温かい寒さ
国帝高等学校内。
下駄箱で靴を履き替え教室へと向かう武人。隣には親友である龍平が居た。
「今日なんか機嫌が良いな」
龍平が、武人の顔を下からのぞき込む。見飽きた親友の顔に意味も無く腹が立ち、
彼の頭を荒く振り払う。小馬鹿にしたような顔で笑う龍平に、紳士的に返事を返す。
「そんな事ないさ、いつも通りだが」
「そうか、ならば今日。学校が終わったら集まらないか?」
「いや止めておく、図書館に行きたいんだ」
つれない武人に不満を募らせながらも教室へと向かい、席に着く。
今日は珍しく遅めに学校へと着いた。朝の楽しみである静寂での読の時間も無く、
教師が入って来て朝の時間が始まる。熱心に受ける武人に対し、龍平は何かいたずらをと模索していた。
気が付けば昼になり、龍平が我先にと教室内の短い距離を掛け走り、武人の前の席の椅子に座る。
「一緒に食べようや」
「少し待て、机を片付ける」
一つの机を挟みお互いの弁当の蓋を開ける。開けた途端に香る食欲をそそる匂いに、
龍平の腹の虫が騒ぎ出した。
「お前の弁当は鰯の煮か」
「ただの煮じゃないぞ、梅煮だ」
「そいつは美味そうだな、ひと口くれ」
武人の弁当のおかずを美味そうに食べ、白米をかき込む。もう一口と言うので、
仕方なく龍平の米の上に乗せた。
「この甘いたれに梅が何とも言えんな」
「そうだろ?」
食事の作法に気を付けている武人も、空腹のこの状況では、弁当に喰らい付かざるを得ない。
作法としては汚いが美味そうに弁当をぺろりと平らげると、図書室に行く為武人が席を立った。
「また図書室か」
「あぁ、お前も来るか?」
「そうだな、行こう。読書も大切だしな」
ニヤついた表情を浮かべながら椅子から腰を上げる。いつもは嫌がって付いて来ないが、
今日はなぜか素直だった。教室を抜け、廊下を進む。相変わらずこの校舎は古いなと、
教室のガタついた、木の扉を見て二人思う。
図書室の辺りは日が当たっておらず、廊下は薄暗くなんとも涼しい。
扉を開けると中には誰も居らず、光の線だけが室内に輝いていた。
席に座る前に本を選ぶため、棚に置かれた本を端から指でなぞっていく。
「これにしよう」手に取ったのはゲルツ語で書かれた児童文学の本。
「それは何だ」
「ゲルツ国の児童文学さ、ここはそう言った類の物があるから中々に」
「へぇ」
興味が無さそうに空返事の龍平。机と椅子が置いてある所の横に、
一段高くなっている二畳ほどの畳の空間がある。その空間を占領するように寝そべる龍平。
「さてはそれが目的だな」
呆れた顔で見つめる武人に、満面の笑みで答える。
「飯を食えば眠たくなる。生き物の習性なのだから従うしかないさ」
「全くお前は変わらんな……」
付き合ってられないと顔で示し椅子に座り、本の一ページを開き黙々と読みはじめる。
図書室には穏やかで、余韻的な時間が流れる。
「武人、卒業したらの事考えてるのか?」
唐突な質問が龍平の口から飛び出してきた。普段の彼からは聞くことの無い、珍しくまじめな話。
彼らは今年三年生。そう、卒業の年。本を閉じ、左上に視線を送りながら暫し動きを止める武人。
そして再び本を開く。
「良く分からない」
武人の漠然的な回答に可笑しかったのか龍平が笑う。
普段からバカにする龍平だが、将来の事まで馬鹿にされる筋合いはないとその笑い声に腹を立て、
彼の方を振り向いて同じ質問を投げ返す。
「お前らしくも無いじゃないか。
俺はてっきり決まってるものだと思っていたが」
そう言うお前はどうなんだ?進路決まっているのか」
武人の問いに寝転んでいた姿勢を直し、立ち上がる。そして拳を自信気に天井に突き上げると、
ぎらつかせた眼で武人を真っ直ぐに見る。
「俺はもちろん陸軍士官学校だ!」
士官学校という名前と龍平の今の学歴を頭の中で天秤にかけ、その結果に失笑する武人であった。
