第四話 リアンの魔具
「リアン!来てくれて嬉しい!」
「うん。あの、突然ごめんね、エリン」
「ううん、私もいつも突然だもの、気にしないで」
「ええと、その、今日はそんなにお洒落してどこかに出掛けるの?」
「ああ、これ?あのね、辺境伯の従弟の人が来てるの。それで、一緒にお出迎えをしたんだけどね……」
そこまで伝えたエリンは、その後の自分の暴れっぷりも報告すべきかどうか悩み、結局言わない事に決めた。
「そ、それより、何か用事?それとも、会いに来てくれた……、の?」
言ってる最中に恥ずかしくなって照れてしまったエリンに、リアンも恥ずかしくなって顔を赤く染める。互いに俯きながらもちらちらと視線で窺いあった後、リアンが口を開いた。
「ええと、作っていた魔具が完成して、それで、エリンに見てもらいたくて」
「本当っ!?嬉しい、見せて見せて!」
「うん、でも、お客様がいらしているんじゃなかった?」
「あ……」
一晩掛けて完成させた魔具の事を知らせたくて、突然やって来たリアンは、辺境伯家の家人にエリンに会いたいと告げると、玄関ホールに入って待つよう言われた。
リアンの家が丸ごと入ってしまう広さがある玄関ホールの片隅で、所在なく佇んで待っていたリアンの所に、エリンが満面の笑みで現れたのだ。
そうして交わされた可愛らしい会話は、辺境伯夫人、仕えるメイド達、働く家人達に見守られながら続けられたのだが。
実はある一点から凍風が吹いている事に、誰も気付かなかった。
「えっと、奥様に聞いてみる」
「あの、急ぎじゃないし、明日でも大丈夫だよ」
「駄目よ!完成したら一番に見せてって言ったのは私だもの」
「でも、」
「エリン、そちらは?」
二人からすれば突然現れた宰相に声を掛けられ、驚いたエリンは思わず肩を竦めた。
宰相はリアンの顔を覚えていなかったが、リアンはしっかり覚えている。
「さ、宰相閣下!?」
慌てて膝を付いたリアンに、エリンは戸惑いながらも悩んだ末、リアンの隣で同じ姿勢になった。
「……顔を上げなさい」
宰相の声にリアンが顔を上げると、じっとリアンを見つめてくる。
「もしや、魔具士のリアンですか?」
「はい、その通りです。お久しぶりです、宰相閣下」
「そうですね、久し振りです。元気なようで安心しました。もしや、あれからずっとこちらにいたのですか?」
「はい。私の母方の祖父母がこちらに住んでいたので、世話になっていました」
「そうでしたか。ああ、君の集音機、とても素晴らしい魔具ですよ。あれは今後とても活躍する事でしょう」
「ありがとうございます」
「ところで、何故リアンとエリンが知り合いなのですか?」
「ええと、タクタクで一緒になったんです。ラデナ街から一緒にここに来たから、それから仲良くなって……」
エリンがそこまで言って顔を赤くすると、それを見ていたリアンも顔を赤くして俯いてしまった。
「え、えっと、宰相閣下。あの、リアンが新しい魔具を作ってそれが完成したの。だから、リアンの家に行ってもいい?」
「おや、私を歓迎してくれるのではなかったのですか?」
「でも、リアンの魔具、一番に見せてもらう約束したんだもの」
「ふう……、仕方がありませんね、では私も一緒に行きましょう」
「えっ!?」
「何か不満が?」
驚いて出た言葉に宰相がそう聞けば、エリンは無言のままぶんぶんと勢いよく首を振る。
「では行きましょうか」
「ヴィクトル、そこまでだ。いい加減にしなさい」
「兄さん……」
「エリン、行って来ると良い。なに、このおじさんが邪魔をしないよう私が見張っててあげるから安心しなさい」
辺境伯の言葉にエリンとリアンが顔を見合わせた後、じゃあお願いしますと言って、手を繋いで飛び出して行くのを見送った。当然、私兵が二人に付いて行っているので、後はお任せだ。
「ヴィクトル。寂しいだろう」
「……わかってて聞くんですね」
「まあな」
そして、辺境伯は宰相の肩を叩き、宰相ははああと溜息を吐き出した。
「女の子はあっと言う間に離れて行きますよね」
「そうだな」
「ああ、やっぱり私も引退しようかな」
「王が離さないだろうな」
「…………楽しく仕事をしたいだけなのに」
「諦めろ。ヴィクトルは昔から何をやらせても満点だったからな」
「はああ、才能が憎いですよ」
「お前が言うと事実だから何も言えんな」
そんな会話を交わす男達に、奥方を始めメイドや家人達がほっと息を吐き出した。
