第三話 王都からのお客様
「ルイーズウウウッ!」
食堂からの帰り、先導する家人の向こうに自分の部屋が見えてきて、途端に気が緩んだエリンはそう叫びながら家人を追い越して走って行く。それを苦笑しながら見送った家人は、エリンが部屋に入ったのを見届けてからその場を後にした。
後で、奥様に叱ってもらわねばと思いながらも、エリンの気持ちも理解できる為、後の事はルイーズに丸投げした。
「ルイーズ、聞いて!」
「エリン、叫んだり走ったりしちゃダメって言われてるでしょ?」
「あ、そうだった。ごめんなさい」
「後で奥様に叱られるわよ?それで、どうしたの?」
「あ、あのね、辺境伯と奥様が、今日の事いっぱい聞いて来てね、それで、今度二人で出掛けたらどうだって辺境伯が言ってね」
「うんうん」
「そうしたら奥様が、それは良い考えねって。それで二人で、デ、デートをしてらっしゃいよって……」
デートと言うだけで顔を赤くしたエリンに、ルイーズは思わず頭を撫でてしまう。
「あの、リアンは一緒に出掛けてくれると思う?」
「勿論。きっとリアンも楽しんでくれると思うわ」
「そ、そうかなあ……」
そう言って赤くなっている顔に、嬉しそうに笑みを乗せる。
「ま、デートの話はまた後で。今日はもう寝た方がいいわ」
「そ、そうね。うん。あ、ルイーズ、後で聞きたい事があるの」
「いいわよ。とりあえず湯を浴びていらっしゃいな」
「はあい」
ルイーズの言葉に返事をして浴室に入ったエリンは、そこにある鏡に映った自分を見てひゃっと声を上げてしまった。顔を赤くしている自分の顔を見たのは初めてで、そんな顔を見せていたのかと思うと、とても恥ずかしくなったのだ。
「エリン、どうしたの?大丈夫?」
「だ、大丈夫。ちょっと、鏡に驚いただけなの」
「そう?」
「大丈夫だから!」
ドアからすぐにルイーズが声を掛けてきたことに焦って返事をしてから、もう一度鏡を見てみた。恥ずかしさに赤くなった顔を見て、何故かドキドキしてくる。
まるでリアンの髪みたいだとそう思った途端、さらに顔が赤くなって心臓がドキドキと高鳴り始めた。
どうして、こんな急にとエリンは思いながら浴室に入る。
ラデナ街で出会った時は、髪で顔が見えなかった事もあって冴えない男だと思った。エドナに着いてからだって、リアンが髪を切るまでこんな風にドキドキした事なんてなかったのにと、エリンはそっと胸を押さえる。
そう、リアンの髪が短くなっているのを見てから、こんな風にドキドキするようになったのだ。
エリンは髪を切ったリアンに、一発で心を射抜かれていた。
一方リアンはその頃、外が既に暗くなった事にも気付かず黙々とひたすら魔具を作り上げていた。魔具は魔石を組み合わせていく魔道具の一種で、魔石を使う事から国から免許を与えられる職種である。
その免許がなければ魔石を買う事が出来ない為、魔具士になるには難関と言われる国家試験を受けなければならない。
リアンの父親が魔具士であった事から、リアンも幼い頃より魔具に親しんで育った。
十三歳という最年少で試験に受かったリアンは当時、王都でものすごく持て囃された。しかし、同じ魔具士の裏切りにあったリアンは、そのまま王都から姿を消したのだった。
エドナ地方に来たのは、母の生家があったからだ。
傷ついたリアンは、母の生家で祖父母と共にその傷を癒していた。
魔具など見たくもないと思っていたのに、いつの間にか魔具を作る事を考え始めたリアンは、結局再び魔具を作り始めた。
魔石を手に入れる為に辺境伯の元を訪れ、魔具士の免許を見せた上で魔石の購入を頼んだ。魔石は領主を通さなければ購入できない物なので、リアンは辺境伯にずいぶんと世話になっている。
