第十五話 自由の終わり
エドナを発った翌日。
その日も朝早くに起き出したリアンは、早々に身支度を整えていた。
魔具士協会会長の邸に世話になっていて、今日午前中に国王から呼ばれているのだ。
緊張しながらも、今日はエドナに帰る事が出来ると左手首に付いているブレスレットをそっと撫でる。エリンは今頃、何をしているのだろうか。
もしかしたら、今日のお祝いに張り切ってくれているのかもしれないと、リアンは想像して口元が緩む。
こんなに嬉しい誕生日を迎えたのは初めてで、物凄く楽しみにしている自分に笑ってしまう。
これも全部エリンのお蔭だなと、ラデナ街で出会えた幸運に感謝する。あの時、相席になった女の子が可愛くて、思い切って声を掛けた。それがエリンだったんだけど、今でも自分が声を掛けた事が信じられない。
ずっと、人との付き合いを絶って生きて来たから、これからもそうだと思っていたのに、どうしてか話し掛けたのだ。
フェルドミーチェ神が微笑んでくれたとしか思えない。
「支度は出来たか?」
「あ、はい。おはようございます、協会長」
「うむ。まあ、その格好なら大丈夫だろう。来なさい」
「はい」
協会長は爵位を持っているからなのか、とても高圧的な人だ。
エドナ辺境伯とは全く別の、貴族らしい貴族で、リアンはあまりこの協会長が好きではない。今も、リアンが朝食を摂っていない事など全く気にせず、城まで行くティッキに乗せられた。ふう、と息を吐きながら、お腹が鳴らないように手で押さえていた。
「王の御前では、君は声を発しないように」
「はい」
そうして連れて行かれた城で、協会長の後ろを歩いて行く途中、ジルとドニが顔を見せてくれた事にほっとした。城の兵に紛れているらしく、リアンに顔を見せる為だけにいてくれたようで、その事に感謝しつつも、視線を交わしただけで何も言う事なく協会長に付いて行く。
そうして謁見の間の次の間で長い事待たされている内、リアンの空腹は限界に近付いて来た。
何となく、謁見中にお腹が鳴るような気がして、困ってしまった。
昨夜、協会長の家で出されたスープだけでは持たなかったかと思いながら、お腹に手を当てて何とか鳴らないように頑張った。
やっと呼ばれた協会長とリアンが謁見の間に入り、下を向きながら歩いて行って、協会長が立ち止まった所でリアンも立ち止まる。
同じように床に膝を付き頭を下げたリアンは、国王からの言葉を聞いている事が出来なかった。このままではマズイ、やっぱりお腹が空腹を主張しそうだと思いながら、頭を動かさないように視線だけで周囲を見てみたが、視界には協会長の背中しか入らず、何の足しにもなりそうになかった。
「魔具士リアン、顔を上げろ」
その言葉にゆっくりと顔を上げ、王に顔が見えるようにする。
少しでも動くとお腹が鳴りそうで嫌だったけど、まさか国王にそう言えるわけがない。
「まだ若いな」
「この者は本日成人となりました、陛下」
「そうか。解った、では、貴殿の孫娘との婚姻を認めよう」
「ありがとうございます」
これに慌てたのはリアンだ。婚姻ってなんだと思いながらさらに顔を上げれば、国王の傍に立っている人が目に入り、辺境伯の家で会った宰相閣下だと気が付いた。
その宰相閣下が軽く顔を横に振った事で、黙っていろと言う事なのだと理解したが。
これはどう言う事だと考えこんでいる内に、出て行けと急き立てられるように謁見の間から出されてしまった。
「どう言う事ですか、協会長」
「君は、私の孫娘と婚姻するのだ。光栄だろう?」
「そんなわけないでしょう。会った事も無いのに何故」
「お前は爵位も無いのに、私の孫娘と結婚できるのだぞ。ありがたく思え」
「思えません。お断りします」
「お前の婚姻は王に認められた。異を唱える事即ち反逆だぞ」
「冗談じゃない、協会長の孫娘とは絶対に結婚しませんから」
「結婚と言うものは、届けを出しさえすればそれで終わる。なに、孫娘と結婚した暁には、お前の持つ知識を我が家の為に使わせてやろうじゃないか」
駄目だ、協会長には何を言っても通じないのだと理解するのは早かった。
王城の廊下を歩きながら、ジルとドニの姿を探した。だけど、どこにも二人の姿を見付ける事が出来ずにいる内に、再び協会長の家のティッキに乗せられてしまった。
