第十三話 不安
あれから言葉通り、テレーズ夫人の授業は厳しくなった。
覚える事がたくさん出て来て、エリンは唸りながらもたくさんの事を学んでいる。
地方領主と土着民族の戦いも、詳しく知る事でちゃんと理解する事が出来たし、辺境伯の宿題はまだ考え中ではあるけれど、何も知らなかった時より多くの事を考える事が出来るようになった。
午前中は別宅でリアンと共に過ごし、午後はそうして勉強の日々を送っていた。
けれど、明日からリアンは王都に行く事になっていて、それが寂しい。
「辺境伯が言うには、あちらに一泊して褒賞を頂いたら、そのまま帰って来る事が出来るそうだから、帰って来たらエリンに会いに行くよ」
「うん……」
リアンが離れて住んでいた頃に比べ、毎日会えるようになったのに会えない日が来ると寂しくて仕方がない。だけど、リアンの邪魔をしたくはないから、我慢するしかないのだ。
「早く帰って来てね?」
「勿論だよ」
リアンが王都から戻ってくる予定の日は、丁度リアンの誕生日と言う事もあって、魔具が認められた事へのお祝いも兼ねて、皆でおめでとうを言う予定になっている。リアンには既に伝えてあるので、楽しみにしてると返事をもらってある。
エリンは頑張ってまたクッキーを焼く予定になっているし、他にももう一つ何か贈りたくて、明日ルイーズと一緒に買い物に行く予定だった。
「エリン、お願いがあるんだけど」
「なに?」
「ええと、その」
リアンが赤くなって口籠っているのを、エリンはぽうっとなって見惚れてしまう。
赤い髪と、赤くなった頬が綺麗な緑色の目を余計に強調させて見せるから、すごく綺麗なのだ。
「こ、このブレスレットに、旅の無事を祈ってくれないかな?」
そう言って自分の手首から、あのお祭りで買った青灰色の石が連なっているブレスレットを外した。それを両手を出して受け取ったエリンは、そっと握って、リアンの無事を祈る。目を閉じ、フェルドミーチェ神にリアンの無事を祈った。
そっと目を開くと、リアンがじっとエリンを見つめていた事に気が付いて、恥ずかしく思いながらもブレスレットを返した。
「私、明日もリアンの無事を祈るわ」
「うん……、ありがとう」
そっとリアンの手に包まれた手の温かさと、リアンの緑色の瞳を見ながら、もう一度フェルドミーチェ神に祈りを捧げた。
その日は、リアンが本邸の方で一緒に夕食を摂る事になり、エリンは午後の勉強を早めに終わらせてくれたテレーズ夫人に感謝しつつ、リアンが来るのを待っていた。
一緒に王都に行けない代わりに、リアンに連れて行って貰いたい物がある。
それを渡したくて、ポケットに忍ばせて来たのだ。いつ渡そうか、食事が終わってからの方が良いだろうかと悩みながら、玄関ホールをうろうろと歩き回っている。
「エリン、そろそろ落ち着きなさい」
「……うん」
「暗い顔しない。笑顔よ、笑顔」
「はい」
ルイーズに叱られて背筋を伸ばし、笑顔を作る。
離れてしまう時はそうして笑顔を覚えていてもらう物だと、ルイーズが教えてくれたのだ。可愛いエリンを覚えていたら、絶対帰って来るからとそう言ってくれた。
そして、家人が笑いを堪えながら開いたドアからリアンが顔を見せた途端、エリンが駆け寄って「いらっしゃいリアン!」と歓迎すると、リアンは少し驚いた後笑顔になった。
「エリン、待っててくれたの?」
「うん、その、早く会いたくて」
「僕も、会いたかった。ありがとう、エリン」
「い、いいの。えっと、行きましょリアン」
「うん」
ゆっくりと、ゆっくりと距離を縮めて行く二人に、家人達もメイド達もドキドキしながら見守っている。
皆の注目を浴びながらも、手を繋いで歩く二人が平気でいるのは、互いの視線が絡み合うので精一杯だからで、周囲からの視線を感じないのだ。もう少し経てば恐らく解るようになるだろうと、ルイーズは予想している。
「ああ、来てくれたか」
「ご招待ありがとうござます、エドナ辺境伯、辺境伯夫人」
「リアン、紹介しよう。彼女は妻の友人でエリンの家庭教師を引き受けてくれている、テレーズ夫人だ」