「お前も一緒に行かないか。おじさん少将だろ。憧れとかないのか?」
「簡単に言うな、事はそう単純じゃないのさ」
うつむいて本を再び読み進めるその姿を見て、つまらなそうに寝転がる龍平。
武人の中で軍人になると言う事は口に出す行為でさえ躊躇する事。
「そっか」
「ああ」
少し気まずい空気が図書室を包む。その空気に耐えかねたのか、龍平が話しを振った。
「そういや吉岡がまた先生に怒られてたぞ」
「何でまた?」
「静先生にちょっかい出してたのを、須田に見られたらしい」
伊藤静とはこの学校の若い女性教師。
清楚な身なりで、学生たちからはアイドルの様に人気がある。
クラスのお調子者吉岡一郎は、そんな静先生に度々ちょっかいを出しては体育教師の、
須田先生に怒られていた。今回もそのようだった。
「あいつも懲りんな」
同級生の間抜け話に二人がクスクスと笑いやがて大きく笑う。
気付けばそろそろ昼休みが終わる時間になっていて、速足で廊下を歩く。
知らずのうちに足並みが揃っている。その足音の綺麗に揃う音が友としての時間を感じるのだった。
「間に合ったな」
「ああ」
武人も教室に入り席に着く。椅子からは使い込んだ時代と劣化の音が鳴る。
放課後。帰り支度を済ませ、急ぎ履物を替える。そこに担任からの説教を終えた龍平が来た。
「帰るのか?」
「ああ、またな」
そう別れを言い図書館へ走った。走り行く武人の後姿を相変わらず不思議そうに見つめる龍平。
文字を読むのが嫌いな龍平にとって、ましてや図書館に行くなど考えもしない。
”やけに急いでたな、いつもはゆっくりと歩いているのに。さては何かあるな”
まるで探偵のように、武人の行動を推理する。彼の動物的感が働いたのだろうか。
そんな事とはつい知らず彼は走り、そして図書館の入り口に着いた。
高鳴る胸の鼓動を抑えるために深呼吸をする。
走ったせいで乱れた服装を整え、辺りよりも一段暗い中へと入る。
トン、トン。足音が静まり返った館内に響く。
本を探しながら、辺りをぐるっと歩いたが彼女の姿はどこにも無かった。
”居る訳ないよな”
彼女は偶然しおりを見つけ届けてくれたに過ぎない。今日も来ると勝手に思い込んだ自分を笑う。
そう思うと先ほど走った疲労感が倍になり襲ってきた。重い体を椅子に預け、
所々色が剥げ元の素材が顔を出している長机に鞄を置く。
ふと天井を見ると一昔前の時代を感じさせる照明が、この部屋にやさしい温もりを届けていた。
だが今の武人にはその温もりは少し寒かった。
数ある本の中から手に取った一冊を広げ少し気分を落ち込ませながらも、好きな本との対話に入る。
それから三十分後、入口の方から足音がした。
しかし本の世界に神経を集中させた武人には、その音がまるで聞こえていない。
軽い足音が武人の左隣まで来るとその位置で音が止む。
そんな事とは関係なしに、きりの良い所で目を休ませようと本を一旦置いた。
そして考えなしに左側にゆっくりと視線を向ける。武人の瞳に映ったのは、
こちらを見つめている文華だった。目と目がまたしても合う。武人の心拍数が突然として上がった。
「来てくれたんですか?」
「はい。お声を掛けようと思ったのですが、読書に集中なされてたので」
「すいません、つい夢中になって。いつもこうなんです」
頭を掻いて照れ隠しをする。そんな彼をただ微笑みながら見続ける。
「それ程本がお好きなのですね、素敵だと思います」
そう言って微笑んだ文華の姿に、
武人の心拍数がさらに上がる。身体の中から脈打つのが分かる程に。
「隣に座っても宜しいですか」
「もちろんです、どうぞ」
お読みいただき誠にありがとうございます。
時代は変われど人は変わらない。
武人はまっ直ぐな高校生です。
次回もお読み頂けたらと思います。