第七話 (4) 『図書室の妖精』
整理すれば、『図書室の妖精』の謎は以下のようになる。
一、千冊以上ある本の中からランダムに選んだ一冊に、悩みを書いた手紙を挟むと返事が来る。
二、返事は一週間後に同じ本の中に挟まれている。
三、本当に悩んでいる人にしか返事は来ない。
頭の中で並べてみて、改めて考えると、つくづく人間離れした技のように思う。
「まず妖精の仕業ってことはないだろうから、これは学院内の誰かが返事を書いてるって事になるよね?」
「まぁ妖精だと思ってる方が『七不思議』としては神秘的なんだろうけどね」
「ふふ、そだね。でも現実的にそれはあり得ない。ある人物は、この千冊以上ある本の中から選ばれた、たった一冊を知る術を持ってるんだよ」
ゆっくりと図書館の棚の間を練り歩きながら、僕と七々扇さんは思考する。
ファンタジー、歴史もの、SFにミステリー。
もちろん娯楽小説だけじゃなく、学術関係の分厚い本も静かに鎮座している。本当に、ちょっとした市営の図書館並みの規模があると思う。
それはさておき……。
ある人物、仮にXと置いたとしよう。
相談者が手紙を入れた本を、Xが知る事ができる状況というのは、一体どんな場合だろうか。
とりあえず僕は、思いついた事を口にしてみる。
「当然だけど、一番簡単で確実なのは『手紙を入れたところを近くで見てる』だと思うんだけど」
「あはは、そうだね」
けど、と七々扇さんは続けた。
「今回の場合、それはあり得ないかなー。相談する人は、誰にも知られたくないからこそ『図書室の妖精』にお願いをするわけでしょ? もし近くに誰かがいる場合、手紙を入れればその人に中身を見られてしまうかもしれないから、それはきっと避けるよね」
「確かに」
「もし仮に近くで見ている相手が『図書室の妖精』本人だと分かってるなら、そもそも本に挟まなくていい。直接渡しちゃえばいいんだもん。つまり、この仮説は成り立たないってことになるね」
「なるほど」
よくもまぁこの短時間でそれだけの事を考え付くものだと、僕は心の底から感心した。
何となしに僕が言った言葉に、間髪入れずに返答を入れたという事は、既に七々扇さんの中でこの仮説は検証済みだったという事だ。頭の回転速度がニ、三倍違うんじゃないかと思う。
「私が考えたのは監視カメラ。あれなら、見られている事が相談者からは分からない」
「確かにそうだけど……ぱっと見、図書室内には監視カメラがないよね」
「だよねー」
七扇さんが適当に本を取り出し、ぱらぱらとめくった。当然手紙は入っていない。
「こうやって一冊ずつしらみつぶしに開けているわけがないし……かといって手紙の端が本の間から見えるように入れたとしたら、第三者に興味本位で探された時にすぐに見つかってしまう……」
ぶつぶつと呟く七々扇さんの隣に立ち、僕も適当に本をめくった。色々考えるなぁ。
七々扇さんの思考を邪魔するのも悪いし、ここで読書でもしてようかな。
「……日向君、考えてないね?」
「考えてる考えてる、超考えてる」
「うそつき。今、この本ちょっと読んでみようかなって顔してた」
鋭すぎて変な笑いが出そうになった。じとーっとにらむ七々扇さんの視線が痛い。
ぱたむと本を閉じ、僕は言う。
「んー、正直どこから考えたらいいか、いまいち取っ掛かりが掴めなくてさ。七々扇さんの推理の仕方を見て学ぼうと思ったんだけど……」
「あー……そっか。私はいくつか相談事に乗って来てるけど、日向君は初めてだもんね……。ごめんね、ちょっと嫌な言い方しちゃってたかな」
「い、いや。そう言う訳じゃなくて……。まぁ、お手本を見せて欲しいなとは思った」
心底申し訳なさそうな顔をする七々扇さんに、僕は慌ててフォローを入れる。綺麗な形のポニーテールが、なんとなくしょんぼりと垂れた気がした。イヌみたいで可愛い。
「そうだよね……。ちょっと待ってね……」
腕を組み、目をつぶって暫く考えた後、七々扇さんはゆっくりと頷いて言った。
「うん、私はやっぱり監視カメラが怪しいと思うんだ」
「監視カメラ? でも室内には――――」
「そうだね、室内にはない。でも、入り口にはあるよね?」
図書室に入る時にちらりと見えた、半円状の物体を思いだしつつ、僕は首肯した。
「どの本に入れたか、を当てるトリックはちょっと分からないけど……それ以前にXは、相談者がいつ手紙を持って入ったか、を知る必要があると思わない?」
「……あぁ、確かに!」
返事は丁度一週間後に来るという話だった。
つまりXは、相談者が手紙を入れた日時を把握している、という事だ。
だとすればその方法に監視カメラを用いている可能性は高い。
図書室の中に悩み事を持ってくる人が「いつ」入るのかはランダムであり、それを把握しているであろうXは、常に図書室の入り口の様子を知っている必要があるからだ。