「テレーズ・メイエよ。よろしくね」
「魔具士のリアンです。よろしくお願いします」
「辺境伯夫妻とエリンから話は聞いているわ」
「僕もエリンから話を聞いていました。とても素敵な女性だと伺っています」
「まあ、ありがとう。エリンがあなたの事を素敵な恋人なのだと言っていたわよ」
バラされたエリンは真っ赤になって恥ずかしくなって俯いてしまった。
リアンはそんなエリンに微笑みながら促して、食事の席に着いた。
そうして夕食が始まり、テレーズ夫人がルシェールの街の話をしてくれたり、辺境伯が王都の話をしてくれたりしたお蔭で、リアンは楽しく食事が出来た事に感謝する。
エリンも興味深く二人の話を聞いていて、一度ルシェールの街に行きたいなと思うようになった。
「明日は朝早くに発つのだったね」
「はい。早めに着いておいた方が良いと、協会から連絡がありました」
「そうか。魔具士協会の会長と共に行くのだったね」
「はい、その予定です」
「うん。顔見知りの方が良いかと思って、ジルとドニに護衛を頼んである。王城に共に入れるよう頼んであるから、何かあったら二人の元へ行きなさい」
「ありがとうございます。その時は頼らせて頂きます」
「うん。何もなければいいんだけどね」
リアンの身が危険である事は辺境伯から知らされているから、きちんと理解しているつもりだ。エリンは辺境伯家にいる限り、絶対に大丈夫だと信じている。
「よろしくお願いします」
「ああ。任せてくれ」
念の為にと、辺境伯の長男の名前や、家の場所まで教えてくれた辺境伯に感謝して、奥方とテレーズ夫人と話をしているエリンの元へ行く。
「エリン」
「リアン。もう、帰るの?」
「うん。明日の用意もあるし、あまり遅くまでお邪魔できないからね」
「そっか……」
寂しそうな顔で俯いたエリンが可愛くて、リアンは顔が緩んでしまう。
「玄関まで送ってくれる?」
「勿論よ!」
「じゃあ、行こうか」
「うん」
そうして辺境伯夫妻とテレーズ夫人に挨拶をしたリアンを送る為、エリンはリアンと一緒に手を繋いで玄関まで歩いた。もっと玄関が遠ければいいのにと思いながら歩いて行き、あれを渡すなら今がいいかもしれないと、ポケットから出した。
「あの、リアン」
「なに?」
「あのね、これを持って行って欲しいの」
「え?」
そうしてこっそりと手の平に乗せられたのは、硬い何か。
「私の魔力を固めた物なの。誰にも見せないで」
「うん、わかった」
即座に頷いたリアンは、そのままエリンの手を握って誤魔化す。
にっこりと微笑んだエリンに、リアンも答えるように微笑んだ。
「エリン、僕、誕生日を祝ってもらうの久し振りなんだ。だから、楽しみにして帰って来るよ」
「……うん。私は、誰かの誕生日を祝うの初めてなの。だから、ちゃんとお祝いさせて」
そうして見つめ合った二人は、名残惜しそうにお休みの挨拶を交わした後、ゆっくりと手を放して微笑み合った。
リアンが玄関から出て行くのを見送ったエリンは、暗いから駄目と外に出る事を禁止されたので、窓から見送るべくガラスに張り付いた。そんなエリンの姿を皆が眺め、階段の上から奥方とテレーズ夫人も眺めていた。
「あそこでキスをしないなんて」
「やあねえ、そこがいいのよ」
名残惜しそうにゆっくりと離れて行った手が、心の中を物語っているのだと言って、奥方はテレーズ夫人と恋の話で盛り上がる。共に、昔の恋の思い出を語り合うのが楽しいのだ。まるで当時に戻ったような気分になりながら、奥方とテレーズ夫人は遅くまで語り合った。
自室に戻ったエリンは、ルイーズと二人だけになると不安を零した。
「リアン、大丈夫よね?」
「当然よ。一緒にジルが行くって言ってたもの」
「え、ジルさんが行ってくれるの?」
「そうよ、だから大丈夫。安心なさいな」
「うん、安心したけど、ルイーズも寂しい?」
「そうね、寂しいわ」
「そっか、ルイーズも寂しいんだ」
そうして悲しそうな顔をしたエリンに、「どうしたの?」と聞いてみる。