まだまだリアンとエリンの恋模様を見守りたいからこそ、そっとしながらもじれったくてちょっかいを掛けてしまうのだ。しかし、宰相のあの姿を見た全員が、ちゃんと自重しようと心の中で決めたのは幸運だっただろう。
「あの、エリン。今更だけどその格好のままで良かったの?」
「あっ!あー、でも戻ったら掴まりそうな気がするからいいわ」
「じゃあ、汚れないようにおぶって行こうか?」
「駄目よ。リアンが疲れちゃうでしょ?」
「エリンをおぶうぐらいどうって事ないよ」
「だ、駄目よ。だって、恥ずかしいし」
背中とは言え、リアンと密着する事を考えると凄く恥ずかしい。
とてもではないけれど、エリンには出来そうになくてそう伝えれば、リアンもそれに気付いたのか、真っ赤な顔で視線を逸らした。
しかし、繋いでいる手はそのままの二人は、それを見守るように後から付いて来ている私兵二人が、「あああああ、かゆいかゆい!」と言いながら腕を掻いている事に気付かなかった。
「ええと、じゃあ、ゆっくり歩こうか」
「うん、わかった」
私兵の内の一人、ルイーズの恋人であるジル・マルは、この時の事をルイーズにこう語る。
『何か若い頃の自分を見ているような気分にさせられて、恥ずかしくて堪らないんだよ。でも、ずっと見つめていたいみたいな、そんな気持ち解る?』
解るわ、見ているだけで幸せになるような、変な気分なのよとルイーズは答えて、いつもより仲良くなった。エリンとリアンのお蔭で、ルイーズの恋も順調である。
手を繋いで歩くリアンとエリンの後ろから、見守るように付いて行く私兵二人は、とても優しい気持ちになりながら二人を眺め続けるのであった。
そんな事になっているとは全く気付かない二人は、互いに少し顔を赤く染めながら、手に伝わる体温を意識しては、さらに顔を赤くしたりと忙しい。
「リアン、あの、昨日はまだって言ってたのに、良く出来上がったね」
「ああ、ええと、何となく眠れなくて。ずっと作ってたんだ」
「え、寝てないの?大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。偶にあるんだ、そう言う時が」
「……私は、眠れないって事が無いから解らないけど、リアンが大丈夫って言うならいいわ」
「うん、大丈夫だよ。完成したのは朝だったんだけど、試運転をして成功してからエリンに会いに行ったんだ」
「そ、そうだったのね」
「うん。エリンに見てもらいたくて、走って行ったよ」
「走って!?あの、遠いのに大丈夫なの?」
「僕だってこれぐらい走れるよ」
そう言って笑ったリアンとばっちり目が合ったエリンは、その笑顔に見惚れてしまった。分厚い眼鏡をしていると言うのに、その奥の綺麗な緑色の瞳がキラキラと輝いて見えるのだ。
思わずぽうっとしていると、リアンが顔を赤くして視線を逸らしてしまった。
綺麗な緑色の瞳が見えなくなった事を残念に思いながら、止めてしまった足を動かし始める。
「あ、そうだ。あのね、奥様がコルンで行われるニーチュアン祭りに行こうって誘ってくれたの」
「ニーチュアン?」
「逆転って意味なんだって。それでね、リアンも一緒にって。どうかな、時間ある?」
「え、僕も?でも、辺境伯が招待されているお祭りじゃないの?」
「そうらしいわ。それで、どうせなら一緒に行きましょうって。リアンも誘っていいって奥様が言ってくれたの」
「ええ……、でも、何だか申し訳ないよ」
「私もそう言ったんだけど、行く時は飛竜で行くらしくて、ひとっ飛びだからって」
再び止まった足はそのまま互いに向き合いながら、暫く見つめ合っていた。
「エリンならともかく、僕までいいのかなあ?」
「奥様がそう言ったのだからいいのよ、きっと。それに、リアンと一緒にお祭り行きたいの。駄目?」
そうして互いにじっと見つめ合っているのを、後ろにいる私兵達は互いの背中を叩きながら耐え続けた。
何だこの初々しい二人は!とか、くうう、俺も恋人が欲しい!とか聞こえているはずだが、残念な事にリアンとエリンの耳には入らない。ただ、その周囲を通る者達が奇異の目を向けるだけであった。
「僕も、エリンと一緒に行きたい」
「本当っ!?嬉しい、奥様にそう言うわね!」
「うん。あの、楽しみにしてるよ」
「私もっ!」
そうして再び歩き出した二人に、私兵二人は湧き上がる叫びたい衝動を堪えながら、後を付いて行くのであった。
「見ててね」
「うん!」