祖父母が病に倒れた時も力になってくれたが、結局そのまま二人共逝ってしまった。
両親の元へ帰る事も考えたが、リアンはエドナが気に入ってたので、祖父母の家にそのまま住んでいる。
祖父母と暮らす内、こんなのがあったら便利だなという祖母の言葉を聞きながら、それならこういう魔具を作れば良いと、自然とそう考えた自分に気が付いたのだ。辺境伯のお陰で完成させる事が出来た集音機は、リアンが再び魔具士として脚光を集めるには十分な魔具だった。
お陰でたくさんの報奨金を手に入れたリアンは、王都でそれを受け取り、その後両親の元へ行ってその金を渡して来た。
その帰りに、ラデナ街でタクタクを待つ間にエリンに出会ったのだ。
髪を伸ばして顔を隠していたのは、目立つのを防ぐ為だったが、エリンの『目を見て話したい』の言葉にはっとした。確かに、あんな事があってから自信を失ったリアンは、人の目を気にして髪を伸ばしたのだ。エリンは真っ直ぐにリアンを見て来るし、リアンももっと、ちゃんとエリンを見たいと思った。
髪を切ったリアンは、やけにさっぱりした気分で空を見上げ、エリンの笑顔を思い浮かべた。驚いてくれるかなと密かにドキドキしていたのだけれど。
やって来たエリンを見て驚いたのは自分の方で、エリンがやけに眩しく見えて何も言えなくなってしまったのだ。
情けないなあと思いつつも、エリンが買って来てくれたお菓子を口にした時の高揚感。二人で食べた時にはとても美味しく感じて、これ以上のお菓子を食べたことが無いと思ったほどだった。
エリンが残していった余韻をそっと抱きしめるように、お菓子を大切にしまいこんだ。
それからずっと、魔具を作り続けている。
この洗濯箱も祖母のアイデアで作り始めた物だ。
一番見せたかった人はもう亡いが、もう一人、一番に見せたい人が出来た。
それを嬉しく思いながら、ずっと魔具と向き合い続けた。
「エリン、そろそろ起きて」
「んー……」
「今日は辺境伯のお客様が来る日よ。一緒に迎えるんでしょ?」
「忘れてたっ!」
「慌てないで、大丈夫だから。ほら、顔を洗って」
「ん、はいっ」
ルイーズに起こされたエリンは、眠そうな顔をしながらも起き出して言われた通り顔を洗う。冷たい水で一気に覚醒する意識に、体もシャキッとした気がした。
「ありがと、ルイーズ」
「いいのよ。朝食の時に辺境伯からお話があるそうよ」
「うん、わかった」
そうしてエリンが朝食の席に着くと、辺境伯が今日やって来る従弟の話をしてくれる。どうやら自分の飛竜を飼っているそうで、それに乗って来るからあっと言う間に着くらしい。
タクタクでやって来たエリンとは凄い違いだと思いながらも、お客様を出迎える為、奥方と一緒に過ごすように言われたので頷いた。
そして、奥方と共にメイド達にエリンも飾り立てられ、それに照れながらもワクワクしながら到着を待っていると、お屋敷の中庭に飛竜が降りて来てビックリする。
「エリン、行くわよ」
「はい」
目を丸くしていたエリンに奥方から声が掛けられ、慌てて背筋を伸ばしたエリンに皆が微笑んだ。辺境伯と共にお客様を出迎えに出たエリンは、間近で見た飛竜の大きさにあんぐりと口を開けてしまう。
それを、後ろにいたメイドに窘められ、慌てて口を閉じ笑顔を作った。
「よく来たな、ヴィクトル」
「ああ、兄さん、久し振りだね」
そう言いながら飛竜から降りて来た人を見たエリンは、思わずと言った体でその場から逃げ出した。しかし、あっと言う間に私兵に掴まったエリンは、折角綺麗に飾ってもらった頭を振りながら、放せ放せと暴れ始める。