「となると、監視カメラをチェックできるのは……」
「うん、ひとまず、守衛室に話を聞きに行くのがいいんじゃないかな」
◇◇◇
守衛室は教員棟からも男子・女子寮からも少し離れた場所にある。位置的には、食堂より更に向こう側、体育館との間に位置する。
きゃっきゃと楽しそうな声と、ぱこーんという乾いた音が聞こえる。どうやらテニス部が活動している様だ。
耳を澄ませば、ぎゅおーんと間延びしたベースの出来損ないみたいな音も聞こえる。多分雅樹だ。
これまたレンガ造りのがっしりとした建物に到着し、扉をノックする。
監視カメラの映像をチェックすることができるからか、小さながらもしっかりとした造りだ。扉も簡単に開けられるようなものではない。扉には郵便受けがついていた。守衛宛にも手紙は来るのだろうか。
はーい、と聞き覚えがある声がしたかと思うと、がちゃりと戸が開いた。
「どちら様……あら、七々扇さんに日向さん、どうされました?」
「あ、江口さん、こちらにいらっしゃったんですね。すみませんその……お邪魔でした?」
「うふふ、大丈夫ですよ? この続きは……皆さんが寝静まった後にでも致しますから……あいたっ」
囁くように、しかし鼓膜にしっかりと届く声で意味深な発言をした江口さんの頭を、守衛の守口さんが後ろからパシッと叩いた。
「アホ、何もやってないだろうが。変な誤解を招くようなことを言うな」
「すみません……からかいがいのある方が三人もいるものですから、つい……」
「一、二、三……って、どう考えても俺が入ってるじゃねーかぶっ飛ばすぞ」
「うふふ、血気盛んなのはベッドのう」
「すまん、こいつの言う事は気にしないでくれ。何かあったか?」
話が進まない事を察したのか、守口さんは強引に流れをぶった切った。
髪は短く清潔感があり、目と眉はきりりと吊り上がり、細身ながらがっしりとした体格の守口さんは、まるで中世の兵士の様だった。
そんないかつい守口さんが、江口さんに振り回されている様は……なんだろうこの感覚。すごく……なごみます。
「えっと実はですね、『図書室の妖精』について調べてまして……」
「『図書館の妖精』? 初めて耳にしますね。噂話か何かですか?」
「はい、実は――――」
僕がなごんでいる間に、七々扇さんが一通りの説明をしてくれた。
いやぁ、ほんと。清々しいくらいに何もしてないなぁ、僕……。
「なるほど、そんな不思議な事が。うふふ、女子中高生の方々がとっても好きそうな素敵なお話ですね」
「ですよねー! 気になっちゃうのも無理はないかなって感じで。それで監視カメラが怪しいと思ったんです。監視カメラの映像を見られるのは、ここだけですよね?」
七々扇さんの質問に、守口さんが答えた。
「あぁ、そうだな。他にモニターがある場所はない」
「この場所でモニターを定期的に見ることができるのは、守口さんだけですか?」
「その通りだ……と言いたいが、この馬鹿もしょっちゅう来るからな。候補に入るだろう」
「んー、もう少しひねりの効いた罵倒にして欲しかったです」
「頼む、話が進まなくなるから、少しだけ黙っていてくれ……」
そう言って目頭を押さえる守口さんを、江口さんはにこにこと見つめていた。
この二人スクフェスで漫才とかやればいいのに。
「では、単刀直入に聞きます。『図書館の妖精』は、お二人のどちらかですか?」
「いや、違うな」
「残念ながら、違います」
返ってきた答えは、なんとなく予想していた通り、ノーだった。
守口さんが渋い顔で続けた。
「というか、俺がその、なんだ? 女子の悩みとかを聞けるわけがないだろう」
「あら、お菓子作りが趣味、という意外な一面もありますし、やってみたらいけるんじゃないですか?」
「そうなんですか⁈」
「~~~~っ! お前頼むからもう喋らないでくれ……」
一見堅物そうな守口さんの意外な一面に、僕も七々扇さんも驚いた。
けど、隠さなくてもいいのに。守口さんが作ったお菓子、ちょっと食べてみたいけどな。
「私は結構、江口さんとか怪しいと思ってたんですけどね……」
「ふふ、思春期真っただ中の乙女が心に秘めた、繊細なガラス細工のような悩み。確かにそれを聞くのは垂涎物ですが……流石の私も、無作為に選ばれた本の中から一つを選び出すなんて離れ業はできません」
「んー、なんか江口さんならできそうな気もするんですが……」
「うふふ、私は妖精ではありませんから。トランプのマジックで似た様なことはできますが、あれとは全然毛色が違いそうですしね」
相手に一枚カードを選んでもらい、それを当てるマジックか。
いくつか種類はあるはずだけど、確かに基本的にはテクニックで相手を騙す、もしくは錯覚させるのがミソだ。今回のそれとは根本的に話が違う。