「お前が爵位を持つ事は無いが、子供には私が持っている男爵位をやろうじゃないか」
そんな物が何の意味があると言うのだろう。
リアンは爵位など全く興味が無いのだ。
「嬉しいだろう?庶民の子供が爵位を持てるのだぞ」
駄目だ、このままじゃ駄目だと思いながらも、結局協会長の家に着いてしまい、リアンは降りると同時に走り出した。表門では門番に止められると直ぐに理解し、塀をぐるりと回るように駆けて行って通用門を見付け、そこから飛び出そうとした瞬間、後ろから体ごとぶつかって来た人に転ばされ、逃げる事が出来なくなった。
「大人しくしていろ」
引きずられながら、焦がれるように門扉へと手を伸ばしたが、どんどん離れて行く門扉をただ見つめ続ける事しか出来なかった。
リアンは椅子にぐるぐると縄で縛り付けられ、協会長の邸の地下に閉じ込められた。
閉じ込められる前に激高した協会長から、何発も殴られた為、顔は酷く腫れ上がっている。ズキズキと脈打つように痛む顔を俯けて、どうやって逃げようかとそればかり考えていた。
「ああ、お前を連れて来た者達には、お帰り頂いたよ」
協会長がそう言っていた事から、ジルとドニが無事である事が解ってほっとする。
あの二人が無事であるのならばきっと、辺境伯が異変を察知してくれるはずだ。大丈夫、希望はあると思いながら、真っ暗な地下室でどれぐらいの時が過ぎたのか。
「おじい様、お願い、考え直して」
「駄目だ。お前はこの男と結婚するのだ」
「嫌よ!」
「何を言うか。これは必ず我が家の為になる男だ」
「それでも、庶民じゃないの!」
「ここに住むから問題ない」
協会長と女の声にリアンは顔を上げた。
途端に蝋燭の明かりが目に入り、眩しくて目を閉じる。
「化け物じゃないの!」
「顔を殴ったから腫れているだけだ。なに、一晩ここで過ごせば良い。これで既成事実が出来上がる」
「そんなの、おかしいわ。一晩過ごしたって事にすれば良いだけじゃないの」
「誰の口から漏れるか判らないからな。お前はこの男を手当てしに来て、そこで犯されたのだ」
「な、」
「入れろ」
「いや、いやああああっ!」
孫娘さえ思い通りにするのかと思うと、リアンは協会長に対して改めて怒りが沸いて来た。本当に莫迦じゃないだろうかと、協会長の頭の具合を心配してしまう。
「そんな事で傷が付くのはあんたの孫娘だけだ」
「……何か言ったか?」
「俺は貴族じゃない。女と寝た所で俺には傷が付かない」
リアンがそう言うと、一度鍵を掛けられたドアが開き、協会長が入って来てまた思い切り殴られた。椅子ごと転がり、肩と腕を下敷きにしてしまった事で、痛みに呻き声が出る。
「庶民が爵位を持つ家の娘を傷物にし、逃げた場合は処刑する権利が出来る。よく覚えておくと良い」
そうしてリアンは床に転がったまま放置され、泣きわめく孫娘と二人きりにされた。真っ暗な中で泣く声が響いてとてもうるさい。いい加減泣き止んでもらえないだろうかと思いながらも、ずっと黙っていた。
「お前、おじい様に何をしたの?」
女の声はとても耳障りで、エリンの声と比べると醜い声だった。
「答えなさいよっ」
そう怒鳴られても、口の中が切れているから喋りたくないし、こんな女と会話をしたら気分が悪くなるだけだと解っていた為、リアンは何も答えなかった。
「何か言いなさいよっ!聞こえているんでしょう!?」
泣きわめいていたと思ったら今度は怒鳴り散らすのかと、リアンは溜息をそっと吐き出しながら、諦めて目を閉じる。少しでも体を休めておかないと、逃げる時に動けなくなってしまうと思っての事だが、このまま放置されたら餓死するだろう。
今頃、エリンは泣いているだろうか。
約束を守らなかったリアンを怒っているだろうか。
泣いているエリンを見るぐらいなら、怒ってくれた方が良い。そして、思い切り怒ったら、笑って欲しいと願う。
その顔を見る為に、必ず帰るのだと自分に言い聞かせた。
一方、ジルとドニも同じように地下に囚われていた。
城に潜入させたのは宰相の手配があったからこそであったのだが、今回のリアンの婚姻に、魔導士が絡んでいるとは思ってもみなかったのだ。
宰相が魔導士を探っている事がバレたのか、いつの間にか魔具士協会長と手を組んでいた魔導士長が、ジルとドニを捕らえたのだった。