可愛らしい恰好が台無しになったが、辺境伯の従弟はそれを笑顔で眺めながら、暴れるエリンに近付いて行った。
「お久しぶりですね、エリン。お元気そうで何よりです」
今の今まで暴れていたエリンがピタリと動きを止め、一瞬で顔色を悪くしながら振り返る。
「お、お、お久しぶりです……、宰相閣下」
「相変わらずお転婆ですね。もう少しお淑やかになった方が良いですよ」
ご機嫌でそう言った宰相は、エリンの手を握り、自分の腕に導いた後「エスコートして差し上げますよ」と笑顔で告げた。エリンは無言でふるふると顔を横に振るが、ガッチリと握られた手は離れそうもない。
諦めて共に歩くしかなく、それでも諦められず助けを求めるように周囲へ視線を向けるが、誰一人としてエリンを助けようとはしてくれなかった。
「ヴィクトル、お前、エリンと知り合いだったのか?」
「ええまあ。兄さんのお蔭で久しぶりに会えてとても嬉しいですよ」
「え、兄さん!?従弟じゃなかったの?」
「従弟ですよ。エドナ辺境伯は私の兄のような人なので、兄さんと呼んでいます」
「えええ……、先に言っておいてくれてもいいのに……」
そうして邸の中へと入った四人で、改めて挨拶を交わした。
暴れた為にボロボロになったエリンの髪は、メイド達が素早く直してくれたお陰で、黙っていれば一端のお嬢様に見える。
「エリンが私と会ったのは、まだエリンが四歳の時でしたかね?」
「はい、そうです」
「その頃に初めて会いました。私がやたらと気難しい顔をしているのがおかしかったようでしてね」
「ヴィクトル、やっぱり仕事がツライんじゃないのか?」
「いえ、仕事は楽しいんですよ。だけど、それ以外に煩わされていた頃だったんです。いつも不機嫌な顔をしていたようで、エリン以外の人は、私に近付きもしなかった」
「まあそうだろうな。不機嫌なヴィクトル程怖い物は無いだろう」
「ひどいな兄さん。まあエリンだけは、『どうしてプンプンしてるの?』って聞いて来ましたけどね」
そう言って宰相が笑えば、辺境伯と奥方も笑う。
エリンだけが不貞腐れながら話を聞いていた。
「うるさいと怒鳴り付けようと思った私に、エリンは魔術を見せてくれたんですよ。勿論、子供の使う術ですから私にも出来るような物でしたが、私にはそれがとても嬉しくてね。それから、エリンの事は何となく気にかけるようになっていたのです」
「そうだったのか。では今回の事はヴィクトルにも知らされなかったのだな?」
「ええ、その通りです。しかも、エリンも私に何も言ってくれず、いつの間にか王城からいなくなってましたしね?」
「だって、呪いを掛けたのをお怒られると思ったの。それに、魔導士長の辞令だから、宰相だって知ってるって思うでしょ?」
「ええ、その通りです。通常の、普通の、これまで通りの辞令であれば私はきちんと把握しておりますよ」
ニコニコ笑っているのに怖い宰相は、そう言いながら辺境伯へと顔を向けた。
「兄さん、どう思いますか?」
「……あー、私は王都から離れて久しいからな。エリンが持って来た辞令書以外は見ていない、ぐらいしか言えんが」
「エリン、辞令書を見せてもらえますか?」
「はい」
部屋にあるから取って来るとエリンが言うと、では共に行きましょうと奥方が立ち上がった。そうして辺境伯と宰相を残してエリンの部屋へと行き、仕舞ってあった辞令書を持った後、奥方はエリンを他のサロンへと連れて行く。
何事かと思いながらも後を付いて行けば、とりあえずは男同士の話をさせるのだと奥方が笑いながら言った。
「ねえエリン。リアンをデートに誘うのはいつにするの?」
「えっ!?」
