第十二話 テレーズ夫人
エリンがリアンの腕の中から解放された時、リアンはキラキラと輝きながらエリンを見下ろしていて、口を開けてぽうっとなった。
「エリン、早速食べてもいい?」
「リアン君、とりあえず部屋に案内したらどうかな?」
「あ……」
別宅の家人、ラザルの進言にやっと自分達が玄関にいた事を思い出したリアンが、恥ずかしそうにしながらエリンを部屋に案内した。
「ええと、僕が借りている部屋なんだ。まだ整理が終わってなくてゴチャゴチャしてるけど。良かったらそこに座って」
「う、うん。ありがとう」
リアンの家で何度も向かい合って座ったテーブルと椅子が置いてあり、広い部屋の中、とても小さく見えた。
「この部屋だけであの家より広いんだよ。凄いよね」
そう言いながら対面に座ったリアンと笑い合う。
エリンは元々王城に住んでいたから、広い部屋に慣れているけれど、リアンの住んでいたあの小さな家も好きだと思っていた。
「リアン、何か手伝う事はある?」
「そうだなあ、じゃあ一緒にクッキーを食べてくれる?」
「そ、そう言う事じゃなくて」
リアンの言葉に恥ずかしそうに俯いたエリンの頭を撫でたリアンが、リボンを解いて紙包みを開けた。
「わあ、美味しそうだね」
「あの、変な形なんだけど、味は良かったのよ」
「いいじゃないか、とても可愛いよ」
「そ、そんな事はないけど」
そうしてエリンが作ったクッキーがリアンの口の中へと入るのを見た。
何故かそれがとても恥ずかしくて、エリンは視線を逸らす。
「美味しいよエリン。凄く美味しい」
「ほ、本当?」
「本当だよ。エリンもどうぞ」
「……うん」
リアンが取ったクッキーにそのまま齧り付けば、リアンが固まった。
そんな二人を見ながら、ラザルは笑うのを必死に堪えつつそっとお茶を出したのであった。
「うん、味はいいのよね。どうして変な形になっちゃったんだろう?」
「そ、そんな事ないよ、この形だから美味しいのかもしれない」
「でも、奥様のもルイーズのも、もっとちゃんとしてたのよ」
「奥様とルイーズさんも作ったの?」
「そうなの。あのね、リアンの所に行くって言ったら、手土産を持って行ったらってルイーズが言ってくれて、急遽お菓子作りを教えてもらったのよ」
「そうだったんだ」
そうして二人で語り合っていると、昼食の時間ですとラザルに伝えられ、エリンは邸に戻る事になった。リアンが送ると言ってくれたので、本邸まで手を繋いで歩く。
庭で繋がっているから、綺麗な花を見ながら二人で歩いた。
「そう言えば、リアンはここでお仕事をするんですってね」
「うん。辺境伯が仕事をくれたんだ。頑張るよ」
「リアンなら安心ねって言ったの」
「安心?」
「うん。だって、リアンの作る物なら安心して使えるでしょう?」
「そう、かな?」
「そうよ。辺境伯もそう思ったからリアンに頼んだのよ、きっと」
「……そうだったら嬉しい」
そう言って笑ったリアンに見惚れていたら、あっと言う間に玄関についてしまった。
短い距離だけど、リアンと二人で歩けたことが嬉しかった。
「エリン、またね」
「ええ、またね」
そうしてリアンが別宅の玄関に行くまで見送り、そこでリアンがこちらを見て手を振ったので、エリンは両手を上げてぶんぶん振る。それから中に入ったエリンは、幸せな心地のまま、食堂へ向かった。
午後は勉強の時間で、リアンの所へ行けないのを残念に思いつつ、真面目に授業を聞く。家庭教師はテレーズ・メイエと言う元伯爵夫人だ。伯爵が亡くなった為、元伯爵夫人で未亡人で、奥方の友人でもある方である。
おっとりとした上品な女性で、楽しい授業をしてくれるとても気の良い女性だった。
エリンは、テレーズ夫人からエドナ地方の歴史や地理、特産品と言った物を学んでいる。テレーズ夫人は、海があるルシェールの街に住んでいたらしく、海のある風景の絵をたくさん見せてくれた。
元々別荘として持っていた家だったらしく、遊びに来る度に伯爵が絵を描いていたと言って、エリンの家庭教師を引き受けた時に何枚かの絵と共に来てくれたのだ。
「エドナは初期の頃、荒涼とした大地しかなかった事を知っていて?」
「はい。西区にあるオービヤン教会で絵を見た事があります」
「そうだったの。とても素晴らしい絵だったでしょう?」
「はい。エドナの歴史そのものですね」
