ……あぁ……あ……」
自分の首に噛みついた黒い生き物が何か、考えるほどの時間は残されていなかった。噛み切られた皮膚から溢れ出す血液の熱と、どんどん冷えていく自身の体。暗くなる視界。
それらを認識したころには、彼の命は終わっていた。
死んだ人間の首からゆっくりと顔を離し、冥府の黒犬は首を傾げる。
「……お前、さっき馬車に乗ってたやつだよな?」
話しかけたところで、死体は何も答えない。
黒犬はやれやれと首を振り、次の標的を探しに行く。
馬車で屋敷を出ようとしたとき、その男が声を掛けてきた。
「おい、お前ら。血と麻薬の臭いがするぞ。あと、火薬の臭いもするな。この屋敷、いったい何だ?」
今まさに人を殺して、その死体を処分しに行くところにこの質問である。焦った構成員らはトニーに銃を突き付け、そのまま馬車で連れ去ろうとした。だが、それがいけなかった。馬車の中にいた男三人はものの数秒で沈黙。御者を務めていた男はトニーに銃を突き付けられ、屋敷に引き返す破目になる。
馬車の中で殺されたばかりの女の死体、非合法の薬物数点、銃火器の類は確認済み。トニーは確信した。ここはマフィアの活動拠点だ。もうこの時点で、屋敷を制圧すること以外何も考えていない。
敷地内に入ったトニーは、わざと御者の男の前で隙を見せた。男はそれが罠とも知らず、トニーの思惑通り逃げ出し、屋敷内の仲間に助けを求めにゆく。
死体の処分に行かされたのは若い下っ端たち。ろくな訓練も受けていない連中だからあっさりやられたのだろうと甘く考え、構成員たちは油断しきった態度で姿を現した。
このとき出てきた人数が十五人。他にも十人くらいはいるだろうと予測しつつも、トニーは目視で確認できた人数のみを報告した。
馬鹿正直に報告してしまうと、治安維持部隊の連中を大勢呼ばれてしまうのだ。それでは楽しめない。せっかく息の詰まる護衛任務が終わったのだから、憂さ晴らしに、ひと暴れしたいと思っていたところだ。
相手が十五人くらいならば、治安維持部隊との連絡役として一人か二人応援に寄越されてそれで終わり。特務部隊の仲間以外に、現場をうろつかれることはないはずだ。
(さて、誰が来るかな……ゴヤかな? 隊長かな? ロドニーは絶対来るだろうけど……ロドニー、早く来いよ。お前の分も残しといてやるからさぁ……)
うっとりとした笑顔でベイカーへの連絡を終えると、トニーは通信機のバッテリーを抜いてしまった。
これで誰にも邪魔されない。
ケルベロスの、悪夢のような攻撃が始まった。
黒犬に追われ、屋敷の中を泣きながら逃げ回る。
わけが分からなかった。自分たちはうまくやっていた。今日、あの女が死ぬまでは。
近くの金持ちの娘が、もっと薬を寄越せとせがんだのだ。今までの量じゃ効かなくなったからと。だからいつもより強い薬を試させてやったら、急に暴れ出して――黙らせようとして殴ったら、転んだ拍子に頭を打った。側頭部がぱっくり割れて、血を流しながら痙攣して――三分後には、女はもう息をしていなかった。
(クソ……なにがどうしてこうなった? 薬で死んだ奴の処分なんて、これまで何度もしてきたのに。一度もバレずに、うまく隠せてきたのに……)
ひたひたと迫る足音に恐怖して、振り向くこともできない。自分が何に追われているのか、考えるだけの余裕もない。
ただ、怖かった。
不意に、自分を追う足音が消えた気がした。
(良かった、逃げ切った……)
そう思った瞬間だった。
「お前、足遅いな」
耳に吐息を感じた。
すぐ真横に、ニタリと笑う顔がある。
こちらは全力で走って逃げているのに、この男は、その足運びにぴたりと合わせて並走している。足音は消えたのではない。自分の足音と完全に一致していて、一人分にしか聞こえなかっただけだ。
自分が悲鳴を上げていることすら理解できない。
並走する男に気を取られて、目の前に階段があることも見えていなかった。
階段を転げ落ちた。
全身の痛みに意識が遠のく。
階段の上からは、こつん、こつんと、死の足音が迫りくる。
「い……いやだ……いやだ……頼む。殺さないでくれ。死にたくない。死にたくないんだ……」
必死に命乞いする彼に、その男は無情な言葉を投げつける。
「生かしておく価値がない」
そこにいた男の姿が、ふっと揺らいだ。次の瞬間そこにいたのは、人ではなく、一頭の黒犬だった。
「死ね」
犬が嗤った。
彼の視界いっぱいに、真っ黒な死の影が迫り、そして――。
ガン、という鈍い音がした。
黒犬の牙は、彼の顔の、わずか三センチ先で止められていた。
「……誰だ?」
ゆっくりとあたりを見回したトニーは、まっすぐ続く廊下の先に、見慣れた制服を見つける。しかし、それに身を包んだ男ははじめて見る顔だ。
金髪碧眼。すらりと背の高い優男。
特務部隊に新しく配属されたという王子様だろう。それは分かったのだが、牙を止められる理由が分からない。
トニーは黒犬の姿のまま、低く、唸るように問いかける。
「何のつもりだ? マフィアの肩を持つ気か?」
「いいえ。ですが、殺してはなりません。彼には裁判を受ける権利と、罪を償う義務があります」
「裁判だと? 正気か? こいつの罪は殺人と、麻薬と銃器の不法所持だぞ? どうせ死刑が下されると分かっていて、生かしておくのか?」
「はい。我が国は立憲君主制ですから。絶対王政国家のように、裁判もなしに死刑を執行することは許されません」
「はっ! 馬鹿か! 余計な手間をかけて、何の得があるんだ? どうせ殺すのに」
「得をすることはないでしょう。ですが、被害者遺族に謝罪する時間と、肉親や友人に別れを告げる時間が与えられます」
「謝罪? マフィアの連中が? するわけないだろ? どれだけ甘ちゃんな馬鹿に育てられたんだ、この王子さまは。王宮の外で、よっぽどひどい教育を受けてきたんだろうな」
この言葉に、マルコは激高した。
「私のことはどうとでも言いなさい! しかし! 私を育ててくれた人々への侮辱は許しがたい! 今すぐ取り消しなさい!」
「断る。なぜなら、事実だからだ。俺は嘘が大嫌いなんだよ」
「貴様……っ!」
腰の剣に手をかけ、今まさに抜こうとしたところだった。マルコの手に光の鎖が絡みついた。
魔力で作りあげられたこの鎖は、《緊縛》という魔法呪文によって出現している。トニーは魔法を使っていない。ということは、これは――。
「はい、そこまで」
ロドニーだった。
いつの間に現れたのか、トニーの後ろから覆いかぶさるように体を密着させ、首に右腕を回している。一見して、大型犬を抑え込むドッグトレーナーである。
ロドニーは空いた左腕だけで鎖を保持し、マルコを抑えていることになる。ロドニーは腕一本。マルコは全力。それなのに、どう足掻いてみても《緊縛》の鎖から逃れることはできなかった。
人狼の剛腕に改めて驚かされたマルコだが、今はやるべきことがある。
「放してください! この男は私の育て親を侮辱しました! 発言を撤回させねばなりません!」
「ロドニー! 放せ! この甘ったれ、一度ガツンと凹ませる! 世の中は甘くないって分からせてやるんだ!」
「だーっ! もう! 黙れこの大馬鹿野郎ども! 仲間同士で揉めるんじゃねえよ! ここが敵地のど真ん中だって忘れてんのか!? ああっ!?」
と、言われて双方思い出した。
足元に転がる、ボロボロの構成員を。
「た、助けて……助けてください……」
階段から転落したダメージで、全身傷だらけである。おそらく、複数個所に骨折があるだろう。
「助けるかどうかは、ちょっと協議させてもらうけどよ。とりあえず寝とけ。《宵闇》!」
ロドニーは魔法を使い、構成員を眠らせる。
それを見て、トニーが吼えた。
「おい! なんでだよロドニー! マフィアのアジトは殲滅あるのみ! 一人も残すなって、お前いつも言ってるだろ!」
「バーカ。落ち着け。そりゃあ幹部クラスのいる重要拠点への、計画的な襲撃限定だ。今回は偶発的に発見できただけ。それも屋敷の備えを見る限り、下っ端しかいない。こういうところじゃあ一人一人、持ってる情報の量と質が違うんだよ。一人か二人残せばいいって話じゃねえんだ。全員生きたまま捕まえて、どこの組織と繋がってるのか、時間をかけて吐かせる必要がある」
「でも、こいつが俺の邪魔を!」
「いいから。落ち着けっての。お前の言い分も、俺はちゃんと分かってるから。な?」
「……せっかく、ロドニーの分も残しておいたのに……」
「サンキュ。残り二頭はどこでなにしてる?」
「噛んでる」
「そうか。じゃ、今噛んでるのが動かなくなったら、ここに集合な? これ以上は殺すなよ?」
「……でも、こいつは許さない」
「まあいいぜ、今のところは。ここを片付け終わったら、二人でじっくり決着をつけてくれ。だから今は暴れるな。いいな?」
「……分かった。ロドニーがそう言うなら、今は引く」
言葉ではそう言いつつも、視線と殺気はマルコにぶつけ続けている。
冥府の黒犬、ケルベロス。その双眸に睨み付けられただけで、全身の血が凍りつくような寒気を覚える。けれども、マルコも負けてはいられない。普段の穏やかな顔をかなぐり捨てて、全力でトニーを睨む。
特殊な出自のマルコにとって、育て親である『ばあや』は実の母以上の存在。彼女への侮辱は、他のどのような無礼より、ずっと許しがたいものであった。
ロドニーはマルコの表情を見て、軽く息を吐いた。
「マルコも、頼むから今だけは抑えてくれ。あとでキッチリ話をつける場を設ける。だから……」
「はい……分かっています。このような場で私闘に及ぼうとしたこと、大変恥ずかしく思います。《緊縛》を解いていただけますか?」
日頃の落ち着いた声音とは比較にならないほどの怒気を含んではいるが、喋り方はいつものマルコに戻っている。ロドニーは大丈夫そうだと判断し、魔法を解除した。
「……さて、落ち着いたところで、俺からの提案。マルコ、《宵闇》の練度はどのくらいだ?」
「マスタークラスまで習得していますが?」
「それなら、興奮状態の人間でも眠らせられるよな?」
「ええ、八割方は。体質等の問題で、魔法が効きづらい場合もありますが」
「残り二割は、俺がぶん殴って黙らせる。俺の魔法じゃ、こいつくらい弱ってねえと効かねえんだ。この屋敷の連中、片っ端から眠らせてきてくれ。俺もあとから行くから」
「了解です」
さっと踵を返し、マルコはさっそく行動を始める。
未だロドニーに抱え込まれたままのトニーは、不服そうに唸る。
「……なんで、俺のほうは放してくれないんだ?」
「残り二頭はどこだ?」
「……今、こっちに向かってるところだ」
「本当に?」
「……」
「俺の目を見て、正直にお話してみようか? ん?」
幼児向け番組のお兄さんのような爽やかさで微笑みながら、トニーの頭を強引に自分のほうに向ける。
その目を見た瞬間、トニーがフリーズした。
「こ・れ・い・じょ・う・は・こ・ろ・す・な・よ。……って、言ったよなぁ? 聞こえてなかったのかなぁ? ん~?」
自分の顔を両側からから包み込むその手が、人間のものではなくなっていた。
至近距離五センチまで近付けられたロドニーの顔も、ほんの一瞬でオオカミの顔に変わっていて――。
ガブリ。
という音が聞こえるはずもないのだが、トニーの脳内には、確かにそんな効果音が響いていた。
ロドニーは今、トニーの鼻先を咥えこんでいる。甘噛みには違いないが、血が出ない程度に、それなりに強く噛みついている。これは人狼族やケルベロスのような『犬系種族』の間でのみ通用する、上下関係をはっきりさせるための行動である。
そもそも背後から覆いかぶさっていた時点で、ロドニーは自分のほうが格上の存在であると態度で示していた。それでもいうことを聞かない後輩に、さらに強く群れの序列を突き付けて見せたのである。
鼻先を咥えこんだまま十数秒、トニーの尻尾が完全に下を向いた。
気づけば、ロドニーの両側に残りの二頭も集まっていた。ロドニーの体に鼻先を擦りつけ、「もう分かったから放してほしい」と態度で示す。
マルコを先に行かせたのはこのためだ。同じ犬系種族でなければ、このような『言葉を使わないコミュニケーション』が通じない。マルコの前でこういった指導はできないし、もしもやったらトニーが傷つく。
新参者は、まずは先住者に服従の意を示す。
犬に限らず、動物系種族の多くに見られる常識は生粋の『ヒト系種族』には通用しない。マルコにとっては単なる騎士団内での異動でも、トニーにとっては自分の群れに余所者が加わったように感じられるのだ。ましてやその新参者が、初対面でいきなり自分に意見してきたものだから――。
(あー、クソ。やっちまったな。クエンティン子爵領には動物系種族がほとんどいねえって、すっかり忘れてたぜ……)
他の種族との交流経験が少ないと、それぞれが思う『常識』に大きな隔たりがあることに気づけない。マルコはマルコなりに、『ヒトの常識』に基づいて行動している。トニーも犬系種族ならではの『群れの掟』に従って行動している。
どちらも悪くない。しかし、だからこそ第一印象は最悪だった。
(参ったなぁ……こいつら、能力的には最高の組み合わせなのに……)
多方向からの同時多発攻撃が可能なトニーと、防御や回復などの補助系魔法が得意なマルコ。二人が連携して動いたなら、どんなに高い精度で任務をこなしていけるだろうか。
(たぶん隊長もそれ狙ってるんだろうけど……あ、やべえ。これ絶対俺が怒られるパターン……)
キリキリとした胃の痛みを感じながらも、ロドニーはトニーを放し、次の行動を指示する。
「トニー、構成員のほうはマルコに任せとけ。お前はこの屋敷のどこに何があるか、ざっと見回って把握してきてくれ」
「武器?」
「麻薬?」
「顧客リスト?」
「それもあるけど、ここ、かなり広いだろ? ゴツイ男ばっかり二十人以上も出入りしてるとなると……若い女の一人や二人、監禁されてるんじゃねえか?」
「分かった」
「探す」
「助ける」
トコトコと歩き出した黒犬たちは、少し進んで、ピタリと足を止めた。
「どうした?」
「終わったら決着つけていいんだよな?」
「ここの始末をつけて、本部に帰って、総務のほうに必要書類とか全部提出してからな?」
「終わってすぐじゃないのか?」
「お前らがやり合ってる間に、俺一人で事務作業してろってのか?」
「……分かった。でも、全部終わったら絶対やるからな」
「おう。そんときゃ止めねえよ。好きにしな」
ロドニーの言葉に、黒犬たちは満足げに歩き去る。三頭揃って尻尾をふさふさと振る後姿は、大変愛らしい『ゴキゲンわんこ』である。
(いつもあんな感じなら面倒臭くねえんだけどなぁ……っつーか今日もケツの穴丸出しかお前……)
オオカミオトコのお兄さんとしては、わんこな後輩と真面目な王子様が仲良くなってくれることを祈るばかりであった。