奥方の問い掛けに一瞬で顔を赤くしたエリンは、恥ずかしそうに俯いてしまう。
それでも何とか言葉を探して、「近い内には?」と返して来た。
「エドナ地方には色々楽しい物があるけれど、今の季節ならお勧めはコルンの街で行われるニーチュアン祭りね」
「ニーチュアン?」
「逆転って言葉なの。コルンの民族語でそう言うのよ」
「逆転、ですか。どんなお祭り何ですか?」
「うふふ、興味ある?」
「はい、あります」
エリンがそう答えると奥方が嬉しそうに笑って、リアンを誘って一緒に行きましょうと言い出して驚いた。
「あの、でも奥様と一緒では迷惑かけてしまうから」
「やだ、構わないのよエリン。コルンのニーチュアンには毎年夫と共に招待されているの。子供が小さい頃は一緒に参加してたわ」
そうなんだと思わず納得してしまいそうになって、慌てて駄目駄目と首を振る。
「あの、行くならリアンと二人で行きますから」
「いいじゃない、同じ所に行くんだもの、それぐらい構わないわ」
「でも」
「それに、飛竜ならひとっ飛びだから。ね?一緒に行きましょうね」
ああ、やっぱりここにも飛竜がいるのかと思いながら、一度も乗った事が無かったエリンは、好奇心がうずうずとして来てしまう。どうしよう、頷いてもいいのだろうか。だけど、リアンの都合もあるだろうし。
それに、辺境伯家にお世話になっているとは言え、一緒に行くなんてあまりにも図々しいんじゃないだろうかと、心の中で悩んでいた。
「エリン。ニーチュアン祭りで、リアンとデートしなさいよ」
奥方の言葉に顔を真っ赤に染めつつ、エリンはとうとうコクリと頷いたのであった。
そうして奥方とエリン、それを見つめるメイド達が盛り上がっている頃、辺境伯と宰相は互いの近況を語り合ったり、今回の件の話し合いを行っていた。
こちらは女性陣とは違い、殺伐とした雰囲気である。
「兄さんが調べてくれて助かったよ」
「ヴィクトルの手助けが出来たなら嬉しいな」
「ありがとう。あちらでは誰も信用できなくてね」
「……バルビエ伯やベソン侯爵は駄目なのか?」
「いや、他よりマシってだけかな」
「そうか」
王都では例え自分の家でも、家族の前でも気を抜けない。
宰相が本音を吐露できるのは、このエドナ辺境伯の前だけである。
「エリンの事は全然知らなかったけど、飛ばされた先が兄さんの所で良かったよ」
「ああ、それは私もそう思う」
「まったく、どれだけエドナを軽く見ているのだか」
「そう言うな。王都から距離を置いている私がいけないのだから」
「正解だよ、兄さんは。辺境伯位は侯爵位と同等だと言うのに、まったく莫迦共と来たらそれを理解できないんだからね」
「まあ、お蔭でのんびり出来ているからな。感謝しているよ」
「……うん。ここは、変わって欲しくなくてね」
「解ってるよ。ヴィクトルの尽力あってこそだとね」
「そんな事ないよ」
そう言いながらも、宰相が見逃してくれているからこそ、エドナ地方は収める税も最低で済んでいるし、王都から距離を置く事も出来ているのは事実である。
「私も逃げようかな」
「歓迎するぞ?」
あっさりとそう言う辺境伯に、宰相はクツクツと笑う。
実はエドナ地方は、このリアリルーデ王国の中では一番豊かな土地である。海はあるし温かいから農耕地では作物が良く出来るのだ。ただそれは、この地方の発展の為に使われており、国庫に届く事は無い。
このエドナ地方を豊かな所にしたのは、辺境伯の尽力の賜物であるからだった。
「そう言えば、魔導士の結婚の事なんだが」
「……まさか、エリンの話じゃないだろうね?」
辺境伯の言葉に、珍しく怒気を現した従弟に、辺境伯は思わずクスクスと笑ってしまった。