「その通りよ。ここはエドナ辺境伯一族が、水路を作り、木々を植え、土を耕して来た所なの。そうして人が住めるようになると、たくさんの人が移住して来たわ」
テレーズ夫人の言葉に頷きながら、確かにあの教会に飾られていた絵の通りだと思った。畑が増えて行くと共に、家も増えて行ったのだ。
「そうして、昔から住んでいた人も、移住して来た人も、皆がエドナを住みやすく、良い所にしようって頑張って来たのが今のエドナよ」
「はい。ここはとても良い街です。この間行ったコルンの街も、とても良い所でした」
「コルンは独特な風習が残っているでしょう?」
「そうですね。とてもたくさんの色が溢れる街でしたよ」
「ええ、その通りね。それが残っているのは、辺境伯のお蔭だと言う事は知っていて?」
「え、知らなかったです。どう言う事ですか?」
「地方を治める立場になると、そう言った風習を危険だと言って廃止してしまう方がかったの。だけど、エドナ辺境伯のご先祖たちは、一度もそれをしなかったのよ」
「……廃止したら、どうなるのですか?」
「コルンの街のように昔からある物を、全て破壊したのでしょうね。だから、地方を治める方と戦いになる事もあったのよ」
「戦い……?」
「そう。そうして失われてしまった物は、たくさんあるわ」
テレーズ夫人の言葉にエリンは黙り込んで、真剣に考え込みそして、顔を青褪めさせて震え出した。
「わ、私、それ、」
「エリン?」
「それ、やった……、たぶんあれ、そうだったんだ……」
「エリン?エリンッ!?」
ガタガタ震え出したエリンをルイーズが抱え、呼び掛けても反応しない事からドアの外にいる兵士に奥方を呼んでくるよう伝える。即座に動いた兵士を見送り、エリンに駆け寄っていたテレーズ夫人に代わり、エリンを抱き締める。
「大丈夫、大丈夫よエリン」
「私、だって、知らなかった」
「大丈夫」
エリンと同じように顔を青くしたテレーズ夫人を椅子に座るよう促しながら、エリンとテレーズ夫人の様子を見る。やがて奥方が駆け込んで来て、付いて来たメイド達にテレーズ夫人を部屋に連れて行くよう命じた後、エリンの元へやって来て様子を見る。
「土着民族と地方領主の戦いの話からこうなりました。エリンは恐らく、それに似た事をやったのだと思います」
エリンから離れてルイーズが奥方へ小さな声でそう言うと、奥方がこくりと頷いた後、エリンを部屋へ連れて行くよう命じる。ドアの前に立っていた歩哨の兵士がエリンを抱え上げ、そうしてエリンの部屋に戻った。
「……きちんと話をした方が良さそうね」
「はい」
「治める立場として、主人に話をしてくれるよう頼んでみるわ」
「解りました」
そうして奥方が部屋を出て行き、ルイーズはまだ震えているエリンをそっと抱きしめる。
「……ルイーズ、私、知らなかった」
「うん」
「私、だって、燃やせって言われたから」
「うん」
物事を教えない、自分達が絶対だと思い込ませる事で、魔導士は国に保護されるのだ。国の為にその力を行使し、決して逆らわないようにするのだと、そう聞いた。
エリンの世話係として手を上げた時に、辺境伯と奥方からエリンの事について色々と話をされ、同時に魔導士の話も聞いたのだ。だからこそ、余計に憤っていたのもある。
「私、どうしたら」
そう言って泣きだしたエリンを、ただ黙って抱き締める事しか出来なかった。
そうしてエリンが泣き止み、少し落ち着きを取り戻した頃、辺境伯の部屋に呼ばれた。
「行ける?」
「……大丈夫」
しっかりと頷いたエリンと共に、ルイーズも辺境伯の部屋へ赴いた。
何かあったら即対応できるようにする為だが、辺境伯はゆっくりと、エリンに理解させながら、地方領主と土着の民の話をして行った。
「じゃあ、私が魔術を行使した所は、疫病が流行った所だったの?」
「そうだね。ケムエン地方のタグラ村は、流行り病に侵されたと話を聞いた事があるよ。流行り病が出た時は、国中に知らされるから間違いないね」
「……そっか、そうだったのね」
「ああ。タグラ村の民族の風習は、確か近くにあったクーエンの町に伝わっているはずだし、生き残った人はそちらに移されたと聞いているよ」
辺境伯の言葉に、エリンがほっと息を吐き出した。
「流行り病が起こった所は、そうして燃やす事になるね。そうしないと、勝手に廃屋を使った者が、また病を広げる事もあるんだよ」
そう聞いて、エリンはやっと安心する事が出来た。
変わった形の家が並ぶそこを、全部焼き払った事があったのだ。周囲の木々も燃やしたその仕事は、他の魔導士と一緒に行った事だったけれど、テレーズ夫人の話を聞いてそれが地方領主と土着民族の戦いだったのではないかと思ったのだ。
「テレーズ夫人が言っていたのはね、自分達の集落の外の人間を簡単に殺してしまう人達の事だよ」
「え!?」
「実際、リアリルーデ王国が建国された頃は、そう言う民族が住んでいたと、文献にも残っているよ。そう言った民族が住んでいた所に配された領主は、確かに戦う事を余儀なくされたようだね」
「……そっか」
「どちらかと言うならば、後から来たリアリルーデ王国の者が遠慮すべき所だけど、まあ、国と言うのはそうして勝った方が治める物だし、何処の国にもこういった血生臭い話はあるね」
俯いたエリンに、辺境伯はさらに言葉を紡ぐ。
「地方領主と土着民族の戦いは、リアリルーデ王国の建国から大体百年で終わっているね。現にこのエドナ地方も、そうして戦って勝ち得た物だ」
「そう、なんですか?」
「そうだよ。コルンの街は戦わずにエドナに従属する事を決めた人達だよ。だからそのままの風習が残っているし、文化も残ってる。けれど、海沿いのルシェールは、戦って勝ち得た所なんだ」
「そうなんだ……」
「きっと、テレーズ夫人はその話を聞いたのだろうね。ルシェールの街は、いまでもエドナ地方と名乗る事を拒否しているぐらいだから」
クツクツと笑いながら教えてくれた事に、驚いてしまう。
「もう、五百二十三年も経つけど、気に入らないのだろうねえ」
「で、でも、そしたらいつか、また戦いになる?」
「そうかもしれないね」
「そんな……」
「そう言う事が気に入らない地方領主ならば、ルシェールを潰してしまう事を考えるだろうね」
「…………辺境伯は、それでいいの?」
「いいよ。だって、ルシェールから海の幸がたくさん届くからね」
「でも、いつか戦いになるかもしれないんでしょう?」
「そうだね。きっと、私が領主としていけない事をしたら、直ぐに戦いになると思うよ」
辺境伯の言葉は、笑いながら言う事なのだろうかとエリンは思いつつ、やっぱり良く解らないなと首を捻っていた。
「そうだなあ……、エリンなら、魔導士が嫌いと言うけど、エリンは好きと言う人をどう思う?」
「え……、ええと」
「よく考えて。私が言った事をよく考えればきっと、ルシェールと私の関係も理解できると思うよ」
こくりとエリンが頷いたのを見た辺境伯は、にっこりと微笑んで見せた。
「ああそうだ、良かったらテレーズ夫人の所に顔を出してくれるかい?とても心配していたからね」
「あ!そっか、そうですね。解りました」
「うん。元気な顔を見せてあげて欲しい」
「はい!」
そして、辺境伯の部屋からの帰りにテレーズ夫人の部屋に寄ると、そこには奥方がいてテレーズ夫人が泣いていた。
「ああエリン、本当にごめんなさい。私は教師失格ね」
「いいえ、テレーズ夫人。私、テレーズ夫人に感謝を伝えに来ました」
知らなかった事を教えてくれるテレーズ夫人に、改めて感謝を伝えた事は無かったと反省したのだ。
「テレーズ夫人。私はあなたのお蔭でたくさんの事を知る事が出来て感謝しています。これからも、私の先生でいて下さい」
「……でも、私は」
「テレーズ。私からもお願いよ。私達、あなたにとても感謝しているのよ」
奥方にそう言われ、はらはらと涙を零していたテレーズ夫人は、ハンカチで涙を拭い、ちょっと失礼と言って鼻をかんでから向き合った。
「テレーズ夫人……」
「エリン。私はあなたに、知っている事を全て教えて差し上げます」
その言葉にエリンは嬉しくて笑った。
「ありがとうございます、テレーズ夫人」
「こちらこそ、ありがとう、エリン。それから、ディアヌも」
「あら、私にも感謝をしてくれるの?」
「ええ、するわ。ここに呼んでくれてありがとう」
奥方とテレーズ夫人が友人であると言うその言葉通り、二人はそれだけで何か通じ合っているようで、何だか嬉しくなった。
「これからもよろしくお願いします、テレーズ夫人」
「ええ、覚悟なさい?」
そう言って少し顔を顰めて見せたテレーズ夫人に、皆で笑い合った。