「んー、あのね、上手く言えないんだけど。何故かとても不安なの。この辺がすごくモヤモヤしてるの」
「……そっか。なんだろうね、魔導士の勘なのかなあ?」
「あるの?」
「知らないけど」
そう言って笑ったルイーズにつられて、エリンも笑う。
「明日見送りするんでしょ?」
「勿論!」
「じゃあ早く寝なさい。起きられなかったら後悔するわよ?」
「解った」
そうしてエリンが浴室に入り、寝る支度をしてベッドに入るのを見届けてから、ルイーズはおやすみと挨拶をしてから部屋を出る。
明日一緒に王都へ行くジルに会う為に急ぎ足でルイーズの部屋に向かうと、珍しくジルが先に部屋に入っていて驚いた。
「いると思わなかった。遅くなってごめんなさい」
「いや、いいんだ。明日早いから、上りが早かっただけだから」
「そうなの?」
「隊長の計らいでね」
ジルの部屋は私兵宿舎にあるから、ルイーズが行く事は無い。
男ばかりが住んでいるそこに、いくら恋人がいるからと言って近づく莫迦はいないのだ。だから、ルイーズの部屋が二人の逢瀬場所になっている。
「湯浴みは済ませたの?」
「一緒に入ろうと思って待ってた」
「嘘でしょ?」
「嘘。済ませたから入って来て」
「……解った。直ぐに戻って来るから」
メイド達は部屋に浴室は無い。皆が入る事が出来る大きな浴室があって、そこで湯を浴びているのだ。支度をして部屋を出たルイーズは、浴室に入って体を洗うと直ぐに出て来た。急ぎ足で部屋に帰るのは、恋人がいるメイドなら誰でも同じだ。
「待たせてごめん」
「大丈夫だよ。ゆっくりして来ても良かったのに」
そう言いながら読んでいた本から顔を上げたジルを訝しく思いつつ見つめてしまう。
「なに?」
「んー、なんだろう。いつもと違うわよね?」
「そうかな?」
「そうよ。何かあったなら言って?」
「ないよ。いつも通りだったけど?」
そうして二人で同時に首を傾げて笑い合った。
「髪、濡れてると風邪をひく」
「ジルみたいに?」
そう言ってまた笑い合った。
ルイーズが髪を乾かすのをじっと見つめているジルがやっぱり変だ。おかしいとルイーズは思いながら、何かジルが変になる事があったんだろうかと首を捻る。
心当たりが無くて困っていたけれど、もしかしてと思って聞いてみた。
「ねえジル。聞きたい事があるんだけど」
「なに?」
「もしかして、他に好きな子ができたの?」
そう聞いたルイーズにぽかんとした顔を向けたジルは、次の瞬間には必死になって違う、それはない、それだけは無いと言い募って来た。
確かに無さそうだと、そんなジルを見ながらルイーズは理解する。
「やっぱり変よ、ジル。何があったか教えてくれない?」
そう言うと、ジルは考え込みながらも何とか言葉にしてくれた。
「んー、上手く言えないんだけど、王都行き、嫌な予感がするんだ」
「…………ちょっと、それ本当?」
「ごめん、情けない事言って」
「あ、違う違う。あのね、エリンも同じ事言ってたから、私まで不安になったのよ」
うーわー、何かこれは危険なんじゃないかって思っちゃうじゃないの。
えええ、と心の中でルイーズが思っていると、ジルがじっと見つめて来る。
「きっと、大丈夫だと思う」
「その根拠は?」
「んー、何となく」
そう言って笑ったジルに、ルイーズは溜息を吐き出した。
解っている、そうして不安になったルイーズを安心させようとしているって事ぐらい、ちゃんと理解しているのだ。
「ルイーズ。俺と結婚してくれる?」
「……帰って来たら返事をするわ」
「そっか」
「そうよ。ジルにとっても、私にとっても、一生の事なんだもの。ちゃんと真剣に考えるわ。ジルがいない間にずっと、そうしてジルの事考えるから」
そう答えたルイーズに、ジルが嬉しそうな顔をして抱き締めて来た。
「好きだよ、ルイーズ」
「私もジルの事が好きよ」
そうして抱き合いながら、互いの体温を移しあう。離れていても、互いの唇を忘れないように、手の平の熱さを忘れないように、その身体に刻み付け合った。