リアンの家にやっと着き、そうして洗濯箱を披露してもらう。
汚れた靴下を中に入れたリアンが魔石を操作すると、中に入れた靴下がグルグルと回転し始めた。ワクワクしながらじいいいっとエリンが見つめていると、やがて回転が遅くなっていき、靴下がゆっくりと止まるまでじっと見ていた。
「はい、出来たよ」
「え、もうっ!?」
笑顔でそう言ったリアンが、洗濯箱から靴下を取り出してエリンに見せれば、エリンは靴下がまるで新品のように綺麗になっているのを見て、満面の笑顔を見せた。
「凄い!綺麗になってるわっ!やっぱりリアンは凄いわねっ!」
思わず抱き着いたエリンは、抱き着いた所ではっと我に返った。
恥ずかしさの余りそのまま硬直してしまったエリンだが、リアンも同じように硬直している。動けなくなった二人は、同時にゆっくりと、ゆっくりと動き出してそろそろと体を放し、あまりの恥ずかしさに背中を向け合った。
窓から覗いていた私兵二人は、傍に生えている木に頭を打ち付けたり、地面に生えている雑草に向かって勘弁して下さいと頭を下げ始めたが、それを目にした者がいなかった事は幸いである。
「あ、あの……、抱き着いちゃったりして、その、」
「い、いいんだ。ええと、エリンが喜んでくれたのは、僕も嬉しかったし」
互いに真っ赤な顔でそう告げ合ってから、そろそろと体を向ける。
恥ずかしさに俯きながらも、視線が合って笑い合った。
「リアン、あなたは凄い人だわ」
「……うん、ありがとう。エリンにそう言われると本当に嬉しいよ」
「ふふ、そう言ってくれると私も嬉しいわ」
まだ赤い顔をしながら笑い合った二人は、何を話そうかとエリンが必死に悩んで、やっと会話の糸口を見つけた。
「あの、ニーチュアン祭り、楽しみね」
「ああ、そうだね。どんなお祭り何だろう?」
「私も詳しく聞いてなくて知らないの。行ってからのお楽しみだって」
「そうなんだ。コルンの街は、昔の風習が残っていたりする所だから、ちょっと変わっているらしいよ」
「そうなの。私は王都から出た事が無かったから、全部楽しみ」
「そっか。あ、良かったら街を案内するって言ったのに、まだしてなかったね」
「あ、うん。でも、リアンは忙しかったでしょう?」
「まあ、ね。これだけは作り上げたかったから、ちょっと頑張ったんだ」
「ちょっとで出来る物じゃないって事ぐらいは私だってわかるのよ?」
そうしてお道化たエリンに、二人で笑い合う。
「明日は、この魔具を登録しに行く予定だから、良かったら明後日にでも街を案内させて?」
「いいの?」
「勿論。最初に約束したじゃないか」
「嬉しい。楽しみにしてるね!」
「うん。あ、迎えに行くよ」
そう言って笑ったリアンに、エリンは頬を染めて嬉しそうに笑った。
そうして帰って行くエリンを見送ったリアンは、その夜、幸せな心地で眠りに付いた。
何故か額を怪我している私兵と、ズボンに土が着いている私兵の二人と共に邸に戻ったエリンは、一度自室に戻り、ルイーズに報告をするのを忘れない。
「ルイーズ聞いて、あのね、リアンが明後日街を案内してくれるって。どうしよう、私、どうしたらいい?」
「んー、とりあえず、宰相閣下の所へ戻った方が良いと思うわよ?」
「あ、忘れてたっ!」
「もう、エリンったら。ほら、汚れを落とすから来て」
「はい」
外を歩いた事で着いた埃を落とし、もう一度髪を綺麗に梳き直した。
身綺麗にした所で、ルイーズがにっこり笑う。
「完璧。さ、宰相閣下の機嫌を取って来て」
「え、機嫌悪いの?」
「辺境伯と飲んでるらしいわよ」
「酔っ払い?」
「どうかしらね?」
そうして辺境伯と宰相の元へ送り出されたエリンは、二人から「まだ若いのだから」とか、「まだ早いだろう」と言われて首を捻った。奥方はそんな二人にそっと近寄って、むぎゅっと爪先を踏んだらしいが、エリンはそれに気付かなかった。
「リアンの魔具はどうだったの?」
「あ、あのね、凄かったんです。汚い靴下があっと言う間に綺麗になって出て来て」
「まあ、凄いわねえ。リアンって魔具士として最高じゃない」
「そうですよね!?やっぱりリアンて凄いですよね?」
「ええ、さすがリアンだわ。ね、あなた?」
「う……、ああ、そうだな。そう思うぞ。なあ、ヴィクトル?」
「…………そうですね」
そうして、エリンからリアンの話を聞きながら夕食を摂った辺境伯と宰相は、とても複雑な顔をしていたが、奥方は笑顔でエリンに「おやすみ」と言って送り出した。