「んー、もう一度考え直しだなぁ」
「お役に立てず、申し訳ありません」
「いえいえそんな、とっても参考になりました! よっし、日向君作戦会議しよ! 守口さん、江口さん、ありがとうございました!」
「あぁ、日向さん?」
「はい?」
軽くお辞儀をして立ち去ろうとした僕のブレザーの裾を軽くつまみ、耳元で江口さんがこっそりと囁いた。
「どうぞ、より良い選択をしてくださいますよう」
「……? どういう……?」
「うふふ……その時が来れば分かります」
では、と手を振る江口さんと、お前はもう仕事に戻れ、と叫んでいる守口さんを後にしつつ、僕らは守衛室を後にした。江口さんの言葉の意味は、分からなかった。
◇◇◇
「さてと、仕切り直しだねー……」
「んー、七々扇さんの推理の方向性は間違ってないと思うんだけど……」
七々扇さんばかりに任せるのも流石に申し訳なくなり、さっきから僕も無い知恵を絞ってうんうんと唸っているのだけれど、どうにも思考がまとまらない。
なんだろう、何かが欠けているような。
何か大事な事を忘れているような、そんな気がしてならない。サイズが合わない靴を無理やり履いている、と言うか……。
「あ、麗華さんだ! やっほー!」
うんうんと唸りながら、再び図書館へ向かうべく教員棟へと歩いていると、ララちゃんと遭遇した。どうやら女子寮へ向かう所だったらしい。
「あぁ、七々扇さん、それに……カナタか。文芸部の活動の最中か?」
「カナタ……?」
「そ。ララちゃんは今からシャワー?」
「ララちゃん……⁈」
「ご明察。そろそろ行かないと、運動部の子たちが大挙して押し寄せてくるからな……。シャワー室が混む前に……ん? どうした七々扇さん。渋い顔して」
「え? あ、あはは、いや実は相談された内容が結構難題で。これからどうしようかなーと思って」
七々扇さんが何故か少しどもって返答した。
ララちゃんは僕にあんなことを言いながらも、七々扇さんとは普通に会話をする。
七々扇さんも、ララちゃんに他の人と変わらず挨拶をする。
ぱっと見、仲が悪いようには見えないんだけど……。
「そうだ、ちょっと知恵を貸してくれない? 麗華さんならきっと――――」
「残念ながら、答えはノーだよ、七々扇さん」
小首をかしげ、けだるげな眼を七々扇さんに向けて、彼女は言った。
「寄り添う天才は、確かに誰にでも寄り添うさ。凡人、奇人、変人、猿人、もちろん秀才、鬼才にも寄り添おう。だが――――」
けだるげな眼に、一瞬強い光が宿った気がした。
「悪人には寄り添わない」
「……もー! そんな事ばかり言って! 麗華さんは、私にはちょっと意地悪だよねっ」
「くく、まぁそう拗ねるな。私は君の事もリスペクトしているしな」
……仲、悪くないよね? 大丈夫だよね?
はらはらしつつ見守る僕など気にも留めず、ララちゃんは言葉をつなげる。
「というか、私なんぞが出るのはお門違いだ。カナタ、君、ちゃんと推理してないだろう」
「……え?」
「いや、確かにしてないけど……そりゃやり方もよく分からないし、仕方がないよ」
「ふ、何を言ってる」
薄く笑い、カーディガンのポケットに手を突っ込んで、ララちゃんは言った。そよ風が、彼女の髪をもてあそぶ。
「登場人物の思考をトレースするのは、得意だろう?」
「……? いやだから、それは『物語』での話で、現実とは違うってあれほ……ど……」
瞬間。
歯車がかちっと合わさったような。パズルのピースがぴったりとハマったような。そんな小気味のいい音がした。
『物語』と『登場人物』。
例えばそれを、『事件』と『犯人』と置き換えられたとすれば……。
そうか、欠けていたのはそれか。
「くく、気付いたようだな……。ま、精々頑張ってくれ給えよ」
草場の陰から応援してるよ、などというセリフを残しつつ、ララちゃんは女子寮の中へと消えていった。
残された僕は、必死に今日の事を思い出していた。
ポケットに突っ込んだ手が、スマホに当たった。
無意識に、人差し指の爪でスマホの画面をこつこつと叩く。
指先から伝わる振動が、僕の脳内に静かに響き渡っていくような気がした。思考がまとまっていく。
『播磨由奈と柊鈴奈』
『図書館の妖精』
『無数にある本の中から無作為に選ばれた一冊を知る方法』
『監視カメラ』
『守衛室』
そして――――
「そういうことか……」
タネさえ分かれば、後は簡単だ。謎と解法が噛み合えば、意外とすんなりと解けるものだなと、僕は大きく息を吐く。
「わ、分かったの日向くん⁈」
「うん、そうだね。多分合ってると思う」
少なくとも矛盾はない答えだ。
これが真実かどうかは、七々扇さんと……あの子に判断してもらおう。