「あー。俺すっげえ間抜けじゃん」
「……俺もです」
「ヤバいよなあ、これ。絶対ルイーズに怒られるわ」
「俺は隊長に怒られます」
「それは俺もだよちくしょうめ」
宰相が、エドナ辺境伯家の飛竜がまだ城にいる事に気付いてくれればいいのだがと、ジルが思っていると、魔導士長が姿を見せた。
「君達は、魔導士エリンを知っているね?」
「誰?」
「とぼけなくていい。エドナに飛ばしたのは私だからな」
「へえ、エドナに魔導士がいるのか。俺は会った事がねえけど、何、良い女なの?」
「ちっ、黙れ下郎が。貴様などに教える必要は無いわ」
「なんだよそれ、そっちが聞いて来たんじゃねえか」
そのまま去ろうとした魔導士長に、ジルが声を掛ける。
「なあ、良い女なの?」
「黙れと言っているだろう」
ゴミを見下ろすかのような顔をして魔導士長が去って行くのを確認してから、ドニと頷き合った。
「把握してないんですね」
「そのようだ。ならエドナは無事だな」
「はい。リアンは恐らく協会長の所でしょうね」
「孫娘と婚姻がどうたら、だったな」
「どうしてリアンが?」
「……極秘事項だが、今回リアンは莫大な報奨金が手に入るそうだ」
ジルの言葉にドニが絶句する。
「俺が思うに、協会長はリアンに魔具を作らせ、金を横取りするつもりなんだろう」
「ああ、なるほど」
「リアンの方は解るが、何故エリンを探しているんだ?」
「ですね。自分でエドナに飛ばしたくせに、知らないのはおかしいですね」
「……何をさせる気だ?」
ジルの問いに、ドニは答える事が出来なかった。
昼食を食べ終えたエリンは、そわそわと落ち着きがなくなった。
何度も何度も空を見上げては、肩を落として戻って来てグルグルと部屋の中を歩き回る。そうして再び窓に張り付いては空を見上げるのだ。
「エリン、きっと夕方になるわよ」
「そうかなあ」
「そうよ。大丈夫、無事に帰って来てくれるわよ」
ルイーズの言葉も意味がなく、うろうろと部屋の中を歩き回るエリンに、ルイーズはそれ以上何も言わずに黙って見ていた。
エリンは時が止まっているんじゃないかと思っていたけれど、ちゃんと進んでいたようで、日が傾いて来たのを見てほっと息を吐き出した。そうなるともう待ちきれなくて、窓にベタッと張り付いて、じっと空を見つめ続けた。
その日、日が沈み、すっかり暗くなっても三人が戻って来る事は無かった。
用意していたご馳走は、そのまま邸の人間の夕食になり、それぞれに暗い雰囲気のまま食事をした。屋敷中が静まり返っていて、それがとても不安を煽る。
エリンは寝る用意をした後、一心にフェルドミーチェ神に祈りを捧げ続けた。
隣にルイーズも並び、二人で床に膝を付き、胸の前で手を握って目を閉じ、夜空に向かって祈り続ける。
どうか、リアンが無事でありますように。ジルとドニも元気に帰って来ますようにと願い、結局朝になるまでルイーズと共にそうしていた。
二人共顔色が悪いが、何とか朝食を腹に納めた後、エリンは決心した。
「エドナ辺境伯。お話したい事があるのですが、お時間を頂けますでしょうか」
「……わかった」
そのまま辺境伯と共に書斎に案内されたエリンは、王都に向かう許可をもらう為、辺境伯に話をする。
「王都へ行く?」
「はい。私が行けばたぶん、三人が解放されます」
「……何故そう思う?」
辺境伯の問い掛けはもっともで、昨日の夜、伝えるかどうか散々悩んだのだ。
それでもきっと、黙っているよりはずっと良いとそう判断した。
「私の本当の名は、エメリーヌ・マリ・ドゥ・リアリルーデ。この国の第二王女です」
本当の事を告げた時に、この自由が終わる音が聞こえた。
「黙っていてごめんなさい、エドナ辺境伯。けれど、魔導士として活動するのであれば、王女だと言う事は黙っていると、父と約束していたのです」
ぽかんと口を開けている辺境伯にそう言うと、じっとエリンの顔を見て来た辺境伯が、慌てて跪いた。
「辺境伯、礼儀は不要です。私を、王都に連れて行って下さいますね?」
「はい、仰せのままに」
三人に何があったか探りを入れる為に、もう一頭の飛竜を飛ばす予定だった所に割り込んだエリンは、送られる兵士と共に王都へと戻ったのであった